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「あきらめない心」を思い出した今日

2jpg雑誌で見つけた「忘れられない歌」
をテーマに原稿用紙4枚1600字の
エッセィ募集。

大賞は20万円の旅券。10万が2~3本。
この記事を見つけた1ヶ月ほど前
その日のうちに、ひらめいたままに
原稿用紙でいうと10枚くらい
書きなぐった。

それを、数日前からどんどん削ずる
作業をしていた。

今日まで4月末日消印有効かと思っていたら
4月末までの表記であることに気づいた。

がっくり。
もう、今から出しても無理と
気づいたのが
本日の消印つくリミット
2時間前の午後10時。

オーマイガット!
結構、自信作だったので
ちょっと悔しい。

でも良く見たら
ウェブ投稿のURLあり。

やった!!
まだ神様から見捨てられていない。

気を取り直して
また、気合の入れなおし。

削って削ってなんとか
1600字に収めた。

10分前、いよいよ投稿かと
ワード原稿を添付し、念のため
投稿フォームにも原稿をコピーし
テキストで入れたら
なんと48文字オーバーの表記!。

なんで!?

よく数えたら1行字数設定が
40字でなく41字になっていた。

ゲゲ、今度こそ、オーマイガット!

10分では、48文字削れない。

知らん振りして、オーバーしている
ままでワード原稿で出そうか・・・・!?

いや、やっぱ、その対応は甘いな。
締め切りと字数のオーバーは、応募の
大原則だ。内容のよしあしを越えて
これは崩されない。
そうでないと収集つかない。

泣きべそかいていても仕方がない。
気を取り直し、削り作業。

やったー!60字くらい削る。

3分前、投稿のポチをクリック!
間に合った!!

幸運にも賞を取りましたら、ブログでも
公開いたします。

いずれ最近、こんな綱渡りはなかったので
久々に「あきらめない」感覚を
思い出した。

この件に関しては準備遅れではあるが
それはそれとして随分、最近は、
ぬるい生活をしているなと
思った。

もっと負荷をかけ、もっと
自分にせねばならぬことを科し
自分をいっぱいいっぱいにして
仕事し生活しなければ生きていかねば
体と同じように心もぶよぶよに
なってしまう。

気合だ!喝だ!内臓脂肪の削減だ!

明日は、被災地の久慈・野田方面に
行って参ります。

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5月1日(日)に野田村に義援物資届け

急遽5月1日(日)に野田村に義援物資届けに
行くことになりました。

野田村の災害対策本部に問い合わせたところ
以下の物資が必要とのことです。

このうち五個でも十個でも応援できる
出来る方は、お願いします。

この回収作業で、私が管理運用できる範囲
ということで、私の携帯かアトリエにお電話か
メールでご連絡できる方、また原則
回収に歩く時間がないので、ご連絡の上
土曜日中に、私のアトリエにお届け頂ける方に
限定したいと思います。

遠方の方は、直接、野田村災害対策本部に
5月2日以降に、ご確認の上に宅配等でお届け
ください。

野田村災害対策本部  
九戸郡野田村大字野田20-14  
019・78・2111

現在必要としている物資

やかん        185
片手なべ       172
両手なべ       111
ふらいぱん      145
ほうちょう       157
まないた        184
ガステーブル     226
ストーブ(反射式)   89

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行動することで、自分が人生が形成されていく。

ホンダの創業者、本田宗一郎氏は

「少しでも興味を持ったことは手をつけろ。
 そこから幸福の芽がでる。」

Souitiroua とおっしゃった。

私もそんな引っ込み思案
慎重、臆病と言う感じでは
なかったように、これまで
生きてきたようには思う。

むしろ周りの人間は、
もっと保守的で慎重であったら
と思っている人間も
いるかもしれないが
自分としては、もっともっと
本源的、本質的、本格的挑戦、行動が
まだまだ足りない、出来てないと
思っている。

新しい状況、未経験の状況に自分を
追い込み、自分がどう感じ考えるか
そしてどう行動するかによって
人は自分を知っていく。

知ることで自分を拡大できる。

そして自分を知って初めて修正も
加工も可能になり、その試行錯誤の
繰り返しにより、少しづつ理想の
自分に近づき、出来上がっていく。

行動により自分を知り
知った自分をこの自分が理想の形に
削ったり足したりして理想の自分に
近づけていく。

行動しよう。

進化の秘訣は、
キレイごとの勇気なんてのが100個あったって
人は行動できない。今、すぐやる
飛び込んでしまう無鉄砲さ
まずは、やってしまう
お馬鹿さなのだと思う。

迷ったら、積極的な方を選択する
と言うのが、私の行動選択の
判断基準、システムだ。

ということで、身の程知らずで5月、写真展に挑戦!

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4月27日の今日やったこと

毎日日報を書いているので
今日どんなことをしたかが解る。
明日何すれば、いいのかも解る。

書かないとやはり、やるべきことを
忘れてしまい、優先順位も
めちゃくちゃになり、エネルギー
の割り振りもバランスも
724jpg 悪くなってしまう。

毎日、日報まで書かなくても
やることリストを箇条書きする
習慣はつけましょう。

1.5月の初めての写真展の、マスコミ向け
  情報と案内ハガキを企画。

2.日曜日の野田村支援物資届けの
  準備・連絡等

3.雑誌公募の賞金狙いエッセイーの
  仕上げ、校正。

4.お葉書、お手紙2件

5.私立高校の美術部の5月の文化祭
  出品作の生徒の制作指導

6.アトリエの食器棚の根本的整理

7.ピアノで歌、歌う。(40分)

8.大谷君に大船渡・陸前高田の報告と
  次回の計画相談

9.CDジャケットデザインの企画打ち合わせ
  終了後、渋民の喫茶店でT氏とコーヒー

10.スクワット200回

11.書類整理と破棄

12.電気店へデジカメのバッテリ-

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陸前高田・大船渡、半島の小さな避難所

Photo陸前高田の町を               <大船渡 陸を走る大きな船>
市内最大の避難所の高田一中の
高台から見下ろす。

前回、ほぼ、2週間前に来た時より
少し瓦礫が片付いたろうか。
しかし、予想より進展していない。
広大すぎる、途方もなさ過ぎる破壊だ。

新しい弟の車のナビも
あちこちで指示や情報がずれる。

何せ全ての建物がなくなった街を
走っているのだ。

道路が泥や破壊された建築材で
埋もれてよく解らなくなったり
地震と津波で切断されていたり
するのだから、ナビ「ゴリラ」の
せいじゃない。

道路が切断され行き止まりになった所から
舗装されていない細い砂利道を登ったりしながら
半島の端、海岸付近の小さな避難所を回る。

普通車ではちょっと怖かった。
弟の4Wのゴムの厚いタイヤのジープ
だったから良かった。

こんな岬の端っこの小さな避難所にも
現在は自衛隊が入り食料、
水も配給になっているようだ。
しかし、食べ物と水はいくらあっても良い。

頂き預かった物資は、行政からは
配布されない耳栓、遊び道具、本や雑誌
ビタミンのサプリや野菜ジュースなどなど
とても喜んでもらった。

半島を回って大船渡の市街入り。

半全壊の釜石と壊滅の陸前高田の間の感じ。
ある意味、フラットな壊滅状況より
看板など生活感の漂う物品が
あちこち顔を覗かせているが故に
かえって喪失感が増幅されている
かもしれない。

いずれ悪夢の街だ。

弟の友人のいる避難所もみつけ会うこともでき
そこでも可愛い小学生に預かった文具や遊び道具を
あげることができて嬉しかった。
とても嬉しそうな笑顔を見ることができた。

最後、予定通り大船渡市の災害対策本部に寄り
要請のあった台所用品を数種類数十個を届け
本日の予定、ミッション終了。

今日一日、瓦礫と化した
陸前高田も大船渡のどこを走っても
あちこちに桜が咲き誇っていた。

ここはかって1ヶ月半前までは
一足早く春が来、そして夏が来る
漁業の街、街並みも野山も
海辺も美しい観光の街だった。

この日の様子は、ブログ中村太樹男の「つれづれ日記http://black.ap.teacup.com/nakamura-takio/

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支援物資届けの明日の計画

Rikuzenntakada_4 陸前高田の災害対策本部並び
高田一中避難所にて状況確認。

陸前高田の市街被災地を通って
あまり物資や手の回っていなそうな
半島の端の小さな避難所を目指し
広田湾を通って半島を一回りして
大船渡の市街地に進入。

大船渡では、弟の友人のいる
避難所を回り、大船渡の
災害対策本部より要請があった
台所用品等の支援物資を
納入して帰途予定。

大きな余震もまだまだ心配。
海岸付近走行中に津波にあったらとか
車がパンクしたらとか
大渋滞に巻き込まれたらとか
様々なリスクを考え
準備できることを準備する。
遊び半分ではできない。

準備したもの、お預かりしたもの
効率的に効果的にお届けして
参りたい。

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福島原発問題は、根本、人類の欲望との向き合い方

72_2jpgこの福島原発の問題は
根本的にどのような
価値観でこの世界を作り
エネルギーとどう向き合うか
という問題である。

人間の欲望とどう付き合うかの問題。

この星に生息する一生命体として
どう良識と自律によって
人間社会を構築すべきか
人類が早急に総力を持って
人間社会のグランドデザインを
創りあげないと、
瓦礫に帰した被災地で
被災者が、まだ津波から危険な
被災地域にてんでんばらばら
勝手に家を立ててしまう
ようなことと同じことになる。
いや既になっている。

今こそ、人間社会のあるべき姿が
思索し抜かれなければならないのだ。
二つの大きな世界大戦を経験し
天地創造の神の領域
DNAの解読と操作、そして
核利用に踏み込んでしまい
全てが国境を越えて
影響しあう社会構造に変容した
人類社会は、この人類的
コンセンサスの形成こそ
最優先、早急な仕事だ。

当然そこには大前提として
その社会は、幸福で安全安心な
生活、人生を実現しうる人間の集合
としての社会でなくてはならない。

欲望と幸福との関連
もっというなら
欲望の充足のさせ方と幸福との関連が
問題になる。

人間社会をデザインする時
もっとも重要なポイントは
欲望との向き合い方
欲望の充足との兼ね合い、バランス
さじ加減、舵取りの共通認識の
形成が人類の課題になるだろう。

一国レベルではだめなのである。
人類のコンセンサスを形成せねば
ならないのである。

それは、先にも言ったように
核をいじった人類の
最も優先順位の高いやるべき仕事。
エコだ、動物愛護だ、経済会議だと
いろいろやる無数の会議に
先立ってやるべきこと
だったのだ。

一国レベルではだめということでは
たとえば日本が原発を辞めても
中国や、韓国が経済成長を目指し
どんどん原発増産していったら
不測の事態発生時、原発の被害は国境を越え
もちろん隣国の日本へ影響するし
規模においては世界中に何らかの
被害と不利益をあたえる。
もはや一国の問題ではないのであるという
意味で、世界は、一つ、地球は
もはや狭く、小さく
なっている。

また、欲望との付き合い方、バランスという点では
少々ここ1~2年減少している
といえ、おおよそ自動車事故でわが国日本では
毎年1万人が死ぬという事実を考えなければならない。

1万人が死んでいる。

自動車が総じて1万人死ぬと
解っていても自動車に乗るのは
障害のある人と交通機関がない人だけ
という法律ができるわけでもない。

言い方を変えると、1万人毎年死ぬけど
自動車会社の経営人や高給取りの立場の人は儲けたいし
一万人死ぬけど、生活があるから働くし
一万人死ぬけど、便利と快楽のために、私も含め
自動車に乗れなくなったら嫌だという国民で
できている日本である。

これが、現在の日本である。

現代日本、現代世界は
生命を第一にした文化ではない
ということだ。

人類は、人類の快楽、楽の原始的欲求に欲望に
ひきづられて世界を動かし続けている。

我々は、人類自身とその人類が作る社会、世界を
グランドデザインしなければならない
分岐点にいる。

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大震災によってたくさんの恋が生まれ、婚約指輪が売れる。

03_2大震災、大災害が起こると
結婚したくなるのだそうだ。

婚約指輪の売れ行きに
明らかな数値として
出ている。

阪神・淡路の震災の時も
この傾向は見られたという。

女性は、やはり一人は人生、
さびしく不安と思い
男性はやはり一人にはしておけないと
意を決するからだという。

今回の場合、身近に遠くに
たくさんの死を見、聞くと
人生の無常さ、短さを感じ
一生の時間軸で人生を
見渡し、ここ一番という
思い、あるいは潮時かな
という思いになるの
かもしれない。

ますます経済、就職が厳しくなり
アタックされていた女性は
迷いを断ち永久就職に舵を切る
きっかけになるのかもしれない。

人生は短い、あっという間だ。
そしていつ何があるかわからない。
戦わずして敗れるな!
あたって砕けろ!
悔いなく生きよう!
と、その災害が悲惨であればあるほど
大きいものであれば、あるほど
そういう思いになるかもしれない。

被災地にいる同級生や元同僚
後輩や先輩などから、数年ぶり
十数年ぶりの突然の一本の
「大丈夫メール」から
メールのやりとり、
お付き合いが始まりに
恋物語は一気に盛り上がり
ということもある様だ。

さらには、この災害の非常事態において
今まで気がつかなかった身近な男性の
たくましさ、頼もしさ、責任感やリーダシップ
などなどに信頼や尊敬から恋に
身近な女性の気配り、やさしさ、あるいは
たくましさ、強さ、賢さを再認識し恋に
ということもあるようだ。

先日、ニュースで目にした
東日本大震災の大津波で壊滅的な被害を受けた
宮城県南三陸町の避難所での避難男性と
ボランティア活動の女性との婚約は
そんな実例、好例の一つ。

男性は、地元の人間。
一度避難しておきながら、
事態の異常さに気づき
一人でも助けようと消防車で
命がけで避難を呼びかけ促した。
ぎりぎりまで呼びかけ、
津波あと1メートルのところで
九死に一生を得たという。
避難所では自ら被災者として
炊き出しの手伝いなどをこなす。

女性は、ボランティアとして避難所を訪れた。
「阪神大震災で父親がボランティアに行った
姿が目に焼き付いている」といい
水くみやまき割りに加え、妊婦に必要な物を
調達するなど避難所での気遣いが光っていた
という。

2人はいつしか会話するようになり、
男性は「一生懸命に皆のことを
考えてくれる姿にひかれた」といい

女性は「こんな時だからこそ、
お金や物ではなく正義感や責任感が
強い彼の姿が見えた」という。

多くの命を失い悲しみが
蔓延するこの大地から
たくさんの恋や愛や
さまざまな希望や夢や志が
生まれてほしい。

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トモダチ

Mg147「北風と太陽」の物語。
ブログを読み直していて
気づいた。

これは、死んでしまった
同級生のチハルから学んで
生まれた詩だな。

北風を春風にする。
北風にエールを送る。
物語を解読して
物語を付け加える。
新たな解読が
そのまま、物語になる。

正義に悪を見、
悪に正義を見る。
世界と事象を片方から見ず
反対からも
上からも
下からも見る。

そんなことを
衝撃的に学んだのは
中学一年の時だった。

絵本「桃太郎」の読書感想文かよ。
コイツなめとんのか!?

チハル・・・

『桃太郎は、鬼の平和なコミュニティーを
 破壊する鬼である』

という視点のチハルの読書感想文は
当時の私に強烈な衝撃を与えた。

コイツすご過ぎ!!

私はチハルと出会わなかったら
今よりもっときれいごとだけを言う
嫌な男になっていたろう。

自分の言葉や思考の割合がずっと
少ない生活と人生になっていたろう。

ーボクは北風を攻めないよ。
 悪いやつだと群集と共に
 叫ばないよ。

 北風だってしあわせを求める
 誰かのため、何かのため
 世の中のために役立ちたいって
 思っていることにも気づいてるさ。

 『北風よ、絶対値を保て』って
  言ってやった。

 マイナス100の北風を
 プラス100の春風に
 マイナス1000の北風を
 プラス1000の春風に

 自分の生き方を、活かし方を
 変え方を教えてあげたさ。

 でも、チハル、13歳のおまえが書いた
 読書感想文をボクは生涯越えられない
 気がするよ。

 でも、それは、それでいいんだ。
 越えるのでなく生きている間に
 並びたいものだ。
  
 チハル、おまえと
 またじっくり、もう一度、
 コーヒーを飲みながら
 話したいな。

 マックのプレミアムローストコーヒーは
 120円だ。ミスタードーナツのコーヒーは
 何杯もおかわりできる。

 何時間も、この震災、
 福島原発の処理のこと。
 日本の今後のあるべき姿
 この震災の世界と、人生と、
 演劇における影響
 残りの生きている間に必ず
 しなければならないこと
 しようと思うこと、計画。
 血圧をどうやって下げるか。

 同じ世界の出来事に影響されながらも
 何かほんのちょっぴりでも
 世界に影響を与えようと
 それぞれにもがきながら、
 自分の人生にノミ入れながら
 自分なるものを表出、成形の作業を続けながら
 その時々の人生のステージで、これまで通り
 時折、語り合いながら
 一緒に年を取っていくと
 漠然と思っていた。ー 

 人それぞれに、それぞれの友達。
 人それぞれに、それぞれの思い出。

 ト・モ・ダ・チ・ガ
 シ・ン・デ・シ・マ・ウ・コ・ト
  
 それは、悲しいこと。

 友は見渡す限り瓦礫になった街の
 その瓦礫の下に埋まってしまい
 また友は、遠い遠い漂流の旅の果て
 海に沈んでしまうなんて。

 ひどい、ひどいことが起きたものだ。

 来週の火曜日、また被災地に
 義捐物資届けに行って来ます。

 

 

 

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弟の義援金捻出行商ツアーの報告

1303220342弟の義援金捻出行商ツアーの報告が
ブログにアップされていましたので
どうぞご覧ください。

先日、私のアトリエのそばにある
大きな盛岡北郵便局で120万円
振り込むのにお付き合いさせて
もらいました。

「ああ、気持ちいい、すっきり!」

と、皆さんの愛は、重く
責任も重く無事納金でき
弟もやっと行商ツアーが
終了という感じでした。

しかし、少々、物資支援の分のお金は
残しており、それは来週初め
被災地に弟と届けに行って
まります。

ツアーの東京での様子は、下記の
弟のブログ「つれづれ日記」で
ご覧ください。

「謝謝、義援金ツアーご協力

http://black.ap.teacup.com/nakamura-takio/

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物語「北風と太陽」の北風に贈る詩

Img148 今日は雲が多いのに
ところどころに青空がのぞいて
青空がのぞいているのに寒い。
風が冷たい、春なのに。

こういう日は
曇りの日と言うのか、
晴れた日というのか。

空に詳しい人がいたら
教えて欲しい。

その空を見ていたら
雲の中に大きな大きな
大男の顔が見えた。

あれは風男いうべきか
雲男と言うべきか。

男に詳しい人がいたら
教えて欲しい。

幼い頃、絵本で見た
イソップの書いた
「北風と太陽」という
物語が思い起こされた。

そこで、私は
車をとめて
ペンを持ち
頭にやってきたというか
通り過ぎていく文を
書き留めた。

物語「北風と太陽」の北風に贈る詩

世界の平和も
北風と太陽から
学ばねばならない。
太陽の方法を取らねばならない。

世界を作っている
人間世界においても
北風と太陽は
バイブルだ。。

北風が嫁や姑の問題を解決したのを
見たことがない。

北風が兄弟のいがみ合いを
社内の軋轢を、町内会のいざこざを
国境線をめぐっての殺し合いを
解決したのを見たことがない。

北風が作り出した幸せな国も
街も見たことがない。

北風が笑いを、歌を、踊りを
生みだすのを見たことがない。

温かいものが、命あるものが
新しい出発が、再びの建設が
北風によって生み出されることも
成されることも見たことがない。

北風は力がないんだ。
力づくのもの、威張るもの
乱暴で怒るものは
弱いものである証拠だ。

最も明るい人の
常に明るい人たちの
実体は調査済みだ。

本当に怖い人は
いつも微笑みの人だ。
徹して常に微笑みの人だ。
何に命をかけるべきか
生きることの苦しみと悲しみと
凍てつく虚無の底を見切った
凄みのあるマグマのうねりの
上にだけ、人は、常なる微笑と
明朗さを湛えることができるからだ。

見るからに怖い人など怖くない。
こっけいだ。年をとって
笑顔のない人を見ると
涙のでるほど悲しくなる。

人よ。我ら人なる生きものよ。

その人生を費やし、我らが
目指すは、北風でない。

照らすもの
温めるもの、温かいもの
明るくするもの、明るいもの
つつむもの。

北風よ。

太陽との戦いに敗れたおまえが好きだ。

太陽に負けを
潔く認めたおまえが
大好きだ。

おまえがこれまで打ち負かしてきた
数々のもの、時には強敵競合たちとの
戦いに使い投入してきたエネルギーの
何倍も、おまえにとって負けを認め
自分以外の他者を讃える事は力を使い
至難中の至難であったに違いない。

しかし、北風よ。
数々の絵本は皆、戦いに敗れた後のおまえを
小さく描き、突然小さな体の好々爺に
描いているけれど、それに
私は反対だ。

世界中のイラストレーターに
物申す。

北風よ。

おまえは急に弱まることはない。
おとなしくなる必要はないのだぞ。

マイナス100の北風よ。
マイナス1000の北風よ。
そのままの絶対値を保て。
ただ符号を変えて
プラス100の春風に
プラス1000の春風に
なるがよいのだ。

別人、別物になることが
変革ではない。

北風よ、人々よ。

自分のままでいいのだ。
いや、もっと、より自分であれ。
キミよ、より自分となれ。

むしろ自分自身の存在の
稼働率を上げ自分を全開し
ただもって、その自分の
活かし方とベクトルの向きを
変えるのだ。

そしてどうか
太陽のほんとうの友になって
巨大な春風になって
太陽と共にとり合えず、
まずは、この国を
救って欲しい。

この国に無数の春風が
吹き出しますように!

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嫌な天気、暗い気分、疲れてはいけない日本人!

Jpg 冬に逆戻りか。

あられ、雪が降る。

被災地に思いは馳せる。

行方不明者の捜索もまだ続く。
暖房も十分でない避難所。
被災家屋で暮らす人々。

4月の19日と言うのに
ごめんなさい。

私が悪くはないのに
謝りたくなる。

そんな気持ちになります。

わずか100キロ離れた
原爆あとのような被災地と
自分の街を比べ

また

その被災地の生活と
自分のこの生活の物質的、物資的環境は
まさに地獄と天国の差。

意味もなく
あの瓦礫に帰した街を見ると
感じなくてもいいのだろうが
自分の境遇に負い目を
感じてしまう。

大自然の怖さは、もう十分に
皆、解りました。

この上、春を冬になどする
鉄槌をこの悲惨な被災の
海辺の街々に下さないで
くださいとどんよりとした
あられや雪や冷たい雨を
落とす天に向かって
叫びたい今日一日だった。

地震に疲れ
被災地を思うことに
疲れてきている人が
いるとちらほら
マスコミで出始めている。

地震に疲れる気持ちも解る。
度重なる、余震、同感だ。

しかし
悲惨な街を思うのに疲れるわけには
いかない。あまりにも耐性が弱すぎで
飽きやすく生命体として
生命力が弱すぎる。

この国から脱出し逃げない限り
原発も不況も復興も、とことん
運命共同体だ。

がんばれ!がんばれ!日本!

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友人の川上靖雅写真展「津波に襲われた町岩手県大槌町・山田町」

20110416213437友人の写真家、川上靖雅君が
被災地の写真約三十枚を展示した
写真展「津波に襲われた町 
岩手県大槌町・山田町」を
神奈川県多摩区役所で
開催した。

今日が最終日。

この悲惨な大震災の被災が風化しないよう
また、支援の火がいつまでも消えないよう
この二つの願いと祈りを込めて
写真を撮り、写真展を企画した。

開催前に、準備や展示方法で
相談を受け盛岡の私のアトリエで
いろいろとアドバイスできる点は
アドバイスし、話し合った。

反響も大きく、さまざまな展開
多くの出会いもあり、やって良かったと
電話があった。

機会があれば、盛岡でも
そのままやって欲しいなどとも
考えている。

みんながそれぞれ勝手に
あっちこっちで、できること
できる形でやることで
大きな力に、変化力に
創造力になるにちがいない。

川上靖雅写真展
「津波に襲われた町 岩手県大槌町・山田町」

http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/20110408/CK2011040802000042.html

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「いろんな思考実験」を試みよ!まじめにね。

Photo思考実験は限りない。
数限りない。

マイナスの思考実験。
昨日の「寿命があと一日」
というものから

両親が死んでしまったら。
母が死んでしまったら。
父が死んでしまったら。

恋人が死んでしまったら。
この妻が死んでしまったら。
この主人が死んでしまったら。

プラスの思考実験もとても
有用だ。

たとえば、私はこれまで
数々の思考実験を行ってきたが
人生最初にして最大級の思考実験の一つは
「私は億万長者になった。」

である。

億万長者になった私は
少なくても何の生活の心配もしなくても
良くなったわけだ。

生きるために生業を持つ必要が
なくなったわけだ。

私はしたい事をすればいい。
何をしたい、どのように暮らす?

答えは即座に出た。

好きなだけ、文章と絵を描く毎日だ。

ところが、よくよく考えると
私は、寝つきもよく目覚めもいい。
目が覚めると再寝しない、
すぐ飛び起きる。

そして宇宙エネルギーを取り入れつつ
文章を書き、なんかよく分からない
アイディアの図象やら絵を描く。

コーヒーを飲みながら
それは、至福の時だ。

一日の生活でも暇があれば、その二つの作業に
読書をプラスしての時間を
アトリエや喫茶店で
過ごしているのだ。

それが、私の日常であり
長い人生の習慣であり
最高の楽しみであり
至福の時であった。

でも、勘違いしないで欲しい。
私は青白い文学青年(ごめん!おじさん)
ではない。

むしろ社交的、ぎらぎらの
営業マンのようである。
人といることも大好きで
何時間、人と軽い話をし続けても
超重い話をし続けても
疲れない人間だ。
あったことのない人は
イメージしづらいと思う。

話を戻そう!

その時、私は億万長者に
随分と前から既になっていた事に
その思考実験をした時に
初めて気づいたのだ。

それから私は、自分が包まれ至っていた
億万長者のしあわせに、この人生のしあわせに
3日間、感動で泣き続けた。

おかげでそれ以来
涙もろくなり
頑張っている人
いい心根、芳しい高貴な心根の人
良い発言、快い思考、考え方と行動をする人と
出会うと、その場面に出くわすと
すごい男だ!素晴らしい女性だ!と
興奮してすぐ涙ぐんでしまう。

私は、数多くの思考実験を行い
日々、月々、年々
自分の改良を続けている。

その予定は死ぬまで続けるつもりだ。

思考実験は自分の発見であり
人間の巨大な底力
可能性の探求である。

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人間力「思考実験力」

Jpg 「走っている電車がある。
 静止している地上で見るか
 動いている電車の中で見るか
 時間の進み方はどう変わるか。」

こんなことを研究する施設など
アインシュタインはもちろん
当時、持ち合わせていない。

ただ、頭の中には宇宙物理学研究の
この星における史上最高の
実験設備があった。

これが、アインシュタインの
理論を生み出し、ロケットも
宇宙に飛び出すことが出来た。

人生においても
思考実験がとても大切。
とても有用だ。

思考実験で
自分を変え、人生を変え
あるいは自分を知り、人生に新たな視野を
持つことができる。
自分と人生を根本的に
本源的に整理できる。

時に自分を根底から変え
人生を大変革する。
衝撃的変化をもたらす。

とても大切な思考実験がたくさんある。
中でも重要な思考実験の一つが

「あと一日しか寿命がない場合
 私は、何をするか?」

あるいは

「人生、最後の一日をどう過ごすか?」

というものだ。

この問いの答えに、あなたの、今現在の
人間そのものが全てがでる。

何に一番価値を感じて生きている
生きてきたのか。

何を大切に生きている、生きてきたのか。

何が生きる力の核に、
根源になっているのか。

何を築き上げてきた人間なのか。

一番、自分が何を、誰を愛しているのか。

などなどだ。

さっそく、この思考実験をしてみよう。

たとえば、実験を開始してみて
結局、次々、言っても
あれ食べたい、これ食べたいという
食べ物の事しか出てこない人も意外と多い
かもしれない。
情けないけど、その人生は
食いしんぼの人生。
それにがっくりした人は
この実験後、自分と自分のその人生を
軌道修正してください。

あるいは、また
あれしたい、これしたいと
つぎつぎ享楽的、快楽的なこと
ばかりしか思い浮かばない人
もいるかもしれない。

随分抑制し、抑制されて生きてきた人生か
あるいは逆に、快楽的、享楽的欲求を
満たすことばかりに
心を砕き時間とお金と体力を
使ってきたかのどちらかの
いずれ、ちょっと寂しい人生。
で、もし、実験結果がそうで
寂しかったら、やはり
軌道修正しよう。

ー最後の一日ー

人生、最後の一日。

たくさん、たくさんの
ありがとうを言おうと思う。

人間だもの
いくつかのごめんなさいも。

みんなの記憶に留めるのは
この世に残す最後の記憶は
笑顔満面のさようなら。

でも、そうやって
この人生を、この日々を
人生、最後の一日のように
生きたら人は幸せを呼び
幸せになれるのじゃないか。

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2011年東日本大震災、中村太樹男「義援金捻出行商春ツアー」報告

Photo大震災義援金捻出行商ツアーに
弟がジープに絵を積んで関東に
向かって数日が経った。

時々、様子を教えてくれと
いっていたが、
東京に無事着いたとの一報の後
連絡がない。

なかなか、思うように行ってない
のだろうか?

あるいは

友人や、弟の絵ファンの方々の
善意の嵐に電話するヒマも
ないか、どちらだろう。

人それぞれ、いろんな考え方があり、
それぞれの感じ方、思いもある。

何事においても
自分の思いの熱さと温度差もあるだろう。

そのことをもちろん誰も
攻めることは出来ないし
各自が自分の善意で
それぞれに行動することはいいが
善意は押し付けるべきものでない。

どういう状況であろうと
いずれ頑張っているに違いない。

最終的には、今回のこの行商ツアーは
結果でない。思いを思いのままで
終わらせず、ビックリしたね、たいへんだね、
可哀想だねという寄り合いおしゃべりで
終わらせず、自分のできること
自分の出来る限りの
あわよくば自分の出来るもっとも
効果的な方法で行動するか
否かが、この途方もない被害と
悲しみだからこそ、むしろ
結果より一つひとつの
一人ひとりの行為そのものが
たいせつになのだ。

どちらにせよ、どうだ、どうだと
詮索したり、急かしたりせず
連絡が来るまで待っていよう。

私は苦戦している場合の
いくつかの激励の言葉も
準備していた。

ところが今日やっと
今、さっき電話があった。

声が明るく元気だ。

私の心配も激励の言葉も
無駄に終わったようだ。

同級生や、その他の東京のお友達、
厚意のお客さんたち、絵のファンの方たち
皆、皆、熱い応援をしてくれ
最低目標の50万は優に超え
義援金も三桁を超えるとのこと。
大成功のようだ。

本当にありがたいものです。

弟の話では、随分、弟のご友人、
絵のファンの方が
リンクしている私のブログの
今回のこの弟の行商ツアーのことを
書いた記事

日本中、それぞれの義援金物語
「母のこと、弟のこと」

http://kotobacafe.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-0c8e.html

読んでくださっており、
ありがたくも
いたく感動していただいて
皆さんに、よりご協力いただいた
とのこと。

ありがとうございます。

絵を買ってくださり義援金を
つくりだして下さった皆様には、
あらためまして心から、
感謝申し上げ、敬意を表します。

頑張れ、日本!

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今日の意味、命を大切にすること、自分を大切にすること。

Photo 良いことと解っていることを
ついつい出来ないのは
悪いと解っていることを
ついついしてしまう人間と
同じくらいダラシナイこと
だと反省。

たとえば、私は気まぐれに
タバコを吸う人攻めたり
諭したりしてますが
体に悪いことをしなくても
良いことをできないことも
同じくらい愚かなことと
反省!

途絶えていた運動
今日こそ、腹筋、スクワット。
今日こそ、走るぞ、ジム行くぞと
思いつつ、つれづれなるままに
その時々の雑務に追われる日々。

この大震災前から今年初めから常用していた
副作用のない弱い血圧の薬も切らしていた上
この震災で、かえって、不規則で
偏食になり、運動不足になり
すっかり節制自省の心を
忘れて生活していたら
この急に訪れたここ20度を超える
春の陽気で具合が悪くなったと
思ったらビックリする高血圧。

反省しました。

運動します。
間食、節制に気をつけます。

当たり前ですが、命あっての人生。
健康であってこその
人生の夢も目標も、喜びも楽しみも
人との交流、お付き合いも。

不健康で悪いものを体に入れる生活、
体にいいことをしない生活は、
命を粗末に扱う生活。

私の、このたわいもない生活の
今日という日は、この震災で
愛する人に「さようなら」の一言、
「ありがとう」の一言さえも言えずに
死んで行った数知れない人たちの、
欲しくてたまらなかった
一日という時間なのだ。

今日を大切にしよう。

自分を大切にしよう。

命を大切にしよう。

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人生で最も大切な究極のトレーニングのひとつ

722jpgたとえば
この星が爆発する事態発生!
火星の宇宙巨大都市に脱出。

しかし、自分以外、一人しか
乗せられない宇宙ポート。
運転はあなたしかできない。
あなたは、誰を、選ぶ?
誰を連れて行く?

あるいは、たとえば、
自分の命と変えても
守りたい人、守れる人
いますか?

どうでしょう?

誰だか心の中で決まりましたか。
その人を定め、思い浮かべることが
できましたか。

一人は、きつい、決められない
という人も、もちろんいるでしょう。
これは、トレーニングとして
そのトレーニングの効果として
一人にしてこの作業を進めるよう
アドバイスします。

その人を失ったことを
その人が死んでしまったことを
想像してください。

その人を失い死んでしまって
その人が存在しない、その後の
生活、人生を想像してみてください。

目を閉じ静かに3分瞑想してください

なるべく、具体的に様々な生活の場面
人生の様々な場面で、その人が
居なくなったこれからの生活を
出来る限りリアルに想像
してください。

そのドアを開けて出てくることは無い。
そこに座っていることは無い。
もう姿を二度と現実の生活のどこでも
見ることは出来ない。
話をする事も出来ない。


これが、想像ではなく
まっして一人でなく
多くの愛する人を
現実に失った人たちが
この日本の500kmにわたる
太平洋の海辺の街々に、
ごまんと生まれてしまった
日本。

あなたは、想像で良かったですね。
誰もが皆、この人生、この世は、
本当にいつ何があるか
わかりません。

悔いのないよう、今日から、
たった今からコトバにし、
行動にし愛してあげてください。

このトレーニングは
心の垢を流し、生活と人生を
リフレッシュし、活力を
与えてくれますから
今すぐか、忘れないうち早めに
是非実行して見てください。

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陸前高田、被災地「愛する人」を待つ人、失った人、失はなかった人

Img4122125180001 この写真は、岩手県のナンバーワン地方紙
岩手日報4月10日付の一面大きく載った
写真です。

写真の下には、こんな文字がありました。

ただ会いたい
陸前高田・菅野さん
夫発見を願い毎日に海岸へ

ーおなかすいてるだろうと思って。ー

陸前高田市気仙町字双六の菅野カチ子さん(67)は
目に涙を浮かべて話す。避難所で配られるおにぎりや
パンを半分残し、毎朝、海岸に持って行く。
行方不明の夫富男さん(70)の分だ。富男さんは
目の前で津波にのまれた。明日で1ヶ月になるが、
「来るな!」と叫んで手を振る姿を思い出し、眠れぬ
夜が続く。「早く見つかってほしい」。祈るようにつ
ぶやいた=9日午後3時26分、陸前高田気仙町

宇宙の最重要の構造
「瞬間は無限である。」

「無限である瞬間」は1年の寿命
10年の寿命、50年、80年の寿命にも
無数無限にある。

無限とは凄い。人智を超える概念。

それは、人類が覚知しえた宇宙の実態。


1個の無限も、無数の無限も等しく無限。

よって、1年、10年の寿命も、人生も
短い人生は、この人の世、人の世も含む
この宇宙には存在しない。

そもそも、時間と空間の人間の生活運営管理上の
利便性から時刻や時間の概念は有効かもしれない。

しかし、そもそも時間は存在せず
時と空間は一体であり同じものである。

愛した事実も、思い出も
一緒に在ったその時も永遠です。

理屈は、愛する人、愛するものを失った悲しみを
救うことも弱めることも出来ない。

「頑張れ!」と言えない人たち
ただ「耐えろ。耐えて。」としか
言えない人たち。
街が消滅したこの街には、
その言葉さえも発することができず、
せめて、周りのものは
一緒に居てあげる、見てあげる、
なでてあげるしかない人々で
溢れている。

しかし、一方で

家も財産も、通帳も印鑑も
思い出の品々も何もかにも
失いながら、それなのに本当に
幸せそうな笑顔をテレビの
画面や実際に目にする。

「何もかにも、無ぐなった、これだけだ。」と
隣のしわくちゃのおばあちゃんに微笑む御主人。

「家もお金も、なんもなくなった、この人だけだ」と
満面の笑みを浮かべてご主人の方を見るおばあちゃん。

家も財産も思い出の品々があった時は、
もしかしたらあまり気づかず
意識もしなかったろうけど
どんなりっぱな家より、
どんなたくさんの財産より
どんなにたくさんの思い出の貴重な品々より
大切な、大切な人と毎日一緒に居る、
一緒に生きて来た幸せに気づき
「ありがとう」を言える人はいい、
言葉が照れくさいなら
微笑むことが出来る人はいい。
一番大切なものが見えたこと
一番大切な人が残ったこと
それは、本当に良かった。

しかし、家も財産も思い出の品々の全てを失っても
しあわせな笑みを浮かべる方々こそ、この被災の
とてつもない酷さ、悲惨さを物語っている。

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JKTSと検索してください。街が無くなった陸前高田派遣医療スタッフのブログ

ブログ「JKTS」のURL

http://blog.goo.ne.jp/flower-wing/arcv

Dscf2275本日は、大地震発生からちょうど1ヶ月
3月11日地震の時、壁から落ちず
発生時刻に止まっていたアトリエの時計

昨日、陸前高田に行ってきた。
ブログ「JKTS」のことは
夕べ聞いたが、昨晩は
風呂に入ってバッタンキュー。

今日、午前中、嗚咽、号泣しながら
読んだ。

私の昨日行った陸前高田は
その時々に、新たな課題を
抱えているとはいえ、既に
そのブログにある修羅場を
超えた避難所であり
陸前高田だった。

廃墟と化した市街に
瓦礫をどかした迷路のような
道路も張りめぐらしていた。

電気も通り、避難所の方々も
穏やかに過ごされていた。
役割分担された各部署の
たくさんのスタックが
きびきびと動いていた。

いろんな支援があるだろうが
命と直接関わる医療スタッフの
生半可でない厳しさと
その高邁な使命感と
尋常でない奉仕の心に
胸を打ちぬかれる思いで
号泣しながら読んだ。

その医療スタッフたちの
すばらしさとともに、彼女のブログから
改めて、日本人の素晴らしい公共の良識
にも感動した。

それは、1億だ、100億だと寄付した
わけではないが、その電気の無い避難所に
予定より早い電気の復旧を可能にしたのは
東北の、日本全体の節電のおかげだったと
知って、日本人に感動して涙が溢れた。

今日で、あの大地震と巨大大津波から
ちょうど1ヶ月がたった。

節電は、震災直後から盛んに言われだしたが
3日ほど経って電気が復旧しても夜の街は
真っ暗だった。

各家庭が、電気使用を最小限に留め
再開したあらゆる商店、サービス業の店舗
それぞれに工夫し節電に勉めていることに
感動を覚えていたが、このブログで
この悲惨な避難所の電気復旧に日本人
皆の良心、良識、温かさが関わって
いたことに感動を覚えた。

この最悪な状況の中で
嫌な人間の話ももちろん聞くが
概して私は日本人は凄い
同じ日本人であることに誇りを持てた
震災発生からの1ヶ月であった。

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被災地「陸前高田」行く。街ごと無くなり、無数の悲劇と悲しみは瓦礫の中に。

P1320614 今回の被災で最も壊滅的被災
街ごと津波にさらわれ
街が消滅したところだ。

今日は宮古方面に行こうかと
思っていたが、写真家の大谷君が
一緒に陸前高田に行きませんかと
昨晩誘いの電話くれた。

支援部物資を積んで
午前8:00盛岡出発。

まずは、陸前高田の最大の避難所であり
災害対策センター本部になっている
高台の陸前高田第一中の校舎に
向かった。

高台から市内を一望に見下ろし
唖然とした。

聞きしに勝る壊滅だった。
一週間前、釜石に行ったが
釜石は建物はかろうじて
外枠だけぼろぼろに残っているとか
半壊状態であったが
ここは、建物が粉々で
延々と海まで平らになっている。

たとえて言うなら
写真だけで見た
原爆投下あとの瓦礫で黒く
平らになった広島。

物資を届け、避難所の中や
周辺を撮影し、避難所の高台を降り
街の建物が全て瓦礫になり
海からの泥で埋まる市街に
に向かった。

そこは、まさに死の街
死んだ街だった。

悲惨さを受容するアンテナが
異常な感度を増して
全ての視線がシャツターを要求し
押し続け、やがて
自分のシャツターを押す
選択する脳の働きが
麻痺し何を撮ったらいいのか
解らなくなる。

避難所では、繋がれた犬が何匹も
今は無き飼い主、あるいは
避難所の中にいる飼い主を
求めて不安そうに泣き続けたり
ぐるぐる歩き回り続けていたが
廃墟と化した瓦礫の市街には
犬や猫一匹さえ生きている
ものがいない。

しかし、しばらくして
目が瓦礫に慣れてきて
よくよく見ると海まで見通せる
瓦礫の中で動くものがある。

点在する人間たちだ。

思い出の品を探し続ける人。

おじいちゃん、おばあちゃん
あるいはご主人か家族の誰かか
亡くなったのだろう。
平らになった、かって家があったろう
そこに花を飾り線香をあげる
若い母と3人の子供たち。

一ヶ月にもなろうとしているのに
出来れば生きている家族
少なくても亡骸を探し続ける人。

ここふるさとに残してきた父母の家
あるいは友人の家を訪ねる、東京や
埼玉、秋田や神奈川のナンバーの車に
乗ってやってきた人たち。

お経を唱えながら瓦礫の中の
道を歩く僧侶。

日がだいぶ落ちてきて
後30分もすれば
一本の街灯のないこの瓦礫の
迷路の街から抜け出せないと
太陽を気にしながら
6時間歩き続けどこにおいたかも
解らなくなった車を探し
向かった。

この広大な海まで広がり続く
廃墟の瓦礫の街は
また冷たく真っ暗な闇に
包まれるのだろう。

この闇と、陸前高田の人たちは
長く戦って行かねばならない。

私どもは私どもで何が出来るだろうと
考えながら盛岡に向かった。

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もし私が少しでも強くなり進化したとしたら

Photoもしこの震災、災厄で
私が少し強くなり
DNAが少々でも進化したと言うのなら

それは、今後の人生の様々な場面で
さまざまな時において
ぶれたり行動の選択に迷う時

海辺の被災地のあちこちで
自分の命と引き換えに
一人でも多くの命を救い
深い耐え難い悲しみから救うため
巨大な津波に向かって半鐘を
打ち続けた男たちを
思い出すからに
ちがいない。

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自分の意味と自分の正体、生きる目的と生き方を覚知させたこの最悪の大震災

2jpgこの地震で
覚醒している人たちがいる。

被災地でも
被災地以外でも。
覚醒する人たちが
どんどん増えている。

多くの人が
自分の意味を感じ取り
自分の本性と正体を
覚知しだしている。

あまりにも
荒っぽい方法によったが
たいへん多くの人が
生きる目的と意味
生き方まで深く覚知
しだしている。

我々の生命の目的、人生の目的は
銀行に出来る限りの貯金することでも
家を建てることでもないことを
この悪夢の中で私は解読した。
意識、無意識にそれが一番の
目的になっている人生の
その空しさを思うと
胸は激しく痛むほどだ。

さらに、
壊滅的悪夢の大津波は
起こさなかったけれども
4月7日の震度6強、弱の
あの激しい余震からのこの
一両日で、あの3月11日以降
もやもやしていたものが
新たに一つ明瞭に
見えて来た。

それは何か?

この災厄の中、私は、そして我々は
「生きること」さえも目的でなく
「よく生きること」こそが
この人生の目的であるとを
読み取った。

一秒でも長く
生き永らえること自身が
絶対的価値だとしたら
それは、つらい選択や良心との
葛藤に苦しむことも
あるにちがいない。

しかし、「よく生きること」が
「生きる」ことを超えるもので
あるならそれは安心だ。

我々は、なんの気兼ねも迷いもなく
遠慮もなく、素晴らしい行動を取り
素晴らしい人間になればいい。

感動の行動、高貴なる気高い行動
博愛と慈愛と豊かな心によってなされる
行動を迷わず取るがいい。

思う存分
正しく清く明快に行動し
強く生きるがよい。

自分に訪れる一番ピュアな
一番見事な、一番感動的な行為を
見失うことなく、しっかり
わが心の中心に固定して
実行するがよい。

一番強い心で、確信の心で
動くがいい。

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震度6強、震度6弱発生!!大津波!?

4d1501b3950e8aa1b778572404340592_2 4月7日(木)午後11時32分
宮城県沖を震源とした
凄い余震が来た。

余震慣れしてきた頃だった。
弱まるだろうと体を硬直させて
様子を見るが家中ぐらぐらと
動き出し、もはや壁に体を
預け手で壁を抑えながらでないと
歩けない。

私は、もう泣けた。

揺れが怖いからでない。

一番避け、一番考えたくなかった
再びの被災地への
大津波の悪夢を確信する
揺れだった。

ラジオからアナンサーの
興奮した声が聞こえる。

宮城震度6強、岩手震度6弱
やばい!やばい!

大船渡が、釜石が、宮古が
宮城が福島原発が
最悪のシナリオ、
最悪の事態を
確信させる揺れだ。

「津波きたな!
 津浪来たな!
 津波来たな!」

とただただ泣けて来た。

一斉に停電。
窓を開ける、信号も消えた。
街は、看板も信号も消えて
真っ暗。

しかし、ぼっとしてはいられない。
3月11日の総括を生かして
より効率的に、動かねば。

隣近所の老人世帯
高齢者単独世帯の見回り
声がけ。徐々に範囲を
広げて、気になる方たちの確認。

一回りしてから母のいる
兄夫婦家族の住む実家へ。

長男の兄は3月11日の翌日から
現地入りして救援支援活動し
度々、家を空けることも多い。
今日も不在の可能性が高い。

家に着く。

姪が、今日は兄だけでなく
夫婦で久慈の方に救援支援活動に
行って不在だと言う。

母と姪だけだった。
頼りになるやさしい姪だ。
いつも身を挺して高齢の
母を守ってくれている。

実家に私よりは
近いところに住んでいる弟も
すでに来てくれたようだが
一度もどって完全防備
防寒仕様と寝袋と頭にヘッドライトを
着けて朝が来て明るくなるまでと
泊まりに着てくれた。

安心して私はもどり
ラジオを聞いて事態を
見守る。

発生から1時間、1時間半。

良かったー!

津波警報解除だ。

本当に、本当に良かった。

ラジオをかけ
時々携帯のワンセグを
見ては、この上ない子守唄
津波警報解除のアナウンスを
何度も聞きながら
防寒着を着たまま
眠りに着いた。

本当に良かった。

これが3月11日の最大の
余震として、もうこれ以上の
揺れは来ないで、最大のもの
として記録されることを
心より祈る。

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日本中、それぞれの義援金物語「母のこと、弟のこと」

3

今日は、絵描きの弟の行商話をしよう。

私も絵を描き絵と関わって
もう30年以上がたった。

                                                               
そんな長い月日が
経っていれば
独りよがりの
自薦の名作もいくつかはある。

その一つが
大学4年、ずいぶん背伸びして
開いた初個展に出した
「母と弟」を描いた
4号の小さな油彩作品だ。

弟は6人兄弟の末っ子。
母はこの頃40代後半かな。
病人の長女の姉と
くも膜下出血で病に伏した父の
二人の病人を抱え
それでも6人の子供を
母は風邪一つひかず
泣き言一つ言わずに
気を張って頑張って
育てていた、そんな頃だ。

貧しくとも
私どもは兄弟仲がよく
こと、末っ子の弟の話すこと
為すことは私たち兄弟皆の
日常生活の唯一の何よりもの
楽しみであった。

年月の流れるのは
本当に早く、あの頃から
40年の月日が経ち
今日は盛岡の街中の
温泉に来て露天の寝湯に
寝転がり星空を見ながら
話をしている。

もう何年になるかな。
7年?8年?いや9年目に突入か?
写真家の友人、大谷君と
弟の3人で毎週水曜日の夜は
風呂・温泉デーにしている。

ところがこの3月11日の
あの巨大地震、大津波以来
初めて3週間休みの久しぶりの
温泉だ。

何せ、ガソリンがやっと
ここ数日前から普通に入れられるように
なったばかりで、ここしばらく
動きが取れなかったのだ。

「地震の瞬間、その時、私は・・・」談義から
話はこの観測史上、最悪のこの悲惨な
天災の中、報道やマスコミで見聞きする
感動話の情報交換会になり
やがて、義援金の話になった。

私もブログにも書いた
タイのスラム街の子供たちの募金活動
台湾の義援金のこと、芸能人や企業の義援金
そして孫さんの100億円の義援金などなど。

「明々後日、東京に行商に行ってくる。」
と右横隣に寝ている弟が言う。
私が言うか言わないかのうち左隣の大谷君が

「行商ですか?絵を売りに行くんですか?」

「野菜は作ってないからね。」

弟が語り始めた。

ー毎日、泣いて暮らしてる。
 目の奥も、頭も痛い。
  ずっと頭痛薬が欠かせない。

 おっとい、東京に住んでる
 同級生からメールが来て泣かされた。

 盛岡、地震は大丈夫かってさ。
 ひでえ不景気になる。
 お前、絵とか大変だろうってさ。
 それで、俺の絵、買いたいっていうんだ。
 
 被災地のふるさとで描いてる
 お前の絵飾ってさ、流行のように
 今だけでなくずっと1年も2年も、
 いや5年も10年も
 支援する気持ちを忘れないように
 しようと思うんだってんだ。
  
 その度に、ふるさとに
 被災地に愛を奮い立たせるのさってね。

 ただ、条件があるというんだ。

 俺は、そういう意味で
 お前の絵を買う。

 ただ、直接、おまえから
 買うわけだから普段デパートにやる分を
 お前から、赤十字でも被災地にでも
 いいから募金して欲しい、いいかな
 っていうんだよ。

 すごい大岡裁きじゃないか。

 泣けたよー

 そいつは、そんな金持ちじゃないし
 むしろお金ない時も
 俺の節目やたいへんな時
 いつも絵買ってくれてんだよね。

 そんで、俺、行商決めたのさ。
 車に一抱え絵積んで、あいつの会社に
 行ってさ、絵が好きな人も多いって言うから
 そこで寅さんになって絵のたたき売り。
 あと何箇所か賛同えたところも回ってくるよ。

 目には目、歯には歯を(ちょっと違うと思う。)
 心意気には、心意気よ、(それならいい)
 売り上げ目標最低50万
 願わくば200万、今回は
 利益の全額、義援金だよー 

 私が言うか言わないかのうち左隣の大谷君が
 「えっ、えー!全額ですか?」という。

ーそう、今、この熱い思いのまま全額さ。
 その後は、養う人、家族いるわけじゃないし
 死んじゃった可愛いボッシュの
 餌代だと思って毎月、1万、2万と
 ずっとやろうと思ってる。
 長いでしょ、この復興は。ー

 私が言うか言わないかのうち左隣の大谷君が
「えっ、えー!毎月ですか?」という。

弟はすでに、街の募金箱に小銭や
お札を1,2枚入れるのでは
気がすまないと、纏まった金額を
日本赤十字社や県に振り込んでいる。


弟は、昨日、90歳の母に会って
この行商と全額、被災地に寄付する旨を
話したという。

いつも個展の度に、絵が売れるよう
神様、仏様、何様にと祈れるものに
祈ってくれている母。

売れたら売れたで
無駄使いせず感謝して大切に使えよと
言う母。

末っ子は、やはり、可愛く
心配なのだろうと思う。

弟に「このお猿」「婆さま」と
からかわれても
うれしそうに楽しくてたまらない
しあわせそうな母がいつもいる。

ーおふくろに、行商した
 50万、100万全額、
 募金すると言ったら
 なんといったと思う。-

私は、「少しは残せ」
「生活、大丈夫か?」などと
月並みな答えを思い浮かべていた。

ーおふくろはさ、
 『頑張れ!』って言ったんだよ。
 会う度にいつも、生活やっていけているのかと
 お金の心配をするおふくろがさ
 頑張れって言ったんだよ。

 こまってる人にやるお金は
 回りまわって自分を助けるんだってさ。
 頑張れってさ。

 俺、この人が、母で良かった
 この人が、かあちゃんで良かったって
 つくづく思ったよ。

 頑張れってさ。

 おふくろは、誇りだな。-

生活は貧しくとも、心の貧しくない母に
私たちは育ていただいたのだな。

100万円やったって
避難民25万人としても
数円にしかならいとか、
みんな宣伝と人気取りじゃないかとか
自分が何も出来ない、していないことを
既に行動している人や、
その行為を引き下げることで
自分を高めたり、位置を維持したり
弁解したりする、嫉妬の構造に似た
めめしいことや、小ざかしいことを
言ったり穿ったことを言ったりする
気持ちの悪い弟でなくて良かった。

そして、星空を仰向けに
見上げながら、母に習って
私も「頑張れ。」と思い直した。

そんなことを思って
感慨に浸って星空見上げていると
左隣の弟の声がする。

ーいろんなやり方が人それぞれあると思う。
 みんなが少しでも、できる限りに
 義援金を送りたくなる
 ボランティアをしたくなる
 いい文章、まあ、そいう気持ちで
 書いているんだろうって思うけど
 ブログで頑張って!-

40年の月日は、短いようで
やはり長いものだ。

5歳離れている私は
忙しい母に代わって
黄緑色の色の褪めたおんぶ紐で
弟をおんぶしたものなのに
ずいぶんいつの間にか生意気に
育ったもんだ。

私は、星空に向かって
「ハーイ!」と言った。

左隣の大谷君が
「ユウコウさんって素直ですね!」という。

私が「ハーイ」と可愛く答えると(キモイ!!)
湯船に3島、ひょっこりひょうたん島を浮かべて
ムサイ男が3人で星空見上げて声高に笑い
ちょっとご迷惑だったかな。

まっ、旅の恥はかき捨て

人生は旅だ。

P1100018
高松の池の2キロ弱の辺を散歩するのを日課にしていた母も
ここ数年やはり90も過ぎると弱ってしまった。この写真は
2年前の散歩の時、撮影した母と弟、私のお気に入りの一枚。

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この震災で世界が驚いた数ある日本人の凄さの二つ

Jpg 世界中で日本人への
驚きと敬愛が溢れている。

巨大地震直後
いっせいに停止した電気系統。

信号機が突然停止し
異常な渋滞状況の中
大混雑になっても
日本中どこでも
怒声、罵声をあげるもの
喧嘩するものもなく
譲り合い、冷静に
事故も皆無という
国は驚異であり
世界中どこを探しても
これを可能にするのは
日本人と日本国だけだろうと
世界中のメディアと人々が
賛嘆した。

聴く所によると
ある所では、おばさんや
ヤクザさん?まで
自主的に交通整理をした
所があるという話だ。

いずれ、日本人のお品位は
世界に賞賛されている。

また、もう一つ
世界が賞賛していることがある。

大東京、首都圏でも同じように
電車がストップし、停電した
暗い街中を帰宅難民が延々と
徒歩で行列を作り皆、4時間
5時間、6時間と歩いて帰ったのだが
その列が整然としていて素晴らしい
という話ではなく、コンビニや
さまざまな商店、事務所はもちろん
驚くことは道路沿いの一般家庭が
「どうぞおトイレお使いください。」
マジックで紙に書いて貼り
名も知らぬ帰宅難民に
トイレを提供していたのだ。

誰かがラジオやテレビや拡声器で
指示していたわけじゃない。
そんな余裕は、あの時
行政もマスコミもなかった。

大都会に住む人々の
都会生活者への同志愛でり
日本の都会人の良識の高さと
センスだ。

東日本の被災地の被災民の
素晴らしさばかりが
話題になるが、大都会の
日本人も捨てたもんじゃない。

日本人は、みな、素晴らしい。
100点満点花マルをあげたい。

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熱い二つの「100億円の寄付」

「台湾の義援金が100億円を突破したようだぞ。」

と弟からメールが入る。

Ph00b 数日前、ブログで台湾の
義援金のことを書いた。

被災からわずか3日で
台湾のテレビ局と芸能人が
チャリティー番組を企画し
数時間で40億円もの義援金を
集めたその素早さ熱さ
日本愛を感動と感謝を持って
綴った。

調べてみるとその通りだった。

ウェブの新聞各紙が100億円突破を告げていた。

私は勘違いをしていた。
国際情勢に疎い私は
台湾は、中国のように今
景気が良くて大金持ちがたくさんいて
バブバブ、バブルなのかと
思っていたのだ。

だって2000万の人口の国が
4時間の一番組で、そんな40億もの
大金を集めたのだから
私のような勘違いをする人間は
私だけではないだろう。

ところが、台湾は、平均年収が
150万円前後と日本よりも
低いと言うのだ。

貧乏な私だって150は超えてるぞ。

そのアメリカのを上回る義援金を、
そのアメリカの10分の一以下の
人口2000万人の国が、しかも
平均所得150万前後の人々によって
なされていることに
この国の熱さ、不幸なものへの愛
日本への温かい気持ち、
日本愛に感動でまぶたに
熱いものが溢れる。

「へっ、個人でソフトバンクの孫さんが100億円寄付!?」

Imagecaloy8ca_2ビックリしました。
100億円は本当だ。

孫さんは先に福島県の避難所を訪れ、
被災者数万人への携帯電話の無償貸与。
さらに非常に細やかな対処であるが
震災孤児を対象に、18歳までの通信料を
完全無料化といった支援も表明していた。

そして、今回のこの前代未聞の
100億円の寄付。

個人で100億円を寄付するだけでなく
さらに平成23年度から引退までの
社長業の報酬全額も、震災で両親を亡くした
震災遺児の生活と勉学の支援に
役立ててほしいとして寄付する
というのだから、カッコいい
のにもほどがある。

孫社長の平成21年度の報酬は
1億800万円ということだ。

ソフトバンクも企業として
10億円を寄付したほか、
ヤフーも3億円の支援金を
決めている。

出し惜しみせずやれることは
全て、今すぐやるという孫社長の
時と機をわきまえた人間として
財も力もあるものとしての
凄みさえ感じる判断と行動
手の打ち方だ。

も一度人生があって
サラリーマン人生を選択するのであったら
ソフトバンクで、孫さんのもとで働き
「キミを部下として持ったことは
 私の人生の幸運の一つだ。」と
言わしめる人生を生きたいものだ。

すごい人間と出会うこと以上の
人生の幸せはない。
それ以上のロマンもない。

もしかしたら
思ったよりもこの星には
すばらしい人間が
溢れているのかもしれない。

というか
人間は、すばらしいもの
なのかもしれない。

最近、私は、そう思えてきた。

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被災地三陸「釜石」に行く!

P1320146 P1320017 我が家のルーツは釜石だ。
父も母も釜石。
ラグビーの新日鉄釜石の
釜石だ。

P1310959 漁業と鉄の街。

私と弟は盛岡で生まれたが
上の4人の兄姉は
皆、釜石だ。

今日、釜石に支援物資を届け
町並みの被害の様子を
写真に収めてきた。

P1320203 テレビや雑誌では
くくられた四角だが
360度、戦火よりも酷い
街が破壊された瓦礫に包まれ
延々と続くその瓦礫の群れに
呆然とする。

母方の親戚がいたので
幼い頃から、何かの機会に
釜石を訪ねてきた。

P1320223 記憶にある
釜石のメイン通りも
全ての建物が津波に飲み込まれ
瓦礫に埋もれていた。

自衛隊の支援のジープも街中走り
壊滅的総攻撃を受けた
戦場のようだった。

釜石の老人たちは
P1320209 第二次世界大戦の艦砲射撃よりも
酷いと口々に言う。

動物病院に支援のペット食料を届け
先生方から避難所のペットの扱いの
現状と要望を聞きとり
避難所に物資を届けいくらかの
荷物運びのボランティアをして来はしたが
何よりも3月11日、それは
恐ろしい日だったのだということを
ただ深く再認識した一日だった。

P1320057 P1320112

P1320122

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「あの鐘を鳴らすのは誰だ!」

D0141168_2134434 日本は連日、残虐な
幼児や子供の虐待や
かと思えば、悲惨な通り
魔連続殺傷事件。
さらには、親が子を殺し
子が親を殺し、振込み詐欺なる
老人をターゲットした
畜生にも劣る大金の横領などなど。

しかし、この3月11日以降
連日、人間の凄さ、凄い人間の存在に
感動し続けている。

確かに酷い人もいる。それもその酷さは
きりがないだろうが、素晴らしい
人間があちこちにいて
我々はこの悲惨な災厄に一区切りした時
一冊の分厚い『人間その高貴なるもの』
という一冊のドキュメントを
手にするだろう。

自らの命を堵して
まさに志を持って自分の命と引き換えに
多くの町民を救った岩手県大槌町
20年以上消防団員を続けていた
越田冨士夫さん(57)も
その中に間違いなく
収録されるであろう。

越田さんは、停電で鳴らなかった
サイレンの代わりに、半鐘の鐘を
数十メートルの巨大な波が
押し寄せてきても打ち続けた。

越田さんはその日、地震の中、
自家用車で水門を閉めに向かい、
その後、消防団の屯所に向かった。

揺れから20分以上たち、屯所の消防車には、
近くの消防団から「津波が来た」と
無線が入っていた。

 乗車していた団員は「早く乗って」と
越田さんに叫んだが、、越田さんは
腕を振って「いいから、いけ」
ジェシチャーしたという。

そして、停電でならないサイレンの代りに
自分の命と引き換えに半鐘の鐘を
打ち続けたのだった。

避難所の人たち、団員たちにも
越田さんの打つ鐘の音は
悲しく響き聞こえていたが
やがて街を包む津波に
飲み込まれ掻き消された。

これは、映画とか物語ではない。

越田さんの遺体は
今だ発見されて
いないと言う。

人間、高貴なるものかな。

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いいとこどり、悪いととこどり、正しいエネルギー利用

Photo出来事、事象、人間の
いいとこだけ取ること。
いいようにだけ取ること。

だってその逆に

なんの意味がある?

「悪いとこだけ取る。」
「悪いように取る。」

それが、どんな明日を作る?
どんな未来を作る?
どんな自分の生きる世界を作り
どんな自分を作る?

他人には憎しみ、人生にはうらみ
自分にはストレスで細胞と皮膚の老化と
病を呼び込む。

ああ、いやだ、いやだ。

砂漠で喉が乾いて死にそうな二人の男が
小屋の中にコップ半分の水を見つけ
一人は「半分しかねぇ!」と怒る
もう一人は「水がコップに半分もある!」
と感謝する。

人生は、全て、物事の把握の仕方
取り方、感じ方だ。

あなたは、どちらの男が長生きする
生き延びると思うか?
幸運はどちらの男に訪れるだろうか?
どちらの男がしあわせに生きてきた
生きていくと思う?
正直、どちらの男が生きながらえて
もらいたいと思う?

その生活、人生に感謝があるかどうか
それが、しあわせの分かれ目だろうな。

感謝と「ありがとう」には、
この太陽系では、太陽エネルギーの形に
変換された無限の宇宙エネルギーが
充満しているんだ。

このエネルギーを利用しよう!!

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