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いい時、晴れ舞台で感謝する難しさ

P1080279   いよいよ、本日は先生の最終講義と作品展が始まる。
印刷物と言うのは、本当にたいへんだ。これで、もう
大丈夫かと、思ってもポツポツ間違いがある。
開場9:00ぎりぎりまでまで、刷りなおしのビラと
差し替えたりと、やっぱり、ぎりぎりセーフだった。
イベントと言うのは、こういうもんだ。

 午後3:00からの最終講義。どんどん、集まり、
大学の先生、学生たち、美術教育関係、作家、
そしてマスコミ関係者等とギャラリーにびっしり
凡そ150名以上の大盛況の中で始まった。

準備もやりきった。
先生に恥ずかしい思いはさせない位の、準備は
できたと思う。

そんな中、最終講義は始まった。

先生にはやられた。

正直、言おう。

最後に、一言、もしかしたら
準備を手伝ってくれたということで
私の名前も出してくれるかな
とは思っていた。

ところがどうだ、先生は、開口一番に、
私の名前をあげ作品の選定から、
この展示会の設営、配布物と企画の
すべて彼にやってもらった
彼なしでは為しえなかった
本日を迎えられなかったと、
前の方で写真をとっている私の方に
手を差し伸べるのだ。

場の雰囲気、成り行き上
私も軽く立って会釈した。

確かに先生の話は、その通りである。

しかし、私は「その通り」に感動した。
先生の凄さを感じた。
「その通り」に言うのが実は、非常に難しい。

その通りに言わない、言えない人が多い。
いっぱしにキチンとなればなるほど

状況が好転してくれば来るほど
助けてくれた人への感謝は薄れ
人によっては意図的に忘れるように考え
成功すれば成功するほど
自分がクローズアップされ
自分の力にしたり、
横取りしたりするのだ。
それが、普通の人だ。

もちろん、私だって
相当に厳しく自分をチックし
注意していなければ
例外ではない。

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会場も見栄えのする形に決まり
多くの人も集まって戴き、ある意味、この日、この時の迎え方としては
文句なしの大成功だ。
 でも、そういう時になると、人は
助けられたこと、自分がカッコつかないことには
多くを語らない。

たいへんな最中に、感謝したりは誰でもする
おかげさまだ、助かった、ありがとうと。

例えば、あの場で先生は、こうあっさり
言うことも出来たのだ。

「ひっちゃか、めっちゃかで準備はたいへん
でしたが、教え子の○○君にお手伝い
いただき何とか本日を迎えられました。」

さらに、個人名を出さず、
「教え子たちに助けられ」という程度でも、
私を含め誰も文句はないのである。

先生には、冒頭に、しかもあれだけ
具体的に言わずに、スマートに
いくらでもあっさりと言い過ごすことが
出来るのだ。

先生には、なんのメリットもないのだ。

私は、駄洒落が大好きで話もあちこち飛び
脱線しハチャメチャな先生なのだが
人の誠意にはキチンと大人として
いや人一倍、最大限の感謝をする
ピュアなところが、先生の魅力であり
人徳なのだと、今、再び敬服した。

格好つけない。
横取りしない、高潔さなのだ。
幅の広さであり、深さであり
温かさであると、改めて感じた。

ホームページ「ナカムラユウコウの世界」http://www.nakamurayukoh.com/

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