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絵を取り込み、絵を飾ってステキな夕日と出逢う。虹色の帯のような細長い雲が空を舞う。

Img_0096_2 弟、中村太樹男の北上市での版画展が今日まで。
昨晩、気付いた。今日31日、搬出。
すっかり抜けていた。

電話すると、弟も抜けていた。
すっかり抜けて、秋田の海で
潮の香を嗅ぎ、波の音、
潮風に包まれているではないか。

夕方にはきっと
金色にフラットに輝く
日本海の日の沈む頃の
絶景を堪能したにちがいない。

ということで
突然、夕方、わずかの空き時間
高速を飛ばして弟の作品を搬出しに
北上に飛んだ。

8月も継続で何かやって欲しいというので
まだ見せてない私の絵とコトバ、
写真とコトバのポスターを展示
することにした。
ということで、同時に私の作品の搬入ということに。

8月いっぱい私の作品展が、ここ、北上のさいとう製菓
「かもめのたまご」の店内で開かれる。

昨晩、何で思い出したかというと
北上の友人が、明日で弟さんの展示会が
終わりで搬出に来るだろう時に
私の絵の代金を弟さんに預けたいと
電話が来たのだ。

搬出のことはもちろん、絵のことも
すっかり忘れていたので
なんだか、不測出費でなく不測の入金で
くすぐったく嬉しい。

友人はステキな英語教室を開いている。
そもそも出会いは、北上で弟と2人展をした時
展示作品の絵本「カタツムリ男からの手紙」の原画
に感動してくれ絵本の英訳をしたいと
申し出てくれた。自分で訳した後
ネイティブの外人にもチェックしてもらって
完璧なものになっている。

今、フランス人の高校生の男の子が
ホームスティーでいるので
合わせたいというので
お茶一杯分お邪魔した。

彼のお父さんは、シンガーらしい。
リクエストに応え、彼が持って来たギターを
弾いて、中島みゆきの「彼女の生き方」と
私の作詞作曲した盛岡の市民愛唱歌
「啄木の青春の街、盛岡に」
を歌う。

彼も演奏を聞かせてくれた。
英語も話せたので、楽しくおしゃべりした。

まだ、ひらがなとカタカナの50音
しか書けなかったが数日前に来たのだから
優秀だ。

私は、漢字は、形が、インタレスティングだよと
彼に「私」「愛」「生きる」3つの漢字を教えた。

3ヶ月ごとホームスティー先を変えて1年間
日本いるとのことだ。

See you again!と握手をして別れた。

搬出、搬入、国際交流と充実した数時間だった。

高速に向かうと日は沈みかけ
街は逆光でシルエットを強くし
その大きな空には
虹色に輝く細長い帯のような
雲が留まっていた。

写真にその淡い虹色、レインボーカラー
が出ないのが残念。

コンビニで缶コーヒーを買って
高速、夕焼けショーを見て
アトリエにダッシュ。

なんかいつも慌しい私の毎日。

24時間+3時間くらい欲しい!

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言いたいことは、シンクロじゃない。北島康介の凄さと魅力だ。

Suima_2 世界水泳ローマ2009のライブが
連日テレビ放映されている。

シンクロは残念な結果で
終わった。

システムが人に依存され
国のもの、組織のものに
なっていないのか。

コーチが変わると力を出せない。
もちろん日本は平均年齢20歳と
メンバを一新。
しかしこれは、女王ロシアも同じ。
層の厚さもあるのだろうが
指導力の問題だろう。

金のレベルを知る指導者が
せめて銀のレベル知る指導者いなくては
そこに短期では辿りつけない。

言いたいことは、シンクロじゃない。

北島康介の凄さと魅力だ。

先日、黒柳徹子の「徹子の部屋」に出ていた。

おばさんの乗りでいろいろ反応の難しい
問いやアクションに、それは、饒舌すぎず
無愛想でもなく、スポーツマンらしい
木訥さの中にも相手への敬意と礼儀と
やさしさと大らかさの滲みでる彼の
応対、トークには感心、感動させられた。

北京でゼッ不調を乗り越えダブル金の連覇
は、もはや、常人の域ではないだろう。

しかも、彼のアテネの「チョー気持いい!」に続き
北京「何にも言えなぇー」は、理屈を超えて
飾らぬ、気取らぬ、それ故、
本当の意味で自由で自然で
爽快としか言いようのない彼の大きな人柄は
この国に生きて息する同時代人の日本の宝だ。

さて、その北島は、あるインタビューで言う。

「試合って緊張するものなんだと思います。
 僕は今でも緊張します。 
 ただ、緊張しないと、120%のレースは
 できないんですよ。
 緊張を通り越してびびってしまって満足なレース
 が出来ないというのは、その前の過程に不安を
 抱いてしまってしるからだと思うんですよ。

 僕は不安を抱いて試合をしたくないので、
 普段から妥協のしないトレーニングを
 心がけるようにしてます」

至言である。

生きるとは、準備なんだ。
良く生きるとは、良く準備すること。

と思う。

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即効エネルギー充電法

Jpg 今日は、いい話を、教えてもらった。

○のところに自分の名前を、フルネームを入れる

「○○○○○○○大好き!」

照れずに、馬鹿にせず
何度も言う。
頭の中で何度も念じるだけでもよい。

親鳥が、卵を温めるが如く、
雛を守り抱擁するが如く
母親がわが子を抱きしめるように
そういう思いで言うのだそうだ。

すばらしい!

これは、実に的を得た
即効的な生エネルギーの
充電、補給法だ。

「○○○○○○○大好き!」ということで
強制的にというか反射的に自分を認め好き
という感情が引き出せ湧かせることが出来る。

これは、数あるおまじないの中でも
その簡便さと即効性と効果から
最高級の一つでないかと
私は感銘を受け感嘆、感動した。

脳あるいは脳を超えた自己存在への
コアに働きかけるコトバの力の利用だ。

自分を好きになるというのは
自分の周りすべての人が好きになり
少なくても許せる感情が湧き、
許せる感情が湧くと、想像だにしなかった
感謝や愛情が湧き、敬意にさえ
発展する場合もある。

<人間の心って計り知れない。>

自分の生きてる世界が好きになり
自分と自分の生きている世界の
全肯定に繋がって行く。

自分を褒める
自分を許す
自分を好きになるというのは
この世界を好きな感情で一杯することで
その感情はまた、自分への愛情、
自分が好きという感情へ
フィードバックされる。

それが短時間の間に増幅されていくと
湧き上がり溢れ湧く生エネルギー
として感じられるのだ。

自分のぼやけたフォルムが明確になり
誇り高き生き方、自負心に満ちた
強い元気な自分を思い出せる。

疲れきった時、
なんか自分の最近が日常が潤いがなく
パサパサしていたり、
ストレスでなんかイライラしている時
なんか不安に包まれ安らかでない精神状態の時
即効特効薬としてお勧めだ。

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スランプ脱した岩隈。エネルギーの充電法

<盛岡の県営野球場1万5000人満員御礼中央でぬいぐるみ持っているのが勝利投手岩隈>

Image0521 今日は、シーズン唯一の県内開催
盛岡での公式試合の楽天・西武戦。

絶不調の岩隈がなんと登板。
1対5で、完投の大勝利。
完全復活だ。

あのWBCで、ここで破れたら
敗退という場面で
世界が脱帽の見事な勝利に
導いた時以来
岩隈のファンだ。

あの甲子園の時以来、
大ファンの松坂も岩隈を絶賛。

すごい精神力だ。

その岩隈が、今シーズン、肘の炎症で
戦線離脱。復帰したかと思われた
試合でも負けてしまう。

もちろん身体的故障もあるだろうが
精神的疲労もあるのでないだろうか。

WBCで最後は活躍したものの
絶不調だったイチローと田中しか
調子良くないのだ。

松坂初めみんな疲労スランプの
闇に中に入っている。

精神的、スランプ、エネルギーの充電
リフレッシュは、自分をしっかり把握する
感じることが第一だ。

過労、、ストレス、不安などで
ボケたり、ぶれたり、不安定に揺れる自分を
鮮明にし明快に強くすることだ。

「今」と「ここ」と「自分」のギア
をそれぞれに明快にし強くし
そしてそれらをがっちり
かみ合わせる。

何度か言っているが
究極これしか本質的に
リフレッシュ、エネルギーの
充電法はないと思う。

自分が生きて存在しているのは
明日でも昨日でもなく
今日のこの「今」この時という
鮮明な感覚は、「自分」を鮮明にさせ
ここの密度をも高める。

「自分」の鮮明な深い自覚的実感は
「今」と「ここ」を感じる感度、実感を
同じ強さで鮮明にする。

相互影響、連動的相乗関係だ。

この「今」に、この「ここ」で
この「自分」が何とかする
それぞれの人生、私の人生。

何はともあれ、松坂も早く、頑張ってほしい

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「大谷広樹写真展」開催中!

Dm1_2 友人の大谷広樹君の写真展が開催中!
静かに開催中です。特に、告知も
DMも出してないようで
会場の六分儀という喫茶店にふと来た
お客さんにお見せするという
コンセプトでやっているようですが
いい写真展なので
お時間ある方見に行ってください。

六分儀には、ずいぶん久しぶりに行った。

記憶より、店が随分広く
展示スペースも十分で
店内は、シャンソンなどCDでなく
レコードにこだわり音楽が流れていた。

絵画の展示会も、もちろんオーケー。
雰囲気がよく、一度、ここで
水彩画の個展でもしたいと思った。

Jpg_2

営業時間は、10時から19時まで。

六分儀のご案内http://r.tabelog.com/iwate/A0301/A030101/3001060/

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2つのギネス、「川くだり」と「さんさ踊り」

Img_0073 <ゴール間もない夕顔瀬橋付近>

今年で33回目となる毎夏恒例の
「盛岡・北上川ゴムボート川下り大会」
が26日、盛岡市の北上川で開かれた。

四十四田ダム下流から開運橋のゴールまで
約8キロのコースだ。

前日までの降雨の影響で増水しており
例年より水かさのある中で、
ボートは右往左往しながら
1時間前後で到着した。

今回は、川を下るゴムボートレースの
完走艇数でギネス世界記録に
挑戦しているとのこと。

ギネスに川下りを競う分野はないので、
タイムレースと団体レースなど全4部門で
ゴールに達した1128艇2256人が
認定される見通しとことである。

いつかはやってみたい。

Jpg もう一つの盛岡名物のギネスと言えば
盛岡さんさ踊り。

街を走るとあちこちで
さんさのポスターや看板、横断幕で
告知、ピーアールしている。

昭和53年に第1回を開催して以来、
今年で32周年を迎えるらしい。
開催期間は、8月1日から4日までの4日間。
中央通を会場に“魅せる祭り”と
“参加する祭り”のコラボレーション
を展開し祭りを盛り上げるとのこと。

 最終日(8月4日)には、
「和太鼓同時演奏」でギネス記録を達成した
『世界一の太鼓大パレード』と、『大輪踊り』を行い、
グランドフィナーレとするようである。

太鼓の音は飽きない。浜辺や防波堤で
何時間波の音を聞き海を見ていても
飽きない同じ感覚を感じる。

 

 

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個性的であること。

Hanasakaseyou彼はとても個性的
しっかり彼の人生を
生き構築している。

いつも快活でエネルギーに満ち
いつ見てもいつ会っても楽しそうだ。

個性的とは、ただ特異であるとか
我見我欲が強く変わっているという
事でもない。

実際、彼もその対極だ。

むしろとても普通でバランスよく
大人で、自分を押さえて
場を盛り上げたり、人を立てたり
それがまた自虐的にただ我慢とかとは
また違って、時にユーモアに満ち
知性に満ちナチュラルでステキだ。

彼ほど、私利私欲、我見我欲、
我侭我執とを感じることがなく、
それでいて彼ほど個性的で
魅力的な人を知らない。
そして彼はなんと彼らしい
彼としての個性的な人生を
構築し創造し続けて
いるのだろう。

彼は目標であり、彼の生き方は
憧れのリズムだ。


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しっかり歩こうと思う。たくさん歩こうと思う。

Ihanamaki_mg_0036 岩手大学の図書館に行った。
なぜか、今日、高校野球の県選抜
決勝戦を盛岡一高と戦う花巻東の野球部が
図書館前を大行列で通って行った。

用事を済まして
正門前の信号で止まった。

信号を待つ学生たち
その中に、きれいな顔立ちの
利発でキュートな女の子の
横顔が見えた。
岩手大生だろう。

信号が青になった。
その子は、ひどい小児麻痺だった。

足の裏ではなく、表をつくように
今にも前のめりで転びそうな
左右にというか上下に大きく体を
揺らして横断歩道を歩き始めた。
今まで見たことのある小児麻痺の方の
歩きでは一番たいへんそうだ。

今にも倒れそうに見えるが
微妙な重心移動で
一生懸命歩いている。

歩くことがこんなに大変なんだから
一生懸命
自覚的に、あえて意志で歩いているのだろう。

なんとなく歩いているのではないと思う。
なんとなく生きているのではないと思う。

死なないことを決定し
生きることを決定して
生きているのだと思う。

車イスの方がどう見ても楽で
安全なように見える。

きっとそう言う選択肢は
考えられる程の大変さだ。

折れてしまいそうな、転びそうな足どりで
体を左右に、上下に振って
彼女は街中を、この世界を
意志を持って歩くことを選択して
歩いているのだろう。

自分の足で歩く、歩ける幸せは
いつか、あるいは間もなく
歩けなくなるかもしれない人にしか
解らぬとても幸せなことなのかもしれない。

いい目と、いい顔つきだ。

腹の据わった覚悟のある
凛とした強い見事な美しい顔だ。

なんで私はこうして生まれなければ
ならなかったのだろう
苦しみぬいたに違いない。

覚悟を持って生きてるんだろうな。
彼女の人生は、きっと自分の幸せ、
安全、安心を超えた
大きな深い高い志のところにあるのだろう。

そうでなければあの体で歩けない。
あの体で、生きていけないと思う。

私は、もっともっと歩かなければと思った。
もっともっと自分のもてるものを
使いきらねばと思った。

自分にないものでなく
あるものに目をむけ、あることに、あるものに
もっともっと気付いて生きていかねばならない。

そうして、もっとしゃきっと生きなければ
と思った。

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私お勧めの化粧品、若返りの薬

Kesixyouhinn_jpg_2 感謝のことば「ありがとう」
素直な心で他人への評価、賞賛の
言葉「すごいね」「すばらしいね」
「勉強になりました」こういう言葉を
発すると瞬時にエネルギーが
宙から発した当人に流れ込みます。

感謝したり、人を賞賛したり出来る人は
みんな肌つや良く、若々しく気持ちいい
ですね。

これらのコトバを発するのは
最高の健康法、若返り法です。
口を重くしないで、よく発すべきです。
こういう軽口はどんどんたたくべきです。

こういう言葉が多い人は
エネルギーが流れ込み
そのエネルギーが、体内の各種
ストレスホルモンを消滅させ
健康で若返り、活性エネルギー
として蓄積されます。

会う度に若返り、いい目つき
顔つき相になっている人がいます。

一番の美容は、目なんです。

いいコトバをたくさん
発し、周りにかけて
いい目になりましょう。

何十万の化粧品を買うより
100倍も、1000倍も
いい美顔法だと思います。

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「100パーセント楽しくない気分の80パーセントの自分」から学ぶこと

80pasennto_3 100パーセント楽しい気分の自分や
80パーセント楽しい気分の自分が
いたりする。

時には50%、60%の自分もいる。
若いときは、ずいぶん
パーセンテージが低かった。

とにかく
楽しい気分の自分であることが
大切。

しかし、楽しくないすっきりしない気分
どこか不安があって胸に何か
支えているようなそんな自分も
大切。

便宜上、今の私を80%楽しい自分としよう。
「80%の自分」の80%の部分より
残り20%から私は多くを
学ぶからだ。

この私を100%楽しくしてくれない
完全ハッピーへの疎外要因20%の分析は
興味深い。

分析し、対処、対策、補強していく。

しかし、なかなか人生は手ごわい。
そうカンタンには100%楽しい
自分にはしてくれない。

人生には次々新しい課題や
新しいステージやスチュエーション
が訪れ、それに反応する未だ見たこともない
新しい自分と遭遇するからだ。

死ぬ頃には、だから退屈しないで
生きてこれたんだと達観して
ゆとりの微笑みを浮かべるかも知れないが
その時々は、誰でもたいてい必死だ。

いつかたどり着きたい
「いついかなる時も、いついかなることにも
 影響されない、100%ハッピーな自分の構築」

その構築への重要な情報が、このその時々の20%に隠れている。

ここを分析し
この完全ハッピー状態を疎外する20%に潜む、
この20%を作り出している直接的、根本的問題
課題に対処、克服、補強していく。

この人生は
私の人生は
「いついかなる時も、いついかなることにも
 影響されない、100%ハッピーな自分の構築」

というとてもエキサイティングな
ゲームだ。

ゲームなどと不謹慎で傲慢と思う方もいるだろう。

しかし、あえてその悪戦苦闘が悲観と悲壮感
だけに包まれないようこの構築闘争をゲーム
と呼ぼう。

それは、きっと難しいゲームになるだろう。

しかし、勝たなければならない。
誰のためでもない。
自分のためだ。

私は、苦しい気分で、暮らし生きていきたくない。
憧れるは、「継続的100%楽しい自分の構築。」

ハードの生産、所有のゲームでなく
「100%楽しい状態で存在する人間」のソフト開発だ。

人生は楽しい。人間であることは
エキサイティングだ。

そう、思うことにしよう。

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Bad day という元気の出る歌

419hzsfbc5l__sl500_aa240_ 肩こり限界!パソコン仕事が多いせいか?
気分転換に120円のプレミアムローストコーヒー
を飲みに行く。

昨日の晴天はどこへやら、またも
今日はどんより、一日雨降り。

ダニアルパウダーの「Bad day」http://www.youtube.com/watch?v=RmNTAvnSais

が流れている。
誰だろう。海外の女性シンガーのカバーだ。

この歌、何百回聴いたことだろう。
家でも、車の中でもリピートして
一日中聞いていた。

「悪い日」というタイトルなのに
なんかふつふつと力が、エネルギーが
湧いてくるのはどうしてだろう。

「人生、ほんと、いろんなことあって
  (苦笑い、フーと軽いため息)
 でもね、まぁ、がんばるか。」

みたいな、控えめな
ポジティブパワーの湧いて来る
不思議な歌だ。

晴れの日もあれば、雨の日もある。
Fine Dayもあれば、
Bad Dayもあるだろう。

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晴れた日に、お日様に誘われるままに車を走らせれば

P11602882日間、日本中雨にやられた。
今日は、朝から眩しい太陽。

行き先も決めずに
久しぶりのお日様に誘われるまま
車を走らせた。

遠くにあった山々は
どんどん大きくなっていく。

二日続いた雨でたっぷり水分を補給し
今日は、強い日差しを浴びるという
最高の状態に、木々、草たちは、
緑を濃くし鮮やかに輝いていた。

長く、くねくねした山道を通り抜けると
突然、夏が生まれる丘に出た。

あそこから夏が生まれる。

南の国から風に乗って
今年の本格的な夏が
いよいよ攻めて来た。

夏に勝て!
今年の夏に勝て!  (オーッ!)


今年の夏は特別な夏かもしれない。
いや、特別な夏にしよう。
本当は、毎日を特別な日に
しなければならないんだ。

もう一度やってくる日は来ないんだから。
「今日は、もう一度こない。」

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暑い夏とのつきあい方

Jpg_3 夏は、熱いモロカンウィスキーで!

画家の弟が、パリにいた時
モロッコに行った。

砂漠をラクダで旅し
貧しい子供たちの溢れるモロッコの町

安宿のホテルで照りつける太陽
熱い砂漠の日々、
毎日飲んだという。

パリから帰って来て、
モロカンウィスキーを教わった。

ミントは暑いアフリカの大地
モロッコでもよく育つようだ。

1.まずミントを摘み、きれいに
  水洗いしよう。

2.それを、カップ一杯、押し込めず
  ミントを入れよう。

3.その上に、スプーン山盛り一杯
  お砂糖を入れよう。
  ハツミツを入れたい人は入れても、
  かまわない。

4.熱く入れた紅茶を上から大胆に
  カップの中に注ごう!

5.出来上がり。飲もう!
  ミントは入れたまま。飲みづらいから
  と取ってはいけない。
  飲み終わる頃には、ミントは茶色に
  変色しているが別に問題ない。

  
アメリカは、シリコンバレーのIBM
ソフト開発者は、毎日3時になると
3時のおやつではなく、たっぷりお砂糖
入りのコーヒーを飲むという。


脳は糖分をエネルギーにして消耗する
ため、思考を仕事とする人は、糖分を
補給しなければならない。
糖分補給のためにも、モロカンウィスキー
いいのではないでしょうか。

私の場合、ミントは隣の家の花壇から
好きなだけ頂き、紅茶は、
何でもいいのだが、この前のアフリカ展
の時、買ったジンバブエのもっとも
オーソドックスな紅茶という
フィバローゼスがまだまだ
あるので、それで作って飲んでます。

暑いときには、熱いアフリカ
思いを馳せ熱いモロカンウィスキー
で夏を過ごします。

ちなみに、モロカンウィスキー
単にミントティーとも言います。
イスラムの世界では、アルコール
がだめらしく、このミントティー
で乾杯とかするため、モロカンウィスキー
というようだ。

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自分の世界の広げ方:自分の売り込み方「作品ファイル」

A_2作品ファイルを作って、
自ら出版社やデレクターを
回ると言うのは、イラストや
絵の仕事をしたい人は、
人生を20年、30年、あるいは
50年分、ロスを失くする
ことを意味します。

全国を市場とした雑誌や
本の出版社は、ほとんどが
東京にあるわけです。

たとえ、絵が非常に、うまくて魅力的でも
例えば東北、九州や四国に住んでいて
黙っていて中央の出版社の編集長や
デレクターから話が来ると言うのは
本当に有名になり、ものすごい目立つ
活躍をし、そういう人たちが目にする
ほどの活躍がなければ、
仕事の依頼が来るという言うのは
ありえないわけです。

ものすごい絵がうまいと言っても
一生、そういう話が来ない
可能性のほうが高い。

すべての業種において、存在を知らせることがまずは営業,PRの基本。

「自分から作品ファイルを作り、売り込む」
ここに、仕事が来る、仕事を取るということに
おいては、ものすごい効率があるわけです。

その作品が気に入られる、使われる使われないは
わかりません。しかし、見てもらうことなしに
仕事は絶対来ないのです。

「下手な鉄砲、数、打ちゃ当たる。」
ではないですが、相性が合う、必要としている絵と
タイミングが合うなどの要素において
仕事の依頼として成就し、イラストレーターとしての
生活がスタートするのです。

たくさん打つことで、その可能性は、高まります。
まっして、下手でなく「上手い鉄砲」なら
より確率は高まるわけです。

東京の予備校時代の教え子で、絵が好きな女の子がいて
私が、銀座、青山で個展をしている先生ということで
何かと親しく感じてもらい、その後も年賀状や、
暑中お見舞いなど、やり取りしていました。

今から、3~4年前かな。彼女から電話が来て
ちまちまとたまにイラストの仕事をしてるんだけど
どうして先生は、盛岡(そんな田舎)にいて、
人気雑誌のダ・ヴィンチにイラスト、時にメイン特集のイラストを
そして、大手出版社の本の表紙を描いたりするんですかと、
相談を受けました。

彼女も二十代後半に入っているようで、何とか
きっちりイラストレーターとして
頑張りたかったのでしょう。

「そんなの種も仕掛けもない。
 描きたい出版社に作品ファイルを送れば
 いいだけだよ。」

ぜんぜん、ノウハウでも秘策でも秘密でもありません。

「ダ・ヴィンチでイラスト描きたい、ブルータスで
 イラスト描きたい、講談社で、NHK出版で、新潮社
 でイラストの仕事したいって思っていて、作品を
 見せに行ったり、作品ファイルを送ったことが
 あるの?」

と聞いたら、ないという。なかったら、相当、絵で
有名になるか、奇跡が起きない限り仕事は来ない。
田舎に住んでようが、東京に住んでようが
作品を見せなければどこに住んでいても同じだ。

そこでファイルの作り方を教え、
アプローチの仕方を教えた。

ただ彼女は、凄い!言ったことをすぐやった。

何事も、素直であること、すぐ手をつけ
行動することが大切だ。

「仕事をしたい出版社、してもいい出版社のリスト
を作りなさい。」というと、一週間もしないうち
100件以上、雑誌、書籍を調べ、ネットを使い
リストを作った。

作品ファイルを作るにも
数が数でお金もかかるので、なるべく
ファイルがムダにならないよう、
きちんと見てくれる確率の高いところ
ということで事前に、
「作品フィアルを送るので見て欲しい。」
というメールを送り、キチンとメールを
返してくれた所、了解してくれた所に
絞り込んでファイルを送付した。

メールの文面も全部チェックしてあげた。

絞り込んでも60~70は送ったろう。
これだけ送れば何か起こる。

送ってしばらくして、すぐに
2~3の仕事が来た。

朝日新聞社の「もし首都圏に大地震が来たら・・・」
見たいな本の表紙や中のイラストの仕事。
1200円くらいの全国販売のしっかりした本だ。

それと講談社の青い鳥文庫の表紙、中のイラスト。
さらに、比較的挿画の多い、もちろん表紙も
含めた児童書の仕事という具合だ。

人生は、大事(おおごと)に考えてはいけない。
あたりまえのことを、確実なことを
実行する、行動するかどうかだけだ。
やる、やりきるかどうかだけだ。

吉永賢一さんじゃないが、「かんたん、かんたん」
人生のすべては、カンタンカンタン。

東大家庭教師が教える頭が良くなる勉強法 より

不謹慎なこという、生意気なやつだ、人生なめてる
と思う方もいるかもしれません。

でも、難しい難しい、人生はそんな甘いもんじゃないと
渋い顔して何もしないだけでなく、人にもさせない人生
より、「カンタン、カンタン」と呪えながら
自分のしたいこと、夢に向かって行動する方が
いいと思います。

前にも言ったかもしれませんが、
人生は、やっての後悔より
しない後悔の方が多いと
先哲は言いました。

「あたりまえのこと、確実なこと」を
「行動する、やり抜く」ことで、動き出す
 世界と人生を実感、経験して欲しい。

ファイルの作り方

1.サイズはA4にすること。
  それより、小さくても大きくてもダメ。
  別置きになって埋もれる可能性あり。

2.背表紙のある厚みのクリヤーファイルなどの
  冊子形式にし、背表紙に情報を入れる。
  a)名前
  b)イラストの絵の世界が解るもの
    ・いくつかの自分の世界のイラストの縮小版
    ・コトバで絵の世界がわかるキーワード・説明

3.内容は、盛りだくさんにせず、自分のアピールしたい
  世界をすっきりアピール。

  なんでもやるけど、これなら彼がいる、彼女がいる
  という世界でなくできれば、自分のやりたい表現の
  世界でオリジナリティーのあるもの、得意なもの
  描いていて楽しい世界に的を絞ってアピールする。

  編集としては

  a)自信のイラスト作品
  b)これまでの仕事<まだ、ない人はいい>
  c)プロフィール・連絡先

  デレクターさんたちが資料としても使いやすいよう
  見やすく、コピーや出力も綺麗に仕上げるよう
  心を砕いてください。

イラストレーターさんは、絵描きさんと違って
自分に対してのマネジメント能力が必要です。

キチンとお話を聞き、ポイントを抑え
自分の話すのも要点を押さえ
キチンと伝えるべきことを伝え
聞くべきことをキチンと聞き
作品を渡すまでには、報告・連絡・相談を
適時しながら、何より、納期は死守しなければ
なりません。

しかし、絵描きさんと違って「絵を描いては、売る」
という1対1の関係とその繰り返しでなく、
多くの人の目に触れたり影響、感動を与えたり、
キャラクター的なものであれば展開したり、デザイナー
やデレクター、編集などとの共同、コラボだったりとか
いういろんな楽しさもあります。

そういう、たいへんな所と楽しいところの両方を
知ってイラストレーターが合うのか、作家、絵描きさんが
合うのか自分の性質と、自分の人生のライフビジョンを
見極めましょう。

いずれ、何にせよ、ある願い夢に対して
これをすれば確実に実現できるということを
おおごとに考えすぎず、すぐに行動することが
大切です。

行動しないで、1年や2年、いえいえ
5年、10年、20年などあっという間に
過ぎるのです。

はたまた、一生やらずに不完全燃焼の
湿気った、かび臭い花火だらけの人生に
ならないようにしたいものです。

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石原裕次郎、あじさい忌に逝ったララちゃん

P1160174 国民的大スター石原裕次郎の
今日は命日。

生前紫陽花をこよなく好んだことから
「あじさい忌」と呼ばれている。

友人の所のララちゃんの命日となった。
拾われた子で、おてんば娘だったが
最後、乳癌にやられた。

3年前、家族の一員であった
ゴールデンリトリーバーの
ボシュがお世話になった「こずかた霊園」
で火葬した。

県道沿いだが深い木々と、
小さな小川の流れる
穏やかな所だ。

月日の経つのは早いもの
ボッシュが煙になって昇って
いくのをお茶を飲みながら
待っていた同じベンチに
座りながらララちゃんの
思い出話をしていると
3年前からここにいて
缶コーヒーを飲みながら
ずっとここにいたようで
この3年の月日に起こったことが
思い出せない。

私は3年間、ここで
こうやっておしゃべりして
いたのではないだろうか。

押し込め、閉じ込めただけで
逝ってしまったものの
悲しみは消滅するものではない。
悔いのない関わり、愛し方をした
ことだけが永遠のサヨナラの
いくらか慰みになる。

悲しみのほとんどの中身は
後悔だとニーチェは言った。

人生に後悔を残さないため
「ありがとう」だけは
取り置きしないで
ちょっと唐突でも
照れくさくても
その都度、言っておこう。

路頭に迷い、ガス室に送られることもなく
可愛がられ愛され重い病になっても
最後まで面倒見てもらい静かに
苦しまず眠るように行った
ララちゃんは幸せだったろう。

ララちゃんも煙になって
お空に昇って行った。

おてんば娘のララちゃんも
おっとりやさしいボッシュと
仲良くしているだろう。

霊園の小川の辺には
あまり色の濃くない小ぶりの
美しいあじさいが咲いていた。
今日の日をあじさいの中に
留めた。

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忘れられない大切な一枚の絵

3 21歳の時の初個展での
一番人気の作品です。

4Fサイズの紙で言うとB4サイズ
くらいの小さな作品です。

母と弟とペロです。

ペロは、マルチーズです。
雨の日、川原で真っ黒くなって
走っていた捨て犬でした。

足もびっこでちょっと
引きずっていました。

すぐ上の兄が拾って
家に連れてきて
お風呂に入れたら
黒い犬でなく
白いマルチーズでした。

その時、既に何歳だったのでしょう。

でも、家に来てからも
ずいぶん長生きしました。

背景に見えるの当時の家です。

家のガラスはあちこち割れていて
画鋲でビニール袋を貼っていました。

家のあちこちがへこんでいて
家の角から外の土が覗いている所もあり
下水の整備されていなかった当時
よく床上浸水、床下浸水がありました。

しかも、すぐ隣には
農家で、豚小屋があり5匹から10匹は
その小さな小屋で年中ブヒブヒ言ってました。
食料は残飯で、特に夏場は
臭くてたいへんでした。

ある日、豚が逃げて我が家に
入ってきたことがありました。

恐ろしかったです。
体が自分たちが小さかったせいか
豚は豚でなく怪獣でした。
しかも家の中を
猛スピードで走り回ります。

恐ろしいような、でもちょっと楽しい
ようなへんな気分でした。

母は強しです。
「このブタ!」とか
そのまんまですが
ほうきを持って追いかけ
家から追い出しました。

ブタも相当、怖かったようです。

そんな時代の一枚です。

実は、私はこの絵を3回描いています。

どこかの病院の事務をやっている男性、
おじさんが買ってくれました。
売れてしまったという赤シールをキャプション
に貼ったのですが、これを模写して
売ってくれないかという女性がいて
1ヶ月の時間を貰い
私は自分の絵を模写しました。
私の母の顔が、自分の死んだ母親の顔に
そっくりだということでした。

さらにお世話になっている知り合いからも
是非にとお願いされ
同じように模写したのです。

その方は、長く病に苦しむ姉を
長きに渡って姉の実の姉のように
激励しお見舞いに来てくれていた方で
さすが3枚同じ絵を描くのは気が引けましたが
今のように、原画から版画を起こす
ジクレーのようなものはなかったので
油絵具で描きあげました。

思い出の一枚です。
大学の先生にも褒められた
いろんな意味で忘れられない
大切な一枚の絵です。

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私の例:私の初個展の目的

Dm1_3 私にとって初個展は真夏の雲ひとつない
青空にぶっ放す打ち上げ花火でした。

大学4年、
間もなく22歳になろうとする
21歳の5月。

兄弟6人。
兄二人、姉二人
あわせて4人。
4人の兄姉たちのおかげで
私は進学校に
そして地元国立大学に行かせて
もらった。

二番目の姉は
私が中学の時、定時制高校に通っていた。
私の中学とその定時制高校は
道路を挟んで向かいあわせだった。

サッカー部のキャプテン、
学級会長。進学校を目指す私は
友達と一緒の帰り道。

クラブを終えて家路に向かう私に
仕事を終え今から勉強と
定時制高校に向かう姉が
定時制の
上下茶色のスーツの制服を着て

満面の笑顔で友達と一緒の私に手を振る。

それと同じ元気さで夜学に通うその姉に
家計を支えながらお菓子や服を
私たちに弟に買ってくれる姉に
私は手を振り返せなかった自分が
今でも、うらめしい。

貧しいことは、そんなに隠すべき
恥ずかしいことだったのか。

生意気で可愛い気のない
喧嘩ばかりふっかける私に
給料のほとんどを家にだし
残りのわずかの小遣いから
それはもちろんそんなに
高価なものではないけれど
服だ、本だと買ってくれた二番目の兄。

私が10歳の時、
脳出血で倒れた父。
弟を含む6人兄弟、
そして母と父。

しかも父と長女は病。
そういう家族を23歳から
父親代わりに朝から晩まで
働きづくめで育ててくれた長男。

そして、子供6人、病人2人の家庭を
その日の生活と借金取り応対にあけ暮れ
心身ともに限界で切り盛りしてきた母。

私の個展は、そんな兄、姉、母たちへの
「ありがとう」の打ち上げ花火だった。

貧しく何の華やかなことのなかった
我が家の上に広がる天空
真夏の真っ青な大空に
打ち上げた大きな大きな
打ち上げ花火だったのだ。

母にとって、兄姉たちにとって
それが本当に大きな大輪の花火だったかは
定かでない。

でも、私は
「母ちゃん、兄ちゃん、姉ちゃん
 ありがとう!ありがとう!」
と言いながら、汗拭き拭き
目頭熱くして
真っ青な夏の大空に
真昼の花火を打ち上げたつもりだった。

初日、準備もまだという開館前に母が来た。
一番最初のお客だった。バスを乗り継いで
街中に来たのだろう。

オープン時間を気にしながら
準備大詰めの時だった。

会場入り口で、少しためらっていたが
どうぞと、中に招き入れる。

(早いだろう。準備万端のところで
 見せたかったのに)

母は、会場に入るや
よれよれの茶封筒を取り出し
「はい、ユウコウ君、お祝い」と
差し出した。

そこにへたくそなふるえたような
弱々しい文字で、鉛筆で、そう鉛筆で
「祝 個展」と書かれてあった。

その下に、私の名前が書いてあった。
しかも部首が間違えていた。
私は、正真正銘の息子だ。
名前、間違えないで欲しい。

母が、お祝いを包んでくるなんて
私はやっぱり、たいそうなことしたのだろう。
そして母は
、とても喜び嬉しいのだろう
と確信した。

私は少々照れながら
「あっ、そう、どうもね。」と
便所に向かった。
封筒の中身を見た。

よれよれの千円札が3枚入っていた。

私は、トイレでその封筒を見ながら
なぜか涙が溢れ出てしかたがなかった。
私は、わけもなくあふれ出る涙をしばらく
少々臭いトイレットペーパーで拭いて
会場にもどった。

この個展はいろんな意味を持っていた。

私は、個展の案内ハガキを
温かくやさしく接してくれた
かっての隣人たちに届けに行った。

私が中学の終わりか、高校の初め頃に引越しずいぶん経っていた。

近所の方たちには、とても迷惑をかけた。
長女が隣の茶碗を洗う音さえ嫌がり
音を立てないよう母がお願いに行ったり
それでも、近所方々は、
有名な貧乏の子沢山の我が家に
温かくやさしく接してくれたのだ。

心配かけた我が家が、皆、元気で
頑張っていること、
少しずつよくなっていることを
報告する機会にした。

一番迷惑をかけた隣の家の
おばちゃんが見に来てくれた。

「えらいね。えらいね
 頑張ったね」と私はこの個展
 涙腺が弱くなっていた。

もう一人の母から、褒められて
いるようでじんと来た。

この初個展は、私の個展の原点だ。

あの時は、個展は、とてもたいそうなことだった。
今では、東京は青山だ、盛岡だ、海外だと個展を、
画家の弟も、銀座だ、東京だ
大阪だと一流デパートで個展をしている。

しかし、この個展が
我が家にとっての記念すべき、
初の個展だった。

あの個展がなければ
今の私も、今の弟もない。

誰かを喜ばせる。
自分を愛して気にかけてくれて
いる人たちを楽しませ
幸せにし、その時の
全力の自分で挑む。

いかなる個展でも
そのスピリットだけは忘れまい。

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自分の世界の広げ方「個展論」

みづゑBOOK 2 イラストレーションドリル Book みづゑBOOK 2 イラストレーションドリル

著者:福井真一
販売元:美術出版社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

<この号はイラストレーターを目指す人は必見!貴重な資料満載!
 ギャラリーハウスMAYAのオーナー大矢さんもP80にアドバイスが
 載ってます。>

個展は、目的が明確であることが大切だ。

お金も、労力も膨大だからだ。
目的が明確でないと、最後までブレずに
しっかりした準備が、制作ができない。

最悪、一番、避けたい美しくない行動は
途中あるいは直前のキャンセルだ。

これは、たとえ不本意な準備状況でも
避けなければならない。

ギャラリーに迷惑をかけるのはもちろんのこと
このことに限らず、こういう行動の選択が重なると
自分が自分自身を信用できなくなり、
人生がぶよぶよして確固たる人生を
築けなくなる。これは怖く悲しい兆候だ。

個展開催の目的はいろいろあるだろう。

1.個展を予定し開催することで作品を産み出したい。
2.作品を売り稼ぎたい。
3.家族、友人、さらには多くの人を楽しませたい。
4.作品を出版社やデレクター、評論家にアピールしたい。
5.人生の張り合い、心身の鍛錬、高揚、向上を図りたい。

目的を明確にして、その目的を確実に達成するようにする。
一方で漠然とした目的外のことは期待しないというブレ
のない強い開催が望ましい。もちろん、これらが複合して
いる場合もあるだろうが、一番の目的、これだけはという
目的をはっきりとさせておきたい。

4番目の
「作品を出版社やデレクター、評論家にアピールしたい。」
と言うことに関して一言アドバイス。

1.出版社やデレクター、評論家が存在する東京でやること。
 (4番目以外の目的の場合はどこで個展を開催してもいい。)
  しかし、東京のギャラリーならどこでもいいのではなく、
  そういう方々が、見に来る、一目置く、あるいは
  パイプのあるギャラリーで個展を開催する。

  例えば、あなたがイラストレーター希望、イラストの仕事
  を希望するのであれば、下記のギャラリーなどはお勧め。
  私は、ギャラリーハウス・マヤで個展をし、たいへんお世話に
  なった。個展及び個展の前後では、多くの著名なデレクター
  さんもご紹介戴き、感謝している。オーナーが面倒見が良く
  誠実で一生懸命な方なので、若いイラストレターや
  イラストレーターを目指す人がアドバイスを求めたり、多くの
  ご活躍の現役イラストレーターも、ひっきりなしに訪ねてくる。

   ギャラリーハウス・マヤ
   HBギャラリー
   ピンポイントギャラリー

●もちろん絵を見せ、了解を戴いても、これらのギャラリーは
 人気があるので1年、2年待ちです。問い合わせて見てください。

2.著名な出版社やデレクター、評論家であれば、あるほど
  忙しくて見に来られないので、案内を出しても来られなか
  った方には、後日作品ファイルを郵送するなり見せに行く。

  というしつこい、複合的対応が出来たら、
  それに越したことはない。

イラスト、絵を仕事にしたい人は、頑張ってください。
あなたが夢を叶え、充実した楽しい日々を送ることを
祈ります。健闘を祈ります!

行動あるのみ
そして今日まず一枚明日も一枚!

ナカムラユウコウの世界http://www.nakamurayukoh.com/

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自分の世界の広げ方「応募」について

イラストレーターの仕事―プロとして知っておきたいノウハウ イラストレーターの仕事―プロとして知っておきたいノウハウ

販売元:誠文堂新光社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

嬉しい知らせが届いた。私のアトリエに通う女子高生が
県の高校選抜美術展の今年度のポスターコンペで最優秀
となりポスター図柄となることになった。

先週の土曜日、アトリエで一部制作し、作戦会議をし
自宅で土日、そして月曜の朝まで徹夜で提出した。

おめでとう!

自分の売り込み方、仕事のとり方、自分のキャリアの積み方
広げ方には、いろいろあるが「応募」について述べたい。

世界には、様々な、人種、民族、国があるが、人間の種類は
応募する人間と応募しない人間と2種類しかいない。

応募する人 =募集の舞台があることを知って応募する人

応募しない人=1.募集自体を知らずに応募しない人
          2.募集に、応募したくてもしない人、出来ない人
          3.募集を知っているが応募しない人

応募する人に、ドラマや奇跡は起こるが、応募しない人には
何も起きない。これだけは、確実だ

著名な第一線の創作家は、応募→受賞により国内外の活動の舞台を
広げた人の例は、枚挙にいとまない。

イラストや、絵、絵本、デザインだけの話ではない。

村上春樹は、小さな喫茶&バーを営みながら、毎夜毎夜
店を閉めた後、店のテーブルで現実的に一枚一枚原稿用紙を
埋め、「風の歌をきけ」というタイトルをつけ
文学雑誌「群像」に応募した。

その作品が、群像新人文学賞を受賞し、日本屈指の人気作家となり
今、世界一の人気作家になった。

世界には、応募する人間と応募しない人間と2種類しかいない。

絵やイラストなら、個展をする、営業作品ファイルを作って
出版社や制作プロダクションを回るなど、いろんな手がある。

しかし、著名で充実した公募への応募、受賞は、活躍の場を広げ
キャリアを積むには、決定的で最短距離だ。

この決定的手段「応募する」ということにおいて
一番大切なのは、応募することだ。

次に、自分の得意技を最大限使い切ること、
自分の土俵で勝負すること。
自分の得意技で、自分の土俵で勝負するので
その制作が楽しくて仕方がないこと。

これまでの受賞のレベルをしり、そのレベルを超え、
あるいは凌駕するものを創作しようとの志
心意気を維持して頑張ろう!

illustration (イラストレーション) 2009年 07月号 [雑誌] illustration (イラストレーション) 2009年 07月号 [雑誌]

販売元:玄光社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

私のアトリエに通うメンバーは、
イラストレーションのチョイス展(東京・玄光社)

イラストノートのノート展(東京・誠文堂新光社)

ギャラリーハウス・マヤ主催の装画コンペ(東京)

ボーローニャ世界絵本原画展(イタリア)

各公募の応募作品制作をアトリエで取り組んでいる。

またの機会に、個展や営業作品ファィルについて述べたい。

ナカムラユウコウの世界http://www.nakamurayukoh.com/

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「臭い、あっち行けよ」と森少年は言った。

世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい (ちくま文庫) Book 世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい (ちくま文庫)

著者:森 達也
販売元:筑摩書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

朝、一息ソファーに座ってアイスコーヒーを飲み
ぼんやりしているとNHK課外授業「ようこそ先輩」
が始まった。

ドキュタリー監督・作家、森達也氏が今日は
母校の富山県高岡市立伏木中学校を訪ねる。

思わずおもしろくて見入ってしまった。

見る=見ないこと

見ることは、見ないことと同じだと言うのだ。
なるほど。ある所を見ると言うことは
ある部分、見ているところ以外を見ないという
ことらしい。なるほど、人間の実際はそうだ。
深い、鋭い!これは勉強になる。

メモをしながら集中した。

中学生に自分の嫌いなものを上げさせ
「嫌いなものを見直す」授業だ。
自分が嫌いなものを取材させ、様々な角度で調べさせ
正面から自分の嫌いなものと向き合わせていく。
本当におもしろい授業だ。大切な授業だ。

子供たちは、嫌いなものと向かい合う中で
嫌いな理由を突き詰め、その過程で
嫌いなものの中に容認できること
さらには愛すべきことさえ見つけていく。

これは、本当にすばらしい試みだ。

彼は、1998 年オウム真理教を内部から
取材した映画「A」を発表。2001年「A2」発表。
以降、フリーランスのディレクターとして
「放送禁止歌」「ドキュメンタリーは嘘をつく」など
テレビ・ドキュメンタリーの制作と並行して、
多数の著書を執筆している。

番組の最後で彼は自分の幼少時代のエピソードを語る。
そのエピソードは、彼の書物
『世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい』
中にもあるというので番組終了後調べた。

彼のクラスに大阪から一人の少女が転校してきたが、
彼女は貧しい身なりで、給食費も学級費も払えず、
クラスではいつもひとりぼっちで、みんなから
「臭い」と顔を顰められたり、
囃し立てられたりしていたという。

 ある日、森さんはたまたま彼女と学校からの帰り道が
一緒になり、彼女に「家に遊びに来ない?」と誘われ、
彼女の家に遊びに行く。

「市街を少し離れたところに少女の暮らす集落があった。
少女の家は一間しかなかった。周囲には同じような粗末な
あばら家が幾つも密集していた。

そして足の不自由な彼女の母親から薄荷の飴をもらい、
森さんは女の子と陽が沈むまで外で遊んだ。

 翌朝、学校に行くと森さんはクラスメートに囲まれた。
昨日女の子と遊んでいたところを目撃した者がいたらしく、
彼らは「匂いが移ってもいいのかよ」、
「あいつは住んでいるのは朝鮮部落だ」などと言い立てる。

 その時、教室の扉が開いて、その少女が入って来た。
森さんを見つけ、微かに微笑みを浮かべ、
近づいて来た彼女に向かって、森さんはこう言った。

「……見るなよ」
「臭いんだよ。あっち行けよ。」
「少女の表情がその瞬間、微妙に変わった。怒りでもない。
憎悪でもない。悲しみとも少し違う。彼女の顔かたちは
もう思い出すことができない。でもその表情は、
僕の網膜に焼きついた。三〇年が経過した今も、
僕は彼女のこの瞬間の表情を、忘れることができずにいる」と、
森さんは書いている。

そして「忘れられない少女の表情」というこの文章は、
こんな言葉で結ばれている。

「あれは僕の中の大きなトラウマだ。
 しかしこのトラウマだけは、
 この先も抱えつづけてゆくつもりだ。
 彼女に見つめ返されたときに感じた
 泡立つような後ろめたさを、
 これからも絶対に忘れない」

私が、森さんだったらあらゆる手を使ってでも
突き止めあやまりたい。あやまって済む問題では
ないけれど、あやまらざるを得ない。
それは、もう行為としての正誤ではなく衝動だ。
初恋の人を追跡するのとわけが違う。

私は、嫌われている、バカにされている人を守ったり
味方したり友達になったり、関わったりすることは
あっても、一緒にいじめたり、加担することは
ただの一度もなかった。それは、私の幸運だ。
良かった。

私は、夜になっても、彼女の無念さを思うと
ずっと胸が痛い。

きっと森達郎は、この少女へのお詫びのため、あるいは
この少女に見てもらうため、読んでもらうため
映画を撮り、文章を書いているのだと思う。

「いいのよ、あなたは、この世界から差別をなくし
 人の心を豊かにするため、いい仕事をしてるわ。」

と、彼女に言ってもらうため。

過ちは誰でも犯す。犯したとき、犯した後
どう対処し、償うか、それが人格だ。
それが、その人間のクオリティーだ。

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人は無限に進化するだろうけど「少なくても自分が知っている一番いい自分となるべくいっしょに暮らし生きていこう!」

Jpg 「一番元気でバランス良く、感性豊かな自分らしくて、
 いい心根の自分」にチューニングせよ!

 その技術を、システムをそれぞれに構築せよ!

今日、書いたB5サイズのメモの中の
ベストセレクションです。
チューニングというコトバは、
吉永賢一さんのDVDから
インパクトを受けた言葉です。

このコトバと出逢えただけでも
本当に「吉永賢一」を知り、
出逢えたのは幸運だと思ってます。

私のブログを見て吉永さんの書籍を
読んでくれた方は、吉永さんの
オフィシャルサイトも目を
通してください。

吉永賢一IS東大家庭教師が教える頭が
       良くなる勉強法と記憶のコツ
http://ameblo.jp/yoshinagakenichi/

サイトでは「わかる」「覚える」「なれる」など、
書籍での内容をさらに、噛み砕いたり旬な補足を
加えたり、その他の勉強法や課題解決法や、様々
な情報が満載です。吉永セオリーファンはご必見!

尚、吉永賢一オフィシャルサイトのトップページの
ブックマークに「ナカムラユウコウのコトバカフェ」
が掲示されており、本当にありがたく思います。

このブログを心を込めて書き、いいブログにしていく
ことが吉永さんへの感謝の表現の仕方だと思ってます。

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夏になると思い出す「圧倒的努力」

Dsc00038 夏になると、むちゃくちゃ努力したくなる。
精進したくなる。<ど、どうしたんですか!?>
暑くて何もやる気が起きない
とかいう人が理解できない。

根がアフリカ?
前世はインド人?
種族がレゲェ&カリブ人?

本当に根っから暑さに強いのかも。
東京で6年。5メートル歩けば
汗が噴出し、ズボンの太もも辺りが
噴出した汗で黒ずむような
そんなひどい暑さの時も
一度も夏バテをしたことがない。

暑くなると頑張りたくなる。

むちゃくちゃ何かを書きまくりたい。
絵を描き、文を書き
本読み、書き写し、まとめ、調べ
勉強しまくりたい。

ということで私事ですが
圧倒的努力、圧倒的精進
圧倒的創作、圧倒的研鑽
やりまくります。

冷たいものや、アイスばかり食ってないで
暑い時こそ、熱い緑茶、ホットコーヒーを飲み、
飲みながら、暑い時は、熱く、攻めていく。
すると、涼しくなるわけではないが
暑さが関係なくなる。

夏バテ対策は、自分自身が熱くなること。

言っちゃうなら
「自分自身が太陽になっちまうことだ!」

熱いぜ!

熱すぎて、うざいぜー!

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「ひねもす ほっと茶屋」オープン記念:中村太樹男絵画展開催!

P1150833 バスセンターから3分、IBCとマルイチの駐車場から1分
の所に、盛岡にまたステキなお店が一軒
「ひねもす ほっと茶屋」オープン!

オーナー&マスターはミュージシャンの
吉田かずを氏。

昼は喫茶。し切るのは、奥様。クラムボンで
7年修行の本格派。豆は、クラムボンでコクあり。

夜は、吉田さんがマスター、ホスト役。

弟の高校時代のボクシング仲間。

オープン企画個展として、中村太樹男絵画展。
ジクレー版画の作家セレクトによる自選展。

P1150834 「ひねもす ほっと茶屋」
 盛岡市中ノ橋通2-6-2
 019・653・5541

 ちなみに、この徒歩1分の
 マルイチさんは
 24時間営業!
 ここに止めろとは、
 言ってません。
 買い物ついでに
 お寄りするのもいいかも。

Jpg

P1150836

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北上に行く。第一の目的は中村太樹男絵画展搬入。第二の目的はスーパー「おせん」?

P1150809 さくらホールのすぐ側の、北上のかもめの玉子さんで
「ナカムラユウコウコトバとイラスト展」の後
本日搬入、本日より「中村太樹男絵画展」が開始。

盛岡の国分通り店と北上店のアート展示の
プロデュースを頼まれている。

来月は、何にしようか?誰にしようか?

実は、本日の北上行き、第一と第二の目的
逆かも。「スーパーおせん」ただもんじゃないから。

あまりにも安くて、近所の大きな生協が
つぶれてしまったという凄ものなり!
連日大盛況。店内は大混雑、店内に流れる音楽は
古き良き時代のパチンコ屋と同じ軍艦マーチ。

P1150253 野菜もの、海産物は、ほぼ半値ですね。
ビックリです。弟もやる気満々で
岩銀にもよって来たと言うのに
なんと、なんとスーパーおせん
お・や・す・みでしーた。

ガクク、クーン!

気を取り直して、お仕事、お仕事、搬入。
次回をお楽しみに。

写真は、一ヶ月前、私の展示会の搬入の時に。
おせんに寄った時の写真です。
駐車場満杯。広い駐車場、遠く端まで行かないと
停めれません。

北上にお出で際は、一度行ってみて下さい。

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今日は七夕。織姫、彦星にお情けを!

P1150799 夕方、車を走らせていると
小学生たちが
短冊を振り回して
下校帰り道。

今日は7月7日。
七夕の日だ。

あいにく、小雨がぱらつき始め
空は、向こうもこっちも灰色。

美しい星空
天の川での織姫、彦星の
逢引は窺がえそうもない。

まぁ、人の逢引を覗いても仕方がない。
いい恋をしてください。

織姫と彦星のように
働き者で魅力的な二人が
一緒になる事で
機を織らず働かずの怠け者に
なるのでなく
よりいい仕事をするようでありたい。

それにしても
情け深い天の神様
愛する若い二人が
年に1回じゃ拷問です。
なんとかしてあげてください。

男と女が楽しく恋をし
楽しく共にあり続けるには
技術が必要です。

男と女の付き合いに
一番大切なのは
相性でも、趣味が合うとか、
感性とかじゃなく
尊敬です。

天の神様。

天罰の前に、まずは、ご指導を!

七夕伝説 織姫と彦星

昔々、天の神(天帝)に
織姫(おりひめ)という娘がいました。

織姫は機を織るのがとても上手で、
毎日機織りをして暮らしていました。
織女の織る布は、五色に光り輝き、
季節の移り変わりに色が変わると
言われるほど美しいものでした。

年頃になった織姫は、
働き者の牛使いの彦星と結婚して、
幸せな生活が始まります。

しかし、二人の仲があまりにもよすぎて、
あれほど機を織るのが好きであった織姫が、
機織に全然見向きをしなくなりました。
また、働き者であった彦星も、
働かなくなってしまいました。

二人のことを、陰ながら
見守っていた天帝でしたが、
ついに怒りを爆発させます。
天帝は、二人の間に天の川を流されて、
二人を会えなくしてしまいました。

織姫は泣く泣く彦星に別れを告げると、
天の川の東に帰って行きました。

彦星もまた自分の故郷である
天の川の西に帰っていきました。

こうして愛する二人は天の川を隔てて
離れ離れになってしまいました。

天の川の川幅はとても広くて、
どんなに大きな声で叫んでも、
こう岸に立っている人には
聞こえません。
ましてや姿など見えるはずもありません。

織姫は、彦星に会えなくなった寂しさを
紛らわすために、再び機を織ろう思いました。
しかし、涙が出てくるばかりで仕事がはかどりません。
彦星も、毎日物思いにふけるだけで田畑は荒れていきました。

天帝は、そんな二人を見かねて言われました。
そして二人に、一生懸命機を織り、
田畑を耕せば、年に一度、
七夕の夜に会えるようにしてくれたのです。

それでも、七夕の夜が雨になると、
水かさが増して橋が渡れません。

それからというもの、
七夕飾りのたくさんある短冊の中に、
『七夕の夜は晴れますように』と、
必ずこの願いの短冊をひとつ
かけておくことが風習になりました。

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メクラトンボと牛と人間についての2009年夏の日の考察

Mekuratonnbop1150694 午前中
メクラトンボを見た。
今日も暑い、暑い一日だ。
水量豊かな大きな川の川辺の草に
涼しい川風を浴びて
草と一緒に揺れている。

Murenop1150728 午後
牛を見た。
おっぱいをパンパンに張った
乳牛たちだ。

牛の一生、私たちの一生。

この星には
無数無限の命あるものが
それぞれの種独自の寿命と
システムの中で
生まれ、生き、死んでいく。

この一本一本の草たちもだ。

我々人間だって
もちろん言うまでもなく
この私だって特別なものじゃない。

ある一つだ。

That’s right!

Usikunnnnihikip1150752_2 しかし

我々は
自分の人生を特別なものに出来る。
とびきりのものに出来る。

自分の人生を、特別なもの、格別なもの、
とびきりなものにすることが出来る。

それが出来るのは、それぞれに
この宇宙で、この自分だけだ。

それぞれに、とびきりの人生に
自分で責任を持とう!

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劇団赤い風プロデュース大泉千春追悼公演陰画絵本鼠小僧次郎吉」を観て

1 一昨年の夏、突然、逝ってしまった
友人、大泉千春の追悼公演が
この5月の末に開催された。

私は、その劇評を頼まれて
いたのだが見直すたびに長くなり
そこで削ろうと読み直すと
さらに長くなり
一週間削りに削って、何とか
書き上げました。

「陰画絵本鼠小僧次郎吉」は、
黒テントの佐藤信の
1970年の岸田戯曲賞作品。

25年前も、私は、この舞台を見た。
そこは、旧家の立ち並ぶ本町の裏通り、
古びたビルの2階の劇団赤い風の
狭い20~30畳ばかりのアトリエ。

びっしりぎゅう詰めになった観客の中を
5匹の鼠が飛び跳ねていた。

大泉千春の誘いで、この舞台から
赤い風の美術をやっていた。

千春は、東京に見切りをつけ、故郷、盛岡で
新しい人生を開始して間もない頃だった。

千春は鼠の一番。彼は、厄介な肉体を
もて余しているかのように、
腰のあたりに軽く両手を宙に開き、
その体に乗っかった頭部の中に存在する
ギラリとした大きな目ん玉の、
その僅か下方に位置する口から、
抑揚の無い力まぬ語りに載せて
機関銃のように言葉を連射した。

それは、観客に向けられたものなのか、
アトリエの宙にいる物の怪に語っているのか、
はたまた、自問自答の独り言を、
我々がたまたま音として聞き取っている
だけなのかわからなかった。

千春は、演劇との関わりと経験は、
ほとんどなかった頃だったが、
技術と経験を超えた存在の迫力があった。

おそらくは、それは、圧倒的思索量と知識とで
支えられ、隠しても滲み出る
隠しようのないそれだった。

観客の或る者たちは、そのかび臭い
畳の上で痙攣し、あるものは金縛り
にあっていた。

私は長く付き合い続けてきた
同級生の大泉千春ではなく、
役者、大泉千春の凄みをみた。

大泉千春は、中学3年間、
同じクラスの同級生だった。

あれは中一の時だった。
読書感想文、学級代表を決めるため、
班代表として千春が「絵本『桃太郎』を読んで」と、
朗々と読書感想文を読み始めたのだった。

「・・・・平和な鬼の社会を、
破壊する侵略者、桃太郎こそ、
鬼そのものである・・・・」

私は、生まれて初めてこの世界、
この世で怪物を見た気がした。

(・・こいつは何者!?・・・・・・・)

それ以来、千春は、私の世界で
特別な位置づけを持った存在になった。

仲のいい5,6人でいつも煙やアルコールの匂いのする部屋で、
ギターを弾き、歌を歌い語り合った。

私は、高校、大学時代を通して、
時に千春と会い何時間もコーヒーで、
この世界のミクロとマクロを、
仕組みと構造を話し込むその時が、
楽しくて楽しくてたまらなかった。

2 赤い風アトリエ公演から25年。
今、見ている「陰画絵本鼠小僧次郎吉」は、
時代の重いテーマを掲げ難解と言われる
1970年発の佐藤信のこの作品世界を、
劇中歌を多様し、光、音を含む演出を工夫し、
演劇を解する人から初めて見る人、
まさに子供から大人まで楽しめる
作品に仕上げられており、あっぱれであった。
プロフェッシュナルな仕事だ。

その舞台は、小劇場の舞台に
期待するものを抱いて訪れてきた、
例えば「アングラ」などという
死語を脳みそにしっかり一つの
ボキャブラリーとして納めている人たちの気持ちをも
裏切らないものだった。

演出のチカラ、役者たちの力量、そして今回の公演、
舞台を良いものにすることで追悼の意を表したいと
する役者、スタッフはもちろんのこと、
すべての関係者、協力者、ひいては盛岡演劇人たちの
大泉千春へのなみなみならぬ情愛、
敬慕と言うものを感じた。

ステキな舞台だった。

舞台終盤のジェニーこと鼠の5番と
闇の少女ことジョージの掛け合いは
見事で圧巻であった。

最後、登場人物が全員、黒い忍者のいでたちで
佐藤信の本の詩にオリジナルメロディーをつけて合唱した。
もちろんオリジナルな演出だ。

手を振り歌う彼ら、
「チハルさん!チハルさんが、
ここに居なくなってからも、
私たちも頑張ってますよ。」
と千春に手を振り語りかけているようで、
私は涙を禁じえなかった。

Photo_2 人は死ぬ。けれど、死んでもこの世にチカラと愛を
増幅させることもできる。
創造と創作の力、エネルギーになり得るのだということ、
それが「人」というもの、
「人の人生」というものであるということを、
千春は今日、私の心に強烈に、その事を打ち込んでくれた。

劇評を書き上げる前に、どうしてもこの舞台のために作ったという
大泉千春追悼歌を聴きたい。

そうでなければ、劇評を永遠に書き終えることが出来ない気がした。
のっぴきならない所用のため少々遅れて劇場入りしたため、
オープニングングに流れたその歌を聴くことが出来なかったのだ。
止むに止まれず、藤次郎事、大泉千春の義理の兄、
この歌の作詞者でもある坂田裕一氏を訪ねた。

その晩、私は、坂田氏の魅力的な低音の語りと、
千春の姉ちゃんの入れてくれて美味しい紅茶を戴きながら、
追悼歌を聴き、頭の中のスクリーン舞台で、
幸運にもオープニングを再現することができた。

私は、いつの間にか、坂田氏の書斎ではなく、
桟敷に来ていた。そこに千春がいた。

「―ここはいつもの舞台―いい歌詞だね。」

観客の最前列で体育座りをしていた千春と私は語り合う。

―照れるね。いつもここにいるのにね。―
「一応、この世界では、チハルは、
 いないことになってるからね。
 まぁ、いいじゃん.。照れないで.」

―ああ、ここがいつもの舞台なら、
 ボクはいつでもここに来る。
 圧倒的舞台、役者が観客を
 測定不能の恍惚に陥れた極みの瞬間、
 必ず拍手をしに来るさ。
 「よしッ!」と言いながらね。―

「そうか」と相槌を打ち、
千春の姿を捉えようと横向くと、
千春はもうそこにはいなかった。

舞台の中央には、スポットライトを浴びて小さな木箱の上、
千春の写真と小さな花が載っていた。

見上げると舞台の天井は大きな大きな星空、
たくさんの星が眩しく輝いていた。

「またね。」と私は、言い換えて劇場を後にした。

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ロッククライミング、岩をよじ登れ!

P1150622 登るのが好きな人がいるものだ。

この小雨ちらつく中、歩いて5分の
運動公園のロッククライミング施設で
今日は高校生の大会をしていた。

この子達は、登るのが好きで
登ることで人生と、世界を
解読して大人に進化していくんだろうな。

登るのがなぜ好きなんだろう!?

P1150618
「そこに山があるから」
1923年、ニューヨーク・タイムズ紙の
インタビューで、ジョージ・マロリーは
「なぜエベレストに登るのか」
という質問に、"Because it is there."
(そこにそれがあるから)と答えた。
"it"(それ)とは「処女峰エベレスト」を指す
ものであるが、日本では藤木九三によって
「そこに山があるから」と訳された。
登山家の信念を表す名言として現在まで語り
継がれている。

「そこに山があるから」
なんだか適当な気がする。

P1150643 でも、そうなんだと思う。
その人の目の前にある山は
登らなければならない。
よじ登らんなければならない。

その人の生活、人生、その人の
視界、その人の目の前に立ちはだかる山は
意味がある。

偶然や、成り行きや、たまたまではない。

偶然、なり行きのようで
実はその人の飛躍的進化プランのメニュー
なのだ。他人には見えない山かもしれない。
その人にしか見えない。

目の前の山をよじ登ろう!

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あの日の雲、あの日の空。今日の空。

P1150576 あれは、3年前だろうか、
4年前だろうか。

あらしのよるの翌朝
主な色だけでも
黒、グレー、パープルグレー、
イエロー、オレンジ、赤。

その朝の雲は、色だけでなく
形も様々で、いろいろな動物
生き物が、まるで一堂に集まって
歌い踊る大空のカーニバルだった。

あの日の朝以来
私は憑かれたように
雲を写真に収めた。

日の出から、夕暮れまで。

何千枚と撮ったろう。

この雲は、この空は、
いつか見た雲
いつか見た空。

ということも
あるけれど、それでも
何年撮っても
初めて出会う雲と空。

今日も夕方
そんな雲と空にであった。

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「あらしのよるに」のきむらゆういちさんと言う人

あらしのよるに ちいさな絵童話 りとる あらしのよるに ちいさな絵童話 りとる

著者:木村 裕一,あべ 弘士
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

きむらゆういち作の「あらしのよるに」を
読んだことがあるだろうか。

立ち読みした私が言うのも変だが、あれは
立ち読みすべきでない。

なぜかと言えば、泣いちゃうからです。
簡単に言うとオオカミとヤギの友情物語。
児童文学。子供はもちろん、大人のファンも多い。

アニメになったり、話題になったは数年前。
書かれたのは今から十数年前。
大きなウェーブになるのに10年かかるんですね。

「男の隠れ家」という雑誌がある。
その雑誌を私の隠れ家である、ある喫茶店で
読んでいたら、きむらゆういちさんの記事が
3ページにわたって掲載されていた。

あの名作、私は本当に感動して感動して
ヤギの気持ち、オオカミの気持ちを思い
ラストのシーンを思い出すと
車の中でも数日間、胸が切なくなり
涙が滲んできたのを覚えている。
同時に、その物語を書き上げた
きむらゆういちという人物に
羨望、畏怖の思いが湧きあがった。

きむらさんのインタビュー記事によると
「あらしのゆるに」はァミレスで
一晩徹夜で書き上げられたものだと言う。
ウーッ、すごい!

きむらさんのその創作姿勢、創作方法が
一つひとつ全てに非常に共感が持て、
シンパシーを感じるものでした。

私は、とても気持ちよく
ポメラでその小さな文字で3ページに渡る
記事を全て打ち込みました。

キーを打ち込みながら
「そうだよな。そうだよな」と
とても、満ち足りた納得をしながら、
幸せな時間を過ごしました。

創作する人には、非常に参考になることが
散りばめられています。

きむらゆういちインタビュー記事<男の隠れ家>から

P1150551 「ファイルにしている「ヤギとオオカミ」と書かれた紙袋に
 たまった資料を持って、近所のファミレスに行ったんですよね。
 その都度、思いついたときにメモを紙袋に入れておいた。
 それでファミレスの4人がけのテーブルに座って、
 資料を一面に広げて、朝までに一晩で
 書いたのが「あらしのよるに」。

深夜から書き始めたんだけど、書きながら自分でも
ハラハラドキドキしてました。(笑)。
周りから見たら深夜におじさんが一人、
時にニャニャしながら書いていたわけですから、
変わった光景だったんじゃないですか。(笑)

1994年に発表された珠玉の名作「あらしのよるに」の作者、
絵本・童話作家のきむらゆういちさんはこう話す。
「あらしののよるに」は、実はファミレスから生まれた傑作だった。

同作品は、講談社出版文化賞などを受賞し、
イタリアや韓国、台湾などのほかに英語版で翻訳され、
日本ではアニメ映画化されて大きな話題を読んだ。

きむらさんは次々にベストセラー本を出版するだけでなく、
脚本や小説、コミックの原作など幅広く活躍しながら
大学の教壇にも立っている。

「書斎には、どんどん資料が増えてくるから狭くなるでしょう。
 その点、肝心な資料だけ持って、4人がけのテーブルを占領して、
 一斉に広げてゆったり仕事ができるファミレスがいいですね。(笑)」

そもそもきむらさんがファミレスを仕事場として利用するのは、
静かな環境で仕事をするのが苦手だからだ。
周囲がざわざわしている喧噪の中の方が、はかどるという。

「狭いスペースで一人閉じこもって仕事をしていると、
 風通しが悪いというか、圧迫感を覚えるんですよね。
 だから一人でじっくり企画を考えることもないし、
 アイディアを練るために特別な時間を作ることもないです。
 普通に生活している中で、ふと思いついた時に、
 メモを取る程度ですね」

手もとに筆記具なければ傍らにいる人に借りるし、
メモ帳を持っていなければそこにある紙を使う。
例えば、飛行機の機内でメモ帳を所持していなかったときには、
吐しゃ用の紙袋に裏表いっぱいに走り書きをした。

著作500冊を越えるという。途方もない仕事をこなしている
超人的なクリエーターらしからぬユーモラスな一面だ。

「用意周到、綿密なタイプじゃないですね。でもアイディアに
 煮詰まって頭の中が窮したことはない。
 同時並行でいろんな仕事をしているから、
 ふと思いついたらメモを取っています。
 ただ当面の締め切りだけだけでノート1ページ分もあるんです。
 もう、5年10年待ってもらっている企画もある。
 僕が仕事の依頼を断ったことがないからでしょう。(笑)」

きむらさんの説によれば、原稿などの締め切りはつらくて怖いから、
つい先延ばしにしようという意識が働く。
毎回襲ってくる締め切りのストレスをためないために、
1年の連載の原稿を一度に3回分執筆し、編集者に会って
原稿を渡す回数を4回で済ませるという離れ業を披露する。

「最近は何でも仕事につながっていく。
 今僕はシングルファザーで子育て中なので、最近育児のの本を
 頼まれてまとめました。
 だからどこらどこまでが仕事とプライベートなんだか
 分からなくなっている。(笑)
 大学の頃は画家になりたかったけれど、
 絵本の方が売れちゃって油絵から離れちゃった。
 今また油絵描こうかなと思うようになって、
 自宅の地下にアトリエを造ったんです。」

少年時代のきむらさんは根っからマンガ少年だったから、
近所の床屋に日参しては主人から客が読んだマンガ雑誌を
もらい受けた。さらにそれだけでは物足りず、 
近所の貸し本屋でも雑誌を購入した。

「部屋の中は漫画雑誌だらけで寝る場所もないわけ。
 どうしようもなくなって、
 雑誌の上に戸板を並べてその上で寝たんです。(笑)
 昔から漫画一辺倒で、読書推進運動なんて
 やっているわりに本は読みませんね。(笑)
 ただ本でも漫画でも映画でもメディアはなんでもいいけれど、
 主人公の気持ちになっていろいろな
 疑似体験をすることが大切なんです。」

高校までコンプレックスの塊のような日陰者で、
消極的なタイプだったという。
やがて絵を描いたり文章を書いたりする事を通じて
「こんな楽しいことで飯をくえるならば」と作家になる決意をする。

「大学の時にたまたまもらった絵本があって、
 僕の知らない世界に惹かれましてね。
 考えたら絵本にはストリーも絵も色も全て含まれている。
 そういう意味で自分の世界を表現するには
 もってこいだと思ったわけです。」

7カ所の書斎を使い分け膨大な仕事をさばく。
自宅3カ所、大学3カ所、とアトリエ。

大学時代から抱いていた初心を貫徹させ、
贅沢な夢の実現を果たしたかと思われてもなお「まだ夢の入り口」
に過ぎないと恬淡と話すきむらさん。

今後は映画製作、大人のための作詞など夢の領域は拡大する一方だ。

「僕はその道一筋というのが嫌なんですよ。延々と同じ仕事をやって
 いる人は偉いと思うけど、僕にはまねできない。いろんなことに
 挑戦している人が好きですね。」

「おそるべき60代の才人」きむらさんの仕事から目が離せない。

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夢喰いライオン

Jpg_3 夢ばかり見ていると
喰っちまうぞ。

おまえの時間も
喰っちまうぞ!

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