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シンガーソングライター

Photo_6 昨日のブログに劇評の抜き書きで

「この星では、まだ、夢なしで、
 幸せになったものは、ただの一人もいないんだ。
 勇気なくして、どんなちっぽけなものであろうと、
 何一つ手に入れることは出来ないんだ。幸せは、
 そんなヤワで静かなものじゃない。」

という文は、久しぶりに2~3年前に作った歌の
歌詞から取ったものでした。

久しぶりにというのは、今から数十年前
地元盛岡の弾き語りのライブハウスで
ギター片手に歌ってました。
なんと、ちゃんとお金を貰ってましたので
プロです!

その頃は、へんなメロディーにへんな詩を
つけて歌ってました。叫んでました。

オー、はずかし!

穴が無かったら、自分で掘って入りたい。

そんな感じで、時々、オリジナル入れて
中島みゆきの歌レパートリーにしてました。
きっと、今聞くと、相当、つまらない話して
弾き語ってたと思います。
当時の録音テープを持って脅して来る者あらば
証拠隠滅のため金に射止めはつけない!
金は無いけど、気持ちは、射止めつけない!!
って感じです。

今でも、「中島みゆき」歌うと
中島みゆきが憑依して
ちょっと怖いかも。

時々、ギターやピアノで歌うことはあっても
曲は作りませんでした。

数十年ぶりの新作です。

これから独り立ちして、自分の人生を
切り開いていかねばならない私の周囲の若者たちに
激励の思いを込めて作った曲です。

それでは、歌います。

作詞・作曲  ナカムラユウコウ

「ひまわり」

戦いもせず 敗れ逃げさる
負け惜しみや理屈だけを上手にこねる
腐れた大人にだけはなるんじゃねえぞ

空を目指さぬ花がないように
夢を持たずにしあわせになれない

かってこの星に悲しみで咲いた花など一つもない
かってこの星で臆病者がしあわせになったこともない

いいか おまえが夢になるんだ
いいか これからは これからの人生

ああ 愛してくれた人たちの
その人たちの夢になるんだ
空になるんだ

  *花になるんだ
   夢になれ

   いつもくさらず
   あの太陽のように

   生きて生き抜け
   全部 自分で
   そして自分で何とかする人生を 
   自分の人生を作るんだ

   (*繰り返し)

ホームページ「ナカムラユウコウの世界」http://www.nakamurayukoh.com/

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「感劇地図」届く。時には、小劇場ライブをお楽しみください。

Photo_4 昨年の夏の終わりに随分、久しぶりに見た小劇場劇団の舞台。
しばらく離れていたのだが、やっぱり演劇はいい。
しばし余韻に浸っていると、にゃにやと笑顔で近づいて
来るいやな人が寄ってきた。彼がニャニャ近づいて来ると
「劇評、お願いします。」
と、言うのだ。真ん丸いクリクリした目で
あの完全な笑顔で言われると、断ることは
ほぼ不可能な状態に陥る。

ということで、書くはめになったが、書いたら
書いたで刷り上がりが楽しみになる。

待ちに待っていたが、今日、届いた。
ここ数年書いてなかったので、古いアトリエの
住所を迂回して長い旅の末、届いたようだ。

拝啓  レイチェル様 
―リンゴ・キッドは電気ブランの夢を見るか?―  
ナカムラユウコウ  2008・8・24(日)盛岡劇場タウンホール

お元気ですか。
キミが
「リンゴ・キッドは電気ブランの夢を見るか?」
の舞台から、小舟に乗って
大海原に旅出たあの日以来、
ボクは、キミが今頃、
どこでどうしているのだろうと、
時々思い出しています。

<中略>

レイチェル!負けてはいけないよ。
もう引き返すことは出来ないんだ。
夢に向かって、家族や、ふるさと、
死んだものや、安全や安心や、居心地の良さ、
現状維持のその場限りの心の安定、
慣性の法則によって形成される日常とその集合の人生、
みな手強かったけれど、
キミはあんなに立派なサヨナラを、
勇気ある船出をした。

偉かったね。

でも、時にはふと大海原で、
迷いが生じることもあるかもしれない。
信じていいんだよ。
レイチェル。キミは、間違っていない。
あの船出は、正しかったんだ。

この星では、まだ、夢なしで、
幸せになったものは、ただの一人もいないんだ。
勇気なくして、どんなちっぽけなものであろうと、
何一つ手に入れることは出来ないんだ。幸せは、
そんなヤワで静かなものじゃない。

志の竿を自分の存在するこの世界の宙に立て、
向かい来る雨嵐と戦い、よっしゃ、よっしゃと、
この時空を、親や兄弟、親友や恋人やら、
いつか現われるかも知れぬ幸運の人の手ではなく、
自分のこの手で、無数のニュートリノやブラックマターを
掻き分け掻き分け突き進む中にしかなく、
その動的スチュエーションの中にしか
存在しない芸術なんだから。

レイチェル、後ろを振り向くんじゃないよ。
夢は、あきらめるまで終わらないんだ。
レイチェルに幸運を!
そして、夢に向かって進む全ての人に、
幸運を!

岩手演劇通信「感劇地図」

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ナカムラユウコウの制作実例「ドラマのように生きよう!」

死にたくなる日があっても
死なずに生き続けていくと人生には
特に特別、何の日ということもない
ある晴れた日、南の空から、
あるいは西風に乗って
突然、一つの気分が訪れる。

その気分は、一つのセンテンスの体を借りて

コトバの体を持つことでその気分は
強烈な一つの精神とへ昇華し、意志となって
時に、決心、覚悟となって
私の肉体と私の存在する世界を凌駕する。

私は、千載一遇、一期一会の思いで
ペンをとり、紙を広げて書きなぐる。

再び、も一度出会うかも知れぬが
もう二度と、一生会わずに終わるかも知れぬ
コトバたち。

私は猟師だ。
蜃気楼のように、一瞬にして
私の傍らを横切り飛んでいく青い鳥たちを
見逃さない。

Photo_3

人生は選択の連続だ
決断の連続だ
覚悟の連続といってよい
その時々で
最も高い深い強い
豊かな、そして言うなら
感動的な行動の選択を
し続けることを意味する。

ガティマラ豆のコーヒー一杯分の
しばしの検討の末
ボディーコピーを削除
キャッチコピーだけにする。

Photo_2 

「ドラマのように生きよう!」完成

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コトバや絵、アイディアが生まれる時、生まれるところ

Photo ガストに通い、映像と音楽が流れる部屋での
創作環境へのかっての憧れ、夢は、
今、アトリエのyahoo動画などの
Webサイトで実現した。

古い話になるが、青山のギャラリーで
イラストレーターの宇野亜喜良さんと
コーヒーを飲みながら
たらたらとおしゃべりをしたことがある。

宇野さんは、アトリエに2台も、3台も
テレビを置いて、それぞれの番組を
つけて一日中、イラストを描いている
ということだ。

 「それでボクは世界とつながっている。」

と言っていた。

思うに、テレビから入る情報で
世界と繋がるという感覚を
欲しているのも事実だろうが

実は動くものを見ることで
自分の存在に対する意識と感覚の
鮮度が増すためではないだろうか。

流れるもの、動くものが目の前にないと

その相対としての自分を把握できないのではないか。

私は絵を描く、コトバを書くという
環境では乗り物の中も大好きだ。

次々とコトバやイラスト、アイディアが訪れる
なぜだろう。不思議だ。
ここんとこめっきり新幹線に乗ってないが
新幹線では、盛岡から東京まで
次々訪れて来て休みなしで書き続ける
ことも多い。休もうと思っても

次々やってくる。

電車やバスの窓から
風景が流れ、飛んでいく。
  
目の前を流れ飛んでいく風景は、
対極の固定する自分と言う存在を
より強く感じさせ
それは強く「今」を強く感じさせる。

「今」を感じる鮮度の高さは
創作、創造の一番の源泉だ。

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仕事場の条件

Jpg_6 むかし、この町の南の外れにあったガストに時折通った。

ペンと紙と数冊の本を持って、こもった。

至福の時だ。

そこには、大きなテレビがあって
そこからステキな音楽と映像が
流れ続けていた。

無料でだ。

音楽と映像が無料というのは
当たり前のことではない。

東京に6年住んだ。

池袋の画材屋のすぐ傍に
ミュージックボックスなるものがある
ファーストフードのコーヒー店があった。

100円入れて番号を指定すると
映像と歌が流れてきた。
誰も客が曲を入れないときは
そつないBGが流れている。

私は、死んだ父ちゃんの顔に似ている
ルイ・アームストロングの歌う
what a wonderful world!
を何度もかけた。
目つきと唇の厚さが父ちゃんそっくりだ。
父ちゃんは、その厚い唇で

「なんてこの世界は、素晴らしい!」と
歌って聞かせた。

私はガストで映像が良く見え
しかも店員が気にならない
店員から死角の
長居しても目立たない

場所占拠して
自分の部屋のように
仮想書斎化した。

    アメリカ西海岸
    真っ青なカリブの海と空

    地中海の海辺の街々

    ニューヨーク。
    憧れのビックアップル。

    そこで、今も実際、現実に
    普通に生活し生きている人たち。

    この星の喜びと悲しみ、切ないことの
    ほとんどを知り尽くしたような
    深い眼差しのベンチに座る老人。

    世界の街々とそこに生きる人々
    動物たちや恋人たちの映像が流れていた。

何時間、そこに居ても、飽きなかった。

こんなステキな映像と音楽が自分の部屋に
あったらどんなにいいだろうと
なんども思ったものだ。

今、yahooのミュージック動画を、
ノートPCで流しながら
デスクトップで仕事をする。

文章を打ち、画像を加工する。

あの時の夢が実現してる。
夢は実現する。
夢だけが実現する
夢を持たなければ
実現というコトバも存在しない。

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女は怒らない。男はいじけない。

1 女は怒りやすい、すぐに怒る。

女の又の力と書いて「怒る」となる。

女の専売特許なのかもしれない。

女が怒るのは、しかたがないとして

困ったものは、男がいじけやすい生き物であることだ。

どうしてこうすぐいじけるのか。

世の男性諸君。いじけない子になろう!

女が怒らず、男がいじけなかったら

どれだけ恋人関係、夫婦関係が

楽しいものになるか。

恋人、夫婦などにおいて

女が怒ることによるより、男がいじけることに

よって雨雲というものは、ますます広がっていく

男のいじけが一番、良くない。

女はすぐ怒らないように、気をつけがんばれ!

男は、すぐ、そういじけるな!頑張れ!

いじけて何を手に入れようしているのか。

そんな、いいものが手に入れられるだろうか。

女が怒らないということより、10倍大切なのは

男がいじけないことだ。

もう一度、男性諸君!

シュプレヒコール!

「われわれは、いじけないぞ!」

「少々、怒られても、すぐにしょげない

湿度0パーセントの人間めざすぞ!」

エィ、エィ、オー!

エィ、エィ、オー!

エィ、エィ、オー!

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続・続インドおそろし!算数と数学で国を創るインド

Math 0(ゼロ)やπ(パイ)を発見した国、
数学の国、概念・思索の国。
最先端の理論物理学にも多くの
インスピレーションをあたえ続けている
徹底したニヒリズムの
仏教哲学の発祥の地でもある。

インドの小学校1年生が使う
算数の教科書では
数字の1~100、九九は
0の段から20の段(20×20)
まで勉強し、さらに分数の九九、
割り算の九九も勉強するという。

暗算は九九のある日本独自のものかと思ったら
インドの方が、桁違いにスゴイ。

中南米の青少年がボクシング、
タイの子供たちがキックボクシングに
憧れ夢を託すように
インドの青少年は、貧しい子も、豊かな子も
数学で夢を叶えようと一生懸命がんばり
そして楽しんでいるというのが
今のインドの状況だ。

インドは来るべきIT時代を見据えて国家戦略として

数学算数に取り組んできた。20×20までの九九は

もちろん、シンキングマスと言って、黒板を使わず

口述によって問題を出し、そして児童生徒はそれを

口で説明、解く中で、脳の中にイメージを作る力を

つけさせ、思考力と論理性を育てる算数・数学の

指導・教育をしている。インドの有名大学の学食や

喫茶店にさえ、優秀な学生のハンティングのため

シリコンバレーそしてその他の欧米のIT一流企業

がうごめいていると言う。

1994年には、数学の研究開発に特化した政府機関

MSOが設立され、一層、国家戦略的に

数学立国、IT立国、科学技術立国を標榜している。

一方、日本では、小中高生は、パパとママに
おねだりしてケイタイとゲーム漬けの毎日だ。

家に帰っては、メール地獄。
誰ちゃん、誰君にはメールをやって、
誰ちゃん、誰君には
やらないわけにはいかないからだ。

授業中もやっている。メール送ったり
いろいろなサイト見たり
これが日本の中学校3年から高校生の様子。

で、小学生から中2まではゲーム三昧。

もちろん、全部がそうだとはいわない。

10年後、

「日本は、ケータイとゲームで衰亡しました。」

となるんじゃないだろうか。

それにあわせて、大学生は大麻が大流行し
日本って、ちょっとあぶなくないですか。

GDPは、ふたを開けたら、アメリカどころでなく
世界最高の痛手、傷口。

日本では学力はどんどん低下。
理数離れが進み、分数ができない
大学生が続出してしており、
掛け算九九でさえ言えない
大学生がいるらしい。

インドの数学教育は、九九を暗記させるからよい
のではなく、論証を重視し粘り強く考えさせており
大学入試もほとんど証明問題で、
マークシートが主流の日本とは違うようだ

「5671-1725」の計算

この計算を、インド式でやると
5671からひけて1725をひいても大丈夫なキリの良い数字
(2000~5000の間でキリの良い数字)を間に挟んむ。

5671-1725
=5671-2000+2000-1725
=(5671-2000)+(2000-1725)
=3671+275
=3946

「1000-725」の計算

日本だと「一の位の『0-5』はできないから、
十の位からかりてきて……」と計算するが、
インド式は、ひかれる数の「1000」を
「1」と「999」に分ける。
そして、「999」から「725」をひく。

1000-725
=(1+999)-725
=1+(999-725)
=1+274
=275

「25×12」のかけ算

25×12
=25×(2×6)
=(25×2)×6
=50×6
=300

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続・おそろし!インドとパソコン事情

Photo インドは昨年10万ルビー(18.4万円)の
低価格車「タタ・ナノ」を発売し、
世界中に話題になった。

そうしたら、今度は。
1800円のノートパソコンだ。

確実に、ヨーロッパの時代が終わり
アメリカと日本の時代が終わり
経済成長力はもちろんのこと、
実質及び潜在科学技術力、
経済力、総合的国力として
中国、インドの時代が

着実に訪れている気がする。

昨年来、台湾のアスースティクが
5万前後の低価格で出した
ノートパソコンLeePCが
世界中に火を付け、
今や、ノートPCは5万前後の
商品が花盛り。

これを、ブロードバンドと
同時加入などすれば、
かっての携帯電話のように
0円、100円で
ノートPCが買えるという
ことにまでなっている。

今年はさらに、年内中にはノートPCと
言ったら、3万円という市場が
形成されるだろうとまで
言われている。

ヤッホー!バンザーイ!

2005年、MIT、マサチューセツ工科大が、
100ドル(日本円で1万円程度)の
ノートパソコンをインドに
プレゼンしてきた時は、
興味を示さなかったというが
そんなつれないインドは、
今、着々と
1800~2000円で買える
ノートパソコンを
開発しているというのだ。

今は、インド国内、開発途上国が
ターゲットでも、あっと言う間に
安いものは広がる。
抑えることができない。

車やPCだけでなく、インド、中国が
どんどん価格破壊を起こして
世界経済を席巻していくだろう。

ことITにおける脅威のインド。

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私のオリジナルメモ戦略。同じ穴のムジナ、本日発見!

Jpg できる時、できるだけのことやっておけ!

いつも人間一直線に進化するとは限らねぇからな。

いい人間やってる時、できるだけいい事やっておけ!

それが未来のおまえの人生の預金だ。

私の専用のコトバ、イラストの
アイデア記録・展開・収集のB5コピー用紙が、

整理していた雑誌からパラリと一枚
落ちてきた。

いつ書いたものだろう。

「ふむ。」

そうだな。先のことは、考えず、
自分ができる時、できる事、
できるだけやっておこう。

とっておいたり、先送りしちゃ、ダメダメ。

右上がりに人間、進化、
向上するとは限らない。

過ちも犯せば
停滞する時も
あるだろう。

自分のことしかできない、
自分のこともろくにできない
そういう人間に、そういう状態に
いつなるかもしれないのだ。

命自体、明日、1年後、3年・5年後
あるとは限らない。

気持ちに
潤いがあって
パワーがあって
誰かに何かやってあげられる時
そんな時には、やってあげよう。
燃えられるものがある時は
徹底してやろう。

それを、やり抜こう。やりまくろう。

自分で書いた言葉に
励まされ
注意され
気づかされ
そして
自分の言葉を
追いかけて
私は、

今日まで生きてきたような気がする。

発見!

本屋でふと見た「ノート」特集の雑誌に
私の専用のB5コピー用紙によるアイディアと
同じ発想、使い方をしている
「吉永賢一氏」なる人物を発見!

一枚にひとアイディア、記録は全てこの用紙。

ジャンルやテーマに分けて整理。

この究極の単純化、合理化、戦略の核がほぼ同じ。

ただ、サイズがA4で一回り、私の用紙より大きい。

帰ってから、ネットで調べる。
うわぁ、うわぁ、なんか、すごいぞ、この人。

吉永賢一氏プロフィール
(よしなが・けんいち)

「1971年生まれ。群馬県出身。
わずか2歳で数字と計算を覚え、小学生になると読書に熱中し、
学校の図書館や本屋に通うのが日課となる。特に感銘を受けた
のは、藤田田、トニー・ブザン、カーネギー各氏の書籍である。
又、小学校の高学年になると、パソコンにも熱中し、シャープ
のPC-1500には寝食を忘れて打ち込むようになる。
「東大が1番なんだよ」という母親の言葉だけで、東大理Ⅲを
目指すことを決めたのも小学1年生のときである。

受験生時代は東大に受かるかどうかではなく、どのくらい速く
問題を解けるかにこだわるようになる。ストップウォッチを使
い解答時間を記録し、常に高速化に努めていた。
「マシンになれ」とは当時の口癖である。

偏差値93で東大理Ⅲ入学後、生活費を稼ぐため家庭教師、
塾講師を始める。もともと教えることに興味があり、
また自身の実践してきた
勉強法「わかる」「覚える」「慣れる」の3要素を
組み込むことで、着実に成果が得られるようになる。
今まで指導した生徒は1000人を超え、生徒、
保護者から絶大な信頼を得ている。

大学は長期に亘り在籍したものの、
『医者になった自分の姿を想像できない』
という理由から退学している。」らしい。

彼の『東大家庭教師が教える頭が良くなる勉強法』

受験しないサラリーマンにも、誰にでもマンパワーアップのためになる

オモシロそうな本です!

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太陽は語る。ダ・ヴィンチも語る。和田秀樹も語る。

P1080378 久しぶりに朝日を見る

6時15分から25分くらいまでが
今、盛岡の朝は旬である。
わずかな時間だ。

太陽が全容を現す前の
このわずかな時間
雲は黄金になり
黄金のままに
黄金の種類を変えながら
輝き続ける

この星は
太陽から生まれた。

この星の
生物は
みな
太陽にあこがれ
太陽を目指して
進化するように
仕組まれている。

究極のたどり着くべき所
至るべき境地。

もしも人生で迷ったら
太陽を目指すがよい。

もしも人生で何もかも
わからなくなったら
太陽になるがよい。

ダ・ヴィンチは言った
「太陽はいかなる影も見ない」

私の敬愛する精神科医・受験界の
神様、和田秀樹氏は定義し言う。

「優秀な人間とは、人の、物事の
 良さが見える人間、
 そればかり見える人間」

見事な、すばらしい定義だ。

確かに、私が、この人生で
出会った惚れ惚れする有能だったり
優秀だったりする人間は

男女問わず
好んで人の悪口を言ったり
不平や文句言う人は
一人もいない。

結果、和田さんの言う通りであり
この表現もありなわけだ。

人の集まるところ
会社でも、どんな組織でも
家族や、夫婦・恋人関係だってそうだ。

人の良さ、物事の良さの見える人、
そればかり見える人は
組織を発展させる。
人間関係を進化、発展させる。
豊かにし、楽しい空間にする。

ならば、まさにそれこそ
優れた能力と言えるだろう。
そういうことのできる人を
優れた能力のある人と
言わず、どういう人を
優れた人というべきであろう。

その反対の人は、
家族、会社、その他、様々な組織
恋人、夫婦、友達、兄弟・親子
様々な人間関係に
逆の世界を作り出す
逆のベクトルを持つ
残念の人だ。

人の悪口は、時に
柿ピーやポテトチップスより
美味しく感じる時があるかもしれない。
けれど、それは、細胞を蝕み
体と人生を毒まみれにする。
そういう話でしか
意気投合できない
友人、人間関係は

ちょっぴりみじめだ。
色っぽくない。
カッコよくない。

いずれ

和田秀樹が、有能な人間を

「人の、物事の良さが見える、
 良さしか見えない人間」

というこの定義は
現実の社会、生活における
深い洞察からくる
非常に具体的、実践的定義であり
オリジナリティーに溢れた
すばらしい定義だ。

東大理Ⅲを独自の勉強法を
開発し一発合格。

     
    <東大がなんだ!>

    「別に権威的な話をしたのではない。」
    「多くの人がわかり易い、目標設定と
     実現モデルとして引き合い出しているのだ。」

    <なんかでも時々、鼻につくよ。>

    「私の不徳と致す所です。でも、ゲオで1週間
     21冊レンタルしたコミック『ドラゴン桜』、私は何度も
     何度も涙溢れ、泣きました。
     東大受験感動ドラマ。いろんな勉強になります。
     お勧めです。1週間10冊以上、レンタル料激安!」

自分が合格してからは
今度は、弟を自らの

指導で東大に合格させ
その後、展開する受験ノウハウの
核を確立した。

医学部では自分の興味を優先し
精神医学を研鑽。

現在に至るまで、怪物のごとく
精神科医として働き
次々、本を出し、講演、セミナー
テレビのコメンテーター
として大活躍している。

私は、彼の若い頃からの
20年来の愛読者
存在のファンだ。

彼もファミレス、コーヒーショップで
仕事をするのが好きだ。
わたしも、何度も言ってるが
マックやドトールで書いたり、
打ったり、練ったり

制作をするのが大好きだ。

仲良し。<勝手だ!>

そうそう
この気持ちいい朝
朝日をみた感動で
言葉が訪れ
マックに飛び込んだ。

すぐ近所に24時間ではないが
朝6:30からやってる
マックがある。いい所に、越して来ました。

以前にもマックが仕事場という
ようなこと書いたことがあるが
私のブログを読んでくれた
弟の友人の東京で活躍する
イラストレーターさんが
私は会ったこともない方なのだが

「お兄さまに」と
マックのコーヒー
割引券でなく
なんと、無料券を数十枚
送ってくださったのだ。

ありがとうございます。

お天道様、
私は、しあわせモンで
ありやんす。ウルウル。

Jpg_3
黄金の雲のドラマの後に
いよいよ、眩しく大きな光の塊、
太陽が姿を現す。

自分が
光と時と星のかけら、星粒で
出来ている生き物、
存在であることを
実感する。

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ポメラを越える新商品を企画!恐るべし、インド・中国。

Jpg_2 ポメラは本当に重宝してます。
実際、起動が早い。
とりあえず、急ぐときは
閉じるだけで、電源オフの作業も
必要ない.

デジタル変換出来る
究極的メモ帖として
それだけでも
存在価値がある。


そして、ポケットに無理なく
入る大きさというのもいい。

バッテリーが充電地で
済むのもいい。充電が利かなくなっても
2本で1000円もしない。

と、いうことで
実際、この数ヶ月使ってみて
文章を書く人には
間違いなく
お勧めである。

ただ、画像処理はできない、ネットとは
つなげることができないというのは
無線ランのノートパソコンや携帯に
比べると、そのことでは
もちろん役不足であり
また、わかってのことである。

ところが、待てよ。
携帯電話に、ポメラのキーボード部分だけ
さらに分化、特化させた商品があったら
どうだろう。

これは、すごい発明、アイディアだ。
しかも、5000円くらい、
せめて9800円くらいの
1万円割る価格で出来たら
ものすごいヒット商品だ!!

われわれおじさんには
あのケータイのキーボード打ちは
相当なストレス。
これを解消できる。

しかも、ケータイなので
パソコンにそのまま文字情報をメールで

送ることが出来る。

問題は、携帯の充電の弱さだ。
30分、1時間も、2時間も
打っていたらすぐバッテリーが上がって
しまいそうだ。充電できる環境であれば
何とかなるかもしれないが
この問題がクリヤーされなければ
携帯で今まで打っていたメールのストレス
を感じないで済む便利なキーボードツール

というだけで、ポメラ、ノートPC代わりとはいかず
この画期的なアイディア、商品も
終わってしまうだろう。

と、出来れば画期的発明で、どっかの
メーカーに売り込もうと本気で思っていながらも

「そもそも、閃いたものは既に
 商品になっていることも多いんだよ。」

私のアトリエに通う
メンバーと話していたのだが
彼が帰った後、ネットサーフしたら
たどりつきました。

私が、言ったコトバ通りでございました。
既に商品になってました。
しかもポメラよりも先に商品化
されていたのだ。

ここにURLを貼っておきます。
どんなものか見てください。

http://www.vshopu.com/item/0379-1002/index.html

ポメラは、むしろ、これらを
参考に触発、応用された
後発の物というのが判明。

いずれ、携帯の十分なバッテリーがクリャー
されなければ、まだまだ、文書きにとって
ポメラの牙城は揺るぎない。

それより、何より
世界のパソコン市場は、恐ろしいことに
なっている。

インド、中国が怖い。
中国のハイビジョンというメーカーが
1万円の世界最安ノートパソコン作成の成功。

インドはさらに、現在、20ドル、
1800円で買える
ノートパソコンを開発中である。

インド、おそろし!

インドのおそろしさは、また、後で
書きたい。

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強運男の正体!今日から、みんなで仲良く強運男、強運女!

Jpg  大学の後輩から、あるマスコミの一次試験合格の

報告があった。とても、前向きで、すべてに挑戦みたいな

気持ちのいいメールだったので、私もついつい釣られて

彼に、いいメールを出してしまった。

<自分で、いいメールかよ!>

<しかも、「しまった」かよって、さらに微妙に、いやな性格じゃない!?>

そのメールをここに、発表します!

名づけて「強運男の人生」

<メールにいちいち名づけるな!!>

「○○テレビの採用試験、1次試験に合格
おめでとうございます。

2次は、面接ですか?筆記ですか。
試験内容、わかる部分があったら教えてください。
業界の友人がいるので、アドバイスができるかもしれません。

運のいい人とは、実は、存在しません。

どういう結果であろうと、どういう状況になろうと
その時点の絶えずベストを尽くせる人、
ポジティブな選択をし実行し、出来る限りの努力を
し続ける人のことで、そういう人の人生を
5年、10年、20年のスパンで見ると
「あの人は、運のいい人だ!」となるんです。

たとえば、あの時、リストラになったから大社長になったとか
病気になったから大作家になったとか、
人々は結果、そう語り会うのです。

運のいい人の人生とは、

トラブル、事故、問題、課題のない人生ではなく

また、それらのまったくない人生も望めず


これが、実質的な運のいい人の正体
強運の男の正体なのです。

以上。幸運を祈ります。

Do your best as you can、now &Today!

そして、今は、もう一度、来ない!


ナカムラユウコウ」

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えっ!歌詞をコピーできるサイトがあるなんて!

歌詞変換サイト、発見!

ユーミンの「緑の町に舞い降りて」という
盛岡をモチーフ、舞台にした歌の歌詞が
知りたくてネットサーフしてたら
素晴らしいサイトを発見!!!
是非、皆さんにも、ご伝達、おすそわけ。

私も時々、悩んでいたのです。

「うたまっぷ」や「歌詞ゲット」などの
歌詞検索サイトで、自分の探していた歌詞を
コピーしようとしてもできません。

・・・・

コピーもできなければ印刷もできません。
その歌詞が欲しい時はどうすればいいのでしょうか?
何かコピーの仕方はないんですか?

なんと、なんと

歌詞変換サイトがあるのです。

「うたまっぷ」や「歌詞ゲット」で
検索したサイトのURLをこちらのサイトに貼り付けて
プッシュし、クリックするとコピー可能です。

http://strange.toheart.to/lyrics/lyrics.cgi

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ユーミンさまのミッション

Jpg_2 拝啓

ユーミンさま。
久しぶりに、ユーミンさまの歌を聞きました。

昨夜、探し物のCDがあって数百枚にのぼるCDの捜索、兼、この際にと、整理をしました。

何枚ものあなたのCDを見つけました。

今、あなたの歌を久しぶり堪能しながら
ブログを打っています。

学生時代
いつも
BGは、ユーミンさまでした。

僕と僕らの
そして日本中の若者の
夢と不安と

恋と友情

いつも
BGは、ユーミンさまでした。

大学の先生が定年退官で
今、大学の図書館のギャラリーで

記念の展示会をしてます。

その準備のお手伝いのため
ここのところ頻繁に大学の構内を
歩き回っています。

レポートを書くために通った図書館
安くてうまいカツどんとカレーを
食べに通った中央食堂
時間をもてあませばぶらついた
購買部の書籍コーナー

懐かしい思いが溢れて
時間はタイムスリップし
すっかりおじさんになった
今の自分をしばし忘れてしまいます。

学生時代。

雪のちらつく中を
大学から大通りのギャラリーに向かって
研究室の仲間と
ちんたらおしゃべりしながら
街中を歩く
大風呂敷と大ホラ吹きの
行進でした

なんの力もないのに
世界は既に射程距離で
舞台は既に世界で
手元には
技術も経験も作品さえない。

それでも、たまたま
こんな北の小さな田舎町の
地味な国立大で
偶然であった友が
みな、天才に見えた

大いなるナルシズム時代。

そして、いついかなる時でも
いつも
BGは、ユーミンさまでした。

実際、研究室には
いつもユーミンの曲が流れていました。
油絵具と揮発油とコーヒーとタバコの臭い

そしてユーミン

花の東京の美大の現役女子大生で
デビューしたあなたは
名実共に
僕らの憧れでした。

倉木マイや宇多田ひかるや誰やら
赤ちゃんの時から
ロック&リズム&ブルース
アメリカン・ヨーロピアンポップスで育ち、
そのリズムとメロディーが
自然血肉になっている若い才能が出始める

ちょっ前からあなたは、少しヒット曲に
苦労し始めた、気がします。

市場も中学生へのセールスを
考えなければヒットは望めない。
おこちゃま対策必須の日本市場。

きついですよね。
あなたの表したい世界を
彼らに痺れさせることは。

でもユーミンさま

あなたは
人生と日常を
ドラマ仕立てにしてくれる。

平凡な誰をも
ドラマの主人公にしてくれる
魔法使いです。
カミサマです。

そんな、ミュージャンは
いません。

どうか、あなたはあなたの
過去やあなた自身のヒットの模倣でなく
今のあなたが痺れる詩とメロディーで
ボクらをいつまでも
しびれさせてください。

生きていることは
ドラマだという
どんな人も、どんな人生も
みなドラマで、
それぞれにステキなのだと
語り続けて、歌い続けて
欲しいのです。

日本が世界に誇るステキなおばさま
ユーミン女史へ

愛を込めて

あなたの大ファン N・Yより

「卒業写真」http://www.youtube.com/watch?v=tvts_41CH98

「Hell old friend」http://www.youtube.com/watch?v=pXcxEeq0fHU

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人生のボディーブロー!

Jpg もう何十年も前のことだ。
私は、先生に、具体的に絵の技術的なことで、あれだこれだと教わったことは、あまりもう思い出せない。

いつもニコニコ、にやにやしていて、連発する駄洒落を聞いていた気がする。

ただ、私は、ある二枚の絵を褒められたことだけは
鮮明に覚えているのだ。

一枚は、裸婦の油彩の集中特訓の授業のあと研究室でモデルなしでイメージで描いたB4のコピー用紙サイズくらいの4Fの油彩の裸婦像だ。

もう一枚が、やはり同じ4Fサイズの
母と幼い弟がボロな我が家の前で
並んで立っている絵だ。

ほぼ、どちらも
「これ、ユウコウ君、描いたのいいね」
というようなコトバだったと思う。

私は、有名な絵描きになるか、芥川賞を取るため
大学を卒業したら東京に出る予定だった。

東京に行かなければ、有名な絵描きにも
芥川賞も取れないと思っていた。

ところが、今ひとつ自信がもてない
決断しきれてない、中途半端な気持ちだった。
私は、一応、「受けるだけ、受けるだけ」と
自分をゴマカし受けたら、悪い予感どおり
筆記の一次試験が受かってしまった。

やばい。

それから、数ヵ月後、季節は夏から秋になり
2次の面接がやってきた。

前の日から、私は、
「明日、2次面接に行くべきか?行かぬべきか?」
かっこ悪いが迷いに迷っていた。

「行って合格したら、俺は、一生、岩手で教員か。
 世界を舞台にしたアーチストはどうした。
 芥川賞はどうした。
 雑誌にインタビュー記事が載ったり
 テレビでの対談はどうした?」

私は、髭もそらず黒い革ジャン来て、
グレーのカラーシャツに細いネクタイをして
会場に着くまで何度か、引返したり戻ったり。
結局のところ面接会場に辿り着いていた。

いよいよ、私の番に来た。

面接の最中、当時の私としては
一番お行儀のいい格好、股を閉じてイスにキチンと
深く座り、両手を机の上にきれいに並べて、3人の
怖そうな試験管を前に質問に一生懸命答えていた。

ところが、その両手をキチンと並べて
机の上においていた、その手が良くなかったようだ。

真ん中に座る一人の試験官が、
なんか顔が気がつくと赤くなって来たかと
思ったら、突然怒鳴りだした。

私につかみかかろうかと思われる勢いに、
横に座る試験官が体を抑えて、
「まあまあ」となだめた。

私は何がなんだか分からず、発作でも持ってる人が
何の不幸か、突然、発症したのかと思いましたが
どうもそうでない。

「面接の時、机に手を上げて人の話を
 聞くやつがあるか!!!!!」

ということらしい。なるほど。

でも、今でも、そんな怒ることじゃないような気がする。

ただ、みなさんは「採って下さい、お願いします。」
と言う中で、革ジャン着て、髭ぼうぼうでお前、
なめとんか!
という感じに怒りトサカに来たり
という感じだったんだと思う。

そして、私は、面接当日の一連の様子を
大学で先生に、報告した。

先生は、
「それは、まずいね。」
「キミ常識ないね」とか
「厳しいな、採用は無理だな。」
「合格は、期待できないよ。」
「わかった、来年頑張ろう!」
とか、先生らしいこと
一言も言わず
笑い転げたんだ。

「ユウコウ君、おもしろいね。おもしろいね。」って。

ひどい教師だ。

私は、このリアクションは、選択肢の中になく
想定外だったが、どうしたことだろう。
先生が笑い転げるその笑顔と笑い声で
何か心が温まり力が湧いて来たのだ。

これで、迷わず来年は東京に行けるぞという思いで、
すっきりしたようなわくわくするような気持ちと共に
やはりどこか、世の中の権威から厳しく弾劾、裁定を
下されたような気もし、少々ナーバスな
気分にも包まれていたのも正直、事実だ。

でも、先生の笑顔と笑い声は

まるごと私という存在、そのものの全肯定のように
私の心の核にストレートに響いてきた。

ナーバスなひ弱な表層を突き破り
地の底からエネルギーが
湧きあがって来る感じだった。

先生の笑い声にダブって
私の脳みその中には確かに、先生の声が聞こえていた。

「いいんだよ、おまえは、それで、それがいいんだ」

「笑え、笑え、人生は、だから楽しい。人生は喜劇だ。」

Jpg_2

私は県の採用試験は、落とされる人間だが
少なくとも
最高学府の国立大の先生に、おもしろがられる
人間ほどではあるのだと、へんな自信を持って
また、その日から強く明るく生きるのであった。

年月は、流れる。
望むとも、望まざるとも。

大学を出て
20代、30代と
紆余曲折
とにかくとにかく
駆け回り
過ぎていった。

田舎ものでありながら
地図を片手に東京の街をうろつき
怖いもの知らずで一流出版社や有名ギャラリー
著名なデレクターを回ったり
海外のアート展に応募して、賞を戴き、
招待されてカナダのバンクバーで個展をしたりと
まあ、よく元気に歩き回った、動き回ったと思うが
そんな行動の底流に力として流れているもの

そしてその行動的な活動の渦中にも
それは、時に直面し襲ってくる
不安や迷いに打ち勝つ力となってきたもの

長い人生の中で
ボディーブローのように
利いてくるもの
利いているもの

そういう一つが、あの時の先生の思いっきりの笑い声や、
「いいねって」本気で言ってくれた一言、
そして、そのときの笑顔や眼差しなんだ。

そういうことが分析、考察できる今日この頃の
お年頃になってきた。

人生にはボディーブローのように
のちのち利いてくるコトバがある。
笑顔や眼差しがある。

私たちは、気づかず生きていることが多い。
とんかつや、ラーメン、マックや吉野家の牛丼を
食べているから生きているんじゃない。

私たちは実は、多くのそういうもので
生きているというのに。

不肖、私も、及ばずながら一人でも多くの
いや、たとえ一人だけでも、一発だけでも
ボディーブローを浴びるだけでなく
浴びせられる人生でありたい。

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いい時、晴れ舞台で感謝する難しさ

P1080279   いよいよ、本日は先生の最終講義と作品展が始まる。
印刷物と言うのは、本当にたいへんだ。これで、もう
大丈夫かと、思ってもポツポツ間違いがある。
開場9:00ぎりぎりまでまで、刷りなおしのビラと
差し替えたりと、やっぱり、ぎりぎりセーフだった。
イベントと言うのは、こういうもんだ。

 午後3:00からの最終講義。どんどん、集まり、
大学の先生、学生たち、美術教育関係、作家、
そしてマスコミ関係者等とギャラリーにびっしり
凡そ150名以上の大盛況の中で始まった。

準備もやりきった。
先生に恥ずかしい思いはさせない位の、準備は
できたと思う。

そんな中、最終講義は始まった。

先生にはやられた。

正直、言おう。

最後に、一言、もしかしたら
準備を手伝ってくれたということで
私の名前も出してくれるかな
とは思っていた。

ところがどうだ、先生は、開口一番に、
私の名前をあげ作品の選定から、
この展示会の設営、配布物と企画の
すべて彼にやってもらった
彼なしでは為しえなかった
本日を迎えられなかったと、
前の方で写真をとっている私の方に
手を差し伸べるのだ。

場の雰囲気、成り行き上
私も軽く立って会釈した。

確かに先生の話は、その通りである。

しかし、私は「その通り」に感動した。
先生の凄さを感じた。
「その通り」に言うのが実は、非常に難しい。

その通りに言わない、言えない人が多い。
いっぱしにキチンとなればなるほど

状況が好転してくれば来るほど
助けてくれた人への感謝は薄れ
人によっては意図的に忘れるように考え
成功すれば成功するほど
自分がクローズアップされ
自分の力にしたり、
横取りしたりするのだ。
それが、普通の人だ。

もちろん、私だって
相当に厳しく自分をチックし
注意していなければ
例外ではない。

P1080271
会場も見栄えのする形に決まり
多くの人も集まって戴き、ある意味、この日、この時の迎え方としては
文句なしの大成功だ。
 でも、そういう時になると、人は
助けられたこと、自分がカッコつかないことには
多くを語らない。

たいへんな最中に、感謝したりは誰でもする
おかげさまだ、助かった、ありがとうと。

例えば、あの場で先生は、こうあっさり
言うことも出来たのだ。

「ひっちゃか、めっちゃかで準備はたいへん
でしたが、教え子の○○君にお手伝い
いただき何とか本日を迎えられました。」

さらに、個人名を出さず、
「教え子たちに助けられ」という程度でも、
私を含め誰も文句はないのである。

先生には、冒頭に、しかもあれだけ
具体的に言わずに、スマートに
いくらでもあっさりと言い過ごすことが
出来るのだ。

先生には、なんのメリットもないのだ。

私は、駄洒落が大好きで話もあちこち飛び
脱線しハチャメチャな先生なのだが
人の誠意にはキチンと大人として
いや人一倍、最大限の感謝をする
ピュアなところが、先生の魅力であり
人徳なのだと、今、再び敬服した。

格好つけない。
横取りしない、高潔さなのだ。
幅の広さであり、深さであり
温かさであると、改めて感じた。

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大学の恩師の種倉紀昭先生の最終講義&作品展

退官記念行事:種倉紀昭
最終講義&古典技法作品展

2009・2・13(金)-19(木)
岩手大学図書館ギャラリー

75_3_2

 明日から、大学の恩師の退官記念行事の
絵画作品展が始まる。
明日、初日15:00からは、約1時間、
最終講義の位置づけで、作品を前にギャラ
リートークがある。

大学には門に守衛さんがいるが、
「図書館に行きます。」といえば、
誰でも通してくれる。車で行けば、
駐車場も説明してくれる。

成り行きで、いつの間にか、昨年暮れから
教え子代表みたいな感じで
このイベントの企画、設営に全面的に
お手伝いさせてもらった。

学生時代も、行ったことのない先生の
ご自宅兼アトリエに行き
見たこともない数十年の作品の山を
一枚一枚選び、展示会に
ストーリーを持たせた。

本当に、いそがしい数ヶ月だったが
出来ることは、全てやってあげた。

今、先生にとって最後の教え子になる
研究室の学生たちと準備が
終わり会場の図書館の駐車場に
向かった。

それは、それは、美しい夕日が
待っていた。

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画家の弟から似顔絵届く!もう一度似顔絵に挑戦!

画家をやってる弟の中村太樹男から、

先に話しました似顔絵ソフトで

もっと上手に出来たからと、メールで私の似顔絵が

届きました。ありゃ、私が作ったのよりだいぶ似ている。Yubinjpgyukou

で、自分のも作ったというので、それも送ってもらいました。

私のよりさらに、よく似てます。Middle_1234203640

画家の弟、中村太樹男です。で、どれだけ似てるかというと

本物は、こんな感じです。Middle_1234174420

これは、彼のブログからです。プロカメラマンの私たち二人の

友人の大谷広樹君の撮影で、彼も、ボクシングをやってますが

被写体にボクシングを取りたいと、お手ごろにお友達の弟が

めでたく選ばれました。何枚か、アップしているので

この汗臭さにフェッチした人は、弟のブログ「つれづれ日記」を

見てください。

http://black.ap.teacup.com/nakamura-takio/

で、重要なことは、私は基本的に、この似顔絵サイトの使い方

で間違いがありました。というか、各パーツを選ぶだけで、

そのパーツごとに、大きくしたり、角度を変えたり、いろいろ

できることに気づかなかったのです。

弟には、「え、気づかなかったの、アホやな」だったか

「つめが、甘いな」とか言われましたが、その通りです。

でも、日本全国、世界には、私と手をつなぐアホさ加減

の人はきっといるにちがいありません。

もう一度、似顔絵ツールに挑戦してみてください。

画面右側に、大きくその加工するための矢印やスペース

が、ありますので良く見てください。

日本郵便カンタン似顔絵ツール

http://www.yubin-nenga.jp/nigaoe/index.html

ちなみに、私が、以前、このサイトの紹介と

実際に私が作った自画像を、今、再び。

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Yubin

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「出し惜しみと取り置き」厳禁!の巻き

Jpg_2  貧乏話も良かったけど、世の中、不景気。
億万長者の話の方がいいなって、
街で会った友人に言われました。

 ブログを書く上、文章を書く上で、最近
心の核に留めているお話があります。

 知人が、昨年、新幹線に乗ったら、
トランベールという無料配布の雑誌が
座席ごとに置いてあった。

パラパラめくっていたら、
内館牧子さんの、それはそれは感動的な
エッセーと出会ったというのです。

 私は彼にその内容を聞いて感動しました。
早速、コピーを貰い自分でPCで打ち直し
機会を見つけては友人や絵や写真、文章を
描いている創作仲間にあげました。

 誰にとっても、特に創作している人にとっては
本当に身震いする物があるのではないでしょうか。

 また、視点は違うのですがあの「蛇にピアス」で
芥川賞を20歳で受賞した美形天才少女の金原ひとみ

さんが、以前、雑誌ダ・ヴィンチの対談記事で、
自分の小説作法について語っていましたが、
これにも感動しました。

 彼女は、一番感動的な場面から書き始め、
何もプロットも決めずに書いていくというのです。

 クライマックスに使うため、大切に取って置き
そこに結びつけるように書くというのでなく
その一番書きたい、自分で痺れる場面が
スタートで後は、それが、引っ張って行って
くれるという趣旨の話をしてました。

 気持ちいい。いい女ぷりです。痺れました。

 そんなこと、心にとどめ私も文章を書いて
行きたいと思っています。


「踊り子号」の男 内館牧子

ある日、私は伊東に向かうために
「踊り子号」に乗っていた。
列車が湯河原を過ぎた頃だったと思う。
突然、嗚咽が聞こえてきた。
近くの席で、五十代かと思われる
男性乗客が泣いている。
彼は絞り出すような声で、連れに言った。

「女房、ずっと元気で生きてるもんだと
・・・頭っから決めてて・・・あんな急に・・・」
 彼と連れの会話によると、
三か月前に妻が事故で急死したらしい。
彼は妻を大切に思っていたし、
いつも感謝していたが、
それを表現しなかったようだ。

涙声で、
「旅行とか人気のレストランとか温泉とか、
行きたがってたのに、
俺は『定年後はいつでも行ける』
とか言って、仕事や自分のことを優先して・・・」
と言うと、連れに向かってつぶやいた。

「お前はちゃんとやってやれよ。
人なんて急に死ぬんだからさ・・・『後で』
って言ってると・・・相手がいなくなってる・・・」
私は窓外に輝く熱海の海を眺めながら、
遠い昔を思い出していた。

 

 脚本家の橋田壽賀子先生が『おしん』を
書かれている最中、私は先生の熱海の
仕事場に通っていた。

膨大な資料を整理する程度の手伝いだが、
卵以下の私にとって、
一流脚本家のそばにいられるのは、
何ものにも替え難い幸せだった。

 それから約十年後、私はNHK朝の連続テレビ小説
『ひらり』を書くことになった。
先生は大喜びされ、一席設けて下さった。

私は暮色の熱海が一望できる一室で、
たったひとつだけアドバイスを頂いた。

「出し惜しみしちゃダメよ」
これは強烈だった。

さらにおっしゃった。
「半年間も続くドラマだから、
ついついこの話は後に取っておこうとか、
この展開はもう少ししてから使おうとか
考えがちなの。
でも、後のことは考えないで、
どんどん投入するの。
出し惜しみしない姿勢で向かえば、
後で窮しても必ずまた開けるものよ」
 
実はその時、私はすでに半年分の大まかな
ストーリーを作り終えていた。
出し惜しみと水増しのストーリーだった。

熱海から帰った夜、私はそれを全部捨てた。
向き合う姿勢が間違っていたと思った。

「出し惜しみしない」という姿勢は、
人間の生き方すべてに通ずる気がする。
 私が伊東で下車する時、妻を失った彼は、
虚ろな横顔を見せて窓外を眺めていた。

橋田壽賀子もすごいが、内館牧子もすごい!

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億万長者のまとめと考察 その2 億万長者物語の結びに

Photo
「キミの正体」   ナカムラユウコウ

もし億万長者になれない者がいたら
嘆くことはない。

おまえが、その尊い
かけがえのない全人生をかけて

おまえがおまえを自覚し
おまえを維持、持続して
この宇宙にたった一人の
一度きりの、そのおまえのその人生を
かけて使って、目指すべきもの
獲得すべきところは
億万長者ではなく

億万長者以上の者だからだ。

いくらお金を積まれても
絶対売れない、譲れない、失いたくないもの
一つ、二つ、三つ四つと
多くの愛するものを持つ者よ

小さなものから大きなものまで
その生活が、多角的に多視眼点的に
愛に満る生活と人生を持つ者よ

莫大な宝や財宝やお金
無尽蔵の株券や証券でも
取り替えることの出来ない

多くのものを持つ者よ。

すでに億万長者の者たちよ。

億万長者になりたいと嘆く今日までの
その愚かさに目覚めよ。

既に億万長者たる
深き強き誇りと自覚で
大らかに生きよ。
はっきり生きよ。すっきり生きよ。

心の底で、漠然と目指し焦がれていた
億万長者を目指す人生の浪費から
自らを救い出せ

そこは目標点ではなくスタート地点だ。

さらにさらに1億円以上のこと
10億円、100億円以上
金に換えられぬもののために
全能力を全開せよ。
自分と自分の人生を使い切れ。

この詩、ツァラトゥストゥラが
入ってますよね。
「座右のニ-チェ」の齋藤孝さん、
いかがでしょう。!

あっ、それと、それと、ステキな歌をYouTubeからおひとつどうぞ

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億万長者のまとめと考察  その1まとめ

Jpg 1.まず億万長者になったら、自分がやることを
  出来ることから、出来る形で、出来る分
  今すぐやろう!

  その瞬間、あなたは億万長者に一瞬にして
  生まれ変わる。

   例えば、少し例を出そう。億万長者になったら
  絵本とか作りたい、描きたいというのであれば
  すぐ今日、今すぐ文房具店に走り、スケッチブックと
  絵具を買おう!好きなコーヒー豆はなんだ。
  メキシコか、フレンチか、ブラジルか、キリマンか。

   今日から10時以降はテレビを消して、
  ヤフーミュージックを聞きながら、お話を書こう。
  イラストを描こう。7時に起きていたのを、明日から
  5時におきて、今までに存在しなかった人生の時を
  2時間作って、美味しいコーヒー飲みながら
  創作しよう!勉強しよう。

   もし、億万長者になったら、親を日本中の温泉に
  美味しいのを食べながらつれて行きたいというのであれば、
  こんどの休みまずは花巻温泉(ローカル固有名詞:
  岩手県の花巻市周辺の温泉地帯)に連れて行こう。
  そして、おいしい1000円もするソバでも食べよう!などなど。

2.1億円乃至3億、5億、10億と、またいくら積まれても
  絶対売れない、譲れない、失いたくないものを、明確に
  脳に、意識にあげよ。できれば、紙に書き出せ。

   例えば、それは普段ついつい喧嘩になってしまう
  奥さんやご主人の名前かもしれない。

   つぎつぎ手ばかりかかるドラ息子、バカ娘の名前
  かもしれない。

   グチっぽく、憎まれ口ばかり叩く、
  ひとつもかわいげのない、
  それでもやっぱり死んでしまっては二度と
  会えない、何もしてあげられない
  宇宙にたった一人の実の母だったり、父だったり
  姑の名前かもしれない。

   最も、自分が不遇で、関わっていても
  何のメリットもない辛く悲しくさびしい時、
  傍にいつもと変わらずいてくれた人、
  あるいはそういう時に、傍によって来てくれた人の
  名前かもしれない。

   ポチやタロー、ミケやミミかもしれない。

   それは、自分が癌になった時

  「どんなことがあっても、岩にかじりつきながらでも
   お前より長生きして、たとえこの世界にたった一人
   になってもお前と一緒に戦い、一緒に生きていく。
   お前を守り抜く。それが、誰がなんと言おうと
   俺の人生であり、俺が大好きな俺の人生なんだ。
   出会ってくれてありがとう。愛してる。」

   という、手術の朝、貰ったご主人のへたくそな文字の
   ラブレターかもしれない。

  それは、思い出かもしれない。
  それは、それは、とてもきれいで大きな大きな決心、
  強い強い覚悟の思い、志かもしれない。

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やがて、この町、この星に溢れる億万長者

Jpg 貧乏物語から、突然、億万長者づいて来ました。

私はよく講演で、会場の人たちに話しかけます。
質問したり、なぞなぞを出したり
意見を聞いたりします。

先生や、時に、校長先生にも声をかけます。

さらには、私は、その場で、
手足をよく動かすだけでなく
体ごと縦横無尽にあちこち跳び回ります。

ある日、ある時、
中学生、父母、教師の集まりで
講演の終わりに近づいて来ました。

 「さあ、みなさん、今日は、こんな悪天候の中
  お話を聞きに来てくださって
  ありがとうございました。

  お礼に今日は、皆さんを全員漏れなく
  億万長者にしてからお家に帰しておあげします。」

会場は、どよめきます。あちこちで
笑い声が起こります。

 「ただし、ただとはいきません。なんだ
  億万長者になるのに、お金がかかるのか
  というと、そうではありません。

  一つ、二つ私の質問に
  答えて戴ければいいのです。
  なんだ、そんなことか、お安い御用と
  おお思いでしょう。そう、お安い御用です。」

 「それでは、いいでしょうか。
  そこの赤いジャンバーのお母さん。
  よろしいでしょうか。」

 当てられた人は、キャーとか、わーと、言いながら
 会場は、盛り上がり、私は、次々と当てて、
 何人か質問していきます。

 「それでは、お母さん。この会場に、お子さん
  いらっしゃいますよね。息子さんですか。
  娘さんですか。」

 「あっ、そうですか。息子さんですか。
  かわいいですよね。そうですか、そんなに
  かわいいですか。
  そのかわいい息子さん、是非、1億円
  で売ってくれませんか。」

  ギャーとか、キャーとか笑い声で
  会場は大盛り上がりだ。

 
 「ダメでーすか。本当にダメですか。
  じゃ、5億円なら、いいでしょう。

  あら、お母さん、迷わないで下さい!」

  会場は、どっと笑いに包まれる。
 
 「そうですか、ダメですか。
  迷いは、ありませんか。
  今なら、間に合いますよ。」

  お母さんは、いやでーす!と、
  泣き笑いで答える

 
 今度は、生徒に当てます。

 クラブを聞いて、
 クラブでの今日までの思い出、
 そのクラブの友達との今日までの思い出を
 1億円で売って欲しいという。
 
 生徒は、「いいよ。」と笑って答える。
 あちこちから、笑いと共に
 「売るのかよ!」とかいろんな声が聞こえる。

 「中学生になって、初めて顔を合わせ、
  友達になり、そして、毎日の苦しい練習も、
  雨の日も風の日も共に頑張って来た。

  クラブの友達って、けっこう一生の友達。

  いろんな大会で、勝ったり負けたり
  共に泣いたり笑ったりして
  君は君の中学時代を作ってきた。

  その思い出と、クラブの友達まとめて
  1億円でどうだ。一億円で売ってよ。」

 私は、そう言って中学生を攻め立てる。
 生徒たち一人ひとりは、自分に言われて
 いるような気持ちになって
 クラブ活動の3年間を振り返る。

 クラブ活動を中心に中学時代全体を振り返る。

 「売らないよ。」とかというマジな声も
 あちこちで、聞こえたりする。
 
 そして、突然、私は、今度は、
 お孫さんのいそうなご年配の先生に当てる。

 「一番大切なものは?」
 というと生徒だと言う。

 「それは、無しで」と言うと、お孫さんだと言う。

 やった、図星だ。思った通りだ。今日は行けるぞ、
 と、私は思う。

 「あら、お孫さんいるんですか。何歳ですか。」

 「3歳です。」

 「可愛いですか。」

 「可愛いです。目に入れても、
  口に入れても痛くないです。」

 「そんな、可愛いんだ。じゃー、そのお孫さん、
  どんと3億円からいかがでしょう。
  3億円で売ってくれませんか。」

 「ダメです。十億円でも売りません。
  お金には換えれません。」
  人によっては泣きそうになって言います。

 
  そして、それから、私は、突然、固まる。
  固まって、少しずつ目だけ
  大きく見開いていく。

  会場のみなさんは、静かになる。
  何事かと思う。

  生徒数百人、それに父母、先生。
  みんな一瞬静まり返る。
  体育館の広さに気づく。

  その最高の間合い、瞬間に、私は言う。

  その日、一番の気持ち低音の入った
  いい声で、話し始める。

 「億万長者にしてあげるために、
  
  その前に少し

  質問に答えてもらおうかと思ったら

  ここにいる人は、

  みんな

  既に億万長者だ!

  たとえ財布には2348円しか入ってなくても
  1億円以上、3億、5億、10億円以上のものを、
  
  ここにいる皆さんは

  この人生に、

  この学校の中に、お家の中に、

  この星の上に

  心の中に持っている。

  
  1億円以上、3億、5億、10億円以上の
  のものを持っている人を、
  億万長者と言わずして
  なんと言うのか。

  そういうあなたたちを、なんと、呼ぶべきか。

  あなたたちこそ、億万長者だ。

  状況と、すべてがうまく盛りあがり決まると
  会場は、涙、涙の洪水だ。

  さて、このお話の、結びに
  一つ、コトバをプレゼントします。

  ギリシャのある哲学者は言う。

  「不幸とは幸福に気づかない状態を言う。

   不幸な人間とは、

   幸せに気づかない人間のことである。」と

  ナカムラユウコウの新訳コトバ辞典より

 億万長者:1億円以上のお金を積まれても、
 失いたくない愛するものを持っている人。

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村冶佳織のお父さんが先生のギタリストの少年。そして、そして億万長者になる方法

Photo_2 随分と、長らく貧乏だなんだと,
しけた話ばかりを続けてしまった。

私は、ここ数年、小学校や中学校、はたまた父兄や先生の前で
講演する機会が増えてきた。

いろんなテーマはあるのだが、人生における夢、
目標設定の意味と獲得の仕方。
創造的生活や創造の技術、毎日を楽しく活き活き暮らす技術
などなどのテーマが多い。

そんな講演の中でたびたび話す話というか、やることがある。

そこに話を聞きに来た人、来ている人を、
全員億万長者にして帰すのだ。

私は、ここ故郷、盛岡に戻って十数年が経つ。
その間、私立の高校で美術を教えていた。
その中に、たまたま個人的に知っている方の
ご子息がいた。

彼は、なかなか絵もおもしろい。
絵もというのは、彼はギターが本職だからだ。

東京から越してきた子で、東京に住んでいた小学校時代は、
あの美人でキュートなギタリスト、村治佳織
父村冶昇氏
にギターを習っていた。

村治佳織さんも父からギターを習っていたのだ。
最近は、弟さんの村治奏一君もコンサート、CDと頑張っている。

ある日、あるイベントで彼にボランティアで
ギター演奏を頼んだ。彼が高2だった。

朝早い、といっても8時過ぎに車で迎えに行った。
迎えに行くと、起きたばかりで朝飯を食べていない
という。

そこで、途中、コンビニに寄った。

パンと牛乳というもっともシンプル、素朴なメニューだ。

私は、時間もなかったので色気もおまけもなく、
最低限の組み合わせだったのだが、
「おごりだよ」というと、可愛いことに嬉しそうに、
「先生、金持ちですね。」という

彼の一つ一つの反応が純粋でおもしろい。

で、私は言った。

「何をバカなこと言っている。
 先生は、こんなモンじゃない!
 実は世界的に有名なイラストレーターで
 本や雑誌、その他、もろもろの印税だ
 何だと、毎日、いらないと言っても
 がっば、がっぱと銀行にお金が
 入って来て、どうしようもない。

 億万長者なんだ。」

彼は、高2でバカでない。
十分に、この話が完全なウソであることは把握している。
うそに決まっているこんなばかげた話を
ニャニャしながら、ウソでしょう、ウソでしょうと
独り言のような言葉を発しながら、私の話を聞いている。

 「おまえ、バカにしてるな。信じてないな。
  本当に先生は、億万長者なんだ。
  いいか、先生は、既に本当に億万長者だけど、
  もし、ああ、この人間の言葉の限界。
  もし、億万長者だったら、何をすると思う。
  朝から晩まで、絵と文章を書いているよ。
  先生は、朝、4時、5時に目が
  覚めるとふた寝しない。

  ぱっと目を覚まし、楽しい一日が始まるのだ。
  そして、億万長者になったらやる、絵と文章を描く。
  散歩をし、朝は早くからやっている安い100円、
  150円のコーヒーを飲みながら、絵のエスキースや
  イラストや文章を書く。

  億万長者になったら、
  やることを既に毎日やっているから、
  先生は、億万長者なんだ。」

彼の顔から笑顔は消えていた。
目がうるうるし、私の話が終わるや否や、

「先生は億万長者だ。先生は、億万長者だ!」

と叫ぶのだ。さらに、

 「いい話を聞いた。すごい話だ。
  お父さんとお母さんに教える。」

なんていい子だ。そして、この話をここまで
感動する高2の男の子は、やっぱり天才だ。

やはり幼い頃から一流の人間の所で、
一つのことのことを、やっている人間だ。

利発で多感な女子高生ならいざしら、
高校生の男の子が、ここまでこの話の本質に感動し、
それより何より、いい話だ、お父さん、お母さんに
教えるというこの、性格の良さ、
ほのぼのとした予想される家族関係

そういう全てに感動して私も涙が溢れて来て
泣きそうでした。

 わたしは、

 「よーし、おまえもこの話しを聞いたからには、
  億万長者だ。億万長者の仲間入りだ。」

 と先生ぶって、強がって言うのが精一杯でした。

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私の性格を全面改装した母の8秒の言葉

Jpg 私は15歳から、これまで兄弟喧嘩をしたことがありません。
ある時、というかある瞬間に性格が変わりました。

今も、攻撃的な短気な本質は、変わってないかもしれませんが
少なくても表出される行為、振る舞いは、
気長で穏やかな人柄ということになっています。

それまでの私は、とにかく短気で激情型でした。
というか、気短かで、すぐ怒り、その上、生意気で
こずるく、小賢しい、いやなガキでした。

すぐ上の、兄貴は、一番の遊び相手であり
語る相手でしたが、同時に15のその日まで
本当に取っ組み合い、殴り合いの喧嘩もしてました。

ほとんど全て95%が、私が、生意気で、口達者で
ずるくて意地悪なために起こる喧嘩でした。
例えば、テレビの傍に私がいるので
兄がテレビをつけてくれと言うことに対して
なんか素直に言うことを聞くのが
兄という権威に屈したようで素直になれない。

「なーに、自分で、つけたらいいじゃん。」
などと返答して、更なる申し出を、無視する。

そんなやつ、誰でもムカつきますよね。

ところが、ところが、中3のある冬の日
だったでしょうか。

やっぱり何かで、兄と言い争い喧嘩になったのです。
その一部始終を、隣の部屋で母が聞いていたようでした。
私が母の部屋を、通り過ぎようとした時でした。

私の名前を呼び、話しかけて来ました。

私は母に勉強しろとか、どうしろ、こうしろと
説教されたことも一度もありませんでした。

教育ママゴンとは、程遠いというか
まったく無関係、別の世界という感じで
国民高等小学校しか出ておらず
気の利いた小賢しいことは言いません。

それに、母にとっては、私は、たいへんな姉の看病も
手伝ってくれ、家のことも手伝ってくれる
気の利くしっかりした子で、勉強もだっまっててもする。


どっか我が子といえど、微妙に気を使う
なんかちょっと子ども扱いにもできない
へんな気遣いをさせる子供だったような気がします。

だから言いたくてもずっと
我慢していたんだと思います。

でも、私の理不尽なまでの我がままさに
兄に対する生意気さに、とうとう堪りかねたのだと
思います。

母は、兄には聞こえぬよう小さな声で言いました。

「ユウコウ。
 夜、疲れて眠むたいとごろ、学校さ行って
 昼間、働いて、給料ほとんど家さ出して、
 少しの小遣いから本だ、服だと、
 買ってけでんだから
 少し言うごと聞がねば。」

私は、母のこのコトバが、
しばらく理解できませんでした。
時間が止まったように
まるでスローモーションでことば、一文字一文字が
脳みそに入って来て、そして、ものすごいスピードで
その文字が解析されました。

根本的に自分で自分を完全に誤解した幻想の自分が
砂上の楼閣の大地に立っていることに
気づいたのです。

私は、ひどい人間である。
私は、自分を立派な人間だと
思っていたのです。
私は、いやな人間でした。

人の思いや愛情に感謝どころか
気づきもしない
傲慢で、不遜な人間でした。


それなのに私は、その対極の側の人間として
自分を捕らえていた愚かさに
恥ずかしさと情けなさで
まさに、穴があったら入りたいという思いで、
打ちのめされていました。

それは、思考とか、反省とか
のレベルではありませんでした。

母のその言葉の一文字一文字のその強烈な記号が脳の中に
入っていくごと、私は、体の60兆の細胞から
スーと力と、エネルギーが消えてゆき、
血の気が引いてくのを感じました。

私は、その母の話す数秒の間に
人生最初にして最大の自己嫌悪の
鳴門の渦に浮かぶ一枚の木の葉のようにくるくる回され
飲み込まれていく自分の身体を感じました。

私は、この母の数秒間の話を聞いてから後
一切、兄と喧嘩をしなくなりました。


それどころか、まったく全てに誰にも怒らなくなりました。
全てに気短で、イライラし、けんか腰になっていた自分が
その時から、怒らない、気長で穏やかな人間に

キャラが突然、変わったのです。

ですから弟は、その時、弟が小4か小5の時以来
一切、私が叩いたり怒ったりしなくなり
中学、高校の勉強においても、そして彼が画家になる時も
なってからも影に日向に
人生のさまざまの局面で
いつも励まし応援し、穏やかでやさしーく接して来た為
そういう楽しい八丈島の強烈な思い出のようないい記憶だけが
支配して、それ以前の、記憶がまったく消えてしまって
どんなに、私がぶん殴ったり、叩いたりしたと
力んで言っても、「そう自分で思い込んでるだけで
そんなことない!」と、本気で完全否定するのです。

その事実を記憶喪失した人のようにまったく
認めません。

Jpg_2 私を、まったく怒らない
カミサマか、ホトケサマのように
思っているんですね。

人間の記憶力、記憶のシステムとは、本当に怖いものです。

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小5、初めて見た青い海。少年よ、大志を抱け!

Photo 初めて、青い海を見たのが小学校5年生の遠足の時。
宮古の浄土ヶ浜でした。

岩山を越えて、こわごわ外海を見ました。

ウォー!スゲーと思いました。

じっと見てると魔物の巨大な口に吸い込まれ、
引き込まれそうで怖くもありました。

水がこんなに一杯集まっているところが
本当にあるなんてね。

ただ、圧倒されました。

そうそう、こんなことはしてられない。

浄土ヶ浜の大きな岩で囲まれた波のない池のような所で、
私は限られた自由時間を、精一杯使って
脳みそに、体に、海を焼き付けました。

一匹でも多くの生物を見ておこう。見て帰ろう。
貝でも、海草でも、何でも
もって帰れるものは持って帰ろう。

5歳離れた弟に
「これが『海』という所の、『貝』というものだ。」
と高尚な講義をし、山分けする貝やら何やら
一生懸命お土産集めをしました。

強烈なインパクトで、惹きつけられ
水中メガネでずっと見ていたのですが、
あの巨大ナメクジみたいなウミウシは、触れませんでした。
もちろん、お土産候補からも外れました。

いずれにせよ、今でも治らぬ貧乏の後遺症。収集癖。

5歳離れている弟に、私はよく講義をしました。
小学校の校庭の土を盛った小高い山に登って
夕日に向かって
「少年よ、大志を抱け。
 夢を持て。夢を持たずに楽しく生きられるか。
 夢以上に、大きくなれるか、立派になれるか!」

弟は、意味も分からずに、それでも
「夢」を持たねばと、「夢」とは、そんなに大切なものなかと
こぶしを握り締め夕日に向かって
目を潤ませるのでした。

私、小6、弟、小1の図です。

そんな風に私は弟にいつも大風呂敷なことを
言って聞かせ続けていた手前
私が19歳、大学の1年生。
弟が中2の夏。

弟は、大の釣り好きで、秋田だか、山形のよく流されて
人が死ぬという川に、一人で釣りに行くというのです。

「危ないから、ダメ」なんていう言い方で
冒険心、ポジティブな思い行動を
止めさせるのは、私の流儀じゃない。
でも、心配。そして大風呂敷の私。

次の瞬間、突然。私は
「川なんかじゃなくて、八丈島、連れて行くよ!」
なんで八丈島!?

私は、ミスタードーナツのバイト、
夜9時から朝8:00のバイトを週に何度か入れて
いくらか小遣いがありました。

私は、小学5年で初めて海を見ました。
それまで、私は、なんど海を夢見たでしょう。

貝殻を箱にきれいに並べてくる友達の夏休みの工作を
毎年、毎年、来る夏、来る夏、
どれだけ熱い眼差しで見て来たでしょう。

海、行きたい。見てみたい。
ー家族で、海に行ってきました。ー
うわー、すごいな。

私は弟に、友達よりも早く、東京を見せたかったんですね。
当時、ここ盛岡の中学の修学旅行は、北海道でした。
南の島の岸壁で、南の海の大きな魚を釣らせたかったんですね。
ーパパと一緒に、川に、三陸の宮古に、釜石に、大船渡に
釣りに行ってきました。ー
を越えたかったんですね。

せこいこと、貧乏くさいことは、もうたくさんでした。
貧乏臭いのは、もう、私で打ち止めにしたかったですね。

東京は別の国でした。外国でした。
巨大なビル群、無数のライト、ネオサイン。

そして、眩しい青空、大海原、
船を追いかけて来るトビウオの群れ。

それを目で追いかけながら、なぜか、アリスのメドレーを
大声でハモりながら歌いまくる二人。

八丈島の防波堤の夜釣り。釣り好きの旅行客で深夜までの賑わい。
釣りました。すごい引きだった黒鯛や、でっかいウツボ。

南の島の植物、風物。食堂で食べた、あまり美味しくなかった、
ちょっと気の引けたトビウオ。

岩場から、何十回と太平洋に投げ込んだリール。

親子なのか、民宿のおばさんなのか、帰りの船。出港の汽笛。
涙する人たち。

突然の一言で、始まった夢のような数日間でした。

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小学6年修学旅行、お弁当物語

Photo_5 修学旅行の時、私は、前の日から、もう準備で落ち着かない。

 今の子供のように、のりで熊やパンダを作った弁当や、
さらには名前までのりで作ってくだちゃる弁当までは、無かったけれど、
すでに、あの時代でもハイカラな弁当はあって、
母よりそんなオシャレな友達の弁当をたくさん見て、
目の肥えている私は、花の仙台で食べる弁当は、
卵にタマネギ入れた卵焼きがドバーンとメインの茶色い弁当は、
合わないと仙台という未だ知らない大都会に気をつかい、
そこで食べるにふさわしい弁当を持って行かねばと、
自分でスーパーに行って、しかも、「明日弁当はいらないみたい。」
とかなんとか母を欺き、こっそり、こそこそ母が居ない時に、
工作のような色とりどりの弁当を作ったのだ。

 しかし、まずかった。母ちゃんのタマネギ入り卵焼き弁当の方が、
10倍も100倍もうまかった。

 今、思うのだが、私は、冷凍食品の揚げ物を、暖めも揚げもせず
キレイに弁当に並べたのではないかと分析してます。それでまずくて
きれいに並べたおかずは、なんだかベチャベチャになってて昼食場所の
八木山動物園のベンチのそばのゴミ箱に、友達に気づかれないよう
こっそり捨て、ご飯だけ食べた記憶があります。
カッコつけ、見栄っ張りにもほどがあります。ゴツン。

 でもあのころの私には、この日本には、田舎の岩手と、
花の大東京と、そして次の花の大都市、仙台しか実感として
存在しておらず、そのしかるべき大都会仙台では、
しかるべきジャンバーを着、しかるべき言葉遣いでおしゃべりをし、
しかるべき弁当を食べなければならないと本気で気遣いする
へんな子だったんです。今でも、そのへんな気遣い、
行き過ぎた気遣いする事があります。

 宿泊は、確か、松島のホテルでした。、夢のようなごちそうを食べ、
部屋で枕投げや何やら月並みなことをし、眠りについたのでしょう。
 夜中、ドアの開く音にふと目がさめました。
クマガイミヤコ先生が見回りに来たのです。
先生は私の方に近づいてくると、肩を出して寝ていたのでしょうか、
優しく布団を肩にかけてくれました。私は眠ったふりをしていましたが、
体中がほんわかと温かくなるのを感じました。。

 私は、クマガイミヤコ先生というと、なんと言っても、
このシーンを思い出し蘇るのです。

 私のおばさん好きは、こういうクマガイミヤコ先生のやさしさや、
新聞配達の時に、お駄賃やお菓子をドアノブにつり下げてくれていた
おばちゃんたちへの、感謝と愛情、いや、言うなら、恩返しみたいな

思いがあるのかもしれません。

 私は、カルチャーや高校で美術を教えるのをやめても、
盛岡に帰って来て以来、もう15年も公民館で十数名の
おばさまたちにパステル画を教えています。

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長靴スキー物語

Photo_3    みんなバネスキーで、あのガンダムのようなスキー靴を履き、私だけ長靴、カッコ悪りー。人一倍、根は格好つけシーの私だったがしかたがない。格好の付けようがない、白いマジックで、スキー靴のバネだ金具だを長靴に描いてもしかたがない。長靴スキーで格好悪いから学校いかなーい!と泣くわけにもいかない。冬は、毎日、スキーがある。ここは雪国だ。そんなこと言ったら、毎日、学校休まなければならない。超、体育得意のスポーツほぼ万能の私が、スキーの時だけ、冬場だけ、体育の時間だけ具合悪くなるわけにも行かない。

 何をぐだぐだ言っている。そもそも、長靴スキーだろうと、
何だろうと私はスキー大好きで、滑りだしゃ、
そんな事、忘れてる。どうでもいい。

 でも、ある日、大事件が起きたのだ。
担任のクマガイミヤコ先生に職員室に呼ばれたのだ。
職員室に行くと先生は、にこにこしていた。

「ユウコウ君、盛岡市から、スキーがプレゼントされました。」
といって、オレンジ色バネスキーと、
あの憧れのガンダムのようなスキー靴が、
先生の手から私に手に渡されたのだ。

おお、感動。高鳴る胸は、破裂せんばかり。

 職員室の壁には、オレンジ色のスキーが、
さらに5~6本並んでいた。

 もう6年ともなれば、大人だ。
これが、どいう理由で私の手元に届いたか、理由はわかっていた。
給食費を払わなくていい生活保護世帯の私と、
肢体不自由や脳性麻痺などの障害のある緑学級のメンバーと、
みんな仲良くオレンジ色のピカピカのバネスキー
が配給されたのだ。

 嬉しいような恥ずかしいような微妙な、年頃の私でした。

 クマガイミヤコ先生と言えば、シャチというあだ名でクラスには、
いやがる、とはいえ先生という権威にどうしても反抗という体制は
自然できあがるのは常で、特別、クマイミヤコ先生に問題があった
訳でなく、実際、私は、クマガイミヤコ先生が嫌いでなかった。
というか、どちらかというと好きだった。

 卒業アルバム編集やなにやら、クラスお楽しみ会企画や何やらと、
何かと、先生は、私を選んでくれたし、その放課後の打ち合わせ
の時には、チョコレートやあめ玉を振る舞ってくれ、
今でも脳細胞は、そのおいしさや甘さを記憶している。

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ホームレス中学生には、かないません!貧乏物語その2の巻

Jpg_4    ある仕事で打合せをしに行ったのですが、その人がブログを見てて、「もっと貧乏話聞かせて」って言ってきたので、打合せより、彼もほぼ同じ年代なので少年時代のあの頃話になってしまいました。

 ちょっと時代が違うかな、ヘビーかなと、ためらいも抱きつつ
書いたのですが、三丁目の夕日のようなノスタルジックな世界が映画になりヒットするのだし、こうやって興味をもたれたり、意外といいのかと思い直し、続編を書くことにしました。

 でも、貧乏と言ったって、ホームレス中学生の麒麟の田村裕のように、ダンボールは食べませんでした。
 食パンの耳を食べました。高松の池で、餌付けのおじさんによって与えられ、毎朝、白鳥が食べてるやつです。

 10円玉、20円玉、握り締め、初めの頃は聞かれもしてないのに「犬に食べさせるのでパンのはし切れください。」と言ってしわくちゃの大きな紙袋一杯に詰めてもらっては、人間8人で、お湯に砂糖を溶かして、それにパンの耳を浸して食べてました。米代、浮く。

 お米は、500円札、硬貨で余裕ある時、バラで買いました。
風呂敷もって母と買いに行って、母は米屋の傍の電信柱で、
立ち止まり、突然、忍者ごっこを初め、電信柱の太さに
ぴたりと身を合わせ、身を隠しました。
 私は別に「500円分、米、ください。」と言って買うのは
恥ずかしくありませんでしたが、母は、相当、根っからの
忍者ごっこ好きか、相当の恥ずかしがり屋さんでした。

 そうそう、小学校の1年の入学式。私は、4歳離れた兄が既に
使わなくなってひっつぶれてカビだらけになっていた
皮のランドセルを、何とか探し当て外の小屋から引っ張り出し、
カビを取り、それに黒い靴積み塗って、中履きズック入れは、
ゴミの廃品日の日に、廃品の中に、宝のように輝いていた
今だ磨かざるズック袋を見つけ、硬い洗濯石鹸を布に染み込ませ
ゴシゴシやってリフォームしました。私は、とくに悲壮感はなく、
工夫と努力をしているって感じでしたね。


 でもね、今でも、悲しい習性。ゴミの廃品の集まり見ると
宝の山、見るようにワクワクスするのね。

それより何より、
「一年生になったら、友達いっぱい出来るかな?」の方が
心配でした。

 というのも、お金がなくて幼稚園にも行ってなかったので
年齢の雑多な、それに4つ上の兄貴の友達が混じった隣近所集団
での身のふり、会話には慣れていたものの、同じ年の人間が、
百人も二百人も集まる世界、同じ年の人間が40人もいる教室
という世界は、ワクワクもし、恐ろしくもありました。

 でも別に怖いところではありませんでした。良かった。ホッ。
隣の席に座っている、ほっぺの赤い真ん丸いお顔立ちの
ユカちゃんが可愛いと思いました。
 小学校の間に、私、10人くらい恋したのではないでしょうか。
数週間から数ヶ月の一方的プラトニックラブです。

 
 私は、貧乏でいじめられたりバカにされたことがありません。
隣近所も、クラスの友達も、とてもやさしくいい友達ばかりでした。

 すぐ近所の大きなペンキ屋さんの御曹司のセッツ君は
普通の自転車の他に、今でこそよく見ますが、その頃では、本当に
おしゃれな直径20~30センチのタイヤのミニサイクルも買って
もらい、自転車のない私に、快く自然に、使わない自転車を貸して
くれました。ああいうのを、育ちがいいっていうんですね。
 彼は、今、芸能人とお金持ちの多い東京は目黒区で、三宅一生の
所で修行して、自分のブランド立ち上げ頑張ってます。カッコイー!

 みんないい友達でした。グローブのない私に、古いグローブや
面倒くさいのに弟のグラブを持って来て、貸してくれたりと
いい友達ばかりでした。そんな彼も、盛岡と東京に建設・建築関係
の事務所を持って頑張ってます。私も、去年、リホームの比較的
大きなお客さんを紹介したりと、公私にわたり付き合ってます。

あの頃の同級生は、兄弟みたいです。

 休みといえば、あの頃の少年は、みな野球をし、Jリーグもなく
サッカー選手を目指すものはおらず、将来の夢は、
皆、総理大臣か野球選手でした。

 まさか、数十年後、総理大臣という職業が過労で血管切らして
死んだり、心の病になり突然止めたり、あげくのはてには、
こんなに、みんなにいじめられバカにされる職業になろうとは、
あの頃の少年たちは誰一人、想像だにできませんでした。

総理大臣で、無理くり、まとめるか!

ゴメンなさい。眠い。続きは、また、明日。

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