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演劇ヲ見る。舞台に望むもの。

Jpg今日は、仕事を
夕方までに調節し
夜は空けて演劇を見た。

小劇場ライブだ。

ライブ空間を楽しませて
もらいました。

ご招待券ありがとうございます。

今日は、演劇に対して独り言のような
一言願いを、私の理想を
申しましょう。

演劇は、静かでも
うるさくて激しくても
そこに爆発がなくてはなりません。

それはやはりこの世界と
人生の縮図であり
大真面目な実験だからです。
大真面目さゆえの悲劇であり
喜劇なのです。

日常と同じテンポと色では、いけません。
そこにはやはり舞台としての
賢い日常のマジックとトリックが
仕込まれていなければなりません。

その1時間半が2時間、3時間が
祭りになっていなければなりません。

表現と芸術は
少なからず祭りです。
いや、祭りでなければならない。

表現することを神から
分業、権限委譲されたものたちの
表現することの
生きていることの
感謝祭でなければならない。

一人ひとりめっぽう
格好良くなければなりません。
憎たらしくなければなりません。
悲しく惨めでなければなりません。

観客は二度三度、しびれなくてはなりません。
役者たちは、本書き、監督・演出家たちは
二度三度、しびれさせなくてはなりません。

やはり、それが1000円、2000円払う意味
払わせる最低限のお約束事でしょう。

観客と言う魔物が
ライブと言う魔物が
役者を魔物にさせる瞬間に
舞台は時々、舞台はあちこち
輝いていなければなりません。

どうぞ、演劇人の皆様
益々、ご精進され
しあわせな苦悩をされて
観客の何人も感電死する
舞台をお作りください。

ご期待、申し上げます。

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