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「2万人という数字が、私に突き出した3万人という数字に対する一日本国民としての反省文」

Img3211936380001今回の被災で死亡と行方不明で
昨日2万人を突破した。

凄い数字だ。

でもこの国、日本は
ここ10年、大地震も大津波も
原発の爆発もないのに
戦争も起きてないのに
毎年3万人以上の人が自殺で
死んでいる。

3万人も自殺する国。

もしそれが政治のせいというなら
なぜ暴動が起きないんだ。
なぜ誰もデモ行進をしないんだ。
なぜ、東大生も早稲田の学生も
日本中の学生たちは誰一人
ヘルメットを被り
拡声器を持たないんだ。

人のことは知ったこっちゃないか。
それが、今、この国の本質か。
心の有りようか。

この国の国民、私たちはみんな
3万人も自殺でコンスタントに
毎年死んでいくことに
麻痺していないか。

この国に住む人間として
年末に聞くニュースから
刹那に流れる一瞬の数値として
右の耳から、左の耳へ
10年も11年も
良識ある人間が1億人も集まって
聞き流し続けるだけでいいのか。

今回のこの悲惨な出来事を機会に、
もうこんな日本は、
終わりにしないか。

この毎年一年間に、3万人の自殺は
日本の特徴なった。

自殺が特徴の国。
自殺が特徴の国民。

人に関わることが
かっこ悪いとか気持ち悪いとかいう
間違った表面だけのスマートさや
カッコ良さに、いつの時からか
いつのまにやら我々日本人は染まってしまい
こんなとっても冷たくパワーのない国に
なってしまったんだ。
誰がそんな国にしてしまったんだ。

それは私たちだ。
私たちが、友達に優しくないからだろう。
私たちが、家族にやさしくないからだろう。
冷たいからだろう。
私たちが、他人に関わらないかからだろう。
私たちが、学校や職場や地域社会で
人に関わる、優しい人をキモイと小バカに
するからだろう。

こんなに宗教も道徳も人格もない
おまけになんの哲学もポリシーもない
いつもその場限りと、成り行き任せの
人間ばかりがうごめく、こんな国は、
今、世界中、どこをさがしたら
あるんだ。

これは、この国に住む
みんなの責任だ。
そんな国を作っている
そんな国に甘んじている
みんなの責任だ。

人は他人に関わられ
意識され関心をもたれ
人に愛され自分の価値を確認する。

自分で自分の価値を感じ続けられ
生きられるのは、ほんの一握りの
天才と普通じゃない人だけであるのに
この国は、日本はあまりにも
無関心、無反応の冷たい
国になってはないか。

照れくさいからとか
恥ずかしいからとか
いい子ぶってると思われたくないからとか
周りから浮きたくないからとか
面倒だからとか
そういうたいしたことのない理由ばかりで
とても大切なこと
とても重要なこと
とても温かいこと、
とても価値あること
ずいぶんとうれしいことや
ずいぶんと幸せを感じさせることが
できることやら何やらの
何一つ現実の人生
今日の生活の中で実行することなく
抹殺して生き続けてはいないか。

それが私たちの日常
人生になってないか。

どんな時代になったって
どんな流行の個人主義でクールで
かっこいいと言われる生き方があったて
人間は永遠に変わらないのだ。

つまり、もしも、信じられないけれど
自分の人生に不本意な、不運が訪れた時
トラブルと問題を抱え、そして緊急を要する時
いかに人は去り、情熱的でなく
あまり関わろうとしないか。
そして、同時に、そんな時こそ
声をかけ、思いをかけ、
行動してくれる人が
どんなにありがたいか。
損得関係なく、計算できない
情愛豊かな人たちが
小ばかにする存在ではなかったことに
初めて気づくだろう。

経済の凄い国
政治や文化の凄い国もいいが
それももちろんいいだろう。
心の凄い国をつくろうじゃないか。

声掛け合い、励ましあい
お互い気にかけ
人に優しく尽くす人を
小ばかにしたり
気持ち悪がったり
変に猜疑心をもって見たり
あるいはそういう人を
騙したり利用したりしない
国中をそういうコミュニティー
にしようじゃないか!

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コメント

中村先生

ご無沙汰しています。土岐山です。

先生のコトバカフェは欠かさず読ませていただいています。

先生の今回書かれた内容、仰る通りだと思います。

人は一人では生きられません。
私は今の日本を人と人が深く関わる心豊かな国にしたい。

今回の地震は警告に思えてなりませんでした。
「そろそろ気づきなさい」と。

今回の地震で今まで隣に住んでいたのに交流していなかった人々が助け合っていると聞きます。

こうしている間にも沢山の支援が全国から集まっているとも聞きます。

私の家族は宮城で被災しました。

命は助かりました。
私も含め助かった命は何か意味がある。
亡くなった方々の為にも、この国を心の豊かな国へと復興させていく義務がある。
薄っぺらな個人主義なんてもはや必要がない。

私にできることをしていきます。

中村先生にはいつも勇気づけてもらってばかりです。
ありがとうございます。感謝致します。
いつか恩返しをさせて下さい。

土岐山

投稿: 土岐山 協子 | 2011年3月22日 (火) 10時39分

土岐山さん

そうですか。
宮城のご家族
被災されましたか。

でも、不幸中の
最大の幸せ
命あって良かったですね。

命あれば
一緒に歌も歌える。
肩もみもしてあげられる。
生きていればこそ
親子喧嘩も出来る。
親子喧嘩さえ愛しい。

連日テレビでご家族を
失った方を見るにつけ
そう思われます。

本当、つらいことです。
悲しくて悲しくて
切なくてへとへと
だと思います。

トラブルや
事故や大変なことに
出会わない人が
幸せなのでなく
どんなことにも
負けない心を
構築できた時
やっと人は幸せに
なれるのだと
私は思ってます。

なぜなら
この世は、人生は
いろんなたいへんな事の
連続だからです。

どうかここを
耐えて乗りこえ
しあわせな未来を作るため
全てのことに
最大の価値と意味を
与えて生かし
ください。

未来のいつの日か
あんなことがあったから
あんなことに
負けなかったから
未来と未来に共に
生きているその人々に
賞賛されることでしょう。

どうか、余震も
完全に安心できません。
福島原発事故もまだ予断を
許さぬ状況です。

いろいろと大変ですが
どうぞ最大限
善処されてください。


投稿: | 2011年3月22日 (火) 23時43分

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