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コンビニ本は魅力的。

<アフリエイトは買った本>

やめる力 Book やめる力

著者:マツダ ミヒロ
販売元:中経出版
Amazon.co.jpで詳細を確認する

4054042139

コンビニで、本を買うことが
多くなっている。

読みやすくて
おもしろくて
魅力的な本が多いのだ。

各種、週刊誌、月刊誌そして
漫画本のひしめく中
厳選の10冊程度で
おそらくそこに
セレクトされるのは
本部のその部署で
相当、中身が良いか
魅力的か検討されていると思う。

昨日も、今日もふらりと
入ったコンビニで
少々、立ち読みしたが
あまりにもおもしろくて
決して安くもない本を2冊も
買ってしまった。

経歴で買ってなんかいない。
中身だ。逆に言うと
いいものさえ、書ければ
経歴なんかなくても
売れると言うは
ありがたい事実でもある。

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感動、おもしろい「無」

ニュートン2月号、特集は「無」51dsrgnvuwl__ss500_

いや、ワクワクする。

一般に「無」と言えば、「何もないこと」。
ところが物理学にとっての「無」は、
「何もない」どころの話ではない。
「無」は素粒子を生みだし
正体不明のエネルギーに満ち
さらには宇宙を誕生させるのだというのだ。 

「無」とは実にダイナミックで
エキサイティング。

スタンフォード大学の
レナード・サスカイン博士は

「無の全てを知るものは、
全てを知り尽くす」ほどだという。

宇宙の構成は、この「無」70数パーセント
ブラックマター(暗黒物質)が20数パーセント。
いわゆる「有」が、宇宙で占める割合は
4パーセントだというのだから
宇宙とは、とんでもない
人智を超えた世界だ。

この無の中に存在する溢れかえるほど
満ち溢れている謎の物質こそ
もしかしたら
われらの4次元世界で、様々な不思議を
起こしたり、命が宿ったり
生まれたり、思いが通じたりする
いろんな仕掛け、仕組みを

可能にしているのでは、ないだろうか。

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無難、有難い。

友人とお茶を飲む。72p1110373
青年会議所所属、ミュージシャン
読書好き、宇宙話好きの
好青年だ。

テレビで見た、難聴を患う
ナンバーワンホステス
の話を教えてもらった。

筆談で、その実績。

彼女の言葉なのか
誰かの言葉なのか
彼女が番組内で書いた
言葉が

「難しいことのない人生は無難な人生」

「難しいことが有るのは有難い人生」

う~っ、なるほど。

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石の啄木と会う。

昨年、装丁とデザインをした72mg_0206_3
「26年2か月 啄木の人生」
売れ続けています。

うれしいですね。

このままだと、初版2000も
間もなく底を突くでしょうか。

今日は、盛岡出版の栃内さんと
渋民の啄木記念館へ。

出版希望の方がいて
表紙等のデザインのアドバイスに
同行。

通り過ぎるものの
中に入ったのは
数十年ぶりか。

打合せで、応接ルームだけ
だったので、天気のいい日
いつかゆっくり
展示を見に来よう。

ステキな彫塑、見つけました。

いづれ、やはりアートはいいいな。

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人が嫌がることをする子。苦しみ悲しみたがる大人。

72_076嫌がることばかりしたり
言ったりすることでしか
親近感の表現が出来なったり
コミニュケーションを図れない
子供がいる。

でも大人でもいるかも。

一方で、苦しみ悲しむことでしか
生きている実感を感じる術を
知らない大人がいる。

これは、深層心理の問題だ。

無意識的に、苦しみや悲しみの
状況に自分の人生を
運んでしまっている
人間がいる。

そんなバカな!という人も
一度、自分で自分と人生の検査を。

そして、笑いや充実や
信頼や創造が愛や感動や
感謝や、する方もされる方も
気持ちのいい、幸せになれる
おせっかいで生きてる実感
を感じる人生の方が
楽しいことしっかり
確認するように。

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人間は凄い。川上哲治はボール、私は突っ走るバイクが止まって見えた。

72イヌイット人の雪の上、氷の上で
寝ても凍傷にならなかったという
人間の潜在能力の計り知れなさ。

そして、さらに。

1951年。

巨人の野球選手の川上哲治氏が
「ボールが止まって見えた。」
と言ったそうだ。

おそらく、それは、
全く止まって見える訳は無いので、
おそらくは一般人の凄く軽い
キャッチボール位の速度の感覚が、
動体視力と集中力の人並み外れた
川上哲治氏の場合は150km/h位でも
前者と同じ位や、それ以上に球筋や球の
縫い目までもがとても良く見えた
のではないかと思う。

しかし、今から、5年、6年程、前。

よりによって、近所の警察署のまん前で
前かがみになって走るライダーを乗せた
モーターバイクが突然進行方向左側から
右折して正面から走っている私の車に
直進してきた。

その時、二度とできない
人間の能力の大実験が行なわれた。

「なんだ!?なんだ!?バイクが
 直進して向かってくる!!
 なんだ!!なんだ!!」

その間、数秒だったろう。

その時、「時間」が、伸びたのだ。

全てが、スローモーションになったのだ。
私は、ブレーキをかける。

バイクは、ゆっくりゆっくり、一コマ一コマ
ゆっくり回された映画のフイルムのように
近づいて来て、やがてゆっくりバイクは
私の車にぶつかり弾き飛ばされ
運転者は、ゆっくりゆっくり
私の車に乗り上げ、やがて
フロントガラスにぶつかり
道路に飛んでいった。
全てゆっくり一コマ一コマ
進む出来事だった。

ボールが止まって見える。

こんな極限状況でなく
平常の時に、この感覚を
自在に使いボールを止めて
コマ送りして見る事の出来る
川上哲治は凄いが
とにかく、人間の能力は底知れない。

皆さん、自分に自信がなくても
「人間」であることに自信を
持って生きようではないか!!
人間は、スゲー!!
スゲーぞ!!

事故の結果について一応報告

あっという間に見物客は数十人。
どこからか湧くように凄い人が
集まるもんですね。
しかし、現場検証の警察も
私と相手の保険やさんも
バイクのライダーが悪いと言う判断。
当人もケガもほとんどなく保障やその他
もなく済んで一件落着でした。

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氷の上に寝ても凍傷にならない人々

72 今日読んだ本の中に、

「19世紀、西洋人が
 イヌイットの生活に入り込むまでは
 雪の上に寝てもイヌイットの
 人々は凍傷にならなかった。」という

記述があった。

西洋人が、そんなことをしては
凍傷になってしまうと言ってから
凍傷がイヌイットの中で
始まったというのだ。

文化人類学の世紀の記録資料に
あるという。

人間は、母親の胎内の中で
魚類、は虫類、両生類、そして
ほ乳類の変体を経て
人の子として生まれる。

人は、そのDNAにすべての
歴史を留めている。

必要に応じて
その能力を発現するのだ。

凍傷になったアザラシやトド
シロクマの話は聞いたことはない。

我々は、アザラシのトドの
シロクマのレコード、DNAを持っている。

私には、氷の上でも凍傷にならなかった
イヌイットたちの話は非常に衝撃的だった。
自分のDNAの中の今だね眠っていた
野生のある部分にスイッチが入った
ような気さえする。

人間の適応力、無限性。

寒い日が続いたが
私は、シャツ一枚でも
風邪を引かない自信みたいなもの
満ちている。
私は、すぐ、なった気するタイプだ。
アクション映画を見ていると
急に腕立て伏せがしたくなり
映画館を出てしばらくは
主人公になりきっている。
街も映画色に染まって見える。

まっ、それはそれとして

人間というのは、そら恐ろしい怪物だ。

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漫画家「菅野修」さんと、知り合う。

72img_0158 ちょっと仕事をしようと
モスバーガーによる。

ここの2階は、見晴らしもよく
空間のレイアウトも落ち着いて
いろいろはかどる。

注文したホットココアを持って
2階にあがった。

そうしたら、知り合い
知り合いと言っても
私が世の中に企画と言う仕事があり
その企画というものの仕方、資料作り
イベントのシナリオの書き方などの
基本を教えてもらった
その道の先輩である。

客人と一緒だ。

紹介された。漫画家、菅野修。

私も自己紹介し、後は
二人の会話をBGに、菅野さんの
漫画を読んでいた。

イヤー!いい。

味わい深い、いい絵だ。
ガロ系だな。
古くない。むしろ、より
今風だ。

イラストの各賞を総なめにした
かってのセツモード上がりの
イラストレーターたちに共通する
稚拙で荒いように見えるが
決して真似ては描けない
ドローイングの線とキャラクターと
ストーリーが一体になって
進行する描く神様、ミューズが
宿った天才系の絵だ。

おもしろい。

大通りのジュンク堂に今、
並んでいるというので
後で買いに行いきたい。

”ガロ系”とは<くんだん書房のホームページより>

ある種の漫画の分類
など使われたりしますが、
厳密な定義付けというのが
されているわけではありません。

広義には、今は亡き雑誌『ガロ』
およびそれに類する雑誌群
(『夜行』『ばく』『アックス』『幻燈』等々)
に掲載された作品もしくは
作者による作品群といえます。

狭義ではつげ義春を筆頭とする
きわめて観念的な劇画作品群
ともいえます
(もちろん異論はあると思う)。

この狭義のガロ系漫画の
特徴の一つに、きわめて
商業主義とのソリが合わなかった
という点がある。これが作者
もしくは作品がそのような
指向をしていたかというと、
そういうわけではない。

たまたま商業主義とは
ソリが合わなかっただけだと思われる
(これにももちろん異論はあると思う)。

 そんなわけで、大半のガロ系漫画家は
、夭折したり、屈折したり、変節したり、
筆を折ったりしてしまう。

そんな中で菅野修は、
残された数少ないガロ系の
漫画家であり、いまだ孤高の
際に踏みとどまる表現者でもある。

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「銭形平次を読み解く」講演会、おもしろかった!

72mg_0180今日は、野村胡堂記念館で、
銭形平次の研究家
外崎菊敏氏の講演会があった。

銭形、おもしろい!
江戸もおもしろい!

2時間があっという間。

前に来た時買った
漫画銭形平次を読もう!

いやー、よく練られた
ストーリーやトリック、仕掛け。
そこにしっかりとした時代考証に
支えられた江戸の風物。
そして、平次を初め、登場人物の
人情の心地よい織り合い。
作者の野村胡堂は、犯罪心理や
心理学にも造詣が深く
悲しい、せつない人間の性、業
描写に感心させられる。

原書で読むに値する本だ。

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「人」になるトレーニング。「神」になるトレーニング。

72_2 人は、可愛らしい未来ある
そんなに臭くない少量の
ウンコをする赤ちゃん
子育てをして、たいへんだけど
喜びも感じながら
一人前の人間になる。
愛情があれば出来るトレーニング。

人は、面倒で不機嫌で意地悪で
ひがみっぽくなり
一つも可愛くない
大量の臭いウンコするようになった
親でさえ、慈しみとやさしさでもって
面倒見て、人間から神になる。
愛と知性と、そして人格を必要とする
トレーニング。

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「死んだ父ちゃんは守ってくれているか?」

72_2 ボッシュ君は、本当にありがとうさん。
では、死んだ父はどうか。

きっと、守ってくれていると思う。
私の特徴、及び私の人生の特徴は
「運がいい。」ということだ。
運がいいというのは、結局、人智を
超えた何か、大きな力が働いている
と言うことだ。

父も守ってくれている気がしている。

もし私が、パナソニック就職希望で
松下幸之助氏に面接を受けたら合格かな。
自分の事、「運いい」と言う、
思っていると言うことが採用の重要な
基準だったとか。

私が自分が運がいいと思うたくさんのことの
中からイラストの仕事での2つだけあげよう。

まず、イラストレーターになりたいと
思っていた私が、一番最初の仕事が
大手出版社の世界的ベストセラーの
表紙と中のイラストだったこと。
それも、イラストレーターで頑張るぞ
と深く決意したある日のある時の
約6時間後に、その依頼が来たこと。

慢性の浸出性中耳炎をこじらせ
右耳の大手術をした時、2週間挟んで
手術の予定をしていたなんと
同時期罹患していた左耳の進行性の
骨を溶かす炎症が、不思議にも
右耳手術の術後治療の最中に自然完治し
それだけでなく、医者も驚く自然治癒力で
30日予定の入院が20日となり
退院した翌日、自分が一番描きたい雑誌
から、描きたいテーマの特集16ページを
任せるという仕事の依頼がはいるという
グットタイミング、願い通り、いや以上の
仕事が入り、早まった退院時間の10日間は
まるでちょうどその仕事のための
時間確保になった。

そういう漫画のようなことが、たくさんある。

出来すぎだ。そんな時は、何か
大きな不思議、そして父を感じるのだ。

父は、53歳でクモ膜下出血で倒れ
十数年生きて68歳で亡くなった。

亡くなる数年間は下の方も緩くなって
ちょうど私も就職浪人中、バイト生活
時期と重なっていたこともあり、実家に
居候しており、度々、父の
大小の粗相と出くわすこともあった。

私は、とても、その処理が上手かった。
もしかしたら家族中で一番手際よく
上手だったかもしれない。

今でも、時々、夢でも見る。

1.まず、発見した瞬間、匂い対策で、
  鼻血が出た時のように鼻の両穴に
  テッシュを入れる。その後、タオルで
  鼻から口を覆いマスクにする。
  そして、「動かないでね。」とやさしく
  あわてず落ち着いて何でもない振りをし
  まず取り急ぎ、部屋の汚れを取り除く。
  開けられる窓やドアは開け、換気をし
  なるべく何事もなかったような部屋の
  再現、状況作りをする。

2.次に、やさしく「父ちゃん、父ちゃん
  お風呂、お風呂」と言ってお風呂に誘導。

3.風呂場に着いたら、ズボンを脱がし
  最初は程よい温かさの湯加減の
  シャワーでなるべく汚れを落とし
  なかなか、取れづらい所は、
  手も使って流してやる。
  この時、手際よく、ズボンや下着の汚れも
  なるべく流し落とし、洗濯する者の
  負担を軽くする。
  

4.「気持ちいいでしょう。」と声をかけてやる。
  無言とか、いやいやながらという
  雰囲気は感じさせないこと。
  
  もちろん愚痴ったり、意味のない
  「もうしないように」「気をつけてね」
  などの無意味な説教をしたり、怒ったり
  しかりつけてはいけない。
  それは、いじめっ子のやることだ。

5.きれいに拭いてあげたら
  「ああ、気持ちよかったねー!」と
  楽しそうに声をかけてあげて
  部屋に戻すなり、居間や、縁側に連れて行く。

  時間が許せば何度も聴いた同じ内容の昔話
  などを聞いてやり、いつでも初めて聞いた
  ように聞いてあげ、気の利いた
  あるいは、月並みな問いかけなども
  こちらからもしてあげる。

父の亡くなった時も、兄弟6人
東京の兄や大阪にいた弟なども
皆集まって、毎日、夜中まで
楽しくおしゃべりは尽きなかった。
明るい葬儀期間だった。

あんなこと、こんなこと
苦労話も、おかしいことも。
そして父のこと、父との思い出話。

私も苦しい悲しみはなかった。
自分なりにできるやさしさで父と
関わり後悔みたいな悲しみはなかった。
皆、それぞれに、それぞれの関わりで
親孝行だったので気持は重くなかったのだろう。

私は、老化すること、病気になること、
ボケることは恥ずかしいことではないと
思っている。
皆、同じ運命。幸運にも死の間際まで
しっかりしている人もいるでしょう。
でも、そう願ったようにばかり行かない人も
多いと思う。お互い様だ。

父のこのような話をすることは、
隠すべき恥ずかしいことだと
思ってません。

でも、あえて言うべきことでないという
人もいるかも知れない。
親孝行自慢も鼻につく、極まれりという、
その意見も正解。

でも、それ以上に、もし、高齢の
さらには、ボケもひどくて
「ご飯食べてない」とすぐ怒ったり
泣いたりする。
さらには、粗相するところまで
重なっている親を面倒見ている
人を応援したい。

これほど、具体的にあえて書いたのは
あなたが一番、介護でストレスになっていることに対して
発想の転換、開き直りや、割り切りや、覚悟で
ストレスが何分の一にも縮小、人によっては
消滅させることも出来るかもしれないということ、
また、考え方や精神面だけでなく
実際の介護の技術的側面で、工夫、システム化
することで、そのストレスの軽減や消滅を
実現できるかもしれない、その具体的な一例
として示したかったという思いがある。

負担にならない物心両面からのあなたならではの
愛あるビックリ、感動の工夫をしてみて下さい。

頑張って!介護のプロになって!
徹底的にやさしく接する、生きると覚悟して
頑張って。それが、あなたの未来に後悔の
悲しみの苦渋を消滅させ、対人間での
あなたの今の現実的、全ての人間関係の
クオリティーを高め進化させ、辿り着くところ
回り回って行き着くところ
あなた自身をより幸せな人生にすることを
信じて頑張って欲しいと思う。

すぐ、ご飯を食べたことを忘れ不機嫌になり
60数歳なのに年を聞くと30数歳と答え
粗相もする父、そんな父が
二人で話しているある時に
本当に私の事が、「大好きだな。」と
言った言葉は、私の誇り、プライド。
私が人生の何かに負けないための
一つの支えの軸になっている。
その時の父の笑顔と、その言葉は
私の誉れ、私の今生の土産の一つ。

そして父ちゃんは、ボッシュの背中に
乗って私ども、息子、娘たちを
守ってたくさんの小さな、大きな
奇跡を幸運を、私たちの現実の人生に
起こしてくれているんだと思う。

もちろん、今でも、これからも
We love Bosh.
We love PaPa.

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可愛がった命は、私たちを守ってくれる。その2

Samazama_016 長くなるので
なるべく短く話そう。

思えば、4年前の12月
年の瀬迫る師走の半ば頃。

愛犬ボッシュが亡くなって
半年ばかりが過ぎていた。

弟の太樹男は、留守で
東京の松屋銀座で
画業15周年の記念個展を
例年の小さなサロンではなく
大家の先生や大きな企画展の
会場となる大画廊でいよいよ
明日から開催と搬入準備の
真っ直中の夕方7時少し前だった。

私は、ふとした会場のマスコミへの
手違い連絡ミスで、私の主宰する
絵画教室の作品展が、私の個展として
一部マスコミで告知されるに至り
急遽、私の個展も同会場の2階で
開催する事になった。
訂正は出来ない。
「誤りでした、お帰りください。」
と張り紙をするわけにもいかない。

作品はあった。

その年、春、高橋克彦さんが
直木賞を受賞した「緋い記憶」という作品
の映画化に伴い、デザイナーの主人公が
学生時代などに描いた絵やヒロインを
モデルに描いた肖像画などの撮影に使う
絵画作品を全て私が描いていた。
その原画が手元にあった。

撮影に際しては私のアトリエで
主人公を勤めた
角替和枝と柄本明の息子、柄本時生君に
監督、演出家同席のもと、
即席の絵の描き方教室もした。
撮影には監督と一緒にモニターを見て
絵の描写姿の演出をした。

また、秋にはイタリアのボローニャの
世界絵本原画展にも作品を出品しており
それらに伴い、その年は、何か
につけ
例年より絵も描いていて作品は
十分ににあったので、突然の個展開催でも
対応が出来た。

しかし、それ故、十分な準備と宣伝をして
開催したかったのであり、こんな一週間
やそこらで、十分な案内も出来ずに
作品展はしたくなかった。

しかし、グチっていても仕方がない。
まずは、やっつけ、案内のDMを作らねば。

もちろん業者で印刷してもらう
日程的余裕はない。
一昼夜かけてパソコンで原稿が出来きた。
いよいよ印刷だ。

ところが、イライラしているせいか
なんかトラブる。
プリンターがガガガッと
変な音をたてて葉書をうまく
送ってくれない。

昨日まで何でもなかった。
最近買ったばかりで調子もよく
故障は腑に落ちない。

諦めてもう一台。
弟と同じ機種大判のA3サイズまで
印刷できる高価な機種で葉書等の事務的な
物には普段あまり使わないプリンターで
印刷することにした。

しかし、なんとしたことか。
今までも葉書を印刷したこともあるが
何の問題もなかったのにこちらも
ローラーがおかしい。
ガガガッと変な音がして葉書を送れない。
同じ症状だ。

「だから、こんな中途半端な形で
 個展なんかしたくなかったんだ。」

とイライラ、ストレスはピークに達した。

まて、そうか、同じプリンターが弟の
ところにあるんだ。弟のアトリエに行こう。

弟のアトリエは、道路を挟んで向かい
歩いて2~30秒のところにあった。

というのも、この年の5月14日
ボッシュがなくなって以来
弟は、朝から晩まで泣き続けて
絵を描く、仕事どころか
生活も儘ならぬ状況が続いていた。

働きに行くサラリーマンでもなく
朝から晩までアトリエを中心に生活している弟
にとって11年半、いつも
足下に甘えてくっついていた
そして、絵を描き疲れたり、うまく作業が進まず
気分転換に散歩を付き合ってくれた
絵描き家業の孤独やしんどさを
毎日柔らかく包んでくれていたのが
ボッシュであり、その存在の欠落は
自分の体の一部を失うようなものであり
耐えがたいものだった。

一週間、十日と様子を見た。
一週間は、我が家に泊めた。
テレビを見ていても
話しないで静かにしてるなと思うと
後ろの方でソファーに座って
胸を右手で鷲づかみにし、声を押し殺し
足を踏みしながら泣いている。

Akazixyazxi_img_0086 その間も我が家から
自分のアトリエに通い
ボッシュの小屋を壊したり
彼のものを処分したり
まさに泣き泣きつらい掃除をした。
制作に使っていた部屋を丸ごと
道路沿いの別の部屋に変えるなど
大々的にイメージチェンジ
気分転換などしても
全く効果がない。
部屋、部屋のそのドアを開けて
ボッシュがその顔を表しそうで
家中が、拷問のようにつらい
空間になっていた。

絵もまったく描けない。

10日も過ぎた頃、私は
弟に引っ越しを勧めた。
弟も、膨大な荷物の移動を思うと
うんざりだったが、すぐに賛成した。

この12月までにいつもの倍も、3倍も
の作品を準備しなければならない
画業15周年の大会場での作品展が
あるのだが、この儘では
作品づくりが出来ない。

この家に居たのでは、
数週間、数ヶ月たっても
つらい悲しみからは
抜けだせないだろうというのは
共通の判断だった。

老化の兆し、少し弱ってきた
ボッシュが、いろいろ老後の介護で面倒が
大変になってきたら、40数キロ
人間一人分のボッシュは、何かあっても
弟一人では、面倒が見切れない。
やがて、ずっと目の離せない
状況もいつかは訪れるかもしれない。
その時は、私のアトリエと
近い方がいいと、目星をつけていた
膨大な荷物も納まりそうな
木造の大きな一軒家が、弟のアトリエに
なっていた。

つまり、もしかしたらボッシュと一緒に
越してきただろう所に、弟、一人で
越して来たわけだ。

話は、長くなったがその弟のアトリエに
案内ハガキを印刷するため向かった。

ボシュが生きてる11年と半年
朝は、私と家内が散歩し
夕方は、弟が散歩した。
雨の日も風の日も
吹雪の日も、車を走らせ
朝の5時、6時に通った。

弟が展示会で、東京など
留守の時は、かえって
一人ではさびしく退屈だろうと
ボシュのところに通い
遊んであげた。そこで
仕事をしたり用事を足した。

弟が時に、つりや遊びで
長い時間家をあけることもあったので
それ故、かえって、弟が
出張の時は、留守と分かったので

ボッシュにしてみれば確実に

一日中誰かと遊んでもらえていたことになる。

だから、弟が個展なのに
弟のアトリエに行かないのは
ボシュが亡くなったため
十数年ぶりであった。

アトリエの玄関を開けると
真っ暗。玄関の電気をつけ
ひんやりとした家の中を
コンピューターの部屋まで
歩いた。

ボッシュのお骨は、一枚の写真と
共にその部屋にあった。

PCとプリンターの電源を入れる。

「よかったー!ノープロブレン!
 印刷できる!」

郵送先を絞り込んで2~300枚程度の
印刷だったろうか。

印刷は順調に進んだ。

その時だ。携帯がなった。

数十メートル離れている
家内からの電話だった。

「ゴハン、デキタヨ。『ワンワン!!』」

ーあっ。ー

「あれ!ボッシュくんだね。」

ほんのちょっとだけぞっとしたが
それが紛れもなくボッシュのものであり
そのボッシュの声が聞こえるのは
不思議なのだが、意識してというか
ほぼ自然に答えた。

ーあっ、そうだよ

そして、その「そうだよ」と言ったその瞬間

また、もう一度、ボッシュが携帯電話の中で吼えた。


『ワンワン!!』

それは、電話の向こうのテレビや
なにやらの音が入いったものでなく
はたまた、家の外で散歩している犬の
鳴き声でもなく携帯電話の受話器の
すぐ側で携帯に向かって吼えた
携帯電話の中から聞こえてくる明快な鳴き声。
しかも、そんじゃそこらにいる犬の鳴き声でなく
40キロ強のボディーが作り出す
11年と半年、毎日聞いてきた
間違えろと言っても間違えない
正真正銘のボッシュの声だった。

私は、弟のアトリエから
家に向かい、そして夕飯を食べた。

「いつもタキオ君がいない時
 私たちが、一日中どっちかは
 行ってたのに、昨日から真っ暗な部屋で
 一人ぼっちでさびしくて
 出てきたんじゃないの。
 やっと来たからうれしくて
 ワンワンって出てきたんじゃないの。
 食べたらボシュ君のお骨
 拝みに行こう。」

ということで
夕飯が済むや、弟のアトリエに
行った。

そうして、二人でお骨の前で
手を合わせ頭をあげると、
二人で声を上げた。

お骨の右肩上の天井近くで
たこ足配線が、すっかり
黒くなって溶けて
燃え出していたのだ。

ぞっとした。

「ボッシュ、ありがとう。」

ーこれを教えるため
 2台のプリンター止めて
 部屋に呼び、それでも
 私が気づかないもんだから
 閻魔様を可愛い眼差しでたぶらかし
 あの世の掟破りで携帯に出て
 ワンワン吼えて、家内も呼びつけ
 この漏電、火の元を
 教えてくれたんだ。ー

もし、知らないでそのまま
火事になったら大変なことだった。

右隣は、北州ハウジングの立派な新築
左隣は、老夫婦の二人住まいの木造家

誰かが死んでいたかもしれない。
たいへんな、家と人命の保障問題になって
いたかもしれない。

その日、搬出が終わった辺り
東京いる弟に電話してこのことを
教えた。

「えっ、それ、7時前くらいか!
 俺、ボシュと散歩しているパネル
 飾って、グッと来てスタッフの人に
 気づかれないように咽び泣いた時だな。」

今回は、15周年記念ということで
日頃の制作、日常風景や、
パリにアトリエを構えて
制作していた頃等の写真パネルも
会場に展示していたのである。

ーそうか、じゃ、みんなの
 トライアングルの中に出て来たんだな!ー

そういうことが、この世界
この宙には、ある。

それ以来、単純に魂とか霊
とかではないけれど
命は消滅とは違う形で
何らかの形、仕組みで
存在するもの、あるいは
なくなること自体ないものでるとか
そういった何かの機構があるのでは
ないかと思っている。

いずれ、犬猫、生き物
もちろん人間も、優しく
深く愛してあげてください。

死んでも、守ってくれます。

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死んでも、守ってくれる愛するもの

Img_1810 <このネコちゃんの飼い主の絵>

隔週でパステル画を教えている
グループのメンバーのご婦人が
昨年の11月、15年生きた愛ネコ
を亡くしたというのを今日知った。

この正月、その愛ネコが
同じ日に、2度交通事故から
自分を守ってくれたという。

危機一髪というところで
まるで棒が道路に突き刺さる
ような感覚で車を止め
あるいは車の方向を変えて
九死に一生を得たというのだ。

彼女は、その2度の瞬間
死んだ愛ネコのムクちゃんが
足でググッと止めてくれたと
感じたそうだ。

そういうことはある。

可愛がった命は
恩返しをするし
命を守ってくれる。

私は、このような話を
信じない方ではないし
現代の未熟な科学で
証明できないからといって
さまざまな不思議な事象を
否定する者ではない。

ただ、私も今から4年半前
可愛がって可愛がって
11年半育てた愛犬のボッシュが
亡くなって半年後12月のある日
ある時、現われ一軒の家と
いくつかの命と財産を
守ってくれてからは
今では、確信を持って
言える。

「愛するもの、愛したものは
 私たちを死んでも守ってくれる
 大活躍してくれる」と

つまり、命はそういうものだと。

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粉末コーヒー

8nsr0061幼少から中学まで
暮らした長田町には
知る人ぞ知る
福田パン屋さんがあり
我が家の主食を支えてくれた。

紙の買い物袋に10円、20円で
いっぱいの食パンの耳を
買うことができた。

並の日は、つまりいつもは
お湯に砂糖を溶かして
それに食パンの耳をつけて食べる。
パンの耳が少々堅くなっていても
お湯に浸せば、美味しく
食べられた。

特別の日もあった。

その頃、仕事に就き
自分のこずかいも
いくらかできるようになった
兄、姉たちが、時に粉コーヒーの
小瓶を買ってきた。

「なんて、うめー飲みものだべ。」

感動した。

大学の研究室では、音楽と
粉末コーヒーは必需品だった。

朝まで絵を描いていた。

ソファーはベットだった。

その頃にも、すでに
いろんなメーカーの商品が
出ていたが、ミルクも砂糖
も入れないブラックは
やはりネスカフェが最高だった。

<福田パンの関連記事の過去ブログです。>

http://kotobacafe.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-1dc9.html

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魚肉ソーセージ

Gilyo1いつか4~5本、丸かじり
してやると、小学生の頃からの
憧れ、夢だ。

未だ、実現していない。

ソーセージを輪切りにして
醤油と少々の砂糖を入れて
フライパンで焼き上げる。
ご馳走だった。

中学の弁当、タマネギの入った狐色の
卵焼きに、このソーセージ焼きが
入っている時は、ラッキーだった。

魚肉ソーセージ4~5本
買うくらいの無駄遣いなど
数え切れないほどしているのに
未だ、実現していない。

できることから、実現しよう。
本をまとめること。
ニューヨークに行くこと。
魚肉ソーセージを4~5本丸かじり
すること。

少しゲップがでそうだが
少年の私が恋い焦がれた夢だ。

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歌声喫茶

72mg_0153今日、知人から
1959年発刊の
「うたごえ合唱曲集」
定価100円の小冊子を
貰った。

楽譜付きで何よりいいのは
コード付きだ。

ギター、ピアノで弾ける。

ただ、知っている歌は
1割前後。

1959年は、私が
生まれた年。

その時、歌声喫茶で
歌を歌ってコーヒーを
飲んでいた若者だった方から
戴いたということだ。

日本の高度経済成長を
作った人たちだ。

歌声喫茶の伴奏は
ギターというより
アコーディオンが
主流だったようだ。

まさに歌と共に青春
青春に歌ありという時代の
香りが50年前の
それにしては
しっかりとした定価100円
歌集から漂ってきた。

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今日

Photo今日には二つある。

一つは、昨日までの日々に、
自然と重なる
今日を重ねるか。

もう一つは
自分勝手に決めた
あるいは恋焦がれ憧れた
あるいは決心覚悟の未来から
持ってきた、そういう今日を生き
昨日までの日々の上に重ねるか。

人生が日々新鮮で、
エキサイティングに変化し
進化し、楽しいものとなるか
どうかの二つの今日だ。

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レストランを舞台にした「リストランテ」という舞台

Img_0138 構成・演出、くらもちひろゆき氏。
彼から招待券を戴いた。
シナリオを書いている昨年末から
いろいろ話を聞いていたので
その出来上がりを楽しみにしていた。

ーメニューを読むだけで
 どんな舞台にするか。ー

何かいいものを見たいと
昨晩会った時言っていた弟も
急遽誘って劇場に行った。

照明と暗転だけで最後まで
テーブルとイスの舞台。

IBCアナンサーの大塚富夫氏が
メインの語り手として、
盛んに活動している人気劇団の
代表、トップアクターの男女の面々。
プラス、ネィティブの英語で
メニューを読む可愛い外人の女の子。

白黒の衣装で決めたレストラン
のウェートレス、ウェーターとして
その、メニューを読むだけという
企画で1時間10分を飽きずに
楽しみ味わうことが出来た。

1_3 役者の力量の賞賛はさることながら
、潤沢な様々な演出や企画もあったろうが
あまり欲張りすぎず上品なセンスを
感じる舞台、刺激的舞台だった。

いずれ、やはり、生が一番。

ライブはいい。

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やはり可愛いゴールデン

Photo愛犬のゴールデンリトリーバーのボッシュが

亡くなってもう4年の年月が経とうとしている。

今でも車を走らせていても散歩していても

ゴールデンを発見すると釘付けだ。

本当に可愛い、かけがえのない11年半の

生涯を生きてたくさんの思い出を残してくれた。

Youtubeにおんぶの飛び切り可愛いやつ発見。

http://www.youtube.com/watch?v=Y5UOUSLCmTA&feature=PlayList&p=6D7FA4854219435A&playnext=1&playnext_from=PL&index=102

そして、泣き歌も発見。なかなかいい曲だ。

http://www.youtube.com/watch?v=W62er_y_KP8

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「母賛歌」という歌

手をつなごう Music 手をつなごう

アーティスト:Metis
販売元:NIPPON CROWN CO,.LTD.(CR)(M)
発売日:2008/11/26
Amazon.co.jpで詳細を確認する

いい歌を聴きたくなってYoutubeで

泣け歌をサーフ。

そこに出て来たメティという

レゲェー歌手と「母賛歌」という歌

毎日、日に一度、二度、三度と

本や音楽や映像で涙を流す毎日

今日も泣かして貰いました。

http://www.youtube.com/watch?v=Lb2piZX4F2A

http://www.youtube.com/watch?v=a550cXnfG_k

http://www.youtube.com/watch?v=wc-84-qSr6Y&feature=related

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人は自分のためには頑張れない。ある世界チャンピョンのお話

Photo川島勝重
プロボクサーWBC世界Sフライ級
チャンピオン

彼はサラリーマンを辞めて
20才を過ぎてから
ボクシングを始めた。
世界チャンピオンに
なる偉業を為した。

ボクシングのことは
よく分からないが
専門家から言わせれば
普通だったら考えられない。
ありえない話しだという。

そのありえない話しを
ありえる話しに変えた
伝説のボクサー
川嶋勝重。

その成功の陰に隠された
ひとつの話しがあった。

川嶋勝重の通っていた同じジムに
熱心な後輩がいたというのだ。

その後輩は私立麻布高校の2年生で
学業も優秀で、東大に入って
プロも目指すと
ものすごい練習をしていた。

先輩である川嶋勝重に
熱心に毎日アドバイスを
求めてくるかわいい後輩
だったそうだ。

ある日のこと、川嶋がバイト中
運転していた車のラジオから
営団地下鉄車両が脱線して反対側から
来た電車にぶつかり死傷事故が起きた
というニュースが流れてきた。

4人の死傷者のなかに聞き覚えのある
名前が流れた。

まさか。でもそんなわけない。

しかし、ジムに行ってみると報道陣が
大勢つめかけている。
死んだのは後輩だったのだ。

世界チャンピオン・川嶋勝重
はこう語っている。

「僕の場合、辛さに負けそうになる時、
 自分を支える原点になっているのが
 その後輩なのです。
 その彼のためにもという思いが
 僕の中にあるのです。

 大事な試合の前には必ず彼の自宅に
 行ってお線香をあげさせて
 もらっています。
 亡くなった人のことは
 しょうがないとは思うんですが
 彼のご両親がすごく喜んでくれるんです。

 『息子の分までがんばってくれ。
  あなたはやれる人だから
  とことんやってほしい』と。

  僕の試合をいつもリングサイドで
  応援してくれるものですから
  お2人に喜んでいただくためにも
  頑張っていかなきゃという 
  気持ちがあります」

時として人は
誰かの為に頑張らなければと思った時に
驚異的な力を発揮する。

少し乱暴な言い方を敢てするなら
人は自分のためには頑張れない。

エピソード1

世界チャンピョン、川嶋勝重。

才能に恵まれているわけではない。
20歳の時に脱サラ。
経験はなくボクシングの基礎から始めた。
そして、普通の選手なら峠を越えた
29歳で世界王座を手に入れた。
現役時代、150年に1人の天才と
いわれた大橋会長(元ミニマム級世界王者)
は「150年に1人の努力の天才」と
川嶋勝重を絶賛した。

エピソード2

富久信介君の思い受け継ぐ追悼試合

まだ17歳、夢は無限に広がって
いただろう。富久信介君。今年3月8日
の営団地下鉄日比谷線脱線衝突事故で
若い命を奪われた当時麻布高校2年生の、
あのプロボクサー志望の少年だ。
19日には、信介君の通っていた
横浜市の大橋スポーツジム主催の
『フェニックスバトル 富久信介追悼試合』
が横浜文化体育館で開かれる。
 信介君は小学校時代はサッカーに
打ち込んだ。だが目標に届かず、
麻布中学2年のときからボクシングジム
に通い始めた。父の邦彦さん(53)は
こう語る。「勉強もスポーツも、
やるからには徹底してやるタイプ。
ジムも、教え方が合わないと3つも
代えたほどです」
 “麻布ブランド”で見られることや、
型にはまることを嫌った。
高校ではひとりでボクシング部を作り、
今年はインターハイで上位を目指していた。
2年間、信介君を指導したジムの
大橋秀行会長(元WBC世界ストロー級
王者)は、その素質を惜しんでいる。
「ひたむきで攻撃力があり、
プロテストにはいつでも受かる実力が
あった。亡くなったからいうのではなく
、新人王にはなれる器でした」
 事故後、邦彦さんが死亡保険金などを
「用具代に」とジムに寄付した。
だが、大橋会長は消耗品よりも
最優秀選手に贈る『富久信介杯』を設け、
追悼試合を開いて長く語り継ぐことを
思いついた。ジムからは生前、一緒に
汗を流した6人のプロ選手が出場する。
メーンイベントで出る日本スーパー
フライ級4位の川島勝重選手は毎月、
命日に横浜市の富久さん宅を訪れ
線香をあげているという。
 事故後の対応に批判が集中した
営団地下鉄は、追悼試合のポスターを渋谷
広尾など6駅に無料で掲示した。
邦彦さんの「営団が、やっと人間らしい
ことをしてくれました」という一言が、
いつまでも耳に残る。

(サンケイスポーツ2000年10月 今村忠)

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祭り

72_3おまえは祭りをやって
生きてるか。

もしも、そこに
祭りがないの
なら
新たな祭りを起こさねばならぬ
おまえという祭りを
おまえの人生に。

おまえの人生を
祭りに。

おまえという祭りを
おまえのこの人生で
一度もやらずに
死ねるか。

おまえが
本当はどんな祭りを
やれる者なのか。

それを、おまえが
おまえについて
知らずに死ねるか。

私はおまえの祭りを見たいぞ。

死を覚悟せよ
本当の自分
本心の自分
見栄も外聞も
人の評価もゼロにした
憧れの自分を
生を始めるため

おまえの人生を
おまえ自身を
祭りそのものにするために

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旅人

72_2 おそらくは
私の中に
永遠の旅人が
住んでいる

はたまた

私が、旅人なのか

私は、やがても
間もなくも
私を、ここを旅立つものなか
それは、間もなくなのか。

あるいは
私こそ
こここそ

長い長い旅の果てに
恋焦がれ憧れ
願って、
目指したここなのか
私なのか

旅人の直感

おそらくここは、私は
幾つもの輪廻の
悠久の旅の果て
願って望んで
辿り着いた場所

私が是なり
それなりと
全てを肯定できる
愛するもので
愛すべきもので
満ち溢れる
憧れの大地
と見たり。

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津軽三味線の導く物語

120cd3津軽三味線のジャケットに
現われた旅人は「カタツムリ男」の
スピリットを有し、それ故今、
偶然にも複雑な回路を経由して
津軽三味線に帰っていったのだ。

偶然という必然。
必然という偶然。
津軽三味線が導いた
私の人生の中の一つのストーリー。

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旅人は「カタツムリ男」が源流か

72img_0116この一枚が、中央のイラストの
仕事に導いてくれた。

著名な装丁家、アートデレクターが
このシリーズを気に入り絶賛。
いくつもの大手出版社の編集長を
紹介してくれたからだ。

このカタツムリ男は、某大手出版社
から村上春樹さんか俵万智が文章を
書き絵本としてデビューする可能性の
あった私としては、いろんな意味で
特別な思いのあるキャラクター。

そして、私はある日ある時
この「カタツムリ男」が
私が大好きだった画家、斉藤真一が
テーマとして追いかけ描いていた
旅する盲目の三味線弾き津軽の瞽女
の魂を有することに気づいた。

それに気づくのに
十数年の年月が経っていた。

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津軽三味線の音色

120kaiseki_jpg 日本が世界に誇る
ソロジャズ演奏。

津軽三味線。

CDジャケットのイラストと
デザインを頼まれ
深夜ヘッドホンで
収録曲の津軽三味線を
聴きながら
立ち姿勢で刷毛を持って
墨で絵を描いた。

舞台は津軽を越えて
普遍としての北の海
怒涛の波をもろともせず
究極の普遍の音と調べを求めて
若き三味線奏者は
旅を続ける。

アメリカ、フランス、スペイン
などヨーロッパの国々、
ロシア、中国などのアジアの国々など
海外での公演も多数こなし
新進気鋭の津軽三味線奏者の
二枚目のアルバム。

発売前なのでここまで。

1月末日発売予定なので
その後、最終画像と共に
アピールします。

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「時の達人」

72jpg_2 時の達人とは
「今」という時の鮮度の高い人。
「今」が「今」だと
はっきり鮮度高く分かっている人。

だから、行動力もある。
責任感もある。
それ故、愛豊か、人格者のように
見える。

それは、すべて「今」の鮮度が
高いだけなんだ。

逆に「今」の鮮度が弱い人は
「今」が今日の今にあるのか
昨日か、明日か、よく分からない所に
ふわふわしている。

彼が、彼女が、行動力がなく
好奇心が薄く保守的で
食わず嫌いで、
時に無責任で、愛する力と人格が
弱く見えるのは、
本当に彼、彼女が未熟な人格で
時として無責任で
余計なことはしない、出来ない
他人と世界に興味の持てない
冷たい人だからではない。

単に「今」の鮮度が弱いだけで
それが強くなると
誰もが、本来の持っている魅力が
ドバドバーっとあふれ出てきて
ステキなお人になるのです。

時間は、固定していません。
化け物のように自由自在に
伸縮拡大し、生み出すことが
出来るのです。

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仕事始め

72 モチを喰いすぎ
すっかりモチ自体に
なってしまいました。

どうしましょう。

今日は1月4日。
日本全国の愛する
サラリーマンの皆様。

本日より仕事始め、
本当にご苦労様です。

朝の渋滞の、通勤ラッシュを
生活からなくするため
給料も退職金も休日も
見切って自営業というか
自由業に、遥か昔に
シフトした私は
自分で時間を管理し
作り出して生活を構成することの
恩恵を十分に受けた生活を
人生を生きねば、見切ったものも
報われません。

そうです。
せめて「時」使い
「時間」の達人くらいには
ならないとね。

「時」を味わい堪能し
「時間」を管理し
自在自由「時間」を司る
成し遂げようと思ったことを
為せるだけの時間が自然に湧いてくる
欲しいだけの時間を産み出せる
そういう境地を体得せねば。

今のところ、私が体得してるのは
三度の飯と深夜の4食目と
3時のおやつの腹時計だけだ。

頑張らねば!

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朝は友と街中の温泉「喜盛の湯」正月の意味

72img_0106 昨年末から、新年にかけて
毎朝温泉浸かり。

鼻かぜにやられ
サウナと水風呂で
ウィルス退治をしている。

今日は東京から帰省の
中学、高校の同級生と
朝温泉。

サウナでは箱根駅伝を
見ながら汗を流し
温かい温泉に浸かっていれば
冬の冷たい風も心地よい。

話も尽きず
良き新年。

上がってガラス張りの食堂で
アイスクリームとコーヒー
を飲む。

窓の外には、新幹線が走っていく。
もう帰省ラッシュは
始まっているんだろうか。

間延びしがちな
退屈な人生に
いくらかでも
張りと新鮮さを呼び覚ます
工夫としての盆暮れ正月。

それは、生きていることに
感謝を思い出させる日
軟体動物の私どもに
節を与えてくれる日だ。

大いに正月に浸ろう。
今日一日。明日から仕事だ。

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高校サッカーと大学箱根駅伝から学ぶ。

091128_010 高校サッカーは、まさに
波乱万丈。戦国時代だ。

インターハイ(高校総体)王者
前回大会ベスト4の前橋育英は、
2-3で香川西(香川)に敗れ、
2回戦で早くも姿を消した。

戦後最多タイ6度の優勝を誇る
国見は、藤枝明誠(静岡)に
1-4と完敗。

第76回、77回大会優勝
東福岡も岐阜工(岐阜)に
0-2で敗れた。

一昨年前は、かって日本のチベットと
いわれた岩手の盛岡商業が全国優勝。

勝ち続けるシステムは構築できないか。
地方も、中央も関係ない。
皆が、世界最高のものを知り、
見ることの出来る
それ故、それを目指すことの出来る
しかもお金をかけずに。
これが、ネット、情報の力だ。
それぞれのジャンル、分野で
世界最高のものを知り
それを目指す時代が来た。

もちろん、人を通してしか伝えられない
ものがあるだろう。

しかし、一番大切なのなのは
辿り着きたいそこのイメージなのだ。

そこさえ見えれば、後は工夫でしかない。

そして、

新春恒例「第86回東京箱根間往復大学駅伝」。

東洋大・柏原が、昨年に引き続き
6人抜きの大逆転で往路Vを成した。

往路の最終5区で連覇を狙う東洋大“新・山の神"柏原が
6人抜きの激走で大逆転。5時間32分02秒でゴールし、
2年連続で往路優勝を果たした。
柏原は驚異の追い上げで中継所でのトップ明大との
4分26秒差を逆転した。前撮りされた録画ビデオ
で「去年より遅いじゃん。」と言われるのが
一番いや。だから、今年はもっと早く走ると
言っていたが、もはや誰も破ることはできないだろう
といわれていた山の神の記録を破り、新・山の神と
言われた昨年の驚異の記録を破り、それをさらに
超えるとの宣言を、まさに有言実行で前大会で
自身がマークした区間新記録も
1時間17分08秒で更新した。

Oth0901021350004p2その自身の神の記録を超える練習量とは
いかなる神がかり的、練習量だろうかと
慮る時、身の引き締まる思いがする。

まちがいなくその結果を出せる完全な準備
その気概と実行。新・山の神から学びたい。

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新年の詩

2010p1190517太陽の力に憧れ
月の知性を慕い
我らは数百万年の時を
緑の惑星の上で
生きて来た猿族。

脳みその前頭葉だけを
異常増殖させたこの猿たちは
知性の業、自滅の業を越え
どこまで、シアワセになりうるか。
どこまで発展していくのか。

この星を見事に生かし
そしてやがて月に街を作り
宇宙にエネルギーセンターを浮かべ
1000年の寿命を持ち言語以外の
コミュニケーションスキルで
すべての種類の猿たちが
一番いい心根と
伝えるに値する
共有利益の最高判断を
瞬時に伝え合う
今だ、かっていかなる生物も
成し遂げたことのない
完全なる利己消滅による
自己実現という離れ技を持って
宇宙で一番良く笑う
よく歌い踊る猿として
宇宙中の生き物に愛され
慕われ尊敬される日を
そして我は、そこに至るかつての
祖先の猿として恥じない
あと2~30年を
りっぱな猿として
生きてゆきたいと
2010年の満月に誓う。

2010年1月1日見事な満月、美しい星空でした。皆様のいい年、祈ります。

ケーズ電気隣、立体駐車場、3Fより11:20PM撮影。

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