« 2017年2月 | トップページ | 2017年4月 »

今日しかできないこにがいっぱい溢れた今日。

「明日に延ばせることを今日するな」
は、藤子不二雄Aさんの座右の銘の一つ
だと言う。アフリカの女王という物語の中
飲んだっくれのイギリス人船長のセリフ
だと言う。

でも、これ怠け者の言葉とばかりは
言えない。

本当にとても大切なことばかりで
今日の予定がいっぱいの人には
優先順位で今日しかできないことをやり
明日でもなんとかなることは
明日やるしかないという
レベルの人もいるだろう。

一方、改めて考えてみよう。

私達は、本当に今日しかできないことを
きちんと見定めて今日しているであろうか?

私達は本当に、ぼーとばかりして
頭がすっきりしていないで
心ももんやりしていて
本当は今日しかできないこと
さらには
今日した方がいいこと
今日すべきこと
今日で来たら、りっぱなこと
素晴しいこと、楽しいことなどなど
この今日にはいっぱいあるのに
何一つ気づかず、ご飯食べたり
ウンコしたり、おならをしたり
人の悪口を言ったりばかりして
毎日を過ごしていないか要注意!

時間つぶしの人生から
自分で創っていく創造的人生を!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

やりたいことの予定とその取組みでいっぱいの毎日

もし、やりたいことがあって
よく考えたら
あるいは、ちょっと考えたら
それをやろうと思えばやれるのなら
すぐやった方がいい。

実は、それよりも楽しくもない
しかもたいせつでもないことで
今日の予定も明日の予定も
いっぱいじゃないか?

人はどうしてやりたくないことで
日々の生活を埋め、人生を
いっぱいにしてしまうのか?

どうしてやりたいことを
やってはいけないと育てられたのだ?

なんでもっとやりたいことを
予定しそれを実行実現しないのか?

やりたいことを
やれるのなら
すぐやる。

やりたくてもやれない事情と言うものが
人生にはすぐ入って来るのだ。
そういう事ばかりなのだ。

だから、やりたいことがあって
それが出来る状況と言うのは
実は、有り難い奇跡の時、
人生において貴重な希少な
只今なりの一期一会の時なのだと
思った方がいい。

それなのに、なぜ
やれるこの時にやらないのだ。
さあ、心を入れ替え
少し目をつぶってポーンと飛んで
今からやってみないか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

人生を化けモノの支配でなく自分の完全支配とすること

私が生きがいと誇りを感じ
何より楽しく生きているのであれば
私は私の人生を完全支配していると
言える。

もしも私が充実感も感ぜず、
楽しく生きていないとしたら
私は何かに支配されているのだ。

取るに足らない貧弱な感情や思念や
怠け者や悪魔や卑怯者や臆病者の何か得体のしれぬ
そのような化け物にこの人生の時間を
支配されているのだ。

それは、避けたい状況だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

1週間の力、すごさ。

自分の嫌な所を
幸運にも気づき見つけたら
1週間で直してしまおう。

そんな簡単にいかないと言う人が
いるかもしれません。

いいえ、直せます。

自分の嫌な所、性格は、
1個ずつ1週間で直せます。

自分の嫌な所を浅くしか嫌悪したことがなく
しかも1週間で直そうとなどと思って
1度もやったことのない人は
解ったような顔して「そんなの無理」と
言わないで欲しい。

自分の嫌な所、性格は、
1個ずつ1週間で直せます。

そして、どんどんステキな女性
ステキな男性、人間になるのです。

同じ一生です。
出来るだけ早くどんどんステキな女性
ステキな男性、人間になって
そういう存在として少しでも長く
この世に在りましょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

調子に乗って、バンバン仕事をしよう!

図に乗らず、調子に乗って
仕事をしよう。

図に乗ると言うのは
お客を、上司や社長、同僚や後輩を会社そのものを
仕事そのものを、なめてかかること。
尊敬や感謝や愛情を忘れて失って
小馬鹿にしていい気になること。

調子に乗ると言うのとは違う。

調子に乗って仕事するというのは
笑顔で仕事をするということ。
成り行きに引っ張られず
優先順位の高いことから小気味よく
ぱっぱぱっぱと手をつけ片付け
仕事の先にある自分への称賛、
そして与える喜び、感動、満足、幸せに思いを馳せ
ワクワクしながら、バンバンと
仕事をすることである。

可能なら歌を口ずさんだっていい。

とにかく、ばんばん仕事をしよう。
人生の幸せとは、良い仕事をすること
仕事を良くすることにある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

人生には、どうしても納得できない、承服できない、受け入れられない出来事がある。

起こったことにすべて意味があるなんて
言わないでほしい。

そんなことを、言われても耐えられない出来事と
直面している人もいるからだ。

つらくてもつらくても
神や偶然や、運不運に任せない
生き方を選択しよう。

そういう生き方、人生の捉え方を
決断しよう。

「人生に起こったこと、すべてに意味を
 持たせて行こう!」と

少しでも未来が辛くないもの、苦しくないもの
少しでも安らかで楽しく誇り高きものとなるように。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

心に二食、三食。

見えないからといって
私たちは心に対してあまりにも
無頓着で無防備で配慮が
足りないのではないだろうか。

体に朝昼晩と食事や水分を補給するように
私たちは心にもっと定期的にエネルギーを
補給しなければならない。

心へのエネルギーの補給時間、補給方法を
きちんとこの人生のなるべく早い時期に
システム化することだ。

そうでなければ我々の心は
いつの間にか枯渇し疲弊してしまって
イライラして怒りやすくなったり
笑いが生活の中から消えて行ってしまったり
その生活と人生からワクワク、ドキドキ感が
なくなってしまったりと
気がつけば、すっかり淋しさ悲しさに
包まれてしまうだろう。

この目には見えない心に
意志と意図を持ってしっかり
エネルギーを日に2回、3回補充しよう。

私が遺書を書くとしたら、まず第一に
この事を書きとどめるだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

掃除、整理の基本

出して広げて
分類しながら捨てる。

すると、半分か3分の1、はたまた
全部破棄でエンプティ―になることさえある。
部屋にはじわじわスペース、空間が広がり
心も頭もすっきりとする。

楽しい!気持ちいい!爽快、快感!

まず、出して広げて分類しながら捨てること!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

春、大掃除の季節が来た。

アトリエを大掃除、大改良したい。
「ニューヨークのアトリエ」
「ロンドンのアトリエ」
という、素晴らしい素敵な本がある。

私がかって個展をした東京のギャラリー・ハウスマヤの
隣にあるインテリア家具のおしゃれな店で買った。

画家、作家のアトリエや書斎が好きで
雑誌で素敵なその写真を見つけると
切り抜いたり、コピーを取ったりしている。

アトリエのビジョン、デザインにおける資料
情報は十分だ。

まずなんと言っても、断捨離をして空間を作る事だ。

空間さえあれば、いくらでも機能的に
おしゃれに部屋はレイアウトできる。

一日や数時間で片付けようとせず一週間くらいかけて
1ブロックごと、断捨離して空間を作って行こう。

十分な空間さえ出来たら、あとは自由自在に
ゆっくり楽しみながら、配置換えやレイアウトが出来る。

今回は、少し思い切った断捨離をしようと思う。

断捨離のシステムは、まず、ターゲットの1ブロックの
全てを出して広げる。

次に、捨てながら、分類する。
この捨てる基準、取っておく基準は、ワクワク感。
しかるべき所に収める。

それを、辛抱強く一週間繰り返しアトリエの中に
空間をどんどん増やしていき、完了したら
いよいよ待ちに待ったレイアウトをする。

先ずは、美味しいコーヒーでも飲みながら
本や資料をぱらぱら見ながら全体のイメージ
デザインを考えよう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

非日常という爆弾を撃ち込め

気まぐれ気分任せの数日間が終わった。
非日常的な生活はとてもたいせつ。
 
非日常を日常にぶち込もう。
そして、日常の感度と沸点をあげるのだ。
たとえば
 
ノートと原稿用紙を持って
日本海に向かえ。
自分の中にある「愛について」
「楽しく生きる知恵について」
「ふるさとと家族から得たものについて」
海の見える安宿に泊まって書きまくるのはどうだろう。
 
いくらでも、魅力的な
衝動行為は考えられるだろう。
それを実行する。
可もなく不可もなく流れていた日常は
鮮度をまし沸騰するだろう。
 
気持ちよく生きさせること
自分を楽しく生きさせること
愉快に生きさせることに
もっと心砕き、時間を作り
本気になろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

仙台はいい街だ。

牛タンの店がいっぱいある。
ドトール、スタバ、マック、モス、サンマルクはもちろん
その他、たくさんのカフェがある。
仕事場がカフェの私にはたまらない。
一日中、店を替えてパソコンに言葉を打ち込み
クロッキー帖にイラストや絵のエスキースを画いて過ごし
楽しく幸せに暮らせる。
もちろん、今も、そんな生活だが
カフェの種類と数が多いことはとても
私には魅力的だ。
おまけに仙台は盛岡にように
雪が道路に積もらない。
年中自転車で走れる町なんて
なんて快適でステキなのだろう。
車を飛ばせば
海も山も近い。
100万都市の活気と
東京までも新幹線で1時間少々。
申し分ない。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

牛タンの美味しさ。

仙台で過ごす、二日目。
ここだけの話、贅沢にも
二日続けて牛タンを食べた。

本当に、牛タンうまい。

仙台は、そもそもなぜ牛タンが名物なのか?
そんなに仙台市内を歩いていても
牛が街中にいるわけでもなく
牛面の人が多いわけでもない。

第二次世界大戦後、仙台にもGHQが進駐した。
その際、大量に牛肉を消費する駐留米軍が残した
タンとテールを有効に活用するために、
1948年(昭和23年)、仙台の焼き鳥店「太助」
初代店主・佐野啓四郎が、牛タン焼きの専門店を
開業したことが 「仙台牛タン」 の始まりだそうだ。

牛タンに物語あり、歴史あり。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

映画館で映画を観る時間。

「ララランド」を仙台の映画館で観た。

第89回アカデミー賞史上最多タイとなる
14ノミネートを受け、チェゼル監督が
史上最年少で監督賞を受賞。
主人公のエマ・ストーンの主演女優賞など
計6部門でオスカー像を獲得した映画。
ということで、この史上初尽くめ映画を
なんとしても劇場で観たいと思っていた。

映画仕立てはミュージカル。
この映画は、DVDで家でシコシコ観る映画でない。
特に、最初のハイウェイ―での壮観な大人数での
ダンスシーンは劇場で観たい。

売れない女優とジャズピアニストの恋を、
往年の名作ミュージカル映画を彷彿させる
ゴージャスでロマンチックな歌とダンスで
描いている。
 オーディションに落ちて意気消沈していた
女優志望のミアは、ピアノの音色に誘われて入った
ジャズバーで、ピアニストのセバスチャンと
最悪な出会いをする。
 そして後日、ミアは、あるパーティ会場の
プールサイドで不機嫌そうに
80年代ポップスを演奏するセバスチャンと再会。
初めての会話でぶつかりあう2人だったが、
互いの才能と夢に惹かれ合ううちに
恋に落ちていくというもの。

2人の恋はハッピーエンドでない故に
よりせつないいろんな展開、演出。ストーリは
考えられたかもしれない。

しかし、言うは安し、まったく時間を気にせず
映画の世界に入り込み堪能できたのは
すばらしい映画だったんだと思う。
映画館で映画を観るだいご味を味わい
しあわせな時間だった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

鰹節の炒めご飯

料理と言うものは心を込め
気持ちを込めなければいけない。

腹に入れたら、みそもくそも一緒じゃダメ。

当然、心を込めると、味付けはもちろん
盛る器、盛り合わせ、盛り付け方
すべてがそこから生まれてくる。

小学校時代、時代は高度経済成長時代。
家庭では三種の神器。
テレビ、冷蔵庫、洗濯機。
白黒テレビは記憶にあるが
果たして冷蔵庫、洗濯機は
あの頃の貧しい我が家には
無かったかもしれない。

兄弟の多い大家族で
遅くまで働いて帰って来る兄たちに、時に
病人の看病のために手を離せない母親の代わりに
冷蔵庫も食材もないそんな台所で、
頭と心を使い小学生、5,6年?の私は
瞬間的に貧乏料理をイメージして
作るのだった。

冷えたご飯を炒め、塩コショウと醤油で味を取り
色も剥げた西洋皿に盛り付けた後
贅沢、リッチにその上から鰹節を振り掛ける。
鰹節が炒めた温かいご飯の上で踊る。
うまそー!
これがひらめき。

うまいうまいと言って食べてくれる。

人を喜ばせ、喜ばれることの快感がDNAに組み込まれ
食材を見て、瞬時に料理を考え出すことは
幼少時代からの筋金入りなのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ふるさと

ふるさとは自分が生まれた街や
両親が住んでいる街でもない。

それは自分が1番輝いていた、
自分が1番自分らしく誇りを持って
楽しく生きていたその時代であり
その時代を過ごしたその時と
場所こそ、私のあなたの
本当のふるさとはそこだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

役者はスゴイ。役者のように創作しよう!

役者は、本当にスゴイ。
お菓子を食べ楽しくおしゃべりしていても
突然涙の演技に入れる。

あんなに周りに撮影スタッフ、同僚の役者たちが回りにいても
突然に怒涛の涙を流せる。

そんな役者たちのスゴサを思えば
作家や絵描きも瞬時にペンや筆思ったら
創作にシフトできるようでなければならない。

気分が乗らないとか、最近書けないとか
アイディアが出ないとか
甘いことを言っていてはダメだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

仕事のできる人と出来ない人

仕事の出来る人は
まず、すぐ取り掛かる
スピーディーです。

原則、あまり「出来ない」とかNOは
ありません。

優先順位がしっかり見えて、そしてさばけて
優先順位の高いものから、迷わず取り組めます。

仕事において大枠や全体像、ビジョンを描く能力があり
そして少しづつすべてを深め広げ高めて行けます。

そして、全体に快活でエネルギッシュで
朗らかです。

そのパーソナリティーは、仕事のフットワークに大きく
関係します。

応援したくなる、協力したくなる
魅力とリーダーシップがあります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

勉強が出来る子(人)、出来ない子(人)

勉強のできる子は
頭がいいのではありません。

言われたことを
しっかりやって来ます。
自分で言ったことにも
しっかり取り組んできます。
その場限りの気分や調子ではありません。
頑張ると言って、やらずにいろいろと
言い訳はしません。
努力できる、自分や人の言葉や思いに真摯に
取り組めるという違いだけです。
その行動の積み重ねが学力となって
現れて来ます。

人の思い、自分の言葉に責任を持ち
そのどちらにもしっかり誠実に取り組むことができる子が
勉強のできる子の本質です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

人でなし

ひとでもなく、神でもなく
お化けや幽霊でもない
それでいてやはり人から遥かなものであり
人とは異質な頼もしいもの
遥かに楽しいもの、遥かに豊かで
遥かに深く高いものをコトバで語り書き上げ
絵にしてこの世に現したい。
出来る限り頑張りたい。
人でなし。
それが、私の創作のモチベーション。
今年は比較的大きな絵の展示会を予定しているし
今年は絵は描かねばならないし、
昨年の10月の230枚の群像応募小説の
第二弾、三弾も頑張ろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ある時間の使い方

書きたい人から、優先順位の高い人から
勝手に感謝状を書こう。

感謝の手紙、ラブレターでもいいのではないか。

それらを書ききった時
それはあなたの魂、あなたの命、あなたの人生
そのものになりはしないか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

3・11の人類的意味

東日本大震災でわが子を、親を
伴侶を、恋人を、親友を亡くした
その全てを亡くした人のつらさは
私には解らない。

生きる糧も、方向も、力も無くすだろう。
というか生きているだけで辛く苦しいにちがいない。

だからその気持ちを理解すること慮ることはできない。

ただ、私達は彼らを特殊な運命の人たちとして
別世界にに置くことも、私たちが彼らを置いて
別世界に行くこともできない。

私達は、せめて

「理由も原因もまったくなく、あるいは解らず
 突然に事故や病気で愛する人を失う可能性にある同じ人間」

として、その悲しみを越えて生きて行かねばならない
あるいは、その状況でもこの人生を創造的に生きていける
哲学を構築しなかければならない同胞として
一緒に横並びになって前を見、前に進んで行かねばならない。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

友また一人逝く。.生きてる時に、生きているうちに。

肺癌になって6年。
骨に転移して、約2年の闘病生活の上
根性のあるやつだったが力今日の
昼頃に尽きた。

昨日、緩和ケアの病室に見舞いに
生きている彼に会ってはいた。

しかし、既に意識はなく
弱い呼吸と時々口から洩れる
コトバになっていない音声を
聞くことはできたという
状況であった。

もう、いつ死んでも不思議では
ない年齢になって来た。
男は特に50代がやばい第一時代だ。

無理したところ
足りなかった何かが
加速度的な免疫力の低下により
病として姿を形を現す。

整理しながらきれいにしながら生きて行かねばならない。

1.私は今日、今生きているというのは確か。
  本来なら優先順位第一に力を集中した生活であるか?
  生き方であるか?

2.文書の整理。パソコンのデータフォルダの整理。本の整理は
  しっかりしよう。

3.感謝すべき人に、感謝の言葉を伝えこと、行動で表現すること。

  感謝すべき人、愛する人を十分に楽しませること。

4.私が生まれてこの人生、これをしましたという納得の仕事を
  日々一つ一つ増やしていくこと。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

平凡に普通に見える凄い人たち

本当にすごい人たちは、プンプンといかにも
すごいぞ俺は、私はというオーラは出さないと
そういう人たちを知るレベルの人たちは
みな口をそろえて言います。

普通の人のいい、常識的な落ち着いた人に
見えると言います。

ホントにすごい人は、わざわざぎらぎらを
アピールしないわけです。

ぎらぎらする人、自分のアピールにうるさい人は
ほどほどに何かに秀でていたとしても
その実績も、人間のさほどのこともなく
すごいというレベルの人ではないでしょう。

私達がその人生で何らかの弾みと偶然で
世の中のあらゆる人がすごいと言う人と
会う機会、話す機会が会った時
「意外に普通の人だった。たいしたことなかった」
と性急に単純に言ってはいけません。
すごい人たちは、すごいぞオーラを自ら
一生懸命振りまかないのはもちろん
過敏に愛嬌振りまいたりもせず
普通にして目立たなく落ち着いて存在しているので
勘違いしないようにしましょう。
ほんとにすごい故にそうであるのです。
覚えておきましょうね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

いやなこと、やりたくないことの対処法

やめてしまうことも出来ない
やりたくないことは、
一気にやってしまう。

あるいは、時間を決めて
1時間だけ、3時間だけ
きょう午前中だけやる。

先延ばし先延ばしでゼロでなくね。

見通しも立って少しはやる気も出て来るかもしれない。

一気にやってしまうか
自分のいやという感情の負担軽減のため
時間を決めてちょっとでも
まずやる。

頑張ろう!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

非常識で、行こう!

たとえ周りの人たちに
「普通、そこまでしないよ。」と
たしなめられても、
「過ぎたるは及ばざるが如し」と
賢そうにさとさられても。
でも、いいではないか。
カッコ悪くても、スマートじゃあなくたって、
私は非常識な人が好きだ。
自分自身もそれを志向する。

常識的という言葉には
損得考えろ、損するな。
なるべくリスクを回避しろ。
一人だけバカ見るな、
人並み手を抜き楽して怠けろ。
ほどほどに愛せ、ほどほどに付き合え。
賢くと言いながらずるくなれと
言われているような気がして
あまり好きな言葉じゃない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ベターの人生

美味しいコーヒーを、飲みながら
彼女は、言った。

ーわたしの人生は最高だったとか
 申し分ないものだったとかは
 簡単には言わないわ。

 ただ、確実に言えることがある。

 あなたと出会ったこの人生は
 あなたと出会わない人生よりは
 だいぶ楽しかったことだけは確か。
 しあわせであったことは確か。
 ありがとう、ありがとう。

 もし、わたしの人生から
 あなたとあなたとのこと
 あなたのいる風景を取りのぞいたら
 その人生はどんなに退屈になり色あせ
 つまらないものになってしまう
 ことでしょう。

 あなたのわたしの人生への登場に感謝。
 ありがとう。-

| | コメント (0) | トラックバック (0)

手の無い人、足の無い人、脳の無い人とかいろいろ無い人。

手のない人がいる。
手が腐れて無くなる人がいる。

私は、手があるのに
文章を書かないのか?
随分若い頃から言っていた
哲学的小説はいつ書くのだ?
とびきりステキな恋愛小説は
いつ書き出し、いつ出来るのだ?

絵はどうした。
描こうと思えば毎日一枚描けないか?
いや、二枚三枚かけないか?

シャツターを押すくらい
部屋の中でも
仕事の最中でも
街に出た時、車を止めて
カフェの座席で1回2回
4回や5回押せないのか?

足のない人がいる。
足が腐れて無くなる人がいる。

私は足があるのに
走らないのか?歩かないのか?
車に乗ってこの国のあちこち
船や飛行機でこの星のあちこち
ほとんどどこにも行かないまま、行けずじまい
ここのまま死ぬか、終わりか?

眼の見えない人がいる。
眼が無い人さえいる。

私には目があるし、その眼は見える。
美しい風景、すばらしい風景をもっとみよう。
美しい人、美しい心を持った人を見よう。
もっともっと素晴らしい人、
素晴らしい心を持った人に
会いたいものだ。

耳が聞こえない人がいる。
耳自体が無い人もいる。

私も手術をするまで四半世紀は片耳だった。
両方の耳が聞こえるようになって既に早十数年。
私はこの両耳に十分、よきもの、すばらしいものを
聞かせてきたろうか?
素晴らしい歌、メロディー、音楽を
もっと知り聴くべきだ。
すばらしい詩を聞きたい。
すばらしいステキな声で、朗読で。
力あればすばらしい歌を作り詩をつくり
自ら歌い自ら詠じよう。

食べられない人がいる。
口が無い人もいる。

食感のない人がいる。
それは残念で悲しくまさに味気ない
毎日だろう。

私には口も食感もあり
食べたいものもたくさんある。
それだけでしあわせなことだ。

自ら美味しものを食べ
美味しものを愛するものたちに
感謝すべきものたちに
大好きなものたちに
食べさせよう!
作ってあげよう!
料理してあげようじゃないか!

脳が病い、脳がない人がいる。

私には脳があり心があるのに
成り行きに任せ、過ぎていくことに任せ
そんなに考えず思わず
そんなにあっさり毎日毎日
一日一日をやり過ごし
生きていていいのか。

私にはせっかく脳があり心があるのに
自分の思うような自分、満足のいく自分
自分であることが気持ちいい誇らしい自分を
創り上げなくていいのか?

みっともない弱っちい嫉妬深いいじけん坊の怒りん坊
おまけに意地悪なうえに怠け者の夢想家
だらしないうえに神経質
わがままなうえに妄想家
無責任なうえに薄情者
ずる賢こくて小賢しい
そんな醜い不安定なつまらい
ちっぽけでおもしろくない人間の
ままでいいのか?
そんなままで生きて終わっていいのか?
それでホントにいいのか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

人でないものになる日

この宇宙を悟り
宇宙のエネルギーを無尽蔵に
意図的に自分に取り込めたら
どうだろう。

無尽蔵のエネルギーは、無限の智慧を産み
限りない創造性と個別性を発現させるだろう。

たとえば、これは、仏教の発生の動機であり
目指した所の生老病死の苦悩の消滅をも
現実のこの人生で成功させるだろう。

もし仏教よりも根源的に、この宇宙を悟り
宇宙のエネルギーを無尽蔵によりたやすく
意図的に取り入れることを可能にしたのなら
その日は、久々の人類史上最高の革新的哲学と
新宗教のこの星での誕生日になるだろう。

しかし、それが人類に必要なレベル、内容のものか
人類が人類のカテゴリ―で収まるもの足らしめるかは
わからない。

その時、人は人ではなく新しい何ものかに
なっているかもしれない。

まっ、この宇宙に人間として存在できる以上に
楽しくしあわせであるなら、人間であることに
こだわり固執する必要はないだろう。

すべて仮定の話だ。

いずれ、生命体は、この宇宙に、
楽しく存在することだ。

あなたは、楽しく存在しているのか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ステキな反応系の脳と心

ある出来事が起こる。

その出来事で苦悩する人もいる。
まったく苦悩しない人
おもしろいと言って楽しい人さえいる。

出来事自体にいいも悪いもない。

捉え方にその人の感情が起こり
その感情の積み重ねがその人の人生となる。

人生は、出来事の積み重ねではなく
その出来事によりその人に起る感情、思い
の積み重ねである。

他人の行動、言動に対して、出来事に対して
あなたの抱く感情、思いが
そのままあなたの人生の楽しさ、豊かさ
温かみ、知性、おもしろさ、愉快さ
しあわせがそのままあなたの人生だ。

あなたの心と脳にステキな反応系を
なるべく人生の早い時期に確立しよう。
それだけ快適で楽しい人生の時が長くなるからだ。

他人の行動、言動に対して、出来事に対して
あなたは穏やかで優しい反応系を
確立しよう。

他人の行動、言動に対して、出来事に対して
あなたはかっとせず視野広く、深く高く
余裕があって大らかで温かい反応系を
確立しよう。

他人の行動、言動に対して、出来事に対して
知性に満ち智慧とユーモアに溢れた反応系を
確立しよう。

自分の言葉で自分を傷め、自分で自分を
ボロボロにし、自分で自分を細く弱く小さく
不安定にしていく人生は悲しい。

敵も味方にしていってしまう魅力ある
パワーある知的で懐広い慈愛に溢れたあったかな
桁違いの心、人間であればステキだ。
100点満点の人だ、あなたは。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

極限で自分をまもってくれるもの

どんなに苦しく辛くても
自分の良心と誇りを捨てたら
もう何も自分を守ってくれるものはない。
自分を自分として立たせ維持するもの
それが、つまり良心と誇りが
最後自分を守ってくれるものであり
要塞だ。

人間としての良心を保ち
誇りを失わず、未来を信じあきらめなかった人間だけが
アウシュビッツでは生き残れたと言う。

良心とか、誇りとか
そんな言葉、語る人間も気持ち悪ければ
言うのも考えるのも気持ち悪いと言う人が
いるかもしれない。

しかし、苦しいと言いっても
辛いと言っても平和で極限と言うほどの世界で
生きていない私たちには
人間の極限状況で人としての「良心」と「誇り」の
維持がどれほど強い力を持ち
輝くものであるか、それが最後自分を守り
命を持続させるものであるかを
学ばねばならない。

もしかしたら、それが平常時、日常生活においても
私たち人間を進化、拡大させるものではないか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

選択の仕方、分かれ道での道の選び方

人生において、選択に迷った時は
結論を出すというのではなく
感動的な決心覚悟に至ることが大切。

それが、選択、決断のコツ
分かれ道での道の選び方

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2017年2月 | トップページ | 2017年4月 »