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自分の位置づけ「一流か?」「最低か?」

72「自分は一流の
 人間である。」

「自分は素晴らしい
 人間である。」

そう決定することが
大切だ。

決定する?って
それはどういうことだ。

う~っ、なら。
まずは、
そう言ってみる。
そう思ってみる。

それがあたっているか
間違っているか
誤解であるとか
勘違いだとか

そういう問題ではない。

生意気だとか
身の程知らずの
思い上がり野郎とか
ナルシズムとか
そういう問題でもない。

たとえば、その反対に
本当の自分を知ることも無いうちに
充分に人生に理想や憧れの人格創造に
挑戦する日々を持つこともないままに
早々に、自分を最低な人間と
考えた方が楽だろうか?
楽しいだろうか?
すばらしい人生を
作れそうか?

早々に自分を最低な人間
三流、二流の人間と決めた方が
怠けられ、だらしなく緊張もなく
生きられ楽でいいだろうか?
がんばることもなく、気分のままに
ヒステリックに生き
気の向くままに、我がままに
我慢や自省、コントロールすることもなく
楽でいいだろうか?

いろいろ言いたいことはあるが
100歩譲って、それは楽としても、
それは楽しいだろうか?
それはしあわせだろうか?

自分は一流の人間
自分は素晴らしい人間であると
自分が自分自身に
根拠のない宣言し
言い聞かせよう。

根拠も実績も過去もいらない。
自分は一流の人間
自分は素晴らしい人間であるとの
宣言にそんなものは必要ない。
必要なのは未来と
未来に向かった
未来に向けた、広げた
開放という宣言なのだ。

私が明かしたい、言っておきたいのは
宣言すること、
決定すること、決めることの
あるいは決心することとかの
人生に及ぼす力の
秘密のことだ。

その時から
人は自由を手に入れ
自己存在の軸を手に入れ
さらに潜在能力
今だ眠れる能力
今だ発揮、発現されていない
能力を愉快なほどに
現すことができる。

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