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私たちは、人にどう一言で片付けれているのだろう。

あの人は、いやな人だ。

あの人は、いい人間だ。

あの人は、意地悪な人だ。

あの人は、本当に心根のいい人だ。

あの人は、下品な人だ。

あの人は、上品な人だ。

あの人は、野蛮な人だ。

あの人は、人格者だ。

あの人はステキな人だ。

あの人は食いしん坊だ。

あの人はすぐ怒る人だ。

あの人は、本当に穏やかな人だ。

あの人は、本当に優しい人だ。

あの人は本当に賢い人間だ。

あの人は、一緒にいると楽しい人だ。

あの人は、一緒にいると安らぐ人だ。

あの人は、一緒にいると
本当にいろいろ勉強になる人だ。

人の評価や、人にどう思われるかを
どれだけ重要に考えるかは
人それぞれに考え方、価値観があるだろう。

しかし、私たちは真っ暗な自分以外
誰もいない宇宙空間で生きている
わけではない。

この水の星に生れ落ちて
せめて自分が生きるこの世界で
自分がどう人の目に映り、
人の心に捉えられているかを
知ることは、この世界を生き抜く
自分の生きている世界を自分の思うように
構築するためには、その世界で
自分がどう捕らえられているかを
把握しておいて悪いことではない。

そして、煎じ詰めていうと
その自分が把握し感じている
自分に対する他人の評価は、
実は「自分による自分への直感的総合判断」
であり、それは自己変革、進化における
重要な情報であるのだ。

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