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その1.人生には、DNAを変えてしまう出来事がある。衝撃と感動の23歳の誕生日。

72jpg_218の春。
私は、高校卒業と同時に
東京に行くんだ。

「本屋でアルバイトして
 芥川賞をとるんだ。」と・・・

穴が、あったら入りたい。
恥ずかしい。

ところが、私は
近所の300メートル離れた
地元国立大に合格してしまい
2年間、心、ここにあらずで
本屋や図書館にばかり通い
形だけ単位は取りながら
大学生活を過ごしていた。

3年生になったある日
諦めた。

東京は、ここまで来たら
大学卒業したら行こう。

それからの2年間
絵も描き、バイトもし
心がここに戻ってきて
やっと友達もたくさんでき
それなりに勉強もし
楽しく充実した学生時代を
過ごした。

大学卒業もまぢか。
22歳の私は、少々びびりながらも
いよいよ花の東京に出る時、
出られる時が来たと
ちょっぴりの不安を抱えながらも
意気顕揚としていた。

しかし、隙は
そのちょっぴりの不安に入り込んで来たのだ。

大学の卒業式も終え
年を越す前に先に終えていた教員採用試験で
一次の筆記試験は中途に手を抜いたため
通ってしまった私は、2次の面接では
確実を期して黒い革ジャン着て
細いネクタイして、髭ぼうぼうで
出向いた。

これでも、採用するなら運命と諦めて
しばし教員をやるかと、そんな
やはりどこかに神頼み、運命任せみたいな
弱さと隙があった。

3対1の面接だった。
面接も淡々と進み、私は、流暢な弁舌で
質問に次々と答えた。
まずい、あんまり、上手に答えると
合格してしまうと心配しながら
口は勝手に動いてしまう。

しかし、心配無用。

3人の試験官の真ん中の
一番偉そうな人が、なんか顔を
見る見る真っ赤にさせて
「机の上に手を載せて人の話聞くな!」と
怒鳴ったのだ。

こっちは、小さい頃から
修羅場を超え、修羅場の中で生きて来たから
びびりもしなかったが
ーあれ、この人、病気かな、血管切れないかな!?-
と、心から心配した。

両脇の試験官が「まぁ、まぁ」と
今にもこぶしをあげて立ち上がらんとする
その中央の試験官を、両脇から抑えた。

これで100%採用は
ないと確信した。

ーやった!天の計らいだー

案の定、採用試験は落とされた。

これで東京行きの背景も
下地作りも出来た。100点満点、
いや120点だ。
家族もうまく、説得できる。

そう、東京行きは、準備万端。
目前のはずだった。

ところが、しかし。

隙は、その心のどこかにあった
ちょっぴりの不安に入り込んで来たのだ。

卒業式を終えて間もなくだった。

教育委員会から電話が入った。

平舘小学校というところで
1年常勤講師をして欲しいとの
なんとも、体が凍るような
連絡が入ったのだ。

ーなんってこった。
 この手があるのか。こんなことがあるのか!
 人生は、やっぱり漫画のように
 自分の思ったようには行かないのか!
 うっー!どうしよう。-

ぼうっとしている間に、間もなく
その校長からも電話が入った。

即答で、断ることが出来なかった。
家族にも連絡が来たことを話さず
相談もしなければ問題はなく
予定通り、東京行きは
決行できたのだ。

しかし、私は弱かった。
迷いがあった。
自分への才能、力への不安もあった。
先生と言う人生と作家、創作家という人生の
価値と幸せ度、自分の適性などなど
100パーセント確実な答を出し切れないでいた。

学校に顔を出すのは1週間後。

悩みに悩んだ。朝から晩まで
考え抜いた。

しかし、一週間、答は出なかった。
感動と覚悟の伴った
選択の葛藤を超越しいずれにせよ
自然に行動を起こさせる
結論には至っていなかった。

考えることに疲れきっていた。

私は、亡者のような白い顔をして
悩み続けながら、告げられたように
電車に乗るまでも迷い、乗っても迷い
降りても迷い
駅についてタクシーに乗り
学校についても迷い、校長と話し
春休みのその場に居合わせた先生方に紹介され
挨拶しても迷い、そして校舎を出ても迷い
こんな往生際の悪い人間を皆さんは
人生で絶対で会ったことがないと
思います。

しかし、たった一つ、
迷わず決めていたこと、はっきりして
来たことがあった。

子供たちと会ったら
もう、後には引けない。
それは、いくらなんでもリミットだ。
子供たちと対面してから
止めると言うのは、それはもう病であり
犯罪者だ。子供たちと会ってしまったら
一年は少なくとも、教員をやる。

私は自分を強い人間でないのを
十分知っていた。
いや、弱い人間なのを
十分知っていた。

一年やったら、ずるずる教員として
生きていくのではないか。
今ここが分岐点。ここで1年やったら
教員としてふるさとのこの県内をぐるぐる
数年ずつ周り、30代になり
40代になり、50,60と
そして人生を終え、結局、
私の人生に花の東京は
アクセスしない、やって来ない
で、人生を終了するだろう。

私は、自分が弱いがゆえに
判断を2倍も3倍も難しくし
自分に自信がないため
問題をさらに混迷化させ
複雑にしていたのだった。

4月4日。始業式がリミット。

それから数日また
悩みに悩み、いつ寝ていつ起きていたのか
解らぬままに4月4日の朝を
迎えた。

ゲームオーバー!

「よし、1年だけやる!」

文章を書くための素材づくりと
人生経験のためにもいいだろう。

そう言い聞かせて
2週間ぶりくらいに
やっとすっきりした心になって
電車に乗り、校門をくぐり
「おはようございます!」
と職員室のドアを開けた。

いずれ、私の社会人
大人としての人生が
スタート、開始された。

そして、衝撃的、感動の
5月28日、23歳の誕生日まで
3年生、9歳の30人の子供たちとの
ドタバタドタバタの生活が
始まった。

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