宮崎駿「デッサンとスケッチをやっても絵はかけない。」

折り返し点―1997~2008 折り返し点―1997~2008

著者:宮崎 駿
販売元:岩波書店
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ここ12年間の対談、講演など
60本余を一挙収録ということで
少々高い本でしたが
その分厚い本をぱらぱらと
拾い読みしてもどこも
どこもおもしろい。

宮崎さんのドキュメントは
これまでも録画して、メモしながら
何ども見てきたし
もし、2000円、3000円で
講演会があれば、行くだろうし
それを考えると60本の収録は
魅力的だった。

宮崎さんは、若き日
手塚漫画が大好きでありながらも
意図的に手塚さんの軍門に
入らないようオリジナルを
追求していたという。

それでも、世の中は
何を描いてもて手塚さんに
似ていると言われ苦しんでいた
若き日を回想し、そこを脱するため
やっぱりデッサンとかスケッチから
入らないといけないだろうと
一時は思ったようだ。しかし

「デッサンとかスケッチをやったら
 絵を描けるというのは嘘で、
 違うイメージを持たないと
 違う絵はかけないですね。
 違う世界観なり違う人間観を
 自分の中に持たないといけない。」

このコトバに出会って、私のアトリエに
絵を描きに来ているメンバーにも
教えたいことが、山ほどありそうで
レジに持っていった。

宮崎さんの類まれな博識、思想性
思索性は、この手塚漫画との拮抗
もがきながらの独立性の確立の
蓄積がスタートであり基礎を
なしていたということも
興味深い。

とにかく、おもしろい。

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朝5:55分に携帯電話鳴る。オレンジ色の太陽は街を黄金色に染める。

P1310838_2 携帯がなった。
夜中?いや、朝方だ。

なんじゃい!?
こんな朝早く?
誰か死んだか?

朝の5:55分。

女性の声だ。

「今日は、朝の太陽がすばらしいわよ。」

ーえっ、誰?ー

「誰かわからない?
 誰かわかろうとする前に
 急いで出かけなさい!!
 すばらしい時間は一瞬よ。
 特に昇りかけの朝日と
 沈みかけの夕日はね。
 私もそこにいるから」

ーえっ、そこって、どこ?
 って言うか
 あんた、だれ?ー

電話は切れた。

 えっ、何??だれ??
 そもそも、この電話主、人間?

 5年前、愛犬のボッシュが春に亡くなった。
 その冬に、彼は、携帯に出てきて
 4度大きな声で吼え火事を知らせてくれた。
 両隣、近所マル焼けの大火事を免れた。
 
 その事があって以来、
 この世には、そういうことが
 本当にあるのだということが
 実感としてわかった。

 そういうものは、特に、電波には
 乗りやすいという話も
 聞いたことがある。

ただの、間違い電話だろう。
私を誰かと勘違いして話しているかもしれない。
あまり若くはないな、10代、20代の娘ではない。
かといってお年寄りまではいってない。

まぁ、いいや。目もすっかり覚めたし
久しぶりに朝日を撮りに行こう。
朝日と、その空に浮かんでいる
雲たちの織り成す、黄金の風景を写真に
収めることは、私の趣味でもある。

服を着、カメラを準備しながら
私はいろいろその電話の女性のことを
女性の言葉を反芻しながら
考えていた。

私は『私もそこにいるから』って
彼女の言葉が気になっていた。

『私もそこにいるから』って
この私が、どこに行くか、どこに行こうか
解っているということ?
それとも、どこに行こうが
空の上からでも見ているということ?
はたまた、ストーカーのように
電信柱から電信柱へと
素早い足か、無い足でヒューヒュー移動して
私についてくると言うのか?

ま、間違い電話だろうな。

たとえば、昔に別れた
写真を撮るのが好きだった彼に
おふざけ半分に、電話した。

で、二人は、かって
よく一緒に写真も撮りに行ったりしていて、
夕日と言えばどこ、朝日と言えばどこと
解っていて、きっと朝日を見ながら二人は

『あっ、良かった。
 あなたが写真なんか撮らない人間になってたり
 ここじゃない所に行っちゃったら
 どうしようって、ちょっとドキドキしてたんだ。』

『おい、頼むよ、いつも突然なんだから
 で、元気だった?今、どこにいるの』

なんて、会話をするつもりの元彼の男役に
きっと彼女が間違って私に
電話したのだろう。

車に乗りキーを差し込み
エンジンをかける頃には
そんなふうに考えがまとまっていた。

ドアから覗く外はまだ真っ暗だ。
ただ向こうが少し黄金色に輝いている。
ここは住宅街で建物が遮っている。
まず、走り出そう、どこかフラットなところまで。

大きな道路に出たら既に街は
うっすら黄金色に包まれ
ビルの合間から大きなオレンジ色に燃える
太陽が覗いている。

いい写真の撮れそうな予感だ。

迷ってうろうろしているうちに
シャッターチャンスを
失ってしまう。

どこのだれだか解らない彼女の言うように
すばらしい時間は一瞬で、
特に昇りかけの朝日と
沈みかけの夕日においては
そうなのだ。
彼女の言うことだけは正しい。

すぐそばの大きな公園に向かった。
新幹線の高架橋が少し離れたと所を
公園と並行して走っている。

ベストな瞬間に間に合いそうだ。

私はパチパチ思いのままに
ズームを変化させながら
カメラを立て位置、横位置に
しながら、お金を拾い集めるように
がめつくその黄金の風景を一枚一枚
写真に収めていった。

一通り思いつく構図を
撮り納めたかなと思った頃だ。

その時だった、後ろから
声がしたのだ。

「おはよう!」

女の声だ。
電話の声だ。

誰でもいい、ブスでも美人でも
若くてもお婆さんでもいい
その他、もろもろ少々難ありでも構わない。

ただ、人間であってくれと祈った。

振り返らぬ訳にも行かない。

でも彼女が、振り返った瞬間
『ワタシ、キレイ・・・?』なんて聞いて来て
口の大きく裂けているお方だったらどうしよう。

どんな事実が待っていようが
振り返らず自分の脳の中で
抑えがたく勝手に膨張する
恐怖の映像、スチュエーションが
私の私が私であり続ける
脳のコントロールセンターを
破壊しそうだったのだ。

勇気ではなく蛮勇でもなく
仕方が無く、振り返った。

ーおーっ!なーんだ。太陽おばさんじゃないか!!ー

正体は太陽おばさんだった。

この星に30名くらいいるとも
いないとも言われる
美しい朝日の日の朝や
美しい夕日の日の夕暮れ時に
「写真撮りに行きなさい!」って
携帯に適当な番号を打ち連絡するボランティア団体の
おばさんたちだった。

どれだけ彼女たちが
この世界のためになっているか
検証できていない。

いずれ、私は、いやー、ほんと、今朝は、
驚かされました。

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個性なんかどうでもいい。私のかってな作品論。

個性的な作品を作らねばと悩んでいるクリエーターの方々へ。

72_3 「個性なんかどうでもいい。
 オリジナリィティーとか、
 自己表現とか、自分とか、
 そんなちっぽけな迫力の無い
 カテゴリー、こだわりなんか
 どうでもいい。

 そんなもん表すために
 人生の時間を使ってはいけない。

 自分が、今、イメージできる最も
 すばらしい、かっこいい、
 シビレルものを表すのだ、
 絵にするのだ、音にするのだ。

 オリジナル、オリジナリティー
 脅迫観念から脱却しよう!

 オリジナル、オリジナリティーからの
 脱却こそが、真のオリジナリティの
 誕生を可能にする。

 それぞれが、オリジナリティなんか
 気にせず、今出来る最高の表現をする
 志向する、そこにしか
 真のオリジナリティーは
 存在しない。

 その生命体が、最高最善を目指すところに
 真のオリジナリティーが自然に発生するのだ。

 我々は、個性的作品とか、オリジナリティー
 溢れる作品など作ろうとしてはいけない。

 自分が、今、イメージできる最も
 すばらしい、かっこいい、シビレルものを
 音を、絵を、コトバを形にするのだ。

 とっておく必要はない。
 人の命など、いつどうなるか解らない。

 今、一番いいもの、旬なものを作り出そう。
 描き表わそう。

 その時々、生涯一の作品を目指して
 一枚一枚作っていこう。
 世界がシビレる作品を目指して
 悪戦苦闘しながらも
 わくわくしながら作り出すこと
 生み出すこと、描き表わすことを楽しもう。

 小さな自分や、こじんまりとした個性なんかでなく
 自分は、無限永遠の宇宙なる存在であることを
 瞑想しよう。思い起こそう。
 そこに巨大な自信を感じ取ろう。
 自身の巨大さ無限さ、永遠を察知しよう。

 過去に形成された自分のオリジナリティーも
 その時の一番、ステキ、かっこいい、シビレル
 という最善を尽くした結果ではなかったか。

 最初からオリジナリティーなど存在していない。
 その時の最善の結果こそがオリジナリティーの
 正体であり、出来上がった形を超えて
 その生命体の、その時々の最善最高を志向し
 尽くすその行為こそがオリジナリティーであり
 それこそが作品に脈打つ力であり鮮度であり
 波動ではないのか。」

 と、私は、自分を、こう鼓舞して制作、創作している。

 これが、私の作品論だ。

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自分の世界の広げ方:自分の売り込み方「作品ファイル」

A_2作品ファイルを作って、
自ら出版社やデレクターを
回ると言うのは、イラストや
絵の仕事をしたい人は、
人生を20年、30年、あるいは
50年分、ロスを失くする
ことを意味します。

全国を市場とした雑誌や
本の出版社は、ほとんどが
東京にあるわけです。

たとえ、絵が非常に、うまくて魅力的でも
例えば東北、九州や四国に住んでいて
黙っていて中央の出版社の編集長や
デレクターから話が来ると言うのは
本当に有名になり、ものすごい目立つ
活躍をし、そういう人たちが目にする
ほどの活躍がなければ、
仕事の依頼が来るという言うのは
ありえないわけです。

ものすごい絵がうまいと言っても
一生、そういう話が来ない
可能性のほうが高い。

すべての業種において、存在を知らせることがまずは営業,PRの基本。

「自分から作品ファイルを作り、売り込む」
ここに、仕事が来る、仕事を取るということに
おいては、ものすごい効率があるわけです。

その作品が気に入られる、使われる使われないは
わかりません。しかし、見てもらうことなしに
仕事は絶対来ないのです。

「下手な鉄砲、数、打ちゃ当たる。」
ではないですが、相性が合う、必要としている絵と
タイミングが合うなどの要素において
仕事の依頼として成就し、イラストレーターとしての
生活がスタートするのです。

たくさん打つことで、その可能性は、高まります。
まっして、下手でなく「上手い鉄砲」なら
より確率は高まるわけです。

東京の予備校時代の教え子で、絵が好きな女の子がいて
私が、銀座、青山で個展をしている先生ということで
何かと親しく感じてもらい、その後も年賀状や、
暑中お見舞いなど、やり取りしていました。

今から、3~4年前かな。彼女から電話が来て
ちまちまとたまにイラストの仕事をしてるんだけど
どうして先生は、盛岡(そんな田舎)にいて、
人気雑誌のダ・ヴィンチにイラスト、時にメイン特集のイラストを
そして、大手出版社の本の表紙を描いたりするんですかと、
相談を受けました。

彼女も二十代後半に入っているようで、何とか
きっちりイラストレーターとして
頑張りたかったのでしょう。

「そんなの種も仕掛けもない。
 描きたい出版社に作品ファイルを送れば
 いいだけだよ。」

ぜんぜん、ノウハウでも秘策でも秘密でもありません。

「ダ・ヴィンチでイラスト描きたい、ブルータスで
 イラスト描きたい、講談社で、NHK出版で、新潮社
 でイラストの仕事したいって思っていて、作品を
 見せに行ったり、作品ファイルを送ったことが
 あるの?」

と聞いたら、ないという。なかったら、相当、絵で
有名になるか、奇跡が起きない限り仕事は来ない。
田舎に住んでようが、東京に住んでようが
作品を見せなければどこに住んでいても同じだ。

そこでファイルの作り方を教え、
アプローチの仕方を教えた。

ただ彼女は、凄い!言ったことをすぐやった。

何事も、素直であること、すぐ手をつけ
行動することが大切だ。

「仕事をしたい出版社、してもいい出版社のリスト
を作りなさい。」というと、一週間もしないうち
100件以上、雑誌、書籍を調べ、ネットを使い
リストを作った。

作品ファイルを作るにも
数が数でお金もかかるので、なるべく
ファイルがムダにならないよう、
きちんと見てくれる確率の高いところ
ということで事前に、
「作品フィアルを送るので見て欲しい。」
というメールを送り、キチンとメールを
返してくれた所、了解してくれた所に
絞り込んでファイルを送付した。

メールの文面も全部チェックしてあげた。

絞り込んでも60~70は送ったろう。
これだけ送れば何か起こる。

送ってしばらくして、すぐに
2~3の仕事が来た。

朝日新聞社の「もし首都圏に大地震が来たら・・・」
見たいな本の表紙や中のイラストの仕事。
1200円くらいの全国販売のしっかりした本だ。

それと講談社の青い鳥文庫の表紙、中のイラスト。
さらに、比較的挿画の多い、もちろん表紙も
含めた児童書の仕事という具合だ。

人生は、大事(おおごと)に考えてはいけない。
あたりまえのことを、確実なことを
実行する、行動するかどうかだけだ。
やる、やりきるかどうかだけだ。

吉永賢一さんじゃないが、「かんたん、かんたん」
人生のすべては、カンタンカンタン。

東大家庭教師が教える頭が良くなる勉強法 より

不謹慎なこという、生意気なやつだ、人生なめてる
と思う方もいるかもしれません。

でも、難しい難しい、人生はそんな甘いもんじゃないと
渋い顔して何もしないだけでなく、人にもさせない人生
より、「カンタン、カンタン」と呪えながら
自分のしたいこと、夢に向かって行動する方が
いいと思います。

前にも言ったかもしれませんが、
人生は、やっての後悔より
しない後悔の方が多いと
先哲は言いました。

「あたりまえのこと、確実なこと」を
「行動する、やり抜く」ことで、動き出す
 世界と人生を実感、経験して欲しい。

ファイルの作り方

1.サイズはA4にすること。
  それより、小さくても大きくてもダメ。
  別置きになって埋もれる可能性あり。

2.背表紙のある厚みのクリヤーファイルなどの
  冊子形式にし、背表紙に情報を入れる。
  a)名前
  b)イラストの絵の世界が解るもの
    ・いくつかの自分の世界のイラストの縮小版
    ・コトバで絵の世界がわかるキーワード・説明

3.内容は、盛りだくさんにせず、自分のアピールしたい
  世界をすっきりアピール。

  なんでもやるけど、これなら彼がいる、彼女がいる
  という世界でなくできれば、自分のやりたい表現の
  世界でオリジナリティーのあるもの、得意なもの
  描いていて楽しい世界に的を絞ってアピールする。

  編集としては

  a)自信のイラスト作品
  b)これまでの仕事<まだ、ない人はいい>
  c)プロフィール・連絡先

  デレクターさんたちが資料としても使いやすいよう
  見やすく、コピーや出力も綺麗に仕上げるよう
  心を砕いてください。

イラストレーターさんは、絵描きさんと違って
自分に対してのマネジメント能力が必要です。

キチンとお話を聞き、ポイントを抑え
自分の話すのも要点を押さえ
キチンと伝えるべきことを伝え
聞くべきことをキチンと聞き
作品を渡すまでには、報告・連絡・相談を
適時しながら、何より、納期は死守しなければ
なりません。

しかし、絵描きさんと違って「絵を描いては、売る」
という1対1の関係とその繰り返しでなく、
多くの人の目に触れたり影響、感動を与えたり、
キャラクター的なものであれば展開したり、デザイナー
やデレクター、編集などとの共同、コラボだったりとか
いういろんな楽しさもあります。

そういう、たいへんな所と楽しいところの両方を
知ってイラストレーターが合うのか、作家、絵描きさんが
合うのか自分の性質と、自分の人生のライフビジョンを
見極めましょう。

いずれ、何にせよ、ある願い夢に対して
これをすれば確実に実現できるということを
おおごとに考えすぎず、すぐに行動することが
大切です。

行動しないで、1年や2年、いえいえ
5年、10年、20年などあっという間に
過ぎるのです。

はたまた、一生やらずに不完全燃焼の
湿気った、かび臭い花火だらけの人生に
ならないようにしたいものです。

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忘れられない大切な一枚の絵

3 21歳の時の初個展での
一番人気の作品です。

4Fサイズの紙で言うとB4サイズ
くらいの小さな作品です。

母と弟とペロです。

ペロは、マルチーズです。
雨の日、川原で真っ黒くなって
走っていた捨て犬でした。

足もびっこでちょっと
引きずっていました。

すぐ上の兄が拾って
家に連れてきて
お風呂に入れたら
黒い犬でなく
白いマルチーズでした。

その時、既に何歳だったのでしょう。

でも、家に来てからも
ずいぶん長生きしました。

背景に見えるの当時の家です。

家のガラスはあちこち割れていて
画鋲でビニール袋を貼っていました。

家のあちこちがへこんでいて
家の角から外の土が覗いている所もあり
下水の整備されていなかった当時
よく床上浸水、床下浸水がありました。

しかも、すぐ隣には
農家で、豚小屋があり5匹から10匹は
その小さな小屋で年中ブヒブヒ言ってました。
食料は残飯で、特に夏場は
臭くてたいへんでした。

ある日、豚が逃げて我が家に
入ってきたことがありました。

恐ろしかったです。
体が自分たちが小さかったせいか
豚は豚でなく怪獣でした。
しかも家の中を
猛スピードで走り回ります。

恐ろしいような、でもちょっと楽しい
ようなへんな気分でした。

母は強しです。
「このブタ!」とか
そのまんまですが
ほうきを持って追いかけ
家から追い出しました。

ブタも相当、怖かったようです。

そんな時代の一枚です。

実は、私はこの絵を3回描いています。

どこかの病院の事務をやっている男性、
おじさんが買ってくれました。
売れてしまったという赤シールをキャプション
に貼ったのですが、これを模写して
売ってくれないかという女性がいて
1ヶ月の時間を貰い
私は自分の絵を模写しました。
私の母の顔が、自分の死んだ母親の顔に
そっくりだということでした。

さらにお世話になっている知り合いからも
是非にとお願いされ
同じように模写したのです。

その方は、長く病に苦しむ姉を
長きに渡って姉の実の姉のように
激励しお見舞いに来てくれていた方で
さすが3枚同じ絵を描くのは気が引けましたが
今のように、原画から版画を起こす
ジクレーのようなものはなかったので
油絵具で描きあげました。

思い出の一枚です。
大学の先生にも褒められた
いろんな意味で忘れられない
大切な一枚の絵です。

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私の例:私の初個展の目的

Dm1_3 私にとって初個展は真夏の雲ひとつない
青空にぶっ放す打ち上げ花火でした。

大学4年、
間もなく22歳になろうとする
21歳の5月。

兄弟6人。
兄二人、姉二人
あわせて4人。
4人の兄姉たちのおかげで
私は進学校に
そして地元国立大学に行かせて
もらった。

二番目の姉は
私が中学の時、定時制高校に通っていた。
私の中学とその定時制高校は
道路を挟んで向かいあわせだった。

サッカー部のキャプテン、
学級会長。進学校を目指す私は
友達と一緒の帰り道。

クラブを終えて家路に向かう私に
仕事を終え今から勉強と
定時制高校に向かう姉が
定時制の
上下茶色のスーツの制服を着て

満面の笑顔で友達と一緒の私に手を振る。

それと同じ元気さで夜学に通うその姉に
家計を支えながらお菓子や服を
私たちに弟に買ってくれる姉に
私は手を振り返せなかった自分が
今でも、うらめしい。

貧しいことは、そんなに隠すべき
恥ずかしいことだったのか。

生意気で可愛い気のない
喧嘩ばかりふっかける私に
給料のほとんどを家にだし
残りのわずかの小遣いから
それはもちろんそんなに
高価なものではないけれど
服だ、本だと買ってくれた二番目の兄。

私が10歳の時、
脳出血で倒れた父。
弟を含む6人兄弟、
そして母と父。

しかも父と長女は病。
そういう家族を23歳から
父親代わりに朝から晩まで
働きづくめで育ててくれた長男。

そして、子供6人、病人2人の家庭を
その日の生活と借金取り応対にあけ暮れ
心身ともに限界で切り盛りしてきた母。

私の個展は、そんな兄、姉、母たちへの
「ありがとう」の打ち上げ花火だった。

貧しく何の華やかなことのなかった
我が家の上に広がる天空
真夏の真っ青な大空に
打ち上げた大きな大きな
打ち上げ花火だったのだ。

母にとって、兄姉たちにとって
それが本当に大きな大輪の花火だったかは
定かでない。

でも、私は
「母ちゃん、兄ちゃん、姉ちゃん
 ありがとう!ありがとう!」
と言いながら、汗拭き拭き
目頭熱くして
真っ青な夏の大空に
真昼の花火を打ち上げたつもりだった。

初日、準備もまだという開館前に母が来た。
一番最初のお客だった。バスを乗り継いで
街中に来たのだろう。

オープン時間を気にしながら
準備大詰めの時だった。

会場入り口で、少しためらっていたが
どうぞと、中に招き入れる。

(早いだろう。準備万端のところで
 見せたかったのに)

母は、会場に入るや
よれよれの茶封筒を取り出し
「はい、ユウコウ君、お祝い」と
差し出した。

そこにへたくそなふるえたような
弱々しい文字で、鉛筆で、そう鉛筆で
「祝 個展」と書かれてあった。

その下に、私の名前が書いてあった。
しかも部首が間違えていた。
私は、正真正銘の息子だ。
名前、間違えないで欲しい。

母が、お祝いを包んでくるなんて
私はやっぱり、たいそうなことしたのだろう。
そして母は
、とても喜び嬉しいのだろう
と確信した。

私は少々照れながら
「あっ、そう、どうもね。」と
便所に向かった。
封筒の中身を見た。

よれよれの千円札が3枚入っていた。

私は、トイレでその封筒を見ながら
なぜか涙が溢れ出てしかたがなかった。
私は、わけもなくあふれ出る涙をしばらく
少々臭いトイレットペーパーで拭いて
会場にもどった。

この個展はいろんな意味を持っていた。

私は、個展の案内ハガキを
温かくやさしく接してくれた
かっての隣人たちに届けに行った。

私が中学の終わりか、高校の初め頃に引越しずいぶん経っていた。

近所の方たちには、とても迷惑をかけた。
長女が隣の茶碗を洗う音さえ嫌がり
音を立てないよう母がお願いに行ったり
それでも、近所方々は、
有名な貧乏の子沢山の我が家に
温かくやさしく接してくれたのだ。

心配かけた我が家が、皆、元気で
頑張っていること、
少しずつよくなっていることを
報告する機会にした。

一番迷惑をかけた隣の家の
おばちゃんが見に来てくれた。

「えらいね。えらいね
 頑張ったね」と私はこの個展
 涙腺が弱くなっていた。

もう一人の母から、褒められて
いるようでじんと来た。

この初個展は、私の個展の原点だ。

あの時は、個展は、とてもたいそうなことだった。
今では、東京は青山だ、盛岡だ、海外だと個展を、
画家の弟も、銀座だ、東京だ
大阪だと一流デパートで個展をしている。

しかし、この個展が
我が家にとっての記念すべき、
初の個展だった。

あの個展がなければ
今の私も、今の弟もない。

誰かを喜ばせる。
自分を愛して気にかけてくれて
いる人たちを楽しませ
幸せにし、その時の
全力の自分で挑む。

いかなる個展でも
そのスピリットだけは忘れまい。

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自分の世界の広げ方「個展論」

みづゑBOOK 2 イラストレーションドリル Book みづゑBOOK 2 イラストレーションドリル

著者:福井真一
販売元:美術出版社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

<この号はイラストレーターを目指す人は必見!貴重な資料満載!
 ギャラリーハウスMAYAのオーナー大矢さんもP80にアドバイスが
 載ってます。>

個展は、目的が明確であることが大切だ。

お金も、労力も膨大だからだ。
目的が明確でないと、最後までブレずに
しっかりした準備が、制作ができない。

最悪、一番、避けたい美しくない行動は
途中あるいは直前のキャンセルだ。

これは、たとえ不本意な準備状況でも
避けなければならない。

ギャラリーに迷惑をかけるのはもちろんのこと
このことに限らず、こういう行動の選択が重なると
自分が自分自身を信用できなくなり、
人生がぶよぶよして確固たる人生を
築けなくなる。これは怖く悲しい兆候だ。

個展開催の目的はいろいろあるだろう。

1.個展を予定し開催することで作品を産み出したい。
2.作品を売り稼ぎたい。
3.家族、友人、さらには多くの人を楽しませたい。
4.作品を出版社やデレクター、評論家にアピールしたい。
5.人生の張り合い、心身の鍛錬、高揚、向上を図りたい。

目的を明確にして、その目的を確実に達成するようにする。
一方で漠然とした目的外のことは期待しないというブレ
のない強い開催が望ましい。もちろん、これらが複合して
いる場合もあるだろうが、一番の目的、これだけはという
目的をはっきりとさせておきたい。

4番目の
「作品を出版社やデレクター、評論家にアピールしたい。」
と言うことに関して一言アドバイス。

1.出版社やデレクター、評論家が存在する東京でやること。
 (4番目以外の目的の場合はどこで個展を開催してもいい。)
  しかし、東京のギャラリーならどこでもいいのではなく、
  そういう方々が、見に来る、一目置く、あるいは
  パイプのあるギャラリーで個展を開催する。

  例えば、あなたがイラストレーター希望、イラストの仕事
  を希望するのであれば、下記のギャラリーなどはお勧め。
  私は、ギャラリーハウス・マヤで個展をし、たいへんお世話に
  なった。個展及び個展の前後では、多くの著名なデレクター
  さんもご紹介戴き、感謝している。オーナーが面倒見が良く
  誠実で一生懸命な方なので、若いイラストレターや
  イラストレーターを目指す人がアドバイスを求めたり、多くの
  ご活躍の現役イラストレーターも、ひっきりなしに訪ねてくる。

   ギャラリーハウス・マヤ
   HBギャラリー
   ピンポイントギャラリー

●もちろん絵を見せ、了解を戴いても、これらのギャラリーは
 人気があるので1年、2年待ちです。問い合わせて見てください。

2.著名な出版社やデレクター、評論家であれば、あるほど
  忙しくて見に来られないので、案内を出しても来られなか
  った方には、後日作品ファイルを郵送するなり見せに行く。

  というしつこい、複合的対応が出来たら、
  それに越したことはない。

イラスト、絵を仕事にしたい人は、頑張ってください。
あなたが夢を叶え、充実した楽しい日々を送ることを
祈ります。健闘を祈ります!

行動あるのみ
そして今日まず一枚明日も一枚!

ナカムラユウコウの世界http://www.nakamurayukoh.com/

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自分の世界の広げ方「応募」について

イラストレーターの仕事―プロとして知っておきたいノウハウ イラストレーターの仕事―プロとして知っておきたいノウハウ

販売元:誠文堂新光社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

嬉しい知らせが届いた。私のアトリエに通う女子高生が
県の高校選抜美術展の今年度のポスターコンペで最優秀
となりポスター図柄となることになった。

先週の土曜日、アトリエで一部制作し、作戦会議をし
自宅で土日、そして月曜の朝まで徹夜で提出した。

おめでとう!

自分の売り込み方、仕事のとり方、自分のキャリアの積み方
広げ方には、いろいろあるが「応募」について述べたい。

世界には、様々な、人種、民族、国があるが、人間の種類は
応募する人間と応募しない人間と2種類しかいない。

応募する人 =募集の舞台があることを知って応募する人

応募しない人=1.募集自体を知らずに応募しない人
          2.募集に、応募したくてもしない人、出来ない人
          3.募集を知っているが応募しない人

応募する人に、ドラマや奇跡は起こるが、応募しない人には
何も起きない。これだけは、確実だ

著名な第一線の創作家は、応募→受賞により国内外の活動の舞台を
広げた人の例は、枚挙にいとまない。

イラストや、絵、絵本、デザインだけの話ではない。

村上春樹は、小さな喫茶&バーを営みながら、毎夜毎夜
店を閉めた後、店のテーブルで現実的に一枚一枚原稿用紙を
埋め、「風の歌をきけ」というタイトルをつけ
文学雑誌「群像」に応募した。

その作品が、群像新人文学賞を受賞し、日本屈指の人気作家となり
今、世界一の人気作家になった。

世界には、応募する人間と応募しない人間と2種類しかいない。

絵やイラストなら、個展をする、営業作品ファイルを作って
出版社や制作プロダクションを回るなど、いろんな手がある。

しかし、著名で充実した公募への応募、受賞は、活躍の場を広げ
キャリアを積むには、決定的で最短距離だ。

この決定的手段「応募する」ということにおいて
一番大切なのは、応募することだ。

次に、自分の得意技を最大限使い切ること、
自分の土俵で勝負すること。
自分の得意技で、自分の土俵で勝負するので
その制作が楽しくて仕方がないこと。

これまでの受賞のレベルをしり、そのレベルを超え、
あるいは凌駕するものを創作しようとの志
心意気を維持して頑張ろう!

illustration (イラストレーション) 2009年 07月号 [雑誌] illustration (イラストレーション) 2009年 07月号 [雑誌]

販売元:玄光社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

私のアトリエに通うメンバーは、
イラストレーションのチョイス展(東京・玄光社)

イラストノートのノート展(東京・誠文堂新光社)

ギャラリーハウス・マヤ主催の装画コンペ(東京)

ボーローニャ世界絵本原画展(イタリア)

各公募の応募作品制作をアトリエで取り組んでいる。

またの機会に、個展や営業作品ファィルについて述べたい。

ナカムラユウコウの世界http://www.nakamurayukoh.com/

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「あらしのよるに」のきむらゆういちさんと言う人

あらしのよるに ちいさな絵童話 りとる あらしのよるに ちいさな絵童話 りとる

著者:木村 裕一,あべ 弘士
販売元:講談社
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きむらゆういち作の「あらしのよるに」を
読んだことがあるだろうか。

立ち読みした私が言うのも変だが、あれは
立ち読みすべきでない。

なぜかと言えば、泣いちゃうからです。
簡単に言うとオオカミとヤギの友情物語。
児童文学。子供はもちろん、大人のファンも多い。

アニメになったり、話題になったは数年前。
書かれたのは今から十数年前。
大きなウェーブになるのに10年かかるんですね。

「男の隠れ家」という雑誌がある。
その雑誌を私の隠れ家である、ある喫茶店で
読んでいたら、きむらゆういちさんの記事が
3ページにわたって掲載されていた。

あの名作、私は本当に感動して感動して
ヤギの気持ち、オオカミの気持ちを思い
ラストのシーンを思い出すと
車の中でも数日間、胸が切なくなり
涙が滲んできたのを覚えている。
同時に、その物語を書き上げた
きむらゆういちという人物に
羨望、畏怖の思いが湧きあがった。

きむらさんのインタビュー記事によると
「あらしのゆるに」はァミレスで
一晩徹夜で書き上げられたものだと言う。
ウーッ、すごい!

きむらさんのその創作姿勢、創作方法が
一つひとつ全てに非常に共感が持て、
シンパシーを感じるものでした。

私は、とても気持ちよく
ポメラでその小さな文字で3ページに渡る
記事を全て打ち込みました。

キーを打ち込みながら
「そうだよな。そうだよな」と
とても、満ち足りた納得をしながら、
幸せな時間を過ごしました。

創作する人には、非常に参考になることが
散りばめられています。

きむらゆういちインタビュー記事<男の隠れ家>から

P1150551 「ファイルにしている「ヤギとオオカミ」と書かれた紙袋に
 たまった資料を持って、近所のファミレスに行ったんですよね。
 その都度、思いついたときにメモを紙袋に入れておいた。
 それでファミレスの4人がけのテーブルに座って、
 資料を一面に広げて、朝までに一晩で
 書いたのが「あらしのよるに」。

深夜から書き始めたんだけど、書きながら自分でも
ハラハラドキドキしてました。(笑)。
周りから見たら深夜におじさんが一人、
時にニャニャしながら書いていたわけですから、
変わった光景だったんじゃないですか。(笑)

1994年に発表された珠玉の名作「あらしのよるに」の作者、
絵本・童話作家のきむらゆういちさんはこう話す。
「あらしののよるに」は、実はファミレスから生まれた傑作だった。

同作品は、講談社出版文化賞などを受賞し、
イタリアや韓国、台湾などのほかに英語版で翻訳され、
日本ではアニメ映画化されて大きな話題を読んだ。

きむらさんは次々にベストセラー本を出版するだけでなく、
脚本や小説、コミックの原作など幅広く活躍しながら
大学の教壇にも立っている。

「書斎には、どんどん資料が増えてくるから狭くなるでしょう。
 その点、肝心な資料だけ持って、4人がけのテーブルを占領して、
 一斉に広げてゆったり仕事ができるファミレスがいいですね。(笑)」

そもそもきむらさんがファミレスを仕事場として利用するのは、
静かな環境で仕事をするのが苦手だからだ。
周囲がざわざわしている喧噪の中の方が、はかどるという。

「狭いスペースで一人閉じこもって仕事をしていると、
 風通しが悪いというか、圧迫感を覚えるんですよね。
 だから一人でじっくり企画を考えることもないし、
 アイディアを練るために特別な時間を作ることもないです。
 普通に生活している中で、ふと思いついた時に、
 メモを取る程度ですね」

手もとに筆記具なければ傍らにいる人に借りるし、
メモ帳を持っていなければそこにある紙を使う。
例えば、飛行機の機内でメモ帳を所持していなかったときには、
吐しゃ用の紙袋に裏表いっぱいに走り書きをした。

著作500冊を越えるという。途方もない仕事をこなしている
超人的なクリエーターらしからぬユーモラスな一面だ。

「用意周到、綿密なタイプじゃないですね。でもアイディアに
 煮詰まって頭の中が窮したことはない。
 同時並行でいろんな仕事をしているから、
 ふと思いついたらメモを取っています。
 ただ当面の締め切りだけだけでノート1ページ分もあるんです。
 もう、5年10年待ってもらっている企画もある。
 僕が仕事の依頼を断ったことがないからでしょう。(笑)」

きむらさんの説によれば、原稿などの締め切りはつらくて怖いから、
つい先延ばしにしようという意識が働く。
毎回襲ってくる締め切りのストレスをためないために、
1年の連載の原稿を一度に3回分執筆し、編集者に会って
原稿を渡す回数を4回で済ませるという離れ業を披露する。

「最近は何でも仕事につながっていく。
 今僕はシングルファザーで子育て中なので、最近育児のの本を
 頼まれてまとめました。
 だからどこらどこまでが仕事とプライベートなんだか
 分からなくなっている。(笑)
 大学の頃は画家になりたかったけれど、
 絵本の方が売れちゃって油絵から離れちゃった。
 今また油絵描こうかなと思うようになって、
 自宅の地下にアトリエを造ったんです。」

少年時代のきむらさんは根っからマンガ少年だったから、
近所の床屋に日参しては主人から客が読んだマンガ雑誌を
もらい受けた。さらにそれだけでは物足りず、 
近所の貸し本屋でも雑誌を購入した。

「部屋の中は漫画雑誌だらけで寝る場所もないわけ。
 どうしようもなくなって、
 雑誌の上に戸板を並べてその上で寝たんです。(笑)
 昔から漫画一辺倒で、読書推進運動なんて
 やっているわりに本は読みませんね。(笑)
 ただ本でも漫画でも映画でもメディアはなんでもいいけれど、
 主人公の気持ちになっていろいろな
 疑似体験をすることが大切なんです。」

高校までコンプレックスの塊のような日陰者で、
消極的なタイプだったという。
やがて絵を描いたり文章を書いたりする事を通じて
「こんな楽しいことで飯をくえるならば」と作家になる決意をする。

「大学の時にたまたまもらった絵本があって、
 僕の知らない世界に惹かれましてね。
 考えたら絵本にはストリーも絵も色も全て含まれている。
 そういう意味で自分の世界を表現するには
 もってこいだと思ったわけです。」

7カ所の書斎を使い分け膨大な仕事をさばく。
自宅3カ所、大学3カ所、とアトリエ。

大学時代から抱いていた初心を貫徹させ、
贅沢な夢の実現を果たしたかと思われてもなお「まだ夢の入り口」
に過ぎないと恬淡と話すきむらさん。

今後は映画製作、大人のための作詞など夢の領域は拡大する一方だ。

「僕はその道一筋というのが嫌なんですよ。延々と同じ仕事をやって
 いる人は偉いと思うけど、僕にはまねできない。いろんなことに
 挑戦している人が好きですね。」

「おそるべき60代の才人」きむらさんの仕事から目が離せない。

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親父の絵と、ピカソの絵

Jpg 私のアトリエに通うイラストレーターのヨダさんが
今、ある町村の市民講座でパステルを教えている。

昨日は、動物をモチーフにしたそうだ。
動物の顔が難しいと受講生のご婦人達は
言い、実際苦労されていたようだ。

斜めや横の写真を見ながらも、画用紙には正面
からの顔が描かれていることもあると言っていた。

中高生のデッサンでも
同じようなことがある。

結局、見ないで頭の中で描きやすいように描いているのだ。
デッサンでも、描きやすいように視点が無意識にずれて
多視点画法のメチャクチャデッサンになってしまうのだ。
絵のうまい子でも、初めての石膏デッサンは
笑えることも多い。もちろん、当人は真剣なのだが
指摘されるまで、気づかず、気づいて一緒に笑う。

「動物の顔が難しい。」

動物の顔と言えば、親父の絵を思い出す。
50代初めにくも膜下になり、その後、半病人で
隠居、療養生活し67才で他界した父だが
私は、脳出血と老人性痴呆の両方で
どんどんボケて行った父だったが
ボーッと一人でいる父とよくお話した。

ある時、うちで飼っていた
マルチーズのぺロちゃんを
絵に描いてもらった。

一生懸命描いてくれたが、顔が犬でなく
人間の顔だった。

イラストレーターの山口マオさんのネコも
顔は人間で、あの時は、ただ笑ってしまったが
今思えば、なかなかの先取り、絵心が
あったのかもしれない。

絵のあまり上手、少なくても器用とは言えない
セザンヌの多視点のグチャグチャのデッサンこそ
その後の大きな美術の潮流を生み
印象派、そしてフォービズム、キュービズム
そしてその流れの中にピカソという
時代の申し子を生み出したことを思えば

グチャギチャのデッサンも、
そして親父の犬人もバカにできない。

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