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被災地「陸前高田」行く。街ごと無くなり、無数の悲劇と悲しみは瓦礫の中に。

P1320614 今回の被災で最も壊滅的被災
街ごと津波にさらわれ
街が消滅したところだ。

今日は宮古方面に行こうかと
思っていたが、写真家の大谷君が
一緒に陸前高田に行きませんかと
昨晩誘いの電話くれた。

支援部物資を積んで
午前8:00盛岡出発。

まずは、陸前高田の最大の避難所であり
災害対策センター本部になっている
高台の陸前高田第一中の校舎に
向かった。

高台から市内を一望に見下ろし
唖然とした。

聞きしに勝る壊滅だった。
一週間前、釜石に行ったが
釜石は建物はかろうじて
外枠だけぼろぼろに残っているとか
半壊状態であったが
ここは、建物が粉々で
延々と海まで平らになっている。

たとえて言うなら
写真だけで見た
原爆投下あとの瓦礫で黒く
平らになった広島。

物資を届け、避難所の中や
周辺を撮影し、避難所の高台を降り
街の建物が全て瓦礫になり
海からの泥で埋まる市街に
に向かった。

そこは、まさに死の街
死んだ街だった。

悲惨さを受容するアンテナが
異常な感度を増して
全ての視線がシャツターを要求し
押し続け、やがて
自分のシャツターを押す
選択する脳の働きが
麻痺し何を撮ったらいいのか
解らなくなる。

避難所では、繋がれた犬が何匹も
今は無き飼い主、あるいは
避難所の中にいる飼い主を
求めて不安そうに泣き続けたり
ぐるぐる歩き回り続けていたが
廃墟と化した瓦礫の市街には
犬や猫一匹さえ生きている
ものがいない。

しかし、しばらくして
目が瓦礫に慣れてきて
よくよく見ると海まで見通せる
瓦礫の中で動くものがある。

点在する人間たちだ。

思い出の品を探し続ける人。

おじいちゃん、おばあちゃん
あるいはご主人か家族の誰かか
亡くなったのだろう。
平らになった、かって家があったろう
そこに花を飾り線香をあげる
若い母と3人の子供たち。

一ヶ月にもなろうとしているのに
出来れば生きている家族
少なくても亡骸を探し続ける人。

ここふるさとに残してきた父母の家
あるいは友人の家を訪ねる、東京や
埼玉、秋田や神奈川のナンバーの車に
乗ってやってきた人たち。

お経を唱えながら瓦礫の中の
道を歩く僧侶。

日がだいぶ落ちてきて
後30分もすれば
一本の街灯のないこの瓦礫の
迷路の街から抜け出せないと
太陽を気にしながら
6時間歩き続けどこにおいたかも
解らなくなった車を探し
向かった。

この広大な海まで広がり続く
廃墟の瓦礫の街は
また冷たく真っ暗な闇に
包まれるのだろう。

この闇と、陸前高田の人たちは
長く戦って行かねばならない。

私どもは私どもで何が出来るだろうと
考えながら盛岡に向かった。

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コメント

私には、被災した方々や動物たちの傷ついた心を変わってあげることも、実際の痛みを感じることもできません。

だけどその不安の闇の中を彷徨う魂が癒され、安らかな状態になれるようにと、あの震災の日から毎日祈っています。

今は祈ることくらいしかできませんが、そのなかでもっと自分にもできることが見つかったら一歩踏み出したいと思います。

投稿: toughgirl | 2011年4月12日 (火) 17時14分

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