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偉大なるイソップ物語

Img_1064_4 県立図書館で、絵本や児童書の部屋をぶらぶらして、何冊か絵本を借りて帰ろうとした通りすがり、ふと、展示台に立ててあった「イソップ物語」の絵本が声をかけて来たので、それも1冊加えて図書館を出た。僕のアトリエに10年くらい絵を描きに来ている絵本作家志向の青年が、新作の物語の展開で行き詰まっていたので、これでも、見たらと次来る日まで貸してやった。

「イソップが奴隷だったなんて・・・おもしろかったです!」と、細い目をギラギラさせて言うもんだから、たまらず、僕もさっそく読んでみた。

なるほど、イソップがプラトンやアリストテレより遥か昔の時代の奴隷だったとはビックリだ。しかもプラトンによれば、特にソクラテスは、イソップの大ファンで牢獄の中で死を待ちながら即興で朗読する詩にイソップの寓話を読みこんでいたというのだ。相当ですね。熱烈なファンですね。

驚くことに紀元前1800年以前にくさび形文字で、書かれたものの中にイソップとよく似た形式、内容まで同じ寓話があるというのだ。イソップとは、いつの時代の、何者?

奴隷でありながら、その機知と物語を語る力で、諸国の王に重宝がられ、しかし、最後は嫉妬に狂ったデルフォイという神官のワナにはまり殺されたという。イソップは、物語好きのセンチな文学青年ではなく、議論に打ち勝つため、問題を解決するために、みごとな寓話を時々に語ったらしい。イソップの寓話は、そういうスチュエーションで生まれたらしい。

僕はなんと言っても「北風と太陽」大好きでした。「ウサギとカメ」「アリとキリギリス」説教されているようで、なんかいやでした。頑張れ頑張れとせかされているようで楽しくありません。「肉をくわえたイヌ」悲しくて、ワンと言って泣きたくなるせつないお話ですよね。「ライオンとねずみ」小さなものが大きな力あるものを助けるのは、水戸黄門様の助さん、角さんが紋所を出すときの小気味よさに勝るとも劣らぬ痛快さがあります。同じライオンでも、「ライオンと木こりの娘」のライオンは悲惨です。木こりの娘に恋したライオンは、娘と結婚させてもらうため、その鋭い牙と爪を捨てたがため、花嫁を手に入れるどころか、散々な目にあうという悲しいお話。でも、現実の社会において、ありかな、という身につまされるお話。

イソップ物語は、アメリカ合衆国の、アメリカ人の血になっているという。アリやカメの勤勉さ、地道さがフロンティアスピリップを支え、ライオンから外交、交渉術を学び、実際、かの有名なあのリンカーン大統領は、その執務室で、遊説先で、ホワイトハウスで寓話を100回以上語った記録が残されているらしい。

スペイン、ポルトガルの宣教師たちが鎖国前の江戸時代にイソップ物語を伝え、それは日本初の西洋文学作品であり、文明開化までの250年の間、日本で読まれた唯一の西洋文学作品であった。

おそろしや、イソップ物語だ。

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朝マック、バンクーバーに紙とペン、そして幸運な人生

 朝、マックに行った。最近のマックのコーヒーは、おいしくなった。味にこくがあり、これで100円では、スターバックスもモスもテリーズも、たまったもんじゃない。音楽もいい。店ごとに音楽は違うのだろうか。少なくても、ボクがよく行く、すぐ近所のマックの音楽は、上質のフィージョンや、ジャズだ。ただ、今日は、たまたま車でかけていたプシンのアルバムを聴きたくて、CDを車から抜き取ってエンジンを止めポッケに入れて店に入り、ノートパソコンに突っ込みヘッドホンを耳に掛けた。

 今朝のマックのコーヒーの最初の一飲みは、バンクーバーの早朝のカフェを思い出させた。キューンとせつないくらいにおいしい。最近、寒い日が続いている。今日も6月というのに朝夕は特に肌寒く、10月のバンクーバーの朝の空気とシンクロしたのだろう。1997年。ボクはカナダのアート展でグランプリを取り、招待されてバンクーバーで個展をしていた。その年、弟は、スポンサーがついて、パリにアトリエを構え、絵を描いていた。絵をきっかけに、兄弟そろって、それぞれ海外での活動の幸運に恵まれていた年だった。 

 二人とも幼稚園にも行かず、というか貧乏で行けず、家中のチラシや紙を見つけては、絵を描いていた。そして、町中のいたるところがキャンパスだった。あの頃は、通りに入ると、まだ、舗装されてない道路もたくさんあったが、町の背骨になる道路はアスファルトだった。そこは、僕らの大きなキャンパスだった。川原や工事現場の砂利の山や線路沿いの石もりから見つけた白墨という、白い線の書ける石で、大きな大きな絵を描いた。変な怪獣や、宇宙人が、なんとも中途半端な、非科学的な未来都市で飛んだり跳ねたりしていた。

 1  ホテルを取ったバンクーバーのロブソン通りは、早起きのボクにはピッタリの街だった。6時半、7時にもなるとカフェが開く。道にテーブルを置いている所も多く、散歩で通り過ぎる町の人やワンちゃんたちと語ることができるのだ。 読みかけの本と、紙とペンがあれば、何もいらない。おいしいコーヒーを飲み、沸き溢れるコトバやイラストを、ペンに任せるがままに、紙に書いていれば、そこがバンクーバーだろうと、盛岡だろうと東京だろうと、いつだってシアワセな気分に満ち溢れ、ボクは無限や永遠を感じる。ボクは自分が、絵が上手とか、文章がうまいとかでなく、とても安上がりなことに、紙とペンがあれば何もいらない至福の時となることにおいて、自分は創作家という部類の人間なんだと思う。ボクは、自分がそういう類の人間として生まれ、そんな風に形成された人生を生かされ生きてきたことを、幸運な人生だと思っている。

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