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予想通りの今日は吹雪。少年時代の資金源?

Photo  今日は、予想通りの吹雪。真っ白い街になってました。
どうも雪は私を追想の中に引き込むようです。
外の吹雪を見ながら、少年時代の風景がよみがえりました。
吹雪の中、凍てつくような早朝の薄暗い街の中
新聞配達をする少年の私が見えます。

 昨日のブログでは、ずいぶん不道徳な資金源ばかりで
少年時代の私が、生きていたような誤解を与えるので
今日は、昨日の続き、少年時代のあの頃の資金源を
明確にしておきましょう。


 あの頃の私には、自らの労働によりお金を得る
二つのことをしていました。

 一つは、小学校の5、6年は、新聞配達をしてました。
すごい時代です。小学生の私が、集金もしてました。

でも、あの頃の私は相当、かわいかったのでしょう。
私のファンのおばちゃんたちが、集金の時に出る
おつりをくれたり、時には、おつりとは別にお駄賃
という形でお金をくれることもありました。

 お金だけではありませんドアのところに
ビニール袋が結ばれていることもありました。
お菓子と「配達ご苦労さま」とメモ書きが
入っていました。いい時代でした。

三丁目の夕日でした。

 むかしは、雪も多く寒い冬で、膝より上の雪を
掻き分け掻き分け、突き刺さる吹雪の中でも
もちろん新聞配達はやらねばなりません。

 一番上の姉が病弱で、小賢しく要領がよい私は
母よりマッサージと看病がうまくて、
病人といえど母娘は、なんか喧嘩になって
母を寝かして、私が、徹夜で看病ということも
多々あったのに、新聞配達もしていた
あの頃の自分が、どんなスーパーマンだったのか
今では、思いだせません。

 親父も私が小4くらいに脳溢血で倒れ
一家の家計は長男の働きに、次男、次女と
夜学に通って家計を支えて何とか
病人二人抱えた家族8人が生きてましたから

高エネルギーのほうれん草を食ったり
ヨード卵を毎日食べていたわけでもありません。

 私は、やさしく、小賢しくてずるくて生意気で多感で
タフな少年でした。


 中間搾取があったか、子供用賃金だったのか500円札と
硬貨何枚かが、新聞配達の私の給料でした。

 もう一つは、着物の解き賃。10円だったか100円だったか
思いだせませんが、一枚の着物を糸を切り、引き抜いて
バラバラにしてお駄賃を貰ってました。
親父が呉服屋をやっていて、といっても、商品を仕入れる金もないので
古い着物を、染め替えるのを主とした商売をしてました。

 母親の手伝いで、小さなハサミを持って、時々、糸を切る時
布生地も切っちゃったりして、青ざめながら、それを申告もせず
うやもやにしながら、小遣い欲しさにやってました。

 でも考えて見ると、一番上の兄一人で病人二人を含む家族
8人の家計を支えていた時は、本当にたいへんでしたが、
次の兄、姉たちが夜学に通い、
アンテナ工事屋さん、建設関係の事務の仕事をし
わずかのこづかい以外、家計に回し始めてからは
むしろ私や弟は、意外と裕福だったかもしれません。
働き始めた兄や姉たちが、自分の小遣いの中から
お小遣いをくれたり、いろいろ買ってくれたからです。

 彼らが時に、夜学の学校帰りや仕事の帰りに 

気分で買ってくるお菓子は何よりも楽しみでした。

姉は、菓子や服を買ってくれ、兄は本や服を買ってくれました。

 だから、家計は、やはり貧しかったと思いますが、
私と弟は兄たちの愛情で意外と、子どもとして実感する
貧乏期間というのは短かったかもしれません。

少年時代の私のお小遣い状況、資金源の詳細は以上です。

尚、少年時代の私は、虫歯ゼロ、視力2、0で、メガネはかけていませんでした。

ホームページ「ナカムラユウコウの世界」http://www.nakamurayukoh.com/

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