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その2.人生には、DNAを変えてしまう出来事がある。衝撃と感動の23歳の誕生日。

3_24月4日から私は救われた。
子供たちと会ったから、私には、1年ここで頑張ると言う
選択しかなくなったからだ。

どんなに苦労が多く、大変でも不毛な葛藤に
時間を延々と使わざるを得ない状況よりはましだ。

とは、言え、その日から、今まで経験のしたことない
苦労が始まった。

迷いの苦しみは、その日、その時以来
まったく無くなったのはありがたい。

でも、私は、今までの私でない私と
その日から出会うことになる。

怒って叫んでばかりいる私だ。

9歳、30名の子供たちを、イスに座らせたまま
おしゃべりをさせずに、国語・算数・理科・社会を
教える事がどんなに難しいことか。

何人か両親が揃っていない子がいた。
みながみなそうではないだろうが
当時、受け持った私のクラスの子は
甘えたいのに甘えられないストレスを抱え
甘え方を知らず、私にただただ
ぶっかって来たり、たたいたり
つねたりしては、ふてくされたり
すねたりしては、友達ともすぐ揉め事を
起してばかりいた。

ただでさえ一番元気盛りの年代の
小3の子たち30人の集まり。
そこに甘え方を知らない
情緒不安定ぎみな彼らを中心に、
一日中争いごとや、彼らの行動に便乗して
悪ふざけを増幅させる悪ガキ
腕白坊主ぞろいで、とにかくとにかく
ヒッチャカメッチャカだった。

自分の預かった子供たち
クラスが一番たいへんなクラスにも思えて、
「何で、もう、やれやれ、へとへと。
 新米講師のオレに預けちゃえってか。」
とうがった被害妄想的、正常じゃない思いも
よぎったりもした。

私は、自分を穏やかで怒らない人間と
思っていたのだ。いつも自慢していた。
それも、気持ち悪い話だが、いずれ
自分でもビックリした。

よく、朝の8時くらいから
一日中、怒り続けていたものだ。
注意しても注意しても静かにならず
疲れ果て、無愛想になったり
時に説教に授業時間を潰したりして
そんな時は、自分でもそんな自分に
後味が悪く気持ちが沈んだ。

子供たちは、私の事を正採用でなく臨時の
常勤講師ということも親から聞いて知っていて、
売り言葉に買い言葉で

「先生、本当の先生じゃねえから怒るな。」

とか、なんだその理論は、第一本当の先生って何よ
と、むかつくこともあった。

私は、9歳30人の子供に溺れていたのだろう。
もがいていた。

そんな風にして
およそ3ヶ月ほど経過したある日のことだ。

いつものように、職員室で先生方の打ち合わせ
朝の朝礼をして、2階の教室に向った。

教室に近づくにつれ
不安がよぎった。

教室に近づいても
静かなのだ。

「おかしい!」

ーやつら、校庭で遊んどるか!ー

 廊下の窓から校庭を見下ろす。
ーいねー!体育館か、あの野郎!ー

一応、教室のドアを開けてみた。

ビックリした!!
ほんと、ビックリしたな、もう!

そこにみんないたのだ。
しかも、みんな口を結んで
一言も発せずキチンと座っていた。

30人の子供たちと目が合った。
座席は、黒板の方に開いてコの字に
並んでいた。

黒板を見たら、ありったけのチョークを使って
「ナカムラユウコウ先生、23歳の誕生日、
 おめでとうございます。」
と大きな文字で書かれていた。

その日は、5月28日。誕生日か!

周りの空間には、花や、ブタかクマかも
わからないへたくそな絵がいっぱい描いてあった。
黒板の前の教卓には、子供たちのプレゼントが
山なりに積まれてあった。

私は、動揺していた。いや、呆然としていた。

本来は朝の会の時間なのだ。
こんなに立派な誕生会の
準備をしている。
これは、いいことか!?
怒ったらいいのか、褒めたらいいのか?

私は、さすが怒りはしなかったが
若かった。

完全に、動揺していた。

というか、夢か、現かを見極めようとしていた。
この子達が、なんで、何時、どうやって
今朝、早く集まって?全員で?
いつから相談して準備していた?
仕掛人は誰だ?

ええっ?これ、夢?

山なりになった教卓の前に立つと私は言った。

「朝の会を、始めます。」

(おいおい、おまえ、そうか!!)

一番、手を焼いていた両親が家を出て行き
祖母と祖父に育てられていたMがイスから
飛び出して来て、

「先生、プレゼント、みろ!」

と言った。そのコトバで私は、我に帰った。

「あっ、そうだな。プレゼント、見るか。」

と、やっと少し笑顔になって言うと、Mが

「おらのから見ろ!」って自分のプレゼントを
その教卓の、プレゼントの山から取り出し
私に手渡した。

紙袋を開き、中からその布らしきものを
取り出した。

それは、大きな大きな黒いパンツだった。

「でっけーパンツだな!」

「だって、先生、でかそうだからよ。」(何が?)

そういうやいなやMも子供たちも
笑い転げている。

「どこで、買ってきた、高がったべ、いくらした?」

「500円した。」

「どこで買ったのよ。」

「大更さ、タクシーで行ってきた。」

「タクシーか、タクシーでか?」

「片道640円だ。」

みんなは、「パンツより高けー!」と言って笑った。

もう私は、こみ上げ始めて来ており笑えなかった。

いつも、この子は、甘え方が解らず
しつこく私を叩いたりつねったりして逃げ
その痛さとしつこさに、イラッと来ることもあった。
授業だろうと何だろうとすぐ立って歩き
すぐケンカはし、問題児と言えば一番の問題児だった。
騒然、混沌を一番作り出す張本人だった。

それなのに、この一連の行動や雰囲気を見ると
むしろ、このマル秘の誕生会の発案、運営の中心者の1人の
ような気配さえある。

不合理な計算。計算の無いプレゼント。
少し大きすぎて目算誤ったといえ、
私の事を思い浮かべ、このでかいパンツを
隣町までタクシーで買いに行き、もしかしたら
店員さんに「お父さんにプレゼント?」などと
言われたり聞かれたりして、
お父さんもお母さんもいない彼には
つらい思いもしたかもしれない。

私は次々、プレゼントを開けていった。

お店で買った物もあれば、
牛乳ビンに色紙を貼り合わせた花瓶や
紙や毛糸で作った手作りの人形や、
ポストカードやお手紙。
全員が準備してくれていた。

私は、よく言うことを聞いてくれる扱いやすい子と
自分から私に働きかけ絡まってくる子、そして
手のかかる腕白坊主ばかりと格闘し接していた。

話しかけてもあまり愛想のなく、目立たない
本当に静かな引込み思案の、その他、大勢の中間層の
子達がまったく目に入っていなかった、
心に無かったということに気づいた。

私は、子どもたちをまったく愛していなかったのだ。

そういう子たちも、私を、先生と慕っていた。
名前を呼ばれ、話もしたかったのだろう。
朝から午後まで一緒にいて
一度も名前を呼ばない子もいたのではないかと
はたと、気がつくと悪寒が走った。
私とすれば一対多対応だが、子供たちにすれば
どの子にとってもみな一対一対応なのだと
初めて気づいた。

私は薄情な人間だ。
今日まで、わたしは自分を優しく慈しみ深い人間だと
思い込んでいた。

とんでもない、思い込み。
穴が10個でも、100個でも欲しい。
血だらけになるまで飛び込んでやる!

優しい?慈しみ深い?それどころどころか、並以下。
並以下の以下もいいところ。
本質、冷たい。愛する能力も慈しむ心も弱い人間だ。

もう私は涙が溢れ溢れて仕方が無かった。
それは、プレゼントがうれしいとか
このマル秘誕生会に感動したとかでなく
自分が情けなく、自分が悲しくて、惨めで
自己嫌悪でいっぱいになっていた。

自分の冷たさ、利己的な矮小な心に涙が溢れて
どうしようもなかったのだ。

私は、その時、すっかり自分の心が見えた。
自分の本質を見切ったと言ってよい。

私は子供たちのために子供たちを愛して慈しんで
怒り続けていたのでない。

教室の側の廊下を通り過ぎる先生方に
指導力が無い、メチャクチャだと
思われないためにだけ、怒っていたのだ。

まったく、そのためだけに怒っていた自分が
はっきりと見え、解った。

ほんとうにそのためだけに怒っていたのだ。
本当にそうです。100%そうです。
恥ずべき、恥ずかしい、とても醜い心根の人間です。

「今、これ覚えないと、本当に困るぞ。」っていう
教師として当たり前な教育的見地からの
気持がほんのちょっとでもあれば、
せめて3回に1回くらいそんな思いで
怒っていたら、そんなに嫌悪はしなかった。

私は、本当に卑劣な人間だ。

自分を良く見せる、よく評価されんためにだけに、
ヒステリーを起こし彼らを、彼らの純粋な幼い魂を
小さな箱に押し込めたり、隠したり、威嚇したりと
テロ行為を繰り返してきたのだ。

何一つ、わかっていなかった。
こんな事の出来る9歳30人。
すばらしい9歳30人の子たち。
私は、彼らの持てる力に気づきもせず
それ故、もちろんほんの少しも
彼らのその力を引き出すこともできず
ギャギャー叫び、怒ってばかりいたのだ。

ほっぺの赤い、いつも静かで、話しかけても
にこりともしない、むしろおどおど怯えて
いるかのようにする、まったく目立たないKの
プレゼントにコトバが添えてあった。

「いつもオモシロいことして
  ありがとうございます。」

ひとつもオモシロくねーよ、オレは!
朝から晩までヒステリーおこして
うるさい!だ、静かにしろ!だ
怒ってばかりでしょ!!

どこがおもしろいの!!

子供たちは、本当の実像、実体の私を見ていない。
「大学を出たばかりの若い男の先生は、
おもしろいものだ。」という固定観念で、
私の虚像を見て慕ってくれている。
いや、慕ろうとして頑張っているんだ。
怒ってばかりいてオモシロくない私なもんだから。

結局、私は、権力志向、権威志向のいやなやつ
人目ばかりと体裁作ろういやなやつ
自分の事を自分でやさしく、深いヤツなんて思っている
気持ち悪いヤツ。格好ばかりつけやがって、見栄えと
他人の評価ばっかり気にしてるいやなやつ。
弱いもの、光が当てられないもの、純粋なものを
踏みにじって、時に利用してそれらを
得ようとするヘドのでる人非人。

私は、プレゼントをひとつひとつ開けながら
決心していた。覚悟を決めていた。

私は、教育委員会にも、校長や先生方にも
親にさえつかない。

子供たちにつく。

子供たちを愛する、慈しむ以外の感情や欲や
目的で、学校と言う場にいない。
教育という場にいない。教師と言う、子供たちに
先生と呼ばれることを認めない。

学校、教育という場だけでなく、この人生で

私は、断じて自分可愛さ、自分の保持と見栄のために
弱いものを封じ込めはしない。
犠牲にはしない。利用しはしない。

覚悟、決心した。

この覚悟こそが、子供たちからの
私のその後の人生への
人生最初にして
最大、最高の誕生プレゼントだ。

私は、その日から意図的に努力して
必ず一日一度は全員の名前を呼ぶこと
発することを決め、実行した。

この子達の潜在力のすごさ。
自分たちでこれだけのことが出来る。

私は、9歳30人の川の流れの溺れから脱した。

初めて子供たちが見えてきた。
心に入ってきた。いとしく思えた。
彼らとのこの1年を私の人生に利用してはいけない。
私の大人社会での大人たちからの評価のために
彼らを威圧したり、閉じ込めたり、利用してはいけない。

彼らにとっては、かけがえの無い人生の一年なんだ。
彼らの一度限りのかけがえのない小学校時代に
先生方や、親に、どう思われようと
私は出来る限りの事をしよう。
いい思い出を、楽しい思い出を
作ってあげよう。残してあげよう。

誰にどう思われようと
関係ない。私が、この子らを
愛し本気で何かを引き出してあげる
育ててあげる。
この子らが、私を愛するかどうかさえ関係ない。
私が愛すればいいだけだ。

そう腹が決まると
針のむしろの毎日が
楽しくて楽しくてしかたがない
夢のような日々となった。

つねたり、たたいたりして来たら
「この野郎!」と大声上げて
追いかけ捕まえて、思いっきり
持ち上げ懲らしめてやる。
「やめろ!先生、殺す気がー!」って
うれしそうだ。
こいつは、お父さんに
しかられる事も、持ち上げられる事も
出来ないやつなんだ。

自分のためでなく
この子らに教えるために
本気で、しかも、デフォルメして
演技を入れる余裕も出来て
怒ってばかりいないで
工夫して、タイミングをいつも狙って
派手に褒め、いつしか
子供たちは、私に褒められたがった。
私に愛されたがった。見ててもらってる。
私の意識の中に自分もいる安心の中で
子供たちは落ち着いていった。

お話も読んであげた。
紙芝居もやった。
口からでまかせの
即興の作り話で
笑わせたり、怖がらせたりした。

へたなオルガンの伴奏で
みんなで歌をうたった。

むかし、ギリシャのイカロスは
 ろうで固めた 鳥の羽根
 両手に持って 飛び立った
 雲より高く まだ遠く
 勇気一つを友にして

 おかはぐんぐん 遠ざかり
 下に広がる 青い海
 両手の羽根を はばたかせ
 太陽目指し 飛んでいく
 勇気一つを友にして

 赤く燃えたつ 太陽に
 ろうで固めた 鳥の羽根
 みるみるとけて まい散った
 つばさうばわれ イカロスは
 墜ちて生命を 失った

 だけどぼくらは イカロスの
 鉄の勇気を 受けついで
 明日へ向かい 飛び立った
 ぼくらは強く 生きて行く
 勇気一つを友にして

この歌、みんな大好きで
なんどもなんども歌った。

なんどもなんども歌った。

いつの間にか3年さくら組の
テーマソング、学級歌になっていた。

家庭環境がいろいろ厳しそうな
垢をたけた、真っ黒い
腕白坊主たちを日曜日には
自腹で、たいしたことないが
銭湯に連れていった。

学級花壇に植えたヘチマは
どんどん広がって
大きなヘチマを実らせた。

その前で記念写真を
クラスのみんなで撮った。

家庭訪問、自転車で
緑の稲穂揺れるあぜ道を
子供たちに誘導されながら
一軒一軒回った。

郡のサッカー大会が近づくと
この子らのお兄ちゃんたちの
5,6年合同のサッカー部を指導した。
クラブのない日も、放課後
職員室に遊びに来たりと
なついてくれて高学年は
高学年なりに可愛かった。

先生方も、とてもよくしてくれた。
お父さん、お母さんのような先生方も
若い先生方も「ナカムラ先生」「ナカムラ先生」と
頼りにしてくれたり、可愛がってくれた。

毎日が楽しくて、楽しくて
楽しく過ごして、それで月末には
お金がもらえる。
不思議な気分だった。

住んでいる教員住宅に
野菜や家で作ったおかずを
持ってきてくれる父母もいた。

今までまったく知りもしなかった
寂しそうな田舎の風景は
徐々に愛すべきのどかな風景に変わってゆき
そしてそこに具体的に現実の生きている人間が
そしてその人間たちとの交歓がプラスされると、
その風景はキラキラ輝きだした。

別れの日は来た。
一年という月日はあっという間で
町の公民館を貸しきってクラスの子供と父母が
離任式の後、送別会を開いてくれた。

こんなことはないと、先生たちは
離れていく私を称揚してくれた。

私は、あいさつの冒頭から
涙があふれ、ほとんど
泣きじゃくって
自分でも何言ってるか分らず
聞く方は、まして
何言ってるか
全く分からなかったろう。

若かったな~。

子どもたちも、親たちも
豚っ鼻して泣きじゃくる
私につられて、なんだか
グチャグチャの送別会だった。

人は変わることが出来る。
人の評価や、人の目なんて
その場限りの無責任な
正体のない化け物なんか
に怯えて生きることをやめ
思いを込めて、愛を込めて
この自分をたんたんと生きよう。
思いを込めてたんたんと
自分のリズムで自分の美学で
仕事をしよう。
生きて行こう。

人を幸せにするものは
愛される魅力より、
愛する力だと思う。
これだけが世界を変え、
人生を構築する。

あの23歳の誕生日は
幸運であった。

あの誕生日に
子供たちは、その事を
教えてくれた。

その後の私の人生への、それはそれは
大きな大きな巨大なプレゼントだった。

そして、そうしてかれこれ
いろいろありまして
東京に出るまで
私は、その後、4年の
月日を費やすのであった。

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コメント


確かに衝撃、感動話でした。
泣けたのは私だけではないはずです!

投稿: samusun | 2010年4月25日 (日) 23時05分

ステキなステキな23歳の誕生日だったんですね~
9歳=ギャングエイジ。。。そんなワンパクたちに教えられて
自分が変わった中村先生はエライ!!
人を変えるのは至難の技。自分が変われば自然と周りも変わるんですよね~
愛されることは不安定だけど、愛することは確か。。。
どこかの詩人の言葉どおりですね^^

拍手!!

投稿: ビバ | 2010年4月26日 (月) 00時02分

samusunさん

本当、子どもをなめては
かかれません。

すごい力を持ってます。

そして、いろんな事を
学ばせてもらいました。

投稿: nakamura | 2010年4月26日 (月) 23時52分

ビバさん

教師こそ、最大の教育環境。
どんな設備やノウハウを持ち、
資本をかけるより

「人間はすごいんだぞ!
 おまえは、その人間だ。
 おまえは、すごいんだぞ!
 先生は、おまえが大好きだぞ!」

って、教師が本気で言って、伝え
伝わるのなら、それは
比べものにならないほど
すごい教育効果を成す。

そう、思います。

投稿: nakamura | 2010年4月27日 (火) 00時04分

23歳善き出会いに巡り合いましたネッ

子供達は時に眩し過ぎ…その眩しさゆえ年長の我らは目を背ける状況が多々あります。

綺麗事ではない触れ合いが出来た時だけに解りあえる感覚なのでしょう

ありがとうございます好い話を聞かしてもらいました


投稿: もりおかじん | 2010年4月27日 (火) 00時18分

もりおかじんさま

人生みな師とは、吉川英治の言葉

我々は、誰からも
あるいは、どんな状況からでも
学べます。

それは、より良い未来、
より楽しい未来を
創ろうとする意志と
より良い未来を
より楽しい未来を
創るため
自分を進化させようという
意志が前提です。

その前提があれば
人は、権威を離れて
柔軟に、あらゆるもの
あらゆる状況から
さわやかに
学びつづけられるでしょう。

投稿: nakamura | 2010年4月29日 (木) 21時12分

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