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人生のボディーブロー!

Jpg もう何十年も前のことだ。
私は、先生に、具体的に絵の技術的なことで、あれだこれだと教わったことは、あまりもう思い出せない。

いつもニコニコ、にやにやしていて、連発する駄洒落を聞いていた気がする。

ただ、私は、ある二枚の絵を褒められたことだけは
鮮明に覚えているのだ。

一枚は、裸婦の油彩の集中特訓の授業のあと研究室でモデルなしでイメージで描いたB4のコピー用紙サイズくらいの4Fの油彩の裸婦像だ。

もう一枚が、やはり同じ4Fサイズの
母と幼い弟がボロな我が家の前で
並んで立っている絵だ。

ほぼ、どちらも
「これ、ユウコウ君、描いたのいいね」
というようなコトバだったと思う。

私は、有名な絵描きになるか、芥川賞を取るため
大学を卒業したら東京に出る予定だった。

東京に行かなければ、有名な絵描きにも
芥川賞も取れないと思っていた。

ところが、今ひとつ自信がもてない
決断しきれてない、中途半端な気持ちだった。
私は、一応、「受けるだけ、受けるだけ」と
自分をゴマカし受けたら、悪い予感どおり
筆記の一次試験が受かってしまった。

やばい。

それから、数ヵ月後、季節は夏から秋になり
2次の面接がやってきた。

前の日から、私は、
「明日、2次面接に行くべきか?行かぬべきか?」
かっこ悪いが迷いに迷っていた。

「行って合格したら、俺は、一生、岩手で教員か。
 世界を舞台にしたアーチストはどうした。
 芥川賞はどうした。
 雑誌にインタビュー記事が載ったり
 テレビでの対談はどうした?」

私は、髭もそらず黒い革ジャン来て、
グレーのカラーシャツに細いネクタイをして
会場に着くまで何度か、引返したり戻ったり。
結局のところ面接会場に辿り着いていた。

いよいよ、私の番に来た。

面接の最中、当時の私としては
一番お行儀のいい格好、股を閉じてイスにキチンと
深く座り、両手を机の上にきれいに並べて、3人の
怖そうな試験管を前に質問に一生懸命答えていた。

ところが、その両手をキチンと並べて
机の上においていた、その手が良くなかったようだ。

真ん中に座る一人の試験官が、
なんか顔が気がつくと赤くなって来たかと
思ったら、突然怒鳴りだした。

私につかみかかろうかと思われる勢いに、
横に座る試験官が体を抑えて、
「まあまあ」となだめた。

私は何がなんだか分からず、発作でも持ってる人が
何の不幸か、突然、発症したのかと思いましたが
どうもそうでない。

「面接の時、机に手を上げて人の話を
 聞くやつがあるか!!!!!」

ということらしい。なるほど。

でも、今でも、そんな怒ることじゃないような気がする。

ただ、みなさんは「採って下さい、お願いします。」
と言う中で、革ジャン着て、髭ぼうぼうでお前、
なめとんか!
という感じに怒りトサカに来たり
という感じだったんだと思う。

そして、私は、面接当日の一連の様子を
大学で先生に、報告した。

先生は、
「それは、まずいね。」
「キミ常識ないね」とか
「厳しいな、採用は無理だな。」
「合格は、期待できないよ。」
「わかった、来年頑張ろう!」
とか、先生らしいこと
一言も言わず
笑い転げたんだ。

「ユウコウ君、おもしろいね。おもしろいね。」って。

ひどい教師だ。

私は、このリアクションは、選択肢の中になく
想定外だったが、どうしたことだろう。
先生が笑い転げるその笑顔と笑い声で
何か心が温まり力が湧いて来たのだ。

これで、迷わず来年は東京に行けるぞという思いで、
すっきりしたようなわくわくするような気持ちと共に
やはりどこか、世の中の権威から厳しく弾劾、裁定を
下されたような気もし、少々ナーバスな
気分にも包まれていたのも正直、事実だ。

でも、先生の笑顔と笑い声は

まるごと私という存在、そのものの全肯定のように
私の心の核にストレートに響いてきた。

ナーバスなひ弱な表層を突き破り
地の底からエネルギーが
湧きあがって来る感じだった。

先生の笑い声にダブって
私の脳みその中には確かに、先生の声が聞こえていた。

「いいんだよ、おまえは、それで、それがいいんだ」

「笑え、笑え、人生は、だから楽しい。人生は喜劇だ。」

Jpg_2

私は県の採用試験は、落とされる人間だが
少なくとも
最高学府の国立大の先生に、おもしろがられる
人間ほどではあるのだと、へんな自信を持って
また、その日から強く明るく生きるのであった。

年月は、流れる。
望むとも、望まざるとも。

大学を出て
20代、30代と
紆余曲折
とにかくとにかく
駆け回り
過ぎていった。

田舎ものでありながら
地図を片手に東京の街をうろつき
怖いもの知らずで一流出版社や有名ギャラリー
著名なデレクターを回ったり
海外のアート展に応募して、賞を戴き、
招待されてカナダのバンクバーで個展をしたりと
まあ、よく元気に歩き回った、動き回ったと思うが
そんな行動の底流に力として流れているもの

そしてその行動的な活動の渦中にも
それは、時に直面し襲ってくる
不安や迷いに打ち勝つ力となってきたもの

長い人生の中で
ボディーブローのように
利いてくるもの
利いているもの

そういう一つが、あの時の先生の思いっきりの笑い声や、
「いいねって」本気で言ってくれた一言、
そして、そのときの笑顔や眼差しなんだ。

そういうことが分析、考察できる今日この頃の
お年頃になってきた。

人生にはボディーブローのように
のちのち利いてくるコトバがある。
笑顔や眼差しがある。

私たちは、気づかず生きていることが多い。
とんかつや、ラーメン、マックや吉野家の牛丼を
食べているから生きているんじゃない。

私たちは実は、多くのそういうもので
生きているというのに。

不肖、私も、及ばずながら一人でも多くの
いや、たとえ一人だけでも、一発だけでも
ボディーブローを浴びるだけでなく
浴びせられる人生でありたい。

ホームページ「ナカムラユウコウの世界」http://www.nakamurayukoh.com/

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

「人生にはボディーブローのようにのちのち利いてくるコトバがある。笑顔や眼差しがある。」全くその通りですね。(ウルウル)最近、そういった人達への感謝の気持ちを忘れていたような気がします。いかんいかん。ユウコウさんに今まで何度も言われた「いいね」という言葉をもう一度思い起こしてアーティスト目指してがんばるぞ~!!

投稿: ダーキ | 2009年2月16日 (月) 13時58分

そうですね。素晴らしいアトリエも出来た事ですし、気張ってください。ノーマンカズンスというアメリカの著名な哲学者は、人として最も悲しいことは、自分の能力を知らずして死ぬことだと言ってます。お互い、せめて、自分がやりたいと心の中にあることには、もっと計画と努力、この自分が責任を持って一人ひとり取り組みたいものです。アトリエ訪問、楽しみです。

投稿: ナカムラ | 2009年2月16日 (月) 23時10分

貴重な体験(body blow)、お腹を抱えての…話。ありがとうございます。
面接でしくじる人の中にも、適任の人がいるはず。
今は、大学で模擬面接が行われています。種倉先生は、面接官をやられているはず。貴方の体験を生かされているのでは。
 いつか、アトリエの方に伺わせて下さい。

投稿: タケモトシンジ | 2009年3月 5日 (木) 17時54分

ご精読、ご笑読、ありがとうございました。
一歩間違えば?及川君の誘いに乗って
タケモト先生が大学の恩師になったかもしれません。

企画、デザイン、イラストに関わって来た
今日までの仕事分野での来し方を思えば、
それが正解だったのかもしれません。

しかし、人生にifはありませんし
種倉先生やその研究室の仲間や先輩、後輩との
付き合いは、私の人生の重要な構成要素と
なってますし大事な人達です。

タケモト先生のデザインの授業も受けたので
やっぱり先生は先生ですが、
プラス、今後は人生の、クリエーターの先輩として
お茶友の一人としてお付き合い下さいませ。
喫茶アトリエ、ご訪問、楽しみにしてます。

投稿: ナカムラ | 2009年3月 5日 (木) 23時13分

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