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天国の北口デレクターさん、ごめんなさい。

723jpg昨日、IBCラジオの
故・北口デレクターの凄さを
聞く機会があった。

若い時、一時、お世話になった。

私は今日の今日まで
昨日の昨日まで
まったく知らなかった。

中央の俊腕デレクター、
業界人の方々も一目置く
知らない人はいないという
有名、有能デレクター
だったようだ。

五輪真弓がパリから帰って来て
一番最初に日本のポップス
音楽状況を聞きアドバイスを求めたのが
北口さんだったと言う。

ブレーク前の吉田拓郎は
よくIBCに来た。
北口さんが番組も持たせていたのかな。
いずれ、北口さんが応援した。
拓郎の才能をいち早く見出していた。
やがて拓郎はブレイクしていった。

松山千春は北海道から
日本全国のラジオ局を
回っていた。
どこの局のどのデレクターも
相手にしてくれなかったという。

しかし、そんな中、北口さんは
松山千春の才能を見抜いていた。
貴重なある全国放送の時間枠45分を
まるごと千春に好きなようにやらせたという。
ギャンブラーだ。いや、天才デレクターだ。
千春は、次々ヒット曲を生み出し
ブレークした。

高橋克彦氏も高校時代から北口さんに
自分の書いたラジオ劇を送り
そしていつだって北口さん褒めて
もらいたくて頑張って小説書いて
いたという。

高橋克彦氏が江戸川乱歩賞を受賞した時
北口さんは誰よりも喜んで数十年前の
高校時代に高橋克彦氏より受け取った
放送劇のテープを取り出して
乱歩賞受賞のお祝いに
ラジオで流したと言う。

岩手発の「夕暮れ時はさみしそう」のN・S・Pも、
「遠野物語」のあんべみつとしも
どぢらも、全国版になったシンガーソングライターだが
みんな北口さんに褒められたくて頑張り
北口さん育てられた。

何年前だろう。8年、10年前?
北口さんの葬儀で、一番最初に
松山千春が弔辞を読んだ。
感動的、心のこもった、立派な
弔辞だったと言う。

その方は、目をうるうるさせて話してくれた。
自分は松山千春の次に弔辞を読んだが
泣けて泣けて読めなかったと言う。
本当にいろいろ教えて頂いたと言う。

スケールの違う人だったという。
才能を発見し見抜き育てるのが生きがい
私欲のまったくない大人物だったという。
怪物のような読書家で、いくらか自信もあり
生意気な自分だったが、追いかけようとか
追い越そうとか、目指そうとかも
思いもしない、思いも出来ない
凄すぎる人だったと言う。

私は二十代初めあるライブハウスの
オープンに伴ってのシンガーソングライター募集の
公開審査があり、私は採用となる3位までの
2位となってめでたく、そのライブハウスで
歌えることになった。

1位の方は、ギターもうまく
声も高音がきれいで歌もうまかった。

しかし、北口さんは
私に近づいて来ると

「レコーディングがしたい。
 これから時々スタジオの方に来て欲しい。」

と言われた。

レコーディングと言うことが凄いのか
北口さんに名刺を渡され声をかけられた
ことが凄いのか、当時の私は
そのどちらの意味の凄さも
よく分かっておらず
その場に居合わせた人たちの
賞賛の言葉を、「あっ、そう」
見たいないやな野郎だったかもしれない。

そしてそれ以来、北口さんは
いろいろと声をかけ面倒を見てくれた。

「人の曲、聞かないで。曲が出来たら
 いつでも持って来て。」

何度かIBCのスタジオで録音し
ラジオでも流してもくれた。
「愛は地球を救う。」にも出さしてくれた。
IBC放送局前の駐車場特設会場で
雪降る中、ギターかき鳴らし
歌った。

歌っている最中、弦が切れたこと。
千昌夫本人と取り巻くスタッフが
うわっ、どこの業界の人たち!?と
思うちょっと怖い人たちと感じたことだけ
記憶している。

千昌夫、新沼謙治だってみんな
北口さんにお世話になった。

ある日は、北口さんから
ヤマハポップコーンの県大会の審査員を
自分と一緒にやろう、明日お出でと
電話があったりもした。

審査員はヤマハの人と北口さんと
私の3人だった。二組最終に残ったが
どっちがいいと、私に決めさせた。

そのことを話すと、その方は
びっくりして、北口さんの
そのアプローチ、その関わり方
相当に私を信頼し、才能を買っていたんだと思うと
在りし日の師匠とも言うべき
北口さんに思いを馳せていた。

あの頃の私は、少し、才能があるように
見えたのであろうか。

ちなみにポップコーンというのは
シンガーソングライターの登竜門で
中島みゆきは全国優勝、グランプリ。
「時代」で世界的デビューを果たした。
吉田拓郎は広島県代表となり
地方大会代表どまり。

本当に今思えば、声かけ目をかけ
心を頂いていた。

それでは、なぜ私は
NSPやあんべみつとしさん
吉田拓郎や松山千春の弟分に
ならなかったのだろう。

ある日、新幹線開通に向け、私は
「啄木の青春の街、盛岡に」という
曲を持って北口さんのところに行った。

北口さんは、全国のご当地ソングの
レコードをいくつも見せ、歌詞を読ませ
見せて私の歌詞は
1番、2番で長さが違うので
揃えなさい、整えなさいと言う。

しかし、私はこの

「北上川のせせらぎはケラケラと笑っている
 人生はそんな喜劇だろうか。」

の歌詞が歌いたくて前後の詩を、そして
1番、3番の他の歌詞を埋めたのだ。

ここは譲れない。私は検討しますと
その日は、引き下がったが
その歌詞は変えるつもりはなかった。
この歌を作る、歌う意味と
魂が無くなるから。

そこで、時期を同じく
盛岡市が募集していた市民愛唱歌の
募集に応募した。
最優秀となりレコーディングした。
もちろん歌詞は変えずそのままだった。

今思えば、私は、もっと強く北口さんへ
その歌詞に込めた思いを熱く語り
理解を得る努力をすべきだった。
それでも、理解を得れなかったら
仕方がないが、それをしなかった私は
人の道に反れる行為を
人の思いを踏みにじることを
してしまったと思う。

あの頃の私はセンチメンタルだった。
あきらめたり、いじけたり、
思いを中途半端に飲み込んでしまったり
ああ、いやだいやだ。
そんな自分がいやで、今は、喧嘩をするのでなく
受け入れられることを目的とし、願いながら
理路整然とはっきりと主張する人間に
自分を変えた。

北口さんは、情熱を持って思いを語れば
「そうか、ナカムラ君が、そこまで言うんなら
 少し編曲や何かで工夫してみるか。」
などとも、言ってくれたかもしれない。

今思えば、そんな気もする。
そうしたら、がっぷり四つで
いろんなことが進んでいたかもしれない。

もちろん人生にifはないし
今の人生に、満足している。
この人生を、愛してもいる。
この人生と、この自分で
戦おう、生き抜こうと思っている。
そして、今だって、いい年して
この先の自分の人生を
楽しみにもしている
めでたいやつだ。

そう、悔いはないし、
そもそも私に悔いは存在しない。
私は、そのような人間的感情は
もはやない、消滅している。
薄情になった、心がなくなったわけじゃないが
私にあるのは、反省と総括と分析と、
そこからの対処、対応、未来への努力しか
意識的にも生理的にも存在しない。
センチメンタルは最も嫌いな感情の一つだ。

まっ、いずれ、何はともあれ
それ以来、私は、少々ばつが悪く
北口さんから疎遠になって
しまった。

そんな凄いすばらしい人だったのに
その凄さにも気づかず知らず
そして若者や才能や人に気持ちいっぱいの
慈愛いっぱい、思いいっぱいの方だったのに
あの頃の私は随分と生意気だったのだと思う。

それでも北口さんは
あの白髪交じりの長い髪を掻き分けながら
司馬遼太郎や養老孟司などの人たちと
同じ知的な芳香を漂わせ

「ナカムラ君、ナカムラ君」と
いつも笑顔でやさしかった。

北口さん、ゴメンナサイ。

昨年、久々に作った
「あの日あの頃のオレたちは」は
北口さんと出会い、関わりを
持たせて頂いていた頃の時代と
重なります。

今日は遅いので、明日、心を込めて
北口さんの魂にピアノの弾き語りで
歌いましょう。

4日前に作った新曲は、北口さんと
初めて会い、名刺を下さった時のように
ギターで歌いましょう。

もうすっかりおじさんに
なってしまいましたが
若き日に、北口さんに
目をかけてもらった者の誇りで、
これからも、時々
歌を作って生きますね。

はい、生きて行きます。

PS

北口さん、あなたが見出し育て愛した才能の一人
高橋克彦さんのお手伝いをしましたよ。

高橋克彦氏の直木賞受賞作「緋い記憶」が映画化された時
私はまったく違うところからの依頼で、イラストレーター
として映画の中で使う絵を3~4枚描き、その映画の
主人公の最近NHKの連続朝ドラで陽子の幼馴染役の農家の
青年役をやっている柄本明君に絵を描く演技指導し
撮影でも監督と一緒に、その部分の、演出・演技指導
をしました。

ぐるぐる回って、あなたの育てた方のお手伝いが出来た事は、
私の北口さんへの不義理の小さな罪滅ぼしの一つとさせて
くださいね。

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コメント

素敵な話ですね。若いということの強さと弱さを感じますね。

投稿: ダーキ | 2011年6月19日 (日) 22時40分

スゴイですね!!

過去のこのブログの中に
大好きな詩があるのですが(*^▽^*)
それにメロディがついたら
ステキだなぁと思いました。


オリジナル
聴いてみたいです!!

投稿: ドラミちゃん | 2011年6月20日 (月) 20時51分

ダーキさん

ありがとうございます。

思いがたりないために
ぞの時々で自分が気づかず
とてもさびしい思い
つらい思い
悲しい思いをさせたり
不義理なこと事を
してしまいます。

完璧な人生はありません。

そんなこともあるので
なるべく思いが及ぶことには
努めて、世のため
人のために心を砕き
動ける時は動きたい。

それでやっと人生
プラス、マイナスゼロ
でしょうか。

投稿: | 2011年6月21日 (火) 07時30分

ドラミちゃん

好きな詩?
いつのブログかな。

曲つけられる詩かな。

ライブステージをやる機会が
ある時は!?
ブログでお知らせ、
宣伝します。

投稿: | 2011年6月21日 (火) 07時45分

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