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自分と自分の人生を宇宙規模で捉える。

Photo_2 たとえば
あなたの周りで
「なんで生きなければならないの?」
と、思いつめたように
質問する子どもや
友人、知人がいたら
その質問にまともに、向かい合って
正面から答えちゃいけない。

「生きねばならないのか?」と聞かれ
「生きねばならない!」と理屈で
あれこれ答えてもいけない。

彼らは、別に死にたいわけじゃないんだ。
理屈では、もう、朝から晩まで
考え抜いているんだ。
理屈では超えられない救われない
現実的、苦しみ、つらさの実感と
日々、瞬々と戦っているのだ。

どうも楽しく生きられなくて、
楽しく生きられたらそりゃ一番いいし
楽しく生きられたら生きていたいんだ。

でも、どうも楽しく生きれない。

つらくて、しんどくて
その苦しさ、つらさから開放されるために
「死」という手段しか見えないだけなのだ。

だが、彼らは自信に裏打ちされた
100%の「生」の肯定「死」の肯定の
どちらも答えを持っていない。

3 本当に死んでしまっていいのだろうか
生きると言うことを、本当にこういう形で
中断していいのだろうか、感情的にも
知性的も自信、確信を伴った100%の
明快な答えを持てないために
さらに苦悶しているのだ。

だから
「生きねばならないのか?」と聞かれ
「生きねばならない!」と理屈で
あれこれ答えちゃいけない。

私たちは
「生きねばならない!」
「生きねばならない!」と実は
問われた自分も100%の確信ある
「死」の否定と「生」の肯定の
答えを持っていないことに気づきながらも
彼らを死なせないために
あせって、その説得力の無い理論で
「生きねばならない!」
「生きねばならない!」
と連呼する。

でも、やはり
「生きねばならないのか?」と聞かれ
「生きねばならない!」と理屈で
あれこれ答えちゃいけない。

「生きねばならない」理由など
彼らは求めていないのだ。
彼らが聞きたい答えは違う。

彼らは、自己評価が弱く
あるいは自己評価が厳しく
こんな弱い人間、こんなだめな人間
こんなへんな人間、こんな魅力無い人間
こんな力の無い人間と思っており
そして何より楽しくいられない
こんな悲しい、そんな自分でも
楽しく生きられる
苦しみの存在しない人生の可能性を
確信できる答えと出会わなければ、
「生」に「生きる」ことに
舵を、ベクトルをシフト
できないのだ。

せめて我々は
「生きねばならないのか?」
と聞かれたら、理屈であれこれ
「生きていかねばならない!」と
あせって即答せず、たとえば
こんな風に答えてみよう。

本当の「死」で「生きる苦しみ」に
終止符と言う解決方法しか見えない
思いつかない彼らに、充分な信頼と
愛情関係が成立しているのなら、
「頭の中だけ一度、頭の中だけで
 ゆっくり静かに深く死んでみて。
 死んでしまった自分は、この
 今生きてる自分をどう見、どう感じ
 どんな言葉をかけ、どんな智慧と
 アドバイスを与えるだろう?」 
と、一緒に泣きながら
目を閉じて見よう。
言う自分も、共に
ゆっくりと思い巡らそう。

実際の死ではなく
『想像の死』いや結果それは『創造の死』
と言った方が、良いかもしれない。

あるいは
「私は、未だ未熟だから、生きる理由も
 死んではいけない理由もわからない。
 ぼんやり言えそうな事も
 あるんだけれど、人が納得するように
 理路整然と話すことは出来ない。

 ただ、その答えはわからないけどね。
 ただ、確信を持って言えることがある。
 
 「『楽しい人生は、存在する。』
  ということだ。
  
  人生が楽しい、生きることが楽しいとわかると
  なぜ生きなければならないかという問いも
  なぜ死んではいけないかと言う問いも
  心と脳から消滅してしまう。
  感情を伴ってその質問は無意味に
  なる。

  苦しみがほぼ消滅し
  喜びと感動と笑いで満ちた
  信頼と共感と愛情に満ちた
  しあわせでたまらない人生は
  存在するということだ。

  同じ所を、行ったり来たり
  永遠と同じ振幅を繰り返すのでなく
  徐々に底を上げて
  全体的に位置をあげて
  人も、人生も、幸福も
  進化するのだ。
  
  『楽しい人生』

  確かにそれは存在するんだ。

  確かに存在するするそのことにおいて
  それは、同じ生命の種類、人間として
  同じハードとソフトをもって
  生きている人間のあなたの可能性であり
  あなたの人生の実際のあり方の
  一つであるということだ。

  私は願いを込めて言いたい。
  思いいっぱいで言う。

  諦めるな、そこに到達するまで。
  それを自分と自分の人生に具現化する
  闘争に、あるいはあえてゲームと呼ばせてもらい
  その闘争と、ゲームに勝利を収めるまで

  一個の人間の人生の枠組みを超え
  時にこの星レベルで、全人類、全生命体レベルで
  星空を見、青空を見、全宇宙規模で
  自分の存在と自分の人生を捉え
  考察せよ。苦しみの正体と自分の正体を
  見抜き、洞察し、明らかにし覚知せよ」

  この楽しき人生のため。 

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人生」カテゴリの記事

コメント

こんにちは。
私も定期的にといっていいくらい深い深い底に沈みます。
その振幅が激しかったり、緩かったり。
丁度今の日経平均株価のような・・・
といっても最近では落ち込んでちょっと浮きともすれば更なる落ち込みに突入し、といった経済状況ひどいものですね。百年に一度ということに遭遇することの意義はいったいあるのだろうかと考えたりします。
で・・・寝る前に明日は何をしようかな、とか、朝起きた時に何をしようかな、そこまでくればかなり上向きといえます。

最近陸前高田での経験をブログでとびとびに連載し始めてから
その当時の自分がなんて恵まれていて幸せだったのだろうと改めて気付かされます。今の自分と比較をしてもどうにもならないことはわかっていても、やはりあの時代は私の人生のピークだったのではと思ったりするのです。

でもまだこれから私にも小波程度でもワクワクがきっとあるかもしれないと、そう思って生きていきたいと。
午後生協で水とお茶のボトルとか梨の大袋とかつい買い過ぎたら、今肩や背中がガチガチに凝っている、私流に言わせてもらえばそれは『バサマ・シンドローム』というのですが、とにかく誰でも一歩一歩死に近づいているのは明白な訳だから、できるなら希望を持って明るく生きていきたいです。

ナカムラさんの記事も長めですが、私のコメントも長いかな。

投稿: sakauta | 2011年9月18日 (日) 17時03分

sakautaさん

最も豊かな
拡大した深く
強く明快で高質な
つまり素晴らしい精神を
獲得したその時が
人生の真のピークだ。

物の豊かさ、人の豊かさ
自分自身の肉体の豊かさも
決定的、重要な条件ではなく
そのような素晴らしい精神を
獲得したその時から、
その時からこそが
人生のピークであり
もっともおもしろく
幸せな時間となる。
日々となる。

しかも精神の進化は頭打ちはない。
どれだけ素晴らしく、すごくなっても構わない。
だからこそ、であるからこそ死ぬまで進化に挑戦だ。

人生の最大のエキサイティングなことは
この世のものと思われない、あるいは
この宇宙の傑作と地球人はもとより
宇宙中の宇宙人に賞賛される
心、精神、人格を形成
創造することである。

人類がこれまで
獲得した神やそのほかの
最高人格や精神状態の
10乗、100乗の魅力的な
心や精神、人格を
あなたや私、私の兄弟や
友達が獲得したしても
誰も罪には問われない。

大いなる者たちも
真に大いなるものであるなら
そのような精神を獲得した人間の
溢れることは、感涙の喜びであろう。

人であることは楽しく
人生は、なんて日々
ますますドラマチック
なのだろう。

投稿: nakamura | 2011年9月18日 (日) 18時45分

そうか。。。自分の置かれた環境とは別に、自分自身の在り方、そして生き方そのものに鍵があるのですね。だとしたらまだまだ望みはあるってことですよね。もしかしたら遅めに達成したほどその後のエネルギーは濃厚かもしれませんよね!
前に進もう!きょうはパンを焼くぞ!!

投稿: sakauta | 2011年9月19日 (月) 06時18分

sakautaさん

はい、そうですね。
よく出来ました。

投稿: nakamura | 2011年9月20日 (火) 15時30分

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