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斉藤孝の「人生練習帳」

人生練習帳 Book 人生練習帳

著者:齋藤 孝
販売元:草思社
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すべてのできごとを、人生を
勉強のように予復習と捉えれば
すべてのことを
越えられると齊藤氏は言う。

そう捉えることで
人生に起きたすべてのことに
ほどよい距離で賢明に対応できる
と言うのである。

なるほど。賛成。

それでは、なんのための
予習復習であろうか。

私は、こうこう思っている。

人生の重要な目的の一つに
「人としてこの上のない内面世界の構築、
 精神の状況の境地の獲得」と
明確に掲げること。

すると、人生に起こるすべての出来事は
そのための自分専用のトレーニングメニュー
になる。

そこに至るための、自分専用の
世界で、宇宙でたった一つのの
オリジナルトレーニングメニューだ。

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鳩山さんが悪いのか!

今日、キミが楽しくないとしたら
キミのせいだ。

Plc0912241925015p1_2 ママやパパのせいに
彼女や彼のせいに
ご主人や奥さんのせい
部下や上司、社長
鳩山首相のせいに
してはいけないよ。

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前川秀樹の彫刻

D0087761_1525417 用事もあって
ぷらりと町へ。

ジュンク堂による。

いい本、入ってないか。

入ってた!

前川秀樹の彫刻。

いい。シビレル。
木彫、立体、やりたいな。

新刊「ヴォメル」

前川秀樹作品集「Vomer」
A4変形判ハードカバー
カラー128ページ+別丁モノクロ16ページ
定価3.800円+消費税
発行 株式会社ラトルズ

 

D0087761_843658 前川秀樹(マエカワ ヒデキ)
 

淡路島生まれ。1989年 
武蔵野美術大学油絵学科卒。
初個展、ギャラリーなつか(銀座)。
"青山こどもの城"勤務。
子供たちとのワークショップ活動を開始。
1995 鹿島彫刻コンクール 金賞受賞
1996 武蔵野美術大学、"パリ賞"受賞。
1年間の渡仏。
1997 帰国後、"LOLO CALO HARMATAN"を名乗り、
前川千恵と二人で、
暮らしの中で生かせるものの製作、発表を開始。

D0087761_1421495_2 彫刻、ロロカロハルマタン、ワークショップ、
を三本の柱として
活動を展開。

個 展 
1995 INAXギャラリー(東京)
1996 cite des art (パリ)
1997 プラスマイナスギャラリー(東京)
2000 かわさきIBM市民文化ギャラリー(神奈川)
2003 Cスクエア 中京大学(名古屋)
2000から毎年LOLOCALO展(前川秀樹 千恵2人展)
開催。ギャラリーM2(高知)、
ギャラリーCOMO(青山)ほか。
2006 DEE’S HALL塑像展
2007 「ルビジノ」オープン
2008 DEE’S HALL像刻展Vol2
作家HP http://lolocaloharmatan.seesaa.net/

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ベンジャミン・バトン

4988135714237_1l一週間って、あっと言う間だ。

明日は、ゲオにDVDを返さねば。

見ないで返すDVDもしばしばある。

思い立って、夜中に

「ベンジャミン・バトン」を見た。

老人で生まれて、どんどん
若くなっていく、そして
愛する周りの人達は
普通に年をとり
そして、
サヨナラをしていく。

F・スコット・フィッツジェラルドの
短編小説を『セブン』の
デヴィッド・フィンチャーが映画化したもの。
第一次世界大戦時から
21世紀に至るまでのニューオリンズを舞台に、
80代で生まれ、徐々に若返っていく
男の数奇な運命が描かれる。
主人公のベンジャミン・バトンを演じるのは
ブラッド・ピット。恋人役は
ケイト・ブランシェット。

ちょっとはっきりと
笑えなかった、泣けなったという
若干、消化不良のところ
ありましたが、小さいノートパソコンで
見たし、中断したりもしたので
あまり辛口な事はいいません。

十分美しい画像、十分練られた展開
劇場で見たらきっと、ゾクゾクしたと
思います。

でも「ビックフィッシュ」夜中に
同じスチュエーションでアトリエで
見た時は、ラスト泣きに泣きましたね。

おしまい!

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「私」とか「あなた」そして、みんな。

7奇跡の連続で私は
存在している、出来ている。

幸運の後に、幸運が続き
幸運に幸運が次々、重なって
それが、わたしだ。
あなただ

いかなる不思議、偶然
幸運が重なって
わたしはわたしであり
あなたはあなたなのか。

今、私が私であること、
あり続けていることを
あなたがあなたであること、
あり続けていることを
驚きなさい
ビックリしなさい
歓喜、感動、
深く感謝しなさい。

自分に対するビックリ度は
そのまま世界に対する
ビックリ度、新鮮度。
そして他人に対する
周囲の人、出会う人へ
抱く尊厳性の度合いに比例。

その瞬間
自分と言う存在の脊髄に
宇宙を突き抜ける軸が出来る。
そこから宇宙より力が
取り込まれ、そこから宇宙に開いて
力を発する。

私が私であり続け
あなたがあなたであり続けている

この不思議なる、厳粛なる地点。

さてさて、ここより
意思と力によって
さらに加速度をまっして
より私は私であろう。
よりあなたはあなたであろう。

まだ、まだ、私は私に
なりきっていない。

おそらくは
あなたはあなたになりきっていない。

私が私であり続けるこの不思議の
幸運の連鎖のエネルギーを
私が私を全開すること
私が私の100%になることに
使い切るのだ。

あなたがあなたであり続けるこの不思議の
幸運の連鎖のエネルギーを
あなたがあなたを全開すること
あなたがあなたの100%になることに
使い切るのだ。

「それは何をすることなのか。」
もっとたいせつなのは
「それをどのようにするのか。」
ということ。

あなたがあなたであり続けている
不思議に気づき、そこより意志でもって
あなたがあなたに100%なりきる作業
あなたがあなたを100%開く作業
これが満点人生だ。

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セレトニンによる小顔化計画

72 不安と興奮を抑え
心を安らかにする。

セロトニンが増えると
自然に緊張が和らぎ
抗重力筋が活性化し
まぶた、頬をきゅっと吊り上げ
引き締めることで顔を小顔にする。

散歩をしたり、登山をしたり
歩いて気持ちよくなると
セレトニンは増える。

セレトニンアップは
心を元気にし
体を若返させ健康にするだけでなく
美顔、美容にも
ベリーナイス。

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その2.人生には、DNAを変えてしまう出来事がある。衝撃と感動の23歳の誕生日。

3_24月4日から私は救われた。
子供たちと会ったから、私には、1年ここで頑張ると言う
選択しかなくなったからだ。

どんなに苦労が多く、大変でも不毛な葛藤に
時間を延々と使わざるを得ない状況よりはましだ。

とは、言え、その日から、今まで経験のしたことない
苦労が始まった。

迷いの苦しみは、その日、その時以来
まったく無くなったのはありがたい。

でも、私は、今までの私でない私と
その日から出会うことになる。

怒って叫んでばかりいる私だ。

9歳、30名の子供たちを、イスに座らせたまま
おしゃべりをさせずに、国語・算数・理科・社会を
教える事がどんなに難しいことか。

何人か両親が揃っていない子がいた。
みながみなそうではないだろうが
当時、受け持った私のクラスの子は
甘えたいのに甘えられないストレスを抱え
甘え方を知らず、私にただただ
ぶっかって来たり、たたいたり
つねたりしては、ふてくされたり
すねたりしては、友達ともすぐ揉め事を
起してばかりいた。

ただでさえ一番元気盛りの年代の
小3の子たち30人の集まり。
そこに甘え方を知らない
情緒不安定ぎみな彼らを中心に、
一日中争いごとや、彼らの行動に便乗して
悪ふざけを増幅させる悪ガキ
腕白坊主ぞろいで、とにかくとにかく
ヒッチャカメッチャカだった。

自分の預かった子供たち
クラスが一番たいへんなクラスにも思えて、
「何で、もう、やれやれ、へとへと。
 新米講師のオレに預けちゃえってか。」
とうがった被害妄想的、正常じゃない思いも
よぎったりもした。

私は、自分を穏やかで怒らない人間と
思っていたのだ。いつも自慢していた。
それも、気持ち悪い話だが、いずれ
自分でもビックリした。

よく、朝の8時くらいから
一日中、怒り続けていたものだ。
注意しても注意しても静かにならず
疲れ果て、無愛想になったり
時に説教に授業時間を潰したりして
そんな時は、自分でもそんな自分に
後味が悪く気持ちが沈んだ。

子供たちは、私の事を正採用でなく臨時の
常勤講師ということも親から聞いて知っていて、
売り言葉に買い言葉で

「先生、本当の先生じゃねえから怒るな。」

とか、なんだその理論は、第一本当の先生って何よ
と、むかつくこともあった。

私は、9歳30人の子供に溺れていたのだろう。
もがいていた。

そんな風にして
およそ3ヶ月ほど経過したある日のことだ。

いつものように、職員室で先生方の打ち合わせ
朝の朝礼をして、2階の教室に向った。

教室に近づくにつれ
不安がよぎった。

教室に近づいても
静かなのだ。

「おかしい!」

ーやつら、校庭で遊んどるか!ー

 廊下の窓から校庭を見下ろす。
ーいねー!体育館か、あの野郎!ー

一応、教室のドアを開けてみた。

ビックリした!!
ほんと、ビックリしたな、もう!

そこにみんないたのだ。
しかも、みんな口を結んで
一言も発せずキチンと座っていた。

30人の子供たちと目が合った。
座席は、黒板の方に開いてコの字に
並んでいた。

黒板を見たら、ありったけのチョークを使って
「ナカムラユウコウ先生、23歳の誕生日、
 おめでとうございます。」
と大きな文字で書かれていた。

その日は、5月28日。誕生日か!

周りの空間には、花や、ブタかクマかも
わからないへたくそな絵がいっぱい描いてあった。
黒板の前の教卓には、子供たちのプレゼントが
山なりに積まれてあった。

私は、動揺していた。いや、呆然としていた。

本来は朝の会の時間なのだ。
こんなに立派な誕生会の
準備をしている。
これは、いいことか!?
怒ったらいいのか、褒めたらいいのか?

私は、さすが怒りはしなかったが
若かった。

完全に、動揺していた。

というか、夢か、現かを見極めようとしていた。
この子達が、なんで、何時、どうやって
今朝、早く集まって?全員で?
いつから相談して準備していた?
仕掛人は誰だ?

ええっ?これ、夢?

山なりになった教卓の前に立つと私は言った。

「朝の会を、始めます。」

(おいおい、おまえ、そうか!!)

一番、手を焼いていた両親が家を出て行き
祖母と祖父に育てられていたMがイスから
飛び出して来て、

「先生、プレゼント、みろ!」

と言った。そのコトバで私は、我に帰った。

「あっ、そうだな。プレゼント、見るか。」

と、やっと少し笑顔になって言うと、Mが

「おらのから見ろ!」って自分のプレゼントを
その教卓の、プレゼントの山から取り出し
私に手渡した。

紙袋を開き、中からその布らしきものを
取り出した。

それは、大きな大きな黒いパンツだった。

「でっけーパンツだな!」

「だって、先生、でかそうだからよ。」(何が?)

そういうやいなやMも子供たちも
笑い転げている。

「どこで、買ってきた、高がったべ、いくらした?」

「500円した。」

「どこで買ったのよ。」

「大更さ、タクシーで行ってきた。」

「タクシーか、タクシーでか?」

「片道640円だ。」

みんなは、「パンツより高けー!」と言って笑った。

もう私は、こみ上げ始めて来ており笑えなかった。

いつも、この子は、甘え方が解らず
しつこく私を叩いたりつねったりして逃げ
その痛さとしつこさに、イラッと来ることもあった。
授業だろうと何だろうとすぐ立って歩き
すぐケンカはし、問題児と言えば一番の問題児だった。
騒然、混沌を一番作り出す張本人だった。

それなのに、この一連の行動や雰囲気を見ると
むしろ、このマル秘の誕生会の発案、運営の中心者の1人の
ような気配さえある。

不合理な計算。計算の無いプレゼント。
少し大きすぎて目算誤ったといえ、
私の事を思い浮かべ、このでかいパンツを
隣町までタクシーで買いに行き、もしかしたら
店員さんに「お父さんにプレゼント?」などと
言われたり聞かれたりして、
お父さんもお母さんもいない彼には
つらい思いもしたかもしれない。

私は次々、プレゼントを開けていった。

お店で買った物もあれば、
牛乳ビンに色紙を貼り合わせた花瓶や
紙や毛糸で作った手作りの人形や、
ポストカードやお手紙。
全員が準備してくれていた。

私は、よく言うことを聞いてくれる扱いやすい子と
自分から私に働きかけ絡まってくる子、そして
手のかかる腕白坊主ばかりと格闘し接していた。

話しかけてもあまり愛想のなく、目立たない
本当に静かな引込み思案の、その他、大勢の中間層の
子達がまったく目に入っていなかった、
心に無かったということに気づいた。

私は、子どもたちをまったく愛していなかったのだ。

そういう子たちも、私を、先生と慕っていた。
名前を呼ばれ、話もしたかったのだろう。
朝から午後まで一緒にいて
一度も名前を呼ばない子もいたのではないかと
はたと、気がつくと悪寒が走った。
私とすれば一対多対応だが、子供たちにすれば
どの子にとってもみな一対一対応なのだと
初めて気づいた。

私は薄情な人間だ。
今日まで、わたしは自分を優しく慈しみ深い人間だと
思い込んでいた。

とんでもない、思い込み。
穴が10個でも、100個でも欲しい。
血だらけになるまで飛び込んでやる!

優しい?慈しみ深い?それどころどころか、並以下。
並以下の以下もいいところ。
本質、冷たい。愛する能力も慈しむ心も弱い人間だ。

もう私は涙が溢れ溢れて仕方が無かった。
それは、プレゼントがうれしいとか
このマル秘誕生会に感動したとかでなく
自分が情けなく、自分が悲しくて、惨めで
自己嫌悪でいっぱいになっていた。

自分の冷たさ、利己的な矮小な心に涙が溢れて
どうしようもなかったのだ。

私は、その時、すっかり自分の心が見えた。
自分の本質を見切ったと言ってよい。

私は子供たちのために子供たちを愛して慈しんで
怒り続けていたのでない。

教室の側の廊下を通り過ぎる先生方に
指導力が無い、メチャクチャだと
思われないためにだけ、怒っていたのだ。

まったく、そのためだけに怒っていた自分が
はっきりと見え、解った。

ほんとうにそのためだけに怒っていたのだ。
本当にそうです。100%そうです。
恥ずべき、恥ずかしい、とても醜い心根の人間です。

「今、これ覚えないと、本当に困るぞ。」っていう
教師として当たり前な教育的見地からの
気持がほんのちょっとでもあれば、
せめて3回に1回くらいそんな思いで
怒っていたら、そんなに嫌悪はしなかった。

私は、本当に卑劣な人間だ。

自分を良く見せる、よく評価されんためにだけに、
ヒステリーを起こし彼らを、彼らの純粋な幼い魂を
小さな箱に押し込めたり、隠したり、威嚇したりと
テロ行為を繰り返してきたのだ。

何一つ、わかっていなかった。
こんな事の出来る9歳30人。
すばらしい9歳30人の子たち。
私は、彼らの持てる力に気づきもせず
それ故、もちろんほんの少しも
彼らのその力を引き出すこともできず
ギャギャー叫び、怒ってばかりいたのだ。

ほっぺの赤い、いつも静かで、話しかけても
にこりともしない、むしろおどおど怯えて
いるかのようにする、まったく目立たないKの
プレゼントにコトバが添えてあった。

「いつもオモシロいことして
  ありがとうございます。」

ひとつもオモシロくねーよ、オレは!
朝から晩までヒステリーおこして
うるさい!だ、静かにしろ!だ
怒ってばかりでしょ!!

どこがおもしろいの!!

子供たちは、本当の実像、実体の私を見ていない。
「大学を出たばかりの若い男の先生は、
おもしろいものだ。」という固定観念で、
私の虚像を見て慕ってくれている。
いや、慕ろうとして頑張っているんだ。
怒ってばかりいてオモシロくない私なもんだから。

結局、私は、権力志向、権威志向のいやなやつ
人目ばかりと体裁作ろういやなやつ
自分の事を自分でやさしく、深いヤツなんて思っている
気持ち悪いヤツ。格好ばかりつけやがって、見栄えと
他人の評価ばっかり気にしてるいやなやつ。
弱いもの、光が当てられないもの、純粋なものを
踏みにじって、時に利用してそれらを
得ようとするヘドのでる人非人。

私は、プレゼントをひとつひとつ開けながら
決心していた。覚悟を決めていた。

私は、教育委員会にも、校長や先生方にも
親にさえつかない。

子供たちにつく。

子供たちを愛する、慈しむ以外の感情や欲や
目的で、学校と言う場にいない。
教育という場にいない。教師と言う、子供たちに
先生と呼ばれることを認めない。

学校、教育という場だけでなく、この人生で

私は、断じて自分可愛さ、自分の保持と見栄のために
弱いものを封じ込めはしない。
犠牲にはしない。利用しはしない。

覚悟、決心した。

この覚悟こそが、子供たちからの
私のその後の人生への
人生最初にして
最大、最高の誕生プレゼントだ。

私は、その日から意図的に努力して
必ず一日一度は全員の名前を呼ぶこと
発することを決め、実行した。

この子達の潜在力のすごさ。
自分たちでこれだけのことが出来る。

私は、9歳30人の川の流れの溺れから脱した。

初めて子供たちが見えてきた。
心に入ってきた。いとしく思えた。
彼らとのこの1年を私の人生に利用してはいけない。
私の大人社会での大人たちからの評価のために
彼らを威圧したり、閉じ込めたり、利用してはいけない。

彼らにとっては、かけがえの無い人生の一年なんだ。
彼らの一度限りのかけがえのない小学校時代に
先生方や、親に、どう思われようと
私は出来る限りの事をしよう。
いい思い出を、楽しい思い出を
作ってあげよう。残してあげよう。

誰にどう思われようと
関係ない。私が、この子らを
愛し本気で何かを引き出してあげる
育ててあげる。
この子らが、私を愛するかどうかさえ関係ない。
私が愛すればいいだけだ。

そう腹が決まると
針のむしろの毎日が
楽しくて楽しくてしかたがない
夢のような日々となった。

つねたり、たたいたりして来たら
「この野郎!」と大声上げて
追いかけ捕まえて、思いっきり
持ち上げ懲らしめてやる。
「やめろ!先生、殺す気がー!」って
うれしそうだ。
こいつは、お父さんに
しかられる事も、持ち上げられる事も
出来ないやつなんだ。

自分のためでなく
この子らに教えるために
本気で、しかも、デフォルメして
演技を入れる余裕も出来て
怒ってばかりいないで
工夫して、タイミングをいつも狙って
派手に褒め、いつしか
子供たちは、私に褒められたがった。
私に愛されたがった。見ててもらってる。
私の意識の中に自分もいる安心の中で
子供たちは落ち着いていった。

お話も読んであげた。
紙芝居もやった。
口からでまかせの
即興の作り話で
笑わせたり、怖がらせたりした。

へたなオルガンの伴奏で
みんなで歌をうたった。

むかし、ギリシャのイカロスは
 ろうで固めた 鳥の羽根
 両手に持って 飛び立った
 雲より高く まだ遠く
 勇気一つを友にして

 おかはぐんぐん 遠ざかり
 下に広がる 青い海
 両手の羽根を はばたかせ
 太陽目指し 飛んでいく
 勇気一つを友にして

 赤く燃えたつ 太陽に
 ろうで固めた 鳥の羽根
 みるみるとけて まい散った
 つばさうばわれ イカロスは
 墜ちて生命を 失った

 だけどぼくらは イカロスの
 鉄の勇気を 受けついで
 明日へ向かい 飛び立った
 ぼくらは強く 生きて行く
 勇気一つを友にして

この歌、みんな大好きで
なんどもなんども歌った。

なんどもなんども歌った。

いつの間にか3年さくら組の
テーマソング、学級歌になっていた。

家庭環境がいろいろ厳しそうな
垢をたけた、真っ黒い
腕白坊主たちを日曜日には
自腹で、たいしたことないが
銭湯に連れていった。

学級花壇に植えたヘチマは
どんどん広がって
大きなヘチマを実らせた。

その前で記念写真を
クラスのみんなで撮った。

家庭訪問、自転車で
緑の稲穂揺れるあぜ道を
子供たちに誘導されながら
一軒一軒回った。

郡のサッカー大会が近づくと
この子らのお兄ちゃんたちの
5,6年合同のサッカー部を指導した。
クラブのない日も、放課後
職員室に遊びに来たりと
なついてくれて高学年は
高学年なりに可愛かった。

先生方も、とてもよくしてくれた。
お父さん、お母さんのような先生方も
若い先生方も「ナカムラ先生」「ナカムラ先生」と
頼りにしてくれたり、可愛がってくれた。

毎日が楽しくて、楽しくて
楽しく過ごして、それで月末には
お金がもらえる。
不思議な気分だった。

住んでいる教員住宅に
野菜や家で作ったおかずを
持ってきてくれる父母もいた。

今までまったく知りもしなかった
寂しそうな田舎の風景は
徐々に愛すべきのどかな風景に変わってゆき
そしてそこに具体的に現実の生きている人間が
そしてその人間たちとの交歓がプラスされると、
その風景はキラキラ輝きだした。

別れの日は来た。
一年という月日はあっという間で
町の公民館を貸しきってクラスの子供と父母が
離任式の後、送別会を開いてくれた。

こんなことはないと、先生たちは
離れていく私を称揚してくれた。

私は、あいさつの冒頭から
涙があふれ、ほとんど
泣きじゃくって
自分でも何言ってるか分らず
聞く方は、まして
何言ってるか
全く分からなかったろう。

若かったな~。

子どもたちも、親たちも
豚っ鼻して泣きじゃくる
私につられて、なんだか
グチャグチャの送別会だった。

人は変わることが出来る。
人の評価や、人の目なんて
その場限りの無責任な
正体のない化け物なんか
に怯えて生きることをやめ
思いを込めて、愛を込めて
この自分をたんたんと生きよう。
思いを込めてたんたんと
自分のリズムで自分の美学で
仕事をしよう。
生きて行こう。

人を幸せにするものは
愛される魅力より、
愛する力だと思う。
これだけが世界を変え、
人生を構築する。

あの23歳の誕生日は
幸運であった。

あの誕生日に
子供たちは、その事を
教えてくれた。

その後の私の人生への、それはそれは
大きな大きな巨大なプレゼントだった。

そして、そうしてかれこれ
いろいろありまして
東京に出るまで
私は、その後、4年の
月日を費やすのであった。

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その1.人生には、DNAを変えてしまう出来事がある。衝撃と感動の23歳の誕生日。

72jpg_218の春。
私は、高校卒業と同時に
東京に行くんだ。

「本屋でアルバイトして
 芥川賞をとるんだ。」と・・・

穴が、あったら入りたい。
恥ずかしい。

ところが、私は
近所の300メートル離れた
地元国立大に合格してしまい
2年間、心、ここにあらずで
本屋や図書館にばかり通い
形だけ単位は取りながら
大学生活を過ごしていた。

3年生になったある日
諦めた。

東京は、ここまで来たら
大学卒業したら行こう。

それからの2年間
絵も描き、バイトもし
心がここに戻ってきて
やっと友達もたくさんでき
それなりに勉強もし
楽しく充実した学生時代を
過ごした。

大学卒業もまぢか。
22歳の私は、少々びびりながらも
いよいよ花の東京に出る時、
出られる時が来たと
ちょっぴりの不安を抱えながらも
意気顕揚としていた。

しかし、隙は
そのちょっぴりの不安に入り込んで来たのだ。

大学の卒業式も終え
年を越す前に先に終えていた教員採用試験で
一次の筆記試験は中途に手を抜いたため
通ってしまった私は、2次の面接では
確実を期して黒い革ジャン着て
細いネクタイして、髭ぼうぼうで
出向いた。

これでも、採用するなら運命と諦めて
しばし教員をやるかと、そんな
やはりどこかに神頼み、運命任せみたいな
弱さと隙があった。

3対1の面接だった。
面接も淡々と進み、私は、流暢な弁舌で
質問に次々と答えた。
まずい、あんまり、上手に答えると
合格してしまうと心配しながら
口は勝手に動いてしまう。

しかし、心配無用。

3人の試験官の真ん中の
一番偉そうな人が、なんか顔を
見る見る真っ赤にさせて
「机の上に手を載せて人の話聞くな!」と
怒鳴ったのだ。

こっちは、小さい頃から
修羅場を超え、修羅場の中で生きて来たから
びびりもしなかったが
ーあれ、この人、病気かな、血管切れないかな!?-
と、心から心配した。

両脇の試験官が「まぁ、まぁ」と
今にもこぶしをあげて立ち上がらんとする
その中央の試験官を、両脇から抑えた。

これで100%採用は
ないと確信した。

ーやった!天の計らいだー

案の定、採用試験は落とされた。

これで東京行きの背景も
下地作りも出来た。100点満点、
いや120点だ。
家族もうまく、説得できる。

そう、東京行きは、準備万端。
目前のはずだった。

ところが、しかし。

隙は、その心のどこかにあった
ちょっぴりの不安に入り込んで来たのだ。

卒業式を終えて間もなくだった。

教育委員会から電話が入った。

平舘小学校というところで
1年常勤講師をして欲しいとの
なんとも、体が凍るような
連絡が入ったのだ。

ーなんってこった。
 この手があるのか。こんなことがあるのか!
 人生は、やっぱり漫画のように
 自分の思ったようには行かないのか!
 うっー!どうしよう。-

ぼうっとしている間に、間もなく
その校長からも電話が入った。

即答で、断ることが出来なかった。
家族にも連絡が来たことを話さず
相談もしなければ問題はなく
予定通り、東京行きは
決行できたのだ。

しかし、私は弱かった。
迷いがあった。
自分への才能、力への不安もあった。
先生と言う人生と作家、創作家という人生の
価値と幸せ度、自分の適性などなど
100パーセント確実な答を出し切れないでいた。

学校に顔を出すのは1週間後。

悩みに悩んだ。朝から晩まで
考え抜いた。

しかし、一週間、答は出なかった。
感動と覚悟の伴った
選択の葛藤を超越しいずれにせよ
自然に行動を起こさせる
結論には至っていなかった。

考えることに疲れきっていた。

私は、亡者のような白い顔をして
悩み続けながら、告げられたように
電車に乗るまでも迷い、乗っても迷い
降りても迷い
駅についてタクシーに乗り
学校についても迷い、校長と話し
春休みのその場に居合わせた先生方に紹介され
挨拶しても迷い、そして校舎を出ても迷い
こんな往生際の悪い人間を皆さんは
人生で絶対で会ったことがないと
思います。

しかし、たった一つ、
迷わず決めていたこと、はっきりして
来たことがあった。

子供たちと会ったら
もう、後には引けない。
それは、いくらなんでもリミットだ。
子供たちと対面してから
止めると言うのは、それはもう病であり
犯罪者だ。子供たちと会ってしまったら
一年は少なくとも、教員をやる。

私は自分を強い人間でないのを
十分知っていた。
いや、弱い人間なのを
十分知っていた。

一年やったら、ずるずる教員として
生きていくのではないか。
今ここが分岐点。ここで1年やったら
教員としてふるさとのこの県内をぐるぐる
数年ずつ周り、30代になり
40代になり、50,60と
そして人生を終え、結局、
私の人生に花の東京は
アクセスしない、やって来ない
で、人生を終了するだろう。

私は、自分が弱いがゆえに
判断を2倍も3倍も難しくし
自分に自信がないため
問題をさらに混迷化させ
複雑にしていたのだった。

4月4日。始業式がリミット。

それから数日また
悩みに悩み、いつ寝ていつ起きていたのか
解らぬままに4月4日の朝を
迎えた。

ゲームオーバー!

「よし、1年だけやる!」

文章を書くための素材づくりと
人生経験のためにもいいだろう。

そう言い聞かせて
2週間ぶりくらいに
やっとすっきりした心になって
電車に乗り、校門をくぐり
「おはようございます!」
と職員室のドアを開けた。

いずれ、私の社会人
大人としての人生が
スタート、開始された。

そして、衝撃的、感動の
5月28日、23歳の誕生日まで
3年生、9歳の30人の子供たちとの
ドタバタドタバタの生活が
始まった。

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どっちにしようかな?

2jpg ほどほどに
生きるか。
「二度とない人生」
を生きるか?

どっちにしようかな?

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平舘経由、安比ビレッジ、サンダーパパ。

P1210616 今日は
安比のペンションビレッジへ。

サンダーパパという
ペンションをやってる
うちのアトリエに通うメンバーの所へ
いろいろと用事があって行って来た。
おいしいランチも食べた。

<サンダーパパホームページ>

http://www2.ocn.ne.jp/~thunpapa/yoyaku.html

安比へは西根町の平舘を通って行く。

私が23歳の時、1年間
この平舘に住んだ。

大学を卒業したら
東京に行くはずが
ぐずぐずしている間に
1年間の常勤の小学校の
話が来たのだ。

東京に行こう。
東京に出て本屋さんで
アルバイトしながら
芥川賞を狙おうと
妄想に捕らわれていた私は
この話が来てから結論を
出すまでの1週間ばかりを
さんざん迷いに迷った。

しかし、結局
1年間、ここで
やることにした。

3年さくら組。

30人ばかしのクラスを
受け持ち、朝から晩まで
どたばた劇を演じた。

衝撃と感動の
私の誕生日までは
朝から晩まで
大声上げて怒鳴り続けていた。

9歳のひっちゃかメッチャかの
30人の子に
アップアップしていたのだ。

1年という短い期間だったが
社会人一年生。
教師としても、仕事をする
社会人としても
全てが初めてのことばかりだった。

片親の子も数人いて
日曜日には
その子等を銭湯に連れて行った。

学級花壇に植えたヘチマは
どんどん広がって
大きなヘチマを実らせた。

その前で記念写真を
クラスのみんなで撮った。

家庭訪問、自転車で
緑の稲穂揺れるあぜ道を
子供たちに誘導されながら
一軒一軒回った。

1年の月日は
あっという間で
子供たちと父母が
公民館を借り切って
盛大な送別会をしてくれた。

私は、あいさつの冒頭から
涙があふれ、ほとんど
泣きじゃくって
自分でも何言ってるか
聞く方は、まして
何言ってるか
全く分からなかったろう。

若かったな~。

安比のペンションの帰り道
校舎が見えた。

車を止め、写真に
収める。

ここの5月、6月は
本当に美しい。

遙か広がる田園風景から
岩手山の麓まで
素晴らしい緑のグラデーションの
絶景となるのだ。

その頃、また
来よう。

そして、ゆっくり
缶コーヒーでも飲みながら
その緑のグラデーションに包まれ
私の23歳について考えよう。

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風が変わった。今日から、やっと春。

72p1210599_2 喰いすぎの昨日を反省して
今日は、午前中
写真を撮りながら自転車で
遠回りで温泉まで。

今日は、空気が変わりました。

春の風になりました。

自転車も手袋なし。

桜を含め通りの木々も
芽吹き、大地の草花も
急に生き生きとし
輝きだしたように
感じる。

今日が、長すぎた冬の終わりと
春の始まりの潮目の日だ。

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盛岡バスセンター

72p1210586 本当、数十年ぶりに
バスセンターの中に入った。

初めてここを訪れた少年時代から
この中の風景も空気も
30年、40年前と同じ。

そこにおいてあるお菓子も
商品もなんでこんな
パッケージから何まで
古臭いものを
集められるのだろう。

カウンターのコーヒーシュップ。
たこ焼き屋、お土産売り場
タバコ屋、そして立ちそば屋。

時間が、完全に止まっている。

私は、昼飯を喰ったばかりなのに
少年時代、冬の寒い日
食べたくて食べたくて
しかたがなかった天ぷらそば。
急に食べたくなって
注文した。

あの頃は、体中のポケットを
かき集めても、食べることが
できなかった天ぷらそばを
今は、こうして食べることが
できる。

「大人っていいな」と
感慨に浸りながら
汁まで平らげてしまった。

昼、2食。

これでは、自転車で
2時間、3時間走っても
豚化は阻止できない。

今日だけ、タイムトンネル。
お許しを!

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4月18日

72p1210516 朝、市場に行く。
体の芯から寒い。
花屋のワンちゃん。
今日は、ダンボールに
入っていました。

ひと箱、300円
みたいでなんか
かわいそう。

冷えた体をマック
コーヒー一杯分温めて。

お昼、自転車で
近所の温泉へ。
自転車で温泉行ける
県庁所在地
盛岡はステキな所だ。

72p1210534 帰り、随分ご無沙汰していた
ゴールデンのモカちゃんとも会う。
とても性格のいい子だ。

顔や体をなでてやると
こっちの心が癒される。
アニマルセラピーだ。

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時空を超える人生

Photo_2 アインシュタインも賛成するだろう。

宇宙エネルギーを取り込む仕組みを
この人生でなるだけ早く、
できるだけ早くに構築し
その豊満豊穣のエネルギーによって
自然生まれる笑顔と智恵
継続維持可能なる忍耐と行動で
自分自身と
自分が存在し認識できるその世界を
少しでも、いやできるだけ
良くし楽しくしていくことだ。

決心も選択もいらない
全てが自然発生的、自発的に
思いは、過不足なく美しく行為として
形成・実現され、自分は楽しく
世界はよく変わっていく。

境地。

その展開としての人生が
ふるさとで止まるもよし。
国で止まるもよし。
世界や、はたまたま
宇宙まで広がるもよし。

その人生が短くても長くてもよし。
息が止まるまで
自分が自分を認識できなくなるまで
自らの思いが自らの手足を
動かせなくなるまで行動せよ。

人間の100年
人間の1年も
宇宙スケールで見れば
広大な砂漠の一粒の砂にもならない。

物理時間で言えば
どちらも等しく短い。
だから、それは、どうでもいいことだ。

寿命を超える価値、重要なものが志、思い、ベクトル。
ベクトルがどこを向いているのか、
いたのかこそが大切。
その向きこそが永遠を、無限大を
手に入れるだろう。

そして大切なのはベクトルの色、質。
いいものを目指し、良きところを志し、いい事を考え
人の世界に、この世界に抱く感情から
いい感情のみをセレクトせよ。

その感情で、
自分自身を満ちらせ
形成せよ。

それが、時空を超える人生だ。

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石川啄木の明日

72p1210469_3 大通りの書店まで
自転車で。

石川啄木さんが前から
立っていたのは
知っていましたが
足元の歌碑が、
好きな歌だったのを
今日、初めて知りました。

「新しき明日の来(きた)るを信ずといふ
 自分の言葉に
 嘘はなけれど」

 石川啄木 歌集「悲しき玩具」より

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春よ

72p1210436 北に向かう群れに乗り遅れ
春を盛岡の川の流れで過ごす
2羽の白鳥。

一羽だと寂しげ、悲しげだが
2羽なら、これもありか。

楽しくおやり。

河岸の黄色い水仙や
芽吹く桜のつぼみの下を
楽しみながら下流、下流と
流れに身を任せ
とても気持ちよく
楽しそうだ。

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安倍一族の悲話。連続神隠し事件!?

72p1210423自転車で走っていると
車に乗っていて
気になっても
止まれず
そのまま通り過ぎるところに
食い込むように
入り込んでいけて
最高だ。

安倍舘通りには
そんな場所が
たくさんあった。

今日は自転車なので
道路から入り込んで
安部一族の悲話の
河岸に沿った
細い道を
自転車で走った。

樹齢何百年かなという
樹木が立ち並び
骨肉の同族の
悲劇の戦いの
鎮魂の神社や
石碑が、神妙な
空気の中に
佇んでいる。

妙な空気、少し
ここは温度が違う。
ひんやりとする。

この辺の
アパートは、夜になると
武将の戦う声や
馬の蹄の音がするという
噂で、家賃が安いという話も聞いたことがある。

ー私は、今日、見てしまったのだ。


 この辺で、これまでも
 なんども子供たちが
 行方不明になった。
 跡形もなく、行方知れず。
 殺されたということもなく
 生きたままでも、死んだ姿でも
 発見されない。迷宮入りだ。
 まさに、神隠しだ。

 変質者によるのか
 注意を呼びかけたりもしていた。

 今日は何でもない
 普通の日だ。

 午前中、この時間にブランコか?


 小学生位の男の子が一人
 鎮魂の石碑の隣のブランコで
 ギイギイ音をたてながら
 漕いでいた。

 私は、その辺をうろうろしながら
 写真をパチパチ撮っていたが
 その少年のことが気になって
 ちらちら見ては
 また、写真を撮り続けていた。

 その時だった。
 ふと後ろを振り向き
 ブランコに乗っている男の子を
 見た瞬間、空高く上がったかと
 思ったその時、空中で消えて
 しまった。

 そうか、少年たち
 少女たちは
 ブランコに乗って
 いたのか。

 迷宮入りの
 事件が解決した。ー

そんなふうに
自転車を走らせていると
想像力がどんどん膨らみ
無料で映画を見、小説を
読ませてもらい
おもしろい。ー

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橋梁大事件

72p1210441 ここが
大事件の場所だ。
今日は、今から30数年前の
大事件の場所を
自転車で通った。

宮城の石巻に続く北上川の
広い川幅にかかる
鉄道の走る橋梁。

小学生7~8人が
肝試しにこの水量の多い
大きな川の流れを下に
この橋梁、線路をわたったのだ。

ところが、運悪く
そこに電車がやって来たのだ。

不幸中の幸い
車掌がいち早く
この異常事態に気づいた為
列車は、
子供たちをひき殺したり
川に突き落としたりはしなかった。

先生方、校長先生
親を巻き込んで
たいへんなことになった。

私は含まれていなかった。

悪ガキもいたが
勉強のよくできる
みんなに人気のある
優等生も含まれ
仲のいい何人かも含まれて
いたため、
私は、なんらかの寂しさと
一人で勝手に
彼らをうらやましがり
引け目を感じていた。

私にすれば
彼らは鬼ヶ島の
鬼を退治したヒーロー
桃太郎のように感じていた。

絵に描いたような
悪ガキの事件を起こした彼らが
頼もしくも、うらやましくもあり
桃太郎でなくても
せめてキジ役や犬役でも
欲しかったと
思っていたあの頃の
私だった。

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決めていますか?「この人生で『やること』」

724jpg_2 「やりたいこと」でなく「やること」です。
今の自分、この生活での中で
その、少しでも出来ること
今日から、今から始めよう!

それほど、人生は短く
一生は矢のように過ぎていく。

私も半世紀、人間やってわかりました。
やろう、やろう
と思って、結局
3年や5年、10年や20年あっと言う間に
過ぎてしまうという現実。

人は、身構え、たじろぎ
結局、一歩を踏み出せず
平気で何年も何年も、いつの間にか
数十年も、そこで立ち止まっているのですね。

723jpg_2 完成度はさて置き、続くかどうか
どこまで行けるかなんかは、
実は2の次、3の次。

一歩踏み出し、ちょっとでもやる。
前に進む。それは、ちょっぴりであっても
立ち止まって同じ場所にいる人より
後退して後ろに下がって行く人より
えらい!すばらしい!

安心しなさい。
立ち止まっている人
後ろに下がっている人しか
その一歩の、前進の小さいことを
笑わない。

前に進んでいる人は
その人の持つ快い風で、あなたの背中を
押す。がんばったね、勇気持ったねって
励ます。応援してくれる。
心から、喜んでくれる。

彼らは、一歩踏み出した後の1000歩よりも
その踏み出す一歩のたいへんさ、価値を
知っているから。

0は永遠に0。1は掛け算で100にも
1000にも万にも億にも兆にもなる。

だから、一歩が大切。

「やりたい」リストから、はやく
「やること」を決めて
そしてたとえどんな小さな一歩でも
今、その一歩を踏み出すこと

「今」から始めないと、間に合わない、できない。

でも

「今」から始めると出来るもの、実現するもの?

それは、あなたが本気で決めた「やること」

夢とか甘っちょろいものでもなく
ビジョンなどとわけのわからないものでもなく

決めなければならないことは「やること」

あなたが決心、覚悟した「やること」だけ。

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友人「やよひ」のコンサート打ち合わせ

Defaultcakx2vl2 大学時代の友人4人からなる
音楽グループ「やよひ」の
メンバーと会場下見と打ち合わせ。

メンバーの一人が
大学のオーケストラの
コンサートマスターだったので
その兼ね合いで、後輩・友人の
弦楽のカルテットも演奏したり
私も何曲か歌います。

「やよひ」中心ですが
少々雑多な、身内的コンサートに
なるでしょう。

Default_3 飲み物、軽食つきのライブになります。

You tubeにアップの「やよひ」の
ライブ風景あげておきます
http://www.youtube.com/watch?v=3O93dpHQ24w

http://www.youtube.com/watch?v=BSY02RD6PHs

http://www.youtube.com/watch?v=jliXuA6kGno

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晴れた日。ネコ。

72p1210254_2 風は、ひんやり。
天気は上々。
日差しは眩しい。

用事があって側まで来た。
昼間の古い飲み屋街
八幡町を写真に収めようと
細い裏通りを、カメラを
首から吊るして散策。

道のど真ん中。
大胆にごろごろごろごろ
伸びをする真っ白いネコ。

でかー!

近づいても
カメラを向けても
一向に我感知せず。

美人の割には
大胆なヤツだ。

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第一画廊

72p1210233_2 盛岡の老舗の画廊。
この画廊とワンフロアーで
繋がる喫茶「舷」で
打ち合わせがあって
久しぶりに、第一画廊
に行った。

オーナーは不在だった。
古い付き合いだ。
オーナーは35年前の
兄の結婚式にも
出席してくれた。

その後、私や弟が
イラストレーター、画家を
生業としていたので
時に、お茶を飲んでは
美術業界の話に
盛り上がった。

第一画廊は、貸しではなく
全て企画展示だ。

本当の意味で、作品を
買い付け、作家を見つけ
育てると言う仕事をする
ギャラリストは
県内では、彼だけだろう。

貸しの展示場としての
ギャラリーでない
ギャラリストの経営する
ギャラリーには、
独特の味わいと香りがある。

居心地がいい。
作品と、その作品から
作家が語りかけてくる。

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澤口たまみ著「宮澤賢治 愛のうた」本屋さん、ありがとう!!

Photo今日は、盛岡市内の繁華街を
端から端まで散策。

市内の書店さん
みなさん、地元出版社として
昨年、産声を上げた
盛岡出版コミュニティーを
応援してくださっている。

一番目立つところにおいて
売ってくださっています。

ポップを書いて下さったり
思いが伝わります。

おかげ様で、順調な
スタートとなっているようです。

ありがとうございます。

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歩いています。

Jpg 毎日歩いています。
2時間前後は、リックを背負って
歩いています。

車にもない、自転車にもない
リズムと視野があり
カメラをぶら下げて
時々パチパチしながら
地球を感じて歩けば
至福の時です。

ジム代もサプリ代もかけずダイエット。
治療費、薬代もかけずに高血圧治療。
おまけに、ガソリン代節約、節約。
願ったり、叶ったり。

老化は足から、
老人体型は、太ももの筋肉落ちから。

歩いて、歩いて若返り!

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価値ある質問

72jpg 「あなたがより楽しく暮らせるために
 今から何が出来ますか?」

「あなたが幸せになるためにあなたが
 今から何が出来きますか?」

「今もステキなあなたが、もっと
 よくなるために何が出来ますか?」

 今からできること!

 質問とは思索であり哲学であり
 答であり、進化のスイッチです。

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新社会人へ「プロ」に!

722jpg_2気分で仕事をしない!
気分が乗った時は頑張り
気分が乗らなければ頑張れない。

では、ダメ。

気分が乗らないと頑張れないのは
仕事人としてはアマチャー。

人間としては
大人になり切れない子供。

気分が乗らなくても
頑張れるのがプロ、大人。

どんな気分、心の状態、精神状況でも
全知全能を尽くし業務・仕事を継続、一定以上の成果と
クオリティーを維持できるのがプロ。

がんばれる時、がんばるのは当たり前ですから。
がんばりたくない時も、
がんばれる大人な仕事人になってください。

誰よりも熱い大きなビジョンを持ちながら
最悪のことを考え
誰よりも楽しみ楽しく仕事し生きながら
浮かれたり気を抜いたりせず
いつでも最悪の事態に
先手、先手を打ち続けられる人間が
一流のプロフェッシュナル。

「悪魔のように大胆に
 天使のように繊細に!」

とは黒澤明監督の名言。

ビジネスと創作は、まったく同じ。

一流の仕事人は
一流の創作家であり
一流の創作家は
一流の仕事人である。

かっこいい仕事人
プロになれ!

願わくば、悪魔のような
天使のような怪物仕事人になれ!

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市場開場!

72_2 幸せな事です。
今日4月4日より
歩いて100メートルのところに
市場が開きました。
私も運のいい男だ。

市場の賑わいの中で入れたての
100円コーヒーは美味しい。

岩豆腐ににんにく味噌をつけて
串刺しにし墨で焼いたでんがく
も絶品だ。

活きのいい海産物、旬な季節の野菜
でいっぱいだ。

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ローマからナポリへ

Photo 小さな山並みに
家や小屋が点在。

イタリア半島を
列車でローマから
ナポリへ向う風景に
似ている。

いつも国道を走りながら
写真を撮りたいのだが
交通量が多く
いつも通り過ごしてしまうのだが
今日は、いいスポットを
見つけて、思いを遂げた。

犬と散歩する人
学生たちのクラブ活動のランニング
通り過ぎる自転車を走らせる人
いい被写体がたくさん通る。
またじっくり撮影に行きたい。

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ゼロ

「ゼロから生み出せる力」

72 取り掛かる力とコツ。
目的とゴールから
骨子を一気に組み立てる力。
考え抜く力。
時空の両方の軸から
俯瞰する立ち方、見方、感じ方。
やり遂げる情熱と
供給し続けるエネルギーの仕組みの確立。

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その子たちは、語る。「松本伸:写真展」

72p1210022 松本伸の写真に、SFファンタジー作家の
平谷美樹が、短い短いストリーを
書き下ろしている。

松本さんの写真を見ながら
平谷さんが、その写真の中の子たちが
語りかけてくるセリフを
書き取ったのだろう。

写真はそれほど大きくない。
A4サイズくらいだ。
それでも、写真の中の
女の子たちは十分に
物語を語っている。

見る人により、見る人の数だけ
いろんな物語があるだろう。

書くことの、感じ取ることの
空想することのプロの
平谷美樹バージョンの物語として
それは十分に楽しい。

写真と文章との組み合わせで
一番好きだった作品。
写真家と作家のステキな
化学反応が起きている作品だ。

「陽の差し込む高架下にて」

「人は、遠い未来の約束を守るために、
 生きているんだよ」
君は、そんな不思議なことを
突然口にする子だった。

君とぼくとは、どんな約束を交わしているのだろうー。

ぼくは、ポケットの中の小さな箱を握りしめた。

72p1210028
4月17日(土)まで開催中!
ほっと茶屋
盛岡市中の橋通2-6-2
TEL019・653・5541

<盛岡バスセンター付近、IBC岩手放送向かい>

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