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日々のブログ記事は↓に掲載されています。

 

 

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鰹節の炒めご飯

料理と言うものは心を込め
気持ちを込めなければいけない。

腹に入れたら、みそもくそも一緒じゃダメ。

当然、心を込めると、味付けはもちろん
盛る器、盛り合わせ、盛り付け方
すべてがそこから生まれてくる。

小学校時代、時代は高度経済成長時代。
家庭では三種の神器。
テレビ、冷蔵庫、洗濯機。
白黒テレビは記憶にあるが
果たして冷蔵庫、洗濯機は
あの頃の貧しい我が家には
無かったかもしれない。

兄弟の多い大家族で
遅くまで働いて帰って来る兄たちに、時に
病人の看病のために手を離せない母親の代わりに
冷蔵庫も食材もないそんな台所で、
頭と心を使い小学生、5,6年?の私は
瞬間的に貧乏料理をイメージして
作るのだった。

冷えたご飯を炒め、塩コショウと醤油で味を取り
色も剥げた西洋皿に盛り付けた後
贅沢、リッチにその上から鰹節を振り掛ける。
鰹節が炒めた温かいご飯の上で踊る。
うまそー!
これがひらめき。

うまいうまいと言って食べてくれる。

人を喜ばせ、喜ばれることの快感がDNAに組み込まれ
食材を見て、瞬時に料理を考え出すことは
幼少時代からの筋金入りなのだ。

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ふるさと

ふるさとは自分が生まれた街や
両親が住んでいる街でもない。

それは自分が1番輝いていた、
自分が1番自分らしく誇りを持って
楽しく生きていたその時代であり
その時代を過ごしたその時と
場所こそ、私のあなたの
本当のふるさとはそこだ。

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役者はスゴイ。役者のように創作しよう!

役者は、本当にスゴイ。
お菓子を食べ楽しくおしゃべりしていても
突然涙の演技に入れる。

あんなに周りに撮影スタッフ、同僚の役者たちが回りにいても
突然に怒涛の涙を流せる。

そんな役者たちのスゴサを思えば
作家や絵描きも瞬時にペンや筆思ったら
創作にシフトできるようでなければならない。

気分が乗らないとか、最近書けないとか
アイディアが出ないとか
甘いことを言っていてはダメだ。

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仕事のできる人と出来ない人

仕事の出来る人は
まず、すぐ取り掛かる
スピーディーです。

原則、あまり「出来ない」とかNOは
ありません。

優先順位がしっかり見えて、そしてさばけて
優先順位の高いものから、迷わず取り組めます。

仕事において大枠や全体像、ビジョンを描く能力があり
そして少しづつすべてを深め広げ高めて行けます。

そして、全体に快活でエネルギッシュで
朗らかです。

そのパーソナリティーは、仕事のフットワークに大きく
関係します。

応援したくなる、協力したくなる
魅力とリーダーシップがあります。

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勉強が出来る子(人)、出来ない子(人)

勉強のできる子は
頭がいいのではありません。

言われたことを
しっかりやって来ます。
自分で言ったことにも
しっかり取り組んできます。
その場限りの気分や調子ではありません。
頑張ると言って、やらずにいろいろと
言い訳はしません。
努力できる、自分や人の言葉や思いに真摯に
取り組めるという違いだけです。
その行動の積み重ねが学力となって
現れて来ます。

人の思い、自分の言葉に責任を持ち
そのどちらにもしっかり誠実に取り組むことができる子が
勉強のできる子の本質です。

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人でなし

ひとでもなく、神でもなく
お化けや幽霊でもない
それでいてやはり人から遥かなものであり
人とは異質な頼もしいもの
遥かに楽しいもの、遥かに豊かで
遥かに深く高いものをコトバで語り書き上げ
絵にしてこの世に現したい。
出来る限り頑張りたい。
人でなし。
それが、私の創作のモチベーション。
今年は比較的大きな絵の展示会を予定しているし
今年は絵は描かねばならないし、
昨年の10月の230枚の群像応募小説の
第二弾、三弾も頑張ろう。

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ある時間の使い方

書きたい人から、優先順位の高い人から
勝手に感謝状を書こう。

感謝の手紙、ラブレターでもいいのではないか。

それらを書ききった時
それはあなたの魂、あなたの命、あなたの人生
そのものになりはしないか。

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3・11の人類的意味

東日本大震災でわが子を、親を
伴侶を、恋人を、親友を亡くした
その全てを亡くした人のつらさは
私には解らない。

生きる糧も、方向も、力も無くすだろう。
というか生きているだけで辛く苦しいにちがいない。

だからその気持ちを理解すること慮ることはできない。

ただ、私達は彼らを特殊な運命の人たちとして
別世界にに置くことも、私たちが彼らを置いて
別世界に行くこともできない。

私達は、せめて

「理由も原因もまったくなく、あるいは解らず
 突然に事故や病気で愛する人を失う可能性にある同じ人間」

として、その悲しみを越えて生きて行かねばならない
あるいは、その状況でもこの人生を創造的に生きていける
哲学を構築しなかければならない同胞として
一緒に横並びになって前を見、前に進んで行かねばならない。
 

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友また一人逝く。.生きてる時に、生きているうちに。

肺癌になって6年。
骨に転移して、約2年の闘病生活の上
根性のあるやつだったが力今日の
昼頃に尽きた。

昨日、緩和ケアの病室に見舞いに
生きている彼に会ってはいた。

しかし、既に意識はなく
弱い呼吸と時々口から洩れる
コトバになっていない音声を
聞くことはできたという
状況であった。

もう、いつ死んでも不思議では
ない年齢になって来た。
男は特に50代がやばい第一時代だ。

無理したところ
足りなかった何かが
加速度的な免疫力の低下により
病として姿を形を現す。

整理しながらきれいにしながら生きて行かねばならない。

1.私は今日、今生きているというのは確か。
  本来なら優先順位第一に力を集中した生活であるか?
  生き方であるか?

2.文書の整理。パソコンのデータフォルダの整理。本の整理は
  しっかりしよう。

3.感謝すべき人に、感謝の言葉を伝えこと、行動で表現すること。

  感謝すべき人、愛する人を十分に楽しませること。

4.私が生まれてこの人生、これをしましたという納得の仕事を
  日々一つ一つ増やしていくこと。

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平凡に普通に見える凄い人たち

本当にすごい人たちは、プンプンといかにも
すごいぞ俺は、私はというオーラは出さないと
そういう人たちを知るレベルの人たちは
みな口をそろえて言います。

普通の人のいい、常識的な落ち着いた人に
見えると言います。

ホントにすごい人は、わざわざぎらぎらを
アピールしないわけです。

ぎらぎらする人、自分のアピールにうるさい人は
ほどほどに何かに秀でていたとしても
その実績も、人間のさほどのこともなく
すごいというレベルの人ではないでしょう。

私達がその人生で何らかの弾みと偶然で
世の中のあらゆる人がすごいと言う人と
会う機会、話す機会が会った時
「意外に普通の人だった。たいしたことなかった」
と性急に単純に言ってはいけません。
すごい人たちは、すごいぞオーラを自ら
一生懸命振りまかないのはもちろん
過敏に愛嬌振りまいたりもせず
普通にして目立たなく落ち着いて存在しているので
勘違いしないようにしましょう。
ほんとにすごい故にそうであるのです。
覚えておきましょうね。

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いやなこと、やりたくないことの対処法

やめてしまうことも出来ない
やりたくないことは、
一気にやってしまう。

あるいは、時間を決めて
1時間だけ、3時間だけ
きょう午前中だけやる。

先延ばし先延ばしでゼロでなくね。

見通しも立って少しはやる気も出て来るかもしれない。

一気にやってしまうか
自分のいやという感情の負担軽減のため
時間を決めてちょっとでも
まずやる。

頑張ろう!

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非常識で、行こう!

たとえ周りの人たちに
「普通、そこまでしないよ。」と
たしなめられても、
「過ぎたるは及ばざるが如し」と
賢そうにさとさられても。
でも、いいではないか。
カッコ悪くても、スマートじゃあなくたって、
私は非常識な人が好きだ。
自分自身もそれを志向する。

常識的という言葉には
損得考えろ、損するな。
なるべくリスクを回避しろ。
一人だけバカ見るな、
人並み手を抜き楽して怠けろ。
ほどほどに愛せ、ほどほどに付き合え。
賢くと言いながらずるくなれと
言われているような気がして
あまり好きな言葉じゃない。

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ベターの人生

美味しいコーヒーを、飲みながら
彼女は、言った。

ーわたしの人生は最高だったとか
 申し分ないものだったとかは
 簡単には言わないわ。

 ただ、確実に言えることがある。

 あなたと出会ったこの人生は
 あなたと出会わない人生よりは
 だいぶ楽しかったことだけは確か。
 しあわせであったことは確か。
 ありがとう、ありがとう。

 もし、わたしの人生から
 あなたとあなたとのこと
 あなたのいる風景を取りのぞいたら
 その人生はどんなに退屈になり色あせ
 つまらないものになってしまう
 ことでしょう。

 あなたのわたしの人生への登場に感謝。
 ありがとう。-

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手の無い人、足の無い人、脳の無い人とかいろいろ無い人。

手のない人がいる。
手が腐れて無くなる人がいる。

私は、手があるのに
文章を書かないのか?
随分若い頃から言っていた
哲学的小説はいつ書くのだ?
とびきりステキな恋愛小説は
いつ書き出し、いつ出来るのだ?

絵はどうした。
描こうと思えば毎日一枚描けないか?
いや、二枚三枚かけないか?

シャツターを押すくらい
部屋の中でも
仕事の最中でも
街に出た時、車を止めて
カフェの座席で1回2回
4回や5回押せないのか?

足のない人がいる。
足が腐れて無くなる人がいる。

私は足があるのに
走らないのか?歩かないのか?
車に乗ってこの国のあちこち
船や飛行機でこの星のあちこち
ほとんどどこにも行かないまま、行けずじまい
ここのまま死ぬか、終わりか?

眼の見えない人がいる。
眼が無い人さえいる。

私には目があるし、その眼は見える。
美しい風景、すばらしい風景をもっとみよう。
美しい人、美しい心を持った人を見よう。
もっともっと素晴らしい人、
素晴らしい心を持った人に
会いたいものだ。

耳が聞こえない人がいる。
耳自体が無い人もいる。

私も手術をするまで四半世紀は片耳だった。
両方の耳が聞こえるようになって既に早十数年。
私はこの両耳に十分、よきもの、すばらしいものを
聞かせてきたろうか?
素晴らしい歌、メロディー、音楽を
もっと知り聴くべきだ。
すばらしい詩を聞きたい。
すばらしいステキな声で、朗読で。
力あればすばらしい歌を作り詩をつくり
自ら歌い自ら詠じよう。

食べられない人がいる。
口が無い人もいる。

食感のない人がいる。
それは残念で悲しくまさに味気ない
毎日だろう。

私には口も食感もあり
食べたいものもたくさんある。
それだけでしあわせなことだ。

自ら美味しものを食べ
美味しものを愛するものたちに
感謝すべきものたちに
大好きなものたちに
食べさせよう!
作ってあげよう!
料理してあげようじゃないか!

脳が病い、脳がない人がいる。

私には脳があり心があるのに
成り行きに任せ、過ぎていくことに任せ
そんなに考えず思わず
そんなにあっさり毎日毎日
一日一日をやり過ごし
生きていていいのか。

私にはせっかく脳があり心があるのに
自分の思うような自分、満足のいく自分
自分であることが気持ちいい誇らしい自分を
創り上げなくていいのか?

みっともない弱っちい嫉妬深いいじけん坊の怒りん坊
おまけに意地悪なうえに怠け者の夢想家
だらしないうえに神経質
わがままなうえに妄想家
無責任なうえに薄情者
ずる賢こくて小賢しい
そんな醜い不安定なつまらい
ちっぽけでおもしろくない人間の
ままでいいのか?
そんなままで生きて終わっていいのか?
それでホントにいいのか?

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人でないものになる日

この宇宙を悟り
宇宙のエネルギーを無尽蔵に
意図的に自分に取り込めたら
どうだろう。

無尽蔵のエネルギーは、無限の智慧を産み
限りない創造性と個別性を発現させるだろう。

たとえば、これは、仏教の発生の動機であり
目指した所の生老病死の苦悩の消滅をも
現実のこの人生で成功させるだろう。

もし仏教よりも根源的に、この宇宙を悟り
宇宙のエネルギーを無尽蔵によりたやすく
意図的に取り入れることを可能にしたのなら
その日は、久々の人類史上最高の革新的哲学と
新宗教のこの星での誕生日になるだろう。

しかし、それが人類に必要なレベル、内容のものか
人類が人類のカテゴリ―で収まるもの足らしめるかは
わからない。

その時、人は人ではなく新しい何ものかに
なっているかもしれない。

まっ、この宇宙に人間として存在できる以上に
楽しくしあわせであるなら、人間であることに
こだわり固執する必要はないだろう。

すべて仮定の話だ。

いずれ、生命体は、この宇宙に、
楽しく存在することだ。

あなたは、楽しく存在しているのか?

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