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悲しい修学旅行にならなかった酷い修学旅行

Naritaairport_2 アトリエを復旧し
大掃除をしていると
お昼過ぎに、教え子が
自転車でやってきた。

彼は、地震発生した
3月11日の地震発生時
まさに、その時
修学旅行ということで
オーストラリアに向け
成田空港にいたのだ。

5日前、気持ちばかりの
お餞別もあげ
即席の英会話のレクチャー
もして見送った。

てっきり、オーストラリアに
もう行って、日本に帰ってきて
びっくりかと思っていたが
まったくそのドキュメントは
ちがっていた。

地震が始まると
成田空港内も
それは経験したことのない
大きな揺れだったという。
ロビーは悲鳴と揺れによる音で
恐怖はピークだったと言う。

さてその晩は、夜まで空港内に退避し
夜10時頃、バス泊。

翌日も空港内で退避。
その日は、どうにか宿を確保し
成田市内のホテル泊。

翌朝、朝7時くらいから
バスに乗り盛岡にもどる
移動を開始。

当然、オーストラリアなし。

高速道路が既に使えず
しかも太平洋側は
交通がまったく見通しが立たず
新潟に出、日本海側経由で
丸一日のバス移動で盛岡入り。

夜の11:00、12:00近くに
盛岡着となりそうな見通しと
なった時点で、盛岡を直前に
迎えに来てもらう家族、交通手段を考慮
運転手の疲労もピークと言うことで
ここでもう一泊バス泊。

早朝、盛岡の高校の校舎到着。

オーストラリア旅行は
盛岡から成田までの
日本海側経由の5日間の
バス旅行に変わってしまった。

延期も代替旅行も無いようなので
彼らの修学旅行はこの
超大地震、巨大津波、原溌爆発という
日本沈没ばりのニュースを聴きながらの
忘れられない5日間のバス旅行に
なってしまったようだ。

でも、酷い修学旅行、
酷い思い出にはなったが
誰も死なずに
悲しい思い出にならなくて
せめてもの不幸中の幸いだ。

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