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しかし、今後の教訓として生かすしかない後悔もある。

こんなこともあった。

学生時代、家庭教師をしていたお子さんのお父さんに

偶然、とある中華料理屋で十数年ぶりにあった。

美容院を営んでいたが客が入らず廃業し

今、こうしてアルバイトでラーメンを運んでいるとのことだ。

「私も絵好きだから、ナカムラさんの所で絵を習うかな。」

と、ラーメンを運んできた時、彼が言った。

久しぶりのこのような形での再会でのテレなのか

社交辞令での発言なのか、へんな勢いと弱さが同居していて

その会話の波に乗れず、私は、じゃいつ来てくださいと

詰めの会話をするまでもなく「いつでもどうぞ来てください。」と

それこそニコリと社交辞令で答えただけだった。

その場は、なんでもなくそれで終わったのだが

それから数か月して、とあるところから彼が自宅で

亡くなったという話を聞いた。

あの時の絵を習いたいというのは、この世と自分を繋ぐ

ワラをもつかむ思いのワラだったのかもしれない。

もちろん唯一のワラではなく、あちこちに細いワラのような

細い綱を岸のあちこちに投げていたのだろうけど

その細い綱たちは彼を此岸に留めること能わずで

彼の小舟を彼岸に放ちてしまった。

どうしようもないことではあるだろう。

しかし私は、その時、反省した。

出来るかぎりにもっともっと受信アンテナの感度を

上げなければならなし、もっともっとベースの

内面のエネルギー量の高い人間であらねばならないと。

そのことで、将来、この人生でいくつか

尊い命を救えるかもしれない。

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