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今日と言う日が人生に無かったとして

今日と言う日が人生に無かったとして
やってみたいこと、やってみたかったように
今日を思う存分にやりたいようにやってみてはどうか?

どうせ無かったものとして。

いざやってみたら
誰にも迷惑をかけないし、誰も悲しませないし
お金も全然かからないし、豪邸も必要ないし
ジェット機もロケットもいらないし
なんで今日の今日まで
やらずに生きてきたんだろうと
気づくだろう。

(*^_^*)

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それが正しいかどうかわからない。それが私たちを幸せにするかどうかだ。

「自分にないもの
 持っていないものは、
 自分に必要ないものだから。

 この人生で自分に必要なものは
 誰もが皆、全て持っている」

と言う考え方はどうだろう?

これが正しいかはわからない。
でも適度のあきらめ促し、感謝を湧き立たせ
さらには、ここで、この自分で頑張ろうと言う決意
そういうものが湧いてくる1つの考え方だ。

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私は時々考える。数分後に私に死が訪れるとしら残すメモ

単純なのだ。
個性も、しあわせも、運・不運も、
その生命体のエネルギー量でしかない。

不幸な生活、不幸な人生にしたくなければ
エネルギーを豊潤に恒常的に補充するのだ。
人生の唯一の注意事項、日々のチェック事項は
エネルギーを量。

エネルギーを蓄えよ。

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創作指針

他の誰でもない。
この自分が心から感動するもの
それを作り出すこと

ただそれだけが悲願。

受けとか、見栄とか、流行とか、評価とか、売れる売れないとか
そういう一切の関わり知らぬ、この私が心から感動するものを
生み出したい。

それができるかどうかわからない。
ただそれは指針であり羅針盤であり方位磁石であり
私がしあわせに生き続ける唯一のレールなのだ。

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言い忘れた、言いそびれた、言うべきだった「ごめんなさい。」

言い忘れた、言いそびれた、

言うべきだった「ありがとう。」と同じように

言い忘れた、言いそびれた、

言うべきだった「ごめんなさい。」が

この人生にはある。

そんなもんは、一分一秒でも早く言うべきだ。

すっきりと潔く生きよう。

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あの時言いそびれた、言わなかった、言うべきだった「ありがとう」

お元気ですか。
私は○○○○○○○○○○○○しながら
なんとか元気に暮らしております。

突然ですが、ずっと言いそびれていた「ありがとう」を
言いたくてお手紙しました。

どんなにタイミングが悪く時期を逸し
遅くなってしまったとしても言わないでしまうよりはいい
ずっとずっと気になっていたのです。

○○○○さん、あの時(あの頃)
○○○○○○○○○○○○してくれたこと
心からありがとうございました。

本当に本当にびっくりなほど唐突突然で
驚かせてしまいました。

どうぞ、お元気で
たくさんの幸運で包まれ
これからもしあわせが、いや増していきますように。

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どうだろう、今日の予定にしたら?

もし、今日の予定が何も決まっていない、何もないというのなら

100円ショップで4枚組の大きな画用紙を買って
家のどこかで鉛筆さがして、鏡見ながら30分?1時間と
自画像描いてみませんか?

自分に対して、自分の人生に対して
5や10の気づきや発見をするでしょう。

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「今」やらない人、取りかからない人は、おそらくそのままで終了する。

 「今」やろうと思えば出来ること
 出来ないこともないこと
 出来ないわけでもないということ
 そういうことに、結局、やっぱり今日も、やっぱり今も
 着手しないことで
 何年も、何十年も手つかずのまま
 冷蔵庫の中は、賞味期限、消費期限が
 数年前に終わっているものでいっぱいになり
 部屋は汚く暮らしたくない部屋で暮らし続け
 直したい自分のいやな所を変えず変えれず
 いやな自分で生き続けている、いくことになる。

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人生で何も生み出せない理由

50年か80年かの、その短い?長い?人生のほとんどの時間を、
今が「今」という当たり前な感覚の
リアリティーの欠如という原因によって、
自分として何も創ること、為すことが出来ず
私達は「私の人生」でなく「私の寿命」を終える。

まさか自分が
この人生で何も生み出せないのが
この今が「今」だと言う実感が持てないと言う
ただそのことだけの理由だったとは。

今に対する感動だ、今に対する感受性だ。
今こそが秘密であり源泉であり力であり夢であり
言ってしまえば幸せの宝箱なのだ。

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詩を書こう!

今日、一編の詩を書こう!
たとえ今日と言う日が詩になるような一日でないとして。

たとえ書く気分でなくても、何も書きたいことがなくても
何も湧いてこなくても。

詩を書くうちに、今日がいとおしく
たいせつに思えて来るだろう。

言葉を連ねる作業は、愛に不感症になっている心
愛する力の弱まっている心をみずみずしく
蘇させてくれるだろう。

自分に今、注がれている愛を感じ
これまで自分に注がれた愛を思い出し
薄情な自分に、もっと愛を、
愛情を持って生きよと
やさしくやさしく諭してくれる。

幸運ならば
今日という日、この自分が
奇跡の塊であることにも
気づかさせてくれる。

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なんか調子の悪い時には

「今」「ここ」「自分」の三つの歯車が
がっちりかみ合っていない。
バラバラになっている。
少し溺れている状況でもある。
落ち着こう。
それしかない。

この自分が落ち着くしかない。
この自分の生活を人生をしっかりとし
楽しい満ち足りたものにするには。

自分を落ち着かせ
この「今」「ここ」「自分」の三つを嚙合わせるためには
運動するのが良い。
ジョギングや早歩きの散歩もよい。
深呼吸やしこを踏んだり
力の出るコトバや詩、じゅもんを
唱えるのもいいだろう。

自分の生活、人生の楽しさは
100%自分のせいだという完全な認識がないと
どこか人頼み神頼みになって
自分を楽しくできない。
深層にある人頼み、神頼みを完全排除してこそ
何事にも力強い踏ん張り、頑張りが出来る。
 

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本当のアイデア、使えるアイデア

もう無理、もうダメ、もう限界という所がスタートと
考えるべき。
そこまで行って、使えるアイデア、キラッと光るオリジナルなものが
出て来る。

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白樺林の中のレストラン

今年の連休唯一の遠出は
北リアス、久慈・野田。
 
1月に亡くなった知人に線香をあげに行く。
久慈の街なかでお茶を飲み
野田の市場で串焼きの魚介類と
ふるまいのあら汁を頬張る。
 
海を見る時間がなかった。
今年は、昨年、個展をした久慈の美術館の
10周年記念で改定するパンフのデザイン制作を
頼まれているので、何度かここに来ることになる。
その時は、海を、そして東日本大震災で消滅した
野田村の復興様を撮影しよう。
 
帰路少し道をそれて
いつも気になっていた白樺林の平庭高原の
レストランによる。
レストランの窓からのぞく壮大な白樺林。
31万本で日本一の白樺林らしい。
来てみたら温泉施設、宿泊練もある総合施設だった。
ここでは時期には闘牛のイベントもあるようだ。
紅葉の頃はまた、すごい景色になりそうだ。
楽しみだ。

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いくらでも自分は変えられる

自分を、自分が望むような人間に
変えよう。
 
いくらでも自分は変えられる。
自分でも自分がいやな
自分が吐き気するような自分と
四六時中一緒に生きている必要はない。
 
人を変えるのは人権もあるし
当人の許可も了承も必要だが
自分は自分の自由だ。
 
意識して意志でもって
自分のそうありたい心と気持ち
物事のとらえ方の感受性にし
そうして頑張っているうちに
そうなっていく。
 
あるいは、自分の願うなりたい人間の心、脳、感性の人が
するであろう発言、行動、受信し続けることで
自分の願うないたい自分に1、2カ月でなろう。
できれば、集中して、1、2カ月で。
自己変革の世界的プロは、いや数日で、
いや数分でというかもしれないが、私たちは凡人だ。
なんとか、がんばって1,2カ月でがんばろう。
 
深刻に、たいそうに考えない。
何事も。(*^_^*)

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膨大な裏紙のメモ用紙

次ぎ次と、ミスプリや
不要になった文書が毎日出て来る。
そのたびに、裁断してB5、A4の裏紙メモ用紙を作る。
 
日報用紙として使うことはもちろん
私のアイデアメモ、言葉にしろ絵・イラストにしろ
全てこの紙を使う。
 
言葉にしろ、絵・イラストにしろ、
様々な企画のアイデアにしろ
一枚に一つしか書かないこと。
余白がいくらあってもいい。
 
気持ち的にも裏紙の利用だから出来る贅沢な使い方だ。
昔はわざわざ500枚束のコピー用紙を買っていたが
その時以上に贅沢に使える。
 
実はこれが大事で、ジャンル別に分けることが後で出来るからだ。
ブログになってしまったり、何らかのエッセイや詩として書き上げたり
数枚の企画書に仕上がって不要なったものは、その時点で
丸めてゴミ箱行き。
 
このメモシステムも20数年変わっていない。
自分の心や脳、行動を改良して生きている私が
20数年も変えないのは
非常に有効なシステムだからだ。
文句のつけようがない。
 

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30数年書き続けている日報

27歳で東京に出て6年
予備校で働いて以来
私は日報を書き続けいる。
故郷の盛岡に帰って来てもうもう25年
四半世紀がたった。
その間も、イラスト書いたり
アートデレクとしたり、アートや学習の教室運営という
自営をしながらも誰に言われる、誰に見せることもなく
日報を書いている。
 
現在の仕様はたいへんシンプルになっている。
教室運営という仕事柄、ミスプリ含め
いらないペーパーはたくさん出来る。
そのをB5、A4のサイズに裁断し
その裏紙を使っている。
 
紙を縦に使い縦に2線、横に1線引いて
時間枠とやるべき枠記入欄というシンプルなもの。
線は定規も使わず、ザっとフリーハンドで
一息に引く。
 
やろうと思っていることやらずじまいに終わる
頭では思っていたんだけど、やらずじまいに
いつの間にか自然消滅ということはない。
 
そして何より、一日という目に見えない時というものに
フレームを設けキャンパンスにしてしまうことで
絵を描くがごとくに一日を過ごせる。
私が今日一日を過ごし生きることは
一枚の絵を描くことなのだ。
 
そして、この日報を書くことで
その為すべきことの一つ一つ程よい距離感、
その一つ一つに俯瞰する視野と同時に
その一つ一つに思いや愛や集中力を注入できる。
 
目覚めと共に美味しい珈琲でも緑茶でも飲みながら
あるいは眠る前に安心して明日を迎えるために
日報を書くことをお勧めする。

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