まだまだ、イラストレーターの仕事はありそうだ。

 近くに大きな総合スーパーがオープンした。嬉しいことに、今まで、市内にはなかったグループの大きな書店が入っている。グループが違うと、品揃えが違ってうれしい。文庫本コーナーが充実していて、ちんたら表紙のイラストを眺めながら一周した。

 一時期、装丁がデザインや写真が、多く感じたが、最近またイラストが増えて多くなっているような気がする。嬉しいことです。「うー、いいな。」というのもあれば、「うーこれかな。」というのもあるが、やっぱりイラストはいい。

 初めて、本の表紙を描いた時、出版社の編集長と装丁のデレクターと、打合せをして終えたあと、新宿の紀伊国屋書店に寄って、1Fから7Fだったかな、最上階までへとへとになって、一冊一冊本の表紙を見て回ったのを思い出した。正直、どきどきしてました。胸が高鳴ってのぼせていましたね。懐かしい緊張感です。Img_4572

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 偶然でしょうか。ダ・ヴィンチさんと、ブルータスさん、どちらも仲良くセピアで表紙決めていました。情報流れてるんでしょうか。流してるんでしょうか。

 いづれ、ダ・ヴィンチさんと、ブルータスさんは、この次々廃刊に追い込まれる厳しい環境の中で、本当に、編集の工夫、魅力ある特集を組み続けて頑張ってますよね。ダ・ヴィンチさんでは、イラストの仕事をしたことがありますが、ブルータスさんもたいへん魅力的な雑誌で、いつか仕事ができたらシアワセです。

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村上春樹との出会い、そしてサヨナラ、そして今でも。

もっともお金のかからないすぐ近所の国立大学に入ったものの、一日も早くやめて東京に出て、なぜだか本屋さんでアルバイトをしながら芥川賞を狙って小説を書く予定だった19歳の私は、大学の授業に全く興味がなく、図書館や本屋で、本ばかり読んでいた。そんなある日、のどかな初夏の日差しが入り込む市の図書館の雑誌閲覧コーナーで、ふと一冊の文芸雑誌の表紙が目に入って来た。

Img_3874 「今年度群像文学新人賞、決定!村上春樹氏、-風の歌を聴け ー」。手に取り、ぱらぱらとページをめくった。ムラカミハルキ・カゼノウタヲキケー最初の1行、2行から、体中に電撃が走った。体は、硬直し、その姿勢のまま、瞬きもせず、呼吸もせず、数時間、一気に読み終えた。私は、それから、5年間、病気になった。書くもの書くもの、みんな村上春樹の文章になってしまうのだ。それは、しかし、私一人の問題ではなかった。日本中のプロ、アマ問わず20代、30代、40代の文章を書くものには、村上春樹が降りてきて自動書記状態を起こしてしまうのだった。みんな村上春樹病にやられたのだ。日本壊滅状態だった。しかし、私は、そのおよそ5年の月日をかけて、免疫抗体を作ることに成功した。

私は、標本箱に納められた味わい深い昆虫の魅力から、野原や森や川原で飛びまわる蜜を吸い美しくも時に厳しい自然の摂理、棲み分けと競争、マクロとミクロの大潮流の中でこの今を現実に生きる虫たちの素晴らしさ、その世界の素晴らしさに気づき心から感動できる感性をより強く取り戻すことができた。この世界は、村上春樹以下だったのに、やっとこの現実世界が村上春樹を超えてくれたのだ。でも、私は、生涯、村上春樹の「風の歌を聴け」を読んだ時に、異常な電子の交流が体内を激走したあの感動を忘れない。おもしろくておもしろくて読み終わりたくない気持ちで読み続け、後にも先にも、本を読み終わることにあんなに深い悲しみ、さびしさを覚えたことはない「羊をめぐる冒険」、とにかくワクワクして面白かった「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」。それら、村上春樹の初版本は、今でも宝物として本棚に収まっている。

Img_3871 今、世界が村上春樹に熱狂している。ロシア、アジア諸国でも、ヨーロッパやアメリカでも、村上春樹フワァンは、どんどん増殖している。ここ数年前からは、ノーベル文学賞の候補としてノミネートされ続けている。来年、「ノルウェイの森」が映画になるという。まさか、村上春樹が、そんなことさせるかと思ったが、シナリオが村上春樹の全面書き下ろしという。それならあるだろう。私は、あえて英訳版で読もうと思う。今日から、読み始めている。辞書は使わず、読み通うそうと思う。「ノルウェイの森」を読み通せたら「羊をめぐる冒険」にも挑戦したい。脳科学者の茂木健一郎氏が、英語がわかり出来るようになるやり方として、自身の体験を踏まえ、兎にも角にも辞書を使わず読み続けていると或る時、それは突然と英語がわかる瞬間が来るという話を雑誌で書いていたのだが、とても納得の出来る話だったのでマネしようと思う。英語圏の海外旅行では困らない程度、ネイティブでない筑紫哲也や、麻生太郎の英語なら何とかいくらか分かる程度の英語力を、もう少しレベルアップしたい。いつまでも、私も若くないし、いつまでも寿命はあるものじゃない。もっと世界のあちこちと行ってみたい気持ちが溢れている。

Img_3857 風の歌を聴け (講談社文庫)

羊をめぐる冒険

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド

ノルウェイの森〈上〉

ノルウェイの森〈下〉

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スガシカオと村上春樹、そして私とブンドリッヒ

Img_3850_2 10月号のダ・ヴィンチ、スガシカオが載っていた。彼の師匠は村上春樹だという。彼は、その中で言っている。クリエーターは、自分の影響を受けた人を隠す人が多いが、私は隠さない。自信をもって自分の師匠は、村上春樹だという。そんな、ミュージシャンスガシカオ、名前は少し変だが、好感が持てる。

私の絵の師匠、大学の先生は恩師だが、師匠ではない。私の師匠は、版画家・画家のブンドリッヒだ。30代の初め、確か、今は無くなったはずだが、東京は池袋の西武デパートの地下の洋書専門の書店で出会った。衝撃的であった。私が描きたい、私が目指す、私が自分の人生をクリエーターとして全うできるとしたら、この人生で辿り着きたい絵であり表現だった。憧れ、夢の作品群が、その分厚い10000円の画集に溢れていた。

当時の私にとって、いや今の私にとっても高額なこの画集にシビレまくりながら、買って帰るか、どうしようかとページをめくりながら2時間、3時間いや4時間と迷いながら、結局、買わずじまいで、私は3時間新幹線に乗って盛岡に帰ってしまった。しかし、新幹線に乗っている間、私は数時間前に出会った巨人との一期一会の感動を、いつでも再現できる術を池袋の地下に置き去りにしてきたことに、後悔の思いがどんどんどんどん湧き溢れてきていた。

当時、土日であれば、何回、東京・盛岡間を往復してもいいという便利なEキップという券があったので、私には、お金が無くても3時間という時間さえあれば、東京に戻ることが出来た。私は、盛岡につくやいなや、「まだ、東京だ。最終で帰ることになると思う。」と、家に虚偽の連絡を入れ、東京に向かった。かれこれ、あれから15年もたったろうか。今でも、アトリエの一番お気に入りの場所に、ブンドリッヒ作品集が置いてある。

明らかに、ブンドリッヒとの出会いが、私の絵のクオリティーを高めた。目指すべき、作品に対する完成度や感性の部分で理想水準がまったく変化した。絵を描くことの人生に、限りのない安心をもって向かっていける広大な地平を見せてくれた。絵を描くことが、自分の人生をかけても余りある大きな仕事でると覚悟させてくれた。そういう意味で、私の絵の師匠は、ブンドリッヒなのだ。

私は、私の中にブンドリッヒがいることを実感できた。だから、影響とかそういうのは、どうでもいい。私は、ブンドリッヒの作品が好きだ。シビレている。それは、恥ずかしいことじゃない。ブンドリッヒの作品を通して、私は、私の中にもともと棲み着いていたブンドリッヒと出会うことができたのだ。何かに感動する、誰かに感動する、影響を受けるということの本質はそういうことなのだ。何もやましいことでも恥ずかしいことでも、隠すことでもない。自分の中に棲み着いていないものは、永遠に目を覚まさない。自分の中にないもの、自分でないものに人は感動しないのだ。

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