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人類史に刻まれる熱いラブレター  その1

Mai_20110320k0000m040114002c_2まだまだ、予断を許さない状況であるが
昨晩の消防庁のハイパーレスキュー隊
による ポンプで吸い上げた海水を放つ
「屈折放水塔車」による放水オペレーションが
もしこの危機的状況が収束したのなら
あれがターニングポイントだったと
言われる大きな収束への期待と可能性に
道を開いた。

今日、その10時間以上の「連続放水」
のオペレーションを成功させ
統括した隊長二人と総隊長の3人の
記者会見の様子が報道された。

感動で溢れる涙を禁じえなかった。

 「非常に難しく危険な任務だった.国民の期待をある程度達成でき、
   充実感でほっとしている」――。

佐藤康雄総隊長(58)ら3人がそう、心境を語った。

災害救助のスペシャリストである
「ハイパーレスキュー」の冨岡豊彦隊長(47)
と高山幸夫隊長(54)。

 冨岡隊長は「大変だったことは」と問われると、
「隊員です」と言って10秒ほど沈黙。
ぐっと涙をこらえていたのだ。
そして声を震わせながら、

「隊員は非常に士気が高く、
みんな一生懸命やってくれた。
残された家族ですね。本当に申し訳ない。
この場を借りておわびとお礼を申し上げたい」

と、震える声でそういうのが精一杯だった。

彼らは、間違いなく死ぬかもしれない
命を懸けてその現場に志願して集った
日本史に刻まれるべき志士だった。

佐藤総隊長は、彼らは精鋭中の精鋭の
ハイパーレスキューの、その中の
志願者たちであったことを明かしていた。、

高山隊長は18日、職場から
直接現地に向かったという。
今回の任務を「目に見えない敵との闘い」
と振り返った。注意したのは放射線量。
「隊員たちが常に測定しながら安全を確認し、
アピールしてくれた。仲間のバックアップが
あったから任務を達成できた」
と話した。

佐藤 総隊長は言う。

「彼らは、放射能の恐ろしさを知り尽くしている。
 装備などの関係もあるが、あれほど優秀な彼らが
 3倍くらいの時間がかかっており
 その恐怖は、いかばかりだったか。
 その恐怖に打ち勝ち、命を賭して
 任務を成功させた彼らに、ただただ敬服する。」

妻に
「安心して待っていて」
とメールで伝えると、
「信じて待っています」
と返信があったという。

 佐藤総隊長も妻に福島原発事故現場への
出動をメールで伝えた。妻から

「日本の救世主になってください。」

と返事が帰ってきたというと、顔が崩れた。

凄い奥様だ。
凛としたものだ。
逃げるわけには行かない。
行くのなら、最も素敵な
言葉で送り出したい。
力になる言葉で送り出したい。

そう思ったにちがいない。

この状況と、ご主人の仕事と立場とを理解し
ご主人の性格と心を知り尽くした奥様の
最高の言葉だったのだろう。

中途半端な泣き言は
かえって命を危険にさらす。
そういう仕事だ。
そういう仕事を持つものの妻だ。

日本史に、いや21世紀という世界史に
刻まれる熱いラブレターだと私は思う。

私は、この人生で、これ以上のラブレターを
知らない。

彼らは妻の誇りであり
妻は彼らの誇りであり
彼らご夫婦は、私たち
日本民族の誇りだ。

ドキュメントを続けよう。

原発に入ったのは18日午後5時5分。
作戦は当初、車から出ずに車両でホースを
延ばす予定で、8分で設置できる計算だったという。
だが、海岸付近はがれきだらけ。車が走れそうな
ルートだと2.6キロあり、ホースが足りない。

一度本部に戻り、安全な方法を再検討し
午後11時半に原発に戻った。

決断だ、人間の手で運ぶ。
途中まで車で延ばし、最後の
約350メートルは隊員が車外に
出て、巻いたホースを手で延ばし、
取水のために海まで届かせたのだ。

 ポンプで吸い上げた海水を放つ
「屈折放水塔車」を止めたのは、
2号機と3号機の真ん中で建物まで
約2メートルの至近距離。

目標とした、使用済み核燃料が貯蔵
された3号機のプールまでは
50メートルだった。

いつでも退避できるように
マイクロバスを用意し、
「特殊災害対策車」も待機。

 翌19日の午前0時半、
「白煙の方に向かって」3号機への
放水が始まった。

 放水現場の放射線量は
毎時60ミリシーベルトだったが、
放水後はゼロ近くに。
「命中している」と確信したという。

しかし、このスーパーレスキューは
日本の総力を上げてサポートされていた。

遠く離れた筑波の自衛隊の核戦争時の
特殊部隊が放射能の量を分析し
現場のレスキューやそのサポートの
自衛隊の活動分数を割り出し指示し
現場近くには、強烈な放射能を浴びた時に
処理対処できる特設の施設と日本の
放射能医療の最高能力の医者たちを
スタンバイさせた特設の病院を
準備していた。

その、核施設への放水というその事に
世界最高水準の日本の総力が
そこにあった。

日本はやはり最先端の
技術国家なのだと
そのサポート体制にも感動した。

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